第十五話:名残惜しいが……俺は止めん。このことは俺の心の中にだけ収めておく
アリスタードの襲撃から、数日。少しばかりの休息を経て、俺達はまたタナトス霊殿にやってきていた。
今日が本番だ。アスナが死の精霊と契約をする。霊殿から発せられる威圧感は前と全然変わらねぇ。
だが、今のアスナなら大丈夫だろう。不思議とそんな確信があった。とはいえ、最後にちょっとばかし確認をしとかねぇといけねぇ。
意気揚々と霊殿の中に入っていこうとするアスナを呼び止める。振り返ったアスナの顔からは、最初にこの霊殿の前に立った時のような、恐怖の感情は微塵も感じられなかった。
「殺意、理解できたか?」
「ん。理解した」
「そうか、お前なりにでいい。『殺意』ってのが何なのか、説明してみろ」
この問答に何の意味があるかなんて聞くな。ただ、俺が安心したい。それだけでしかねぇ。
アスナが少しばかり考え込む。こりゃあれだ、理解はしてるけど、どうやって言葉にしようかな、って顔だ。うん、こいつらしい表情だ。つまり、特段なーんにも考えてねぇってことだ。馬鹿なんだよなぁ。根本は。
「……ん。人を傷つけたくない、そんなことを思ってた」
ややあって、ゆっくりとアスナが口を開いた。
「おう」
「でも、それだけじゃ駄目なことも理解した」
「そうだな」
「でも傷つけたくない」
「そうか」
「だから、殺意を向けて、降参させる。これ」
ふんす、と息を吐き、少しばかり自慢気な顔をしやがる。うん、なんだ。ちゃんと理解してはいるんだろうが、うん。こうやって改めて聞くと馬鹿みてぇな結論だ。ってか、その顔やめろ。笑える。
「それで相手が引き下がらなかったらどうする?」
「……その時は仕方がない、と思ってる」
「躊躇いなく殺せる。そういうことか?」
押し黙る。また考え込んでやがる。こいつそこまで考えてなかったな?
「……多分、いざその時になったら躊躇ってしまうと思う。でも、大丈夫」
「大丈夫ってのは、何が大丈夫なんだ?」
「人間は平等じゃない。ゲルグの言ってることも理解した。少なくとも私にとっては平等じゃない」
「それは、どういう意味だ?」
「私には守りたい人がいる。それは不特定多数の誰かじゃない。今までお世話になった人たち。優しくしてくれた人たち。一緒に戦ってくれた人たち。その人と、それ以外の人たちは、絶対的に価値が違う。守りたい人たちを守るためなら、私はどんなことだってできる。……気がする」
その答えで十分だよ。馬鹿。
「行って来い」
「ん」
アスナが頬をぱちんと叩いて、霊殿の中に消えていく。
「ねぇ、ゲルグ」
「なんだ? エリナ」
「今の会話に何の意味があったの?」
んなもん、頭の良いお前がわからねぇわけねぇだろうがよ。
「ただの確認だ」
「ふうん。アンタも立派におっさんなのねぇ」
立派におっさんってなんだよ。立派におっさんって。
「いや、やっぱアンタって大人よね、って」
「そら、おっさんだからな」
「そういうことじゃなくて……。まぁ良いわ」
あん? よく分からねぇよ。それっきりエリナはそっぽを向いて押し黙ってしまった。おい、投げっぱなしで終わるんじゃねぇよ。まぁ、良いか。煙草でも吸うか。
俺は他の連中からちょっとばかし離れて、煙草を咥えて火をつける。
さぁて、アスナはきっと、きっちりかっきり死の精霊と契約をして帰ってくるだろう。
アスナは成長した。勇者だなんだとチヤホヤされて来て、本人もきっとのぼせ上がって、それで実力もあって。実際、魔王なんて大層な野郎を一回ぶっ殺した。
あぁ、あいつは正しく勇者だったよ。それが、今は勇者じゃねぇ、よくわかんねぇモンになりやがった。俺から見りゃ、それは進化だ。あいつは、確かに進化した。
ミリアは成長した。ババァからは「精神の脆さが弱点」、なんてことを言われちゃいたが、仮にも自分の属する組織のトップにブチ切れるだけの甲斐性を見せやがった。なんでブチ切れたのかは未だによく理解はできねぇがな。
だから、もうただのお人好しじゃねぇ。あいつは、何かしらの信念を以って、それでもお人好しになろうと決めたんだろうな。
エリナは成長した。最初は、ぴーぴーうるせぇ姫さんだと思いもしたが、うん。いつの間にやら、ババァに引けを取らねぇ冷静な魔法使いになった。たまーに、我を忘れて攻撃魔法を連発し始めるのは玉に瑕だが、そりゃ相手が俺のときぐらいだ。多分。
それにあいつにゃ、アスナの隣にいるなんて大層な志を持ってる。最初から、あいつの心が折れるとかは考えちゃいねぇ。
キースは成長した。脳筋で何も考えていなかったもんだがな。いつのまにやら、このパーティーをちゃんと引っ張ってく、そんな存在になった。きっと今俺とツーカーで通じあえんのはあいつだ。
あいつはきっとアスナを「勇者」なんて物差しで見ることはねぇだろう。
潮時だ。
ぷはっと紫煙を吐き出す。
俺の役目はこのへんで終わりだ。
今回アスナは誰をかばって死にかけた? 俺だ。
そもそもが、力不足なんだ。今回は取り零さなかった。だが、これからは? 俺のせいで何人死ぬ? そんなことを想像するのが何よりも恐ろしい。
忘れてた大事なことを思い出した。アスナを守りたいなんて思っちまった理由も明瞭になった。
重ねてたんだよ。無意識に。
お前みたいな奴をこれから出しちゃいけねぇよな。俺みたいなクズのせいで傷つくやつなんて、いちゃいけねぇ。そうだろ? チェルシー。
煙草が短くなる。唇に熱を感じる。ぺっ、と短くなった煙草を吐き出して、唾を垂らして、火を消す。二本目の煙草を取り出して咥える。そんなところで、恐る恐る俺に近づいてくる気配に気づいた。
「なんだ、脳筋」
「……や、その……なんだ」
「煮え切らねぇな。馬鹿。言いてぇことがあるならはっきり言え」
「俺は止めん。貴様が決めたことなら、それで良いと思っている」
ほら、いつの間にやら、俺とは正反対の位置にいるこいつが、俺の考えをいっちゃん良く理解してやがる。気に食わねぇ。気に食わねぇが、それで正解だよ。
「頼んだぞ」
「ああ」
程なくして、霊殿の奥から、アスナが戻ってきた。
「アスナ!」
エリナが喜色満面の笑顔を浮かべて駆け寄る。アスナもそれにちょっとばかしニコっと笑って応える。
「契約、できたんか?」
「ん、ばっちり」
「そうか」
心配そうに見ていたミリアがその言葉に安心したように笑う。
「……良かったです。アスナ様……」
意図的に無表情を装っていたフランチェスカが、少しばかり涙目になる。
「アスナ様。ご無事で何よりです」
こうなりゃ、とうとうお役御免だ。こいつらは、これからどんな困難でもそれを乗り越えて行くだろう。
そんな風に感慨にふけっていると、アスナが抱きついていたエリナを優しく引き剥がして、俺の目の前に立った。
「ん」
「は?」
「頑張った。撫でて」
「……お前……」
「撫でて」
「しゃーねーな」
差し出されたその頭をグリグリと撫で付ける。アスナが目を細める。チェルシーとは似ても似つかねぇ。あの小娘は、こんな小綺麗な顔はしちゃいねぇ。だが、この目。この目だけはそっくりだ。こうやって素直に甘えてくる所は正反対だがな。
しっかし、何回も思うが、こいつの髪の毛さらっさらだな。
「……ゲルグ? いつまでそうやってるのかしら?」
やべっ。エリナの視線がに全然気づいていなかった。俺はとっさにアスナの頭から手を離そうとした。
だが、それは止められた。他ならぬアスナの手によって。
「駄目。もっと」
「……あのな、『もっと』とか言う前に、エリナをどうにかしろ。あいつ、俺を殺す勢いだぞ」
「エリナ、ゲルグ殺す?」
「こ、殺さないわよ! ……ちょっと痛い目に遭ってもらうだけよ」
「やめよ? ゲルグだって痛い」
「う……、アスナぁ……」
そんな情けねぇ声出すなよ。エリナ。
そんでもって、意図的に目を背けていたんだがな。ミリアから発せられるオーラもなんかものすげぇ。端的に怖ぇ。
無視だ、無視。穴が空くぐらいこっちを凝視してやがるが、無視だ。知らねぇ。なんであいつがそんなオーラを放ちながらこっちを見てるのなんて知らねぇが、とにかく怖ぇ。俺なんかしたか?
「撫でて」
「っだー! わーったよ!」
アスナの「撫でて」攻撃は、その後、十数分にわたって続いたのだった。その間、俺が針のむしろだったことは言うまでもねぇ。
ひとしきりアスナの「撫でて」攻撃と、エリナから送られる険のある視線、そしてミリアから発せられる不穏なオーラに耐え抜いた俺は、少しばかり疲れた身体を無視して、意気揚々と声を上げた。
「んじゃ、ここでできることは終いだな。一旦戻って休むか」
思い思いの賛成の声が上がる。長いこと苦しめられたこの霊殿ともおさらばってことだ。やれやれ、今回もなんとかなった。
霊殿から大聖堂へ続く長い通路をぞろぞろと歩く。
「そういやよ、死の精霊と契約したってことは、また新しい魔法が使えるようになったってことだろ?」
「そうね。戻ったら適性、調べましょうか、アスナ」
「ん。エリナ、お願い」
どうやら部屋に戻った後、アスナとエリナの二人で適性を調べることに決まったらしい。殺意を司る精霊だ。どんな魔法が使えるようになるんだろうな。
「……いえ、恐らくアスナ様では、死の精霊の魔法を使えるようにはならないでしょう」
フランチェスカがぼそりと呟いた。
「試練を受け、契約したとしても、その精霊が与える魔法を使えるようになるとは限りません。アスナ様の性格、これまでの功績、何もかもを鑑みても、死の精霊に適性があるとは思えません」
まぁ、そりゃそうか。殺意、なんて感情とはほぼほぼ無縁の存在だったからな。今回、なんやかんやでそれを理解して、コントロールできるようにはなったみてぇだが。
「そうよねぇ。まぁ、調べる分にはタダだから、調べるだけ調べてみましょ」
「ん」
「そういやよ、死の精霊が与える魔法ってどんなんがあるんだ? エリナ」
ふと疑問に思ったことをエリナに投げかける。無言。返ってきた答えは、何もなかった。
「おい、エリナ。聞こえてんのか?」
「……し……しら、ない……」
「は?」
「う、うるさいわね!! 知らないのよ!」
「なら、さっさとそう言えよ」
別に知らねぇことで、お前を責めようとか、馬鹿にしようなんざ思っちゃいねぇよ。だが、この自称大魔道士様は、こと魔法という分野において自分が知らないことがあるのがどうにも許せないようだ。
「だって、文献にないんだもの……、しょうがないじゃない……」
ぶつぶつと呟きながら、ドスドスと歩く。
「エリナ様、メティアーナに死の精霊の魔法に関する文献がございます。後ほどお読みになられますか?」
「え? 良いんですか? フランチェスカ様!」
今まで心底気に食わねぇ、って感じの顔をしていたエリナが一転して、喜びに満ちた笑顔に変わる。現金なヤツだよ、全く。
「勿論です」
教皇サマがニコリと笑う。
「メティアーナの禁書庫を解放させていただきます。一般には知られていない精霊に関しても、記録されているはずです」
「それは助かります!」
「いえ、今回アリスタードからこの国を守っていただいた。そのお礼と思っていただければ」
このガキは、例えアリスタードが襲ってこなくても、きっとこうしただろうがな。ま、教皇なんて立場からしても、理由もなしに助力するのと、国を救った英雄に助力するのじゃ、色々と違ってくるんだろう。
そんなこんなで、ようやっと大聖堂に出た。フランチェスカが全員出たのを確認してから、通路の入り口を塞ぐ。
「じゃ、アスナ、行きましょ」
「ん」
エリナに促されてアスナが大聖堂を後にする。
「あ、教皇猊下。ちょっとお話があるのですが、この後よろしいですか?」
「えぇ、ミリア。問題ございませんよ」
ミリアがフランチェスカに声をかける。あ、こりゃあれだ。「神官辞める」、って言うんだろうな。ま、否定はしねぇ。うまくやれよ。二人が、俺とキースにちょっとばかし一礼して、大聖堂を出ていった。
そんじゃ、俺も部屋に戻るか。そんなことを考えて歩き出したときだった。
「ゲルグ……」
「あん?」
「貴様は……」
キースが言いよどむ。何を言いてぇんだ。煮えきらねぇ野郎だ。
「なんだよ。さっさと言いやがれ」
「貴様との旅もここで終いなのだな……」
改めて皆まで言うんじゃねぇよ。そこは、何も言わねぇのが男ってやつだろうがよ。何も分かってねぇなぁ、脳筋は。だが、まぁいいか。
「あぁ。俺はここまでだよ」
ニカッと笑う。
「……名残惜しいが……俺は止めん。このことは俺の心の中にだけ収めておく」
「あんがとよ」
っとーに、律儀なやつだよ、てめぇは。
こっから先は、俺じゃ力不足だ。今回のアリスタード襲撃の一件でもわかった。それにな。
「これ以上、目の前で何かを取り零しそうになるのはこりごりだからな」
「……そうか……」
「んーな顔すんなって。元々そういうことだったろうがよ。ま、なんか疲れたし、しばらくはこの国にいるよ。その後は知らねぇ」
そう、俺の目的は、アスナを、こいつらを無事にメティア聖公国まで送り届けることだ。
俺の目的は終わったんだよ。俺の冒険はここまでだ。
「じゃあな」
俺は何かを言いかけているキース敢えて無視して、大聖堂を後にした。
潮時なんだよ。ちょうどいい塩梅だ。
少しばかり遅くなりました。申し訳ございません。
GW中は恐らく不定期更新になると思われます。
さて、おっさんが、勇者パーティーからの離脱を決意したようです。
あーあー、勝手に決めちゃって。
皆怒るぞー。
覚悟しとくんだな、おっさん。
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