第十七話:貴様がその意思を固めたことを察してから、毎晩こうしている
フランチェスカから、この国に留まるように言われて、そんで無下に断った次の日、俺は街に出てヨハンの宿を訪ねた。
しっかし、アリスタードの襲撃やらなんやらあったもんだから、とっくに逃げたと思ったがな。まだこの街に留まっていやがったとは根性のあるヤツだ。
街の中心から少しばかり西にずれた場所。こじんまりとした宿の扉をくぐり、受付に話しかける。
「ヨハンってー奴がここに泊まってるはずなんだが」
「ヨハン様ですね。ご確認致します。少々お待ち下さい」
受付の姉ちゃんが、隣で控えてた若い兄ちゃんにボソボソと耳打ちする。耳打ちされた兄ちゃんは、パパッとカウンターを出て――客室がある方なんだろう――階段を登っていった。
しかし、この姉ちゃん美人だな。歳は、二十代半ばぐらいか。ちょっとばかし胸が小せえのがアレだが、それを勘案してもお釣りが来るほど整った顔をしてやがる。
「姉ちゃん、美人だって言われねぇか? こんなとこで働いてて、旦那がうるせぇだろ?」
俺のちょっとばかしの雑談に、にこやかな顔を崩さずに美人が、ふふ、と笑う。
「お褒めに預かり恐縮です。うるさく言ってくるパートナーなんて居ませんから。仕事が忙しくて」
「へえぇ。姉ちゃんみたいなべっぴんが未婚たぁ、ここらの男も見る目がねぇもんだな」
「お戯れはおよし下さいませ。そんなにお褒めになっても、何もお出しするものがございませんよ」
「いや、別に何か出してほしくて言ってるわけじゃねぇよ。思ったことを言ってるだけだ。ヨハンが来るまでのちょっとした雑談だよ。あ、すまん。忙しかったか?」
「いえ、丁度一息つく程度の時間ですので」
「そうか。そりゃ良かった。んじゃ、ちょっとばかし、下らねぇ話に付き合ってくれよ」
「えぇ、喜んで」
「俺は、ヨソモンで肉が好きでな。んで、ここらは漁業が盛んだろ? あんまり美味い店に辿り着けなくてよ。あ、ちなみに姉ちゃんは食いに行くなら、肉と魚、どっちが良い?」
「私、ですか? えっと……どちらかと言えば、魚が好みですかね?」
「へぇ、んじゃ、決まりだな。今晩、魚料理の美味い店を紹介してく――」
「ゲルグさん……何してるんですか?」
いいところを邪魔すんじゃねぇよ。口説いてんだよ。みりゃわかんだろ? どっからどう見ても良い感じだったじゃねぇか。
横を見ると、ヨハンが呆れた顔で俺を見ていた。そんな顔で見るんじゃねぇよ。こっちは、メティアーナでの最後の思い出を作りたくてちょっと張り切ってんだよ。察しろよ。
「ヨハン、お前さんよ。もうちょっと空気ってモンを読んでだな」
「困ってる顔されてるじゃないですか。駄目ですよ。もうすぐこの国を出るって、アスナさんに聞きましたよ」
舌打ちをする。あーあ。ヨハンのせいで、なんもかんもパァだよ。ほら、姉ちゃんがちょっとばかし頬をひくつかせてるじゃねぇか。こりゃアレだよ。「せっかく、良い出会いがあったと思ったのに、ただのアバンチュール目的かよ、クソが」、なんて顔だ。
「悪いな、姉ちゃん。連れが来ちまった。あんがとよ、話に付き合ってくれてよ」
「いえ、お客様に気持ちよく過ごしていただくのが、我々の務めですので」
挨拶もそこそこに、ヨハンの首根っこを捕まえて、少しばかり離れたロビーのソファに座らせる。
「馬鹿。どっからどう見ても、もうひと押しだったろうがよ」
「そうですか? どう見ても困ったお客さんをどうあしらおうか、みたいな顔でしたけど」
「お前さんにゃ、その当たりの機微は分からねぇんだよ。ったく」
童貞の俺にもその辺の機微が分かってるとは思えねぇ、ってのは俺がよーく知ってる。知るか、考えねぇ。
「それで、何の御用でしょうか?」
「あぁ、ちょっと話があってな。ここじゃなんだから、お前さんの部屋に邪魔して良いか?」
「いいですよ、こっちです」
ヨハンの背中をのそのそと付いていく。さっきの受付嬢とちょっとばかし目があって、少々気まずいが、俺は過去は振り返らねぇ主義なんだ。いや、嘘付いた。結構振り返ってんな。心なしか目つきがキツい気がするのは気のせいだ。気のせいだったら気のせいだ。
ヨハンの部屋は階段を登ってすぐの場所だった。ヨハンが鍵を開けて、扉を開ける。
「どうぞ」
「おう。お、小綺麗にしてんじゃねぇか。長いこと泊まってたたぁ、思えねぇな。ワンダの教育の賜物か?」
「性分です。散らかってるのって、あんまり落ち着かなくて」
「そうか」
「あ、座ってください。お茶とか、要ります?」
「いや、要らねぇよ」
言われたとおりに、壁沿いにあるソファにドシッと腰を下ろす。
「しかし、お前さん、よく逃げなかったな? アリスタードが攻めてきたってのは、ここらでも噂になってただろ?」
「逃げようかどうか迷いましたけど、ゲルグさん達がなんとかするだろ、って思って、辞めました。それに、僕が逃げたら誰が船を操縦するんですか?」
「そらそうだな。お前さんはアスナ達の専属航海士だからな」
「えぇ。それなりに、この役目には誇りをもってやってるんですよ」
自慢気に胸を張る。なんっつーか、ワンダの下にいたころのおどおどしてた野郎とは見違えるようだな。役目ってのは、こうまで人間を変えるもんなんか。うーむ。男子三日会わざればなんちゃら……とは言うが、うん。なんか若ぇ奴の成長って早いなぁ。しみじみ。
「それで? お話ってなんですか?」
「あぁ、俺はとんずらこく。お前さんには言っておこうと思ってよ」
「とんずら……? へ? なんでですか?」
「俺の目的は、アスナ達をこの国へ無事に連れてくることだった。目的は達成したんだよ」
「で、でも!」
「馬鹿。おっさんの引き際ぐらい察しろ。お前さんぐらいには伝えとかねぇと、『いざ出港』ってなった時に困んだろ?」
おっさんがいねぇ、とかなっていつまでも出港できねぇ、なんてざまになったら目も当てられねぇ。こいつを丸め込んどきゃ、「ゲルグさんはいないんです! 出港しますよ!」、とかやってくれんだろ。勝手な想像だがな。
「な、なんで、ですか……? 皆さん、とても仲が良さそうで、『あぁ、この人達は固い絆で結ばれてるんだな』、なんて思ってたのに……」
アホ。固い絆って、今どき流行んねぇだろーがよ。
「ヨハン。俺はただのアリスタードで燻ってたチンケな小悪党だ。ここらが潮時なんだよ。足手纏いにゃなりたくねぇしな」
「ゲルグさんを足手纏いなんて思う人なんて!」
「いるよ。誰が思わなくても、ここに一人いる。俺だ」
「……っ!」
ヨハンが押し黙る。あーもう。こういう湿っぽい感じは好きじゃねぇんだよ。「あ、そうなんですねー、お疲れ様でしたー」、なんて具合に気楽に送ってくれよ。しみったれた顔すんな。
「そんで、この国の安い船を紹介してほしくてな。お前さんなら知ってんだろ?」
「……え、っと。はい……」
よろよろとベッドに座っていたヨハンが立ち上がって、部屋の隅のカバンから地図らしきものを取り出した。そんで、緩慢とした動きでまたベッドに腰掛けて、膝の上にそれを広げる。こりゃ、メティアーナの観光地図だな。そんなもん売ってんだなぁ。
「安い船なら、ここと、ここ当たりが、オススメです」
「そうか。あんがとよ。アスナ達には黙っといてくれな。あぁ、キースはなんか察してやがるから、別に秘密にする必要はねぇ」
ヨハンがなにやら顔を俯かせてやがるが、無視だ無視。
「アスナ達の力になってくれ。お前さんも珍しいモンが多分見れる。ウィンウィンだ。よろしくな」
話すべきことは話したし、聞くべきことは聞いた。今夜ぐらいにとんずらこくかな。俺は、よっ、と小さく声を上げて、ソファから立ち上がった。
「あばよ。達者でな」
踵を返して、部屋を出ようとする。
「きっと……皆さん、悲しまれますよ」
「んなこたねぇよ。あいつらは大丈夫だよ」
それにな、後悔はしたくねぇんだよ。何の後悔?
そりゃな。俺のせいで、アスナが……いや、アスナだけじゃねぇ。エリナが、ミリアが、キースが、死んじまうって、そんな未来がきた後の後悔だ。
「逃げてるだけだろ。バーカ」、なんて俺の中の俺が言う。百も承知だよ、んなこと。「お前にしちゃ良くやったほうだよ」、もう一人の俺がそんなことも言う。俺だってそう思う。良くやったよな。俺。
「じゃあな」
俺はヨハンの宿を後にした。
荷造りは済ませた。フランチェスカにも話は通した。船のチケットも買った。後は教皇庁から静かーに脱出するだけだ。ちょっとばかし余裕を持って俺は充てがわれた部屋を出た。
右向け右。左向け左。オーケだ。見事に誰もいねぇ。そりゃそうだ。アリスタードとの戦い。その後のアスナと死の精霊の契約。連中は疲れ切ってる。脳筋に関しちゃ別だろうが、まぁ、あいつのことだ。部屋で筋トレでもしてんだろ。
神官どもに関しちゃ、お偉いさんが半分近く居なくなったことによる人手不足と混乱で、わやくちゃだろう。寝る間もねぇんだろうな。最近の神官どもは男も女も目の下にクマを拵えてやがる。やだねぇ。
足音を殺して廊下を走り抜ける。部屋は二階。階段を駆け下り、そして、宮殿の裏口から脱出。
あとは、正門から普通にでりゃ良いだけだ。フランチェスカから門番には話がいっている筈だから、そこは問題ねぇだろう。
宮殿の外周をぐるっと回って、正門への道へ抜ける。風の加護は初っ端から全開だ。
よし、これで連中には勘付かれずに出られるな、と少しばかり胸をなでおろした時だった。
「来たか……」
「っ!! って、なんだ、てめぇかよ。脳筋。なんでいんだよ。部屋で筋トレでもしてろ。馬鹿」
正門に通じる道。そのど真ん中に脳筋騎士があぐらをかいて座っていた。こいつ、不審に思われなかったのか? 神官どもからも迷惑に思われてるんじゃねぇのか?
「よくわかったな。今日、俺が出てくってよ」
「いや、わからんかったぞ。貴様がその意思を固めたことを察してから、毎晩こうしている」
げ。マジで迷惑な奴じゃねぇか。
「ここの連中に迷惑だろうがよ。やめてやれよ」
「そんなことは知らん。ゲルグよ」
「んだよ」
キースが腰にかけた剣を抜く。
は? 何考えてんだ? こいつ。
「ここを通りたくば、俺を倒して行け」
「……あのな。お前、『俺は止めん』、とかなんとか言ってなったか?」
「止めん。だが、貴様と真正面から手合わせしたくなってな。許せ」
あのなぁ……。魔王をぶち殺したパーティーのメインアタッカー兼物理盾。こっちは、ちっとばかし魔法が使えるだけのちんけな盗人。手合わせするまでもなく結果は見えてんだろうがよ。
「お前と真正面から戦ったら、俺普通に死ぬんだが?」
「そんなことも無いと思っているぞ。では……尋常に!」
ば、馬鹿! 話聞けって! そんな俺の願いも虚しく、キースはそのどでかい剣を振り上げて、滅茶苦茶なスピードで俺に肉薄してきた。舌打ちをする。あたりめぇっちゃあたりめぇだが、アリスタードの騎士団長サマよりも遥かに速い。
だが、速さだけで言ったら、俺に分がある。早口で呟くように速度向上を唱える。
おぉ、怖ぇ。だが、てめぇは素直すぎんだよ。冷静になれ、ゲルグ。そうすりゃ剣閃の軌道なんざ簡単に予測できる。
「よっと」
攻撃を紙一重で避ける。剣が俺の顔ギリギリのところをかすめ、髪の毛を数本切り落とした。
「まだだ!」
そのまま剣をぐりっと持ち替えて、下から斜め上への斬撃。それも読んでる。一歩下がって危なげもなく避ける。
「流石に速いな。ならこれならどうだ!」
剣が一旦引っ込み、そしてそこから突きの連続。このどでかい剣をこんな馬鹿げたスピードで突きまくれるのは正直人間業とは思えねぇ。
だが、やっぱ軌道が素直過ぎる。右に、左に、下に、ともすれば飛び跳ねてそれらを避ける。
「跳んだな!」
あ、やべ。跳んだら、身動きが取れねぇじゃねぇか。なーんて言うとでも思ったか? その必殺の横薙ぎの一閃を俺はカバンからナイフを取り出して、少しばかり軌道を逸してやる。
きぃ……ん、と金属同士が擦れ合う音が庭に響き渡る。
「はぁっ、はぁっ……」
「気は済んだか?」
ってか、こいつ馬鹿か? 今のいつでも俺を殺せただろうがよ。まぁ、殺すつもりなんざさらさらねぇんだとも思うがよ。それにしちゃ手加減しすぎだ。
お前ならもっと速い斬撃を出せるはずだろ?
お前なら俺の動きを先回りして斬りつけるぐらいできるはずだろ?
「舐めてんのか?」
「いや、すまん。そう取られたなら謝る。貴様の言う、悪どいやり方、それを最後に知っておきたくてな。だが、それも無理そうだ。俺は手加減が下手だ。貴様から悪どいやり口を引き出すには、殺す気で挑まねばならないことに、今気づいた」
「やめろよ? お前が俺を殺そうなんてしたら、秒殺だからな? マジで」
「ははっ。やらん。最初は貴様とは相容れないと思っていたがな。人生とはわからないものだ」
そりゃ俺もだよ。お前とは終始ウマが合わないままで終わると思ってた。だが、蓋を開けてみりゃどうだ。こいつは俺のことを多分一番よく知ってるし、俺もこいつの考えてることがなんとなく分かる。
「行け。男の決めたことだ。何も言わん」
「あぁ。あばよ。達者でな。精々素人童貞ぐらいにはなっとけよ?」
「ははっ。姫様に見つからんように善処する」
「それが良い」
お互いにニヤリと笑う。
そんでもって、すれ違う。涙なんて似合わねぇし、しみったれた別れの挨拶なんてのも要らねぇ。勿論、今更振り返りなんてしねぇ。そうだろ? ダチ公。
あばよ。なんだかんだ、楽しかったよ。
俺は宮殿の正門を駆け抜けた。
GWはお休みしていました。
大変お待たせいたしました。
おっさんが出ていきました。
あーあ。皆怒るぞお。
怒るどころじゃないかもしれないですね。
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GWが明けて、七月まで祝日がない……。死のう……。