第六話:お前ら。こっから先はとんずらの時間だ
「ギード。俺だ」
「……その声。ゲルグか。久しいな。入れよ」
俺は古ぼけたドアを静かに開けると、質素な建物の中に入り込んだ。アスナのお袋さんの腕を引っ張るのは忘れない。ギードがそれを見咎めて、小さく眉をひそめる。
「おい、ちょっとまて。お前一人ならともかく、そっちのおばさんは入れるな」
「固いこというんじゃねぇ。依頼だよ」
王都の隅っこ。スラム街のさらに隅にあるギードの事務所は、ひっそりとした佇まいとなっている。性格はお世辞にも良い奴とは言えないが、こいつの腕とプロとしての矜持はこの街の後ろ暗い奴、誰しもが認めているところだ。
それに、「逃がし屋」なんて商売をやっているこいつだ。国にもこの場所は把握されちゃいない。当然ながら「ギード」という名前の人間も、この街には存在しないことになっている。便利で、かゆいところに手が届く「逃がし屋」という稼業を生業としているこいつに対する、街のならず者どものお約束として、こいつのことは何があっても口外しない、そういう約束になっている。
なればこそ、危なくなったら、ありったけの金を積んでこいつのところに駆け込むのだ。そういう悪党どものセーフティネット。それが逃がし屋稼業だ。
アスナのフード付きマントを着込ませたおばはんに目配せをする。こいつには隠し事や、嘘はご法度だ。職業柄、そういったことをする輩からの仕事は受けない。それも目の前のこの男が優秀だという証拠の一つだ。おばはんがフードをゆっくりと脱ぐ。その顔を見て、ギードが顔をしかめる。
「お前。厄介事を持ち込みやがったな?」
職業柄、この国のあらゆる情報はこいつの元に自然と集まることになる。今逃げようとしている奴。逃げなければならない奴。その全てをこいつは把握している。当然ながら、おばはん、ミーナ・グレンバッハーグの人相も、名前も、この男は把握済みだ。
「ごめんだぜ。流石に俺の手に余る」
「ちょっと待て。まぁ、話ぐらい聞け」
「嫌だね。世界中に追い回される予定のババアを、どこに逃がせって言うんだ?」
そりゃそうだ。今日の正午にでも、ミーナ・グレンバッハーグ並びに、キース・グランファルド、ミリアの三名は国際手配となるだろう。早い話が行くところが無い。勇者サマ御一行だった二人は置いといて、アスナのお袋さんに関して言えば、戦う力が無いのだ。どう逃がせというのか、それは当然の疑問だ。だが逃げることのできる場所。その場所に俺は一つだけ心当たりがあった。
「まぁ聞け。北アルテリア大陸の南に、新興国が最近出来上がった。『移民の国』なんて呼ばれているらしい。まだ、国際的に国としても認められちゃいねぇ。そんな中に、中年女一人が移民として紛れ込んでもおかしくねぇ」
「お前馬鹿か? 北アルテリア大陸って、どんだけかかると思ってんだ」
「逃がし屋のプロにかかれば、あっちゅーまだと思ってここまで来たんだがな」
「買いかぶり過ぎだ。俺もお前もちんけな小悪党だろうがよ」
おばはんには、俺が合図するまで口を開くなと大きめの釘を差している。口をつぐんだまま何も言わずにことの成り行きを見守ることに決めているようだ。
「まぁ、ことを急くな。いいか? こいつは世界を救った勇者の母親だ」
「そんなこと知ってる! 舐めてんのか!?」
「良いから! 聞け! 勇者は国際手配された。だが、世界中の国がそれを律儀に守ると思うか?」
「……」
無言。ギードはなにかを考えるようにじっとこちらの顔を伺っている。
「この国は、勇者の力を使ってまた世界中を自身の領土にしようと考えてるみてぇだ。魔王が現れる前。ほんの数十年前。世界のほとんどをアリスタード王国が握ってた。表向きは禍根は残ってないように見えるが、そんなはずあるか? 虐げられた連中が、この国への憎しみ、恨みつらみを本当にもう綺麗サッパリ忘れてるなんて馬鹿な話があると思うか?」
アリスタード王国は、ほんの数十年前世界のほとんどを自身の領土とした大王国だった。日の沈まない国。そんな風に呼ばれた数年があった。侵略は苛烈を極めた。あらゆる方面に因縁をつけ、村を襲い畑を焼き、そして男は殺し、女子供を犯し尽くした。当時はひどいもんだったらしい。
そんな王国だ。その統治が瓦解するのも当然の帰結だった。レジスタンスが立ち上がり、被侵略国の元幹部共が手を取り合って、数年掛けて王国を追い払った。結果、アリスタード王国はちっぽけなこの大陸に押し込められ、今じゃその頃の栄光なんて見る影もねぇ。今、勇者を輩出した国としてちょっとばかし国際的に注目されてはいるが、それも長くは続かないだろう。
「……希望的観測だ……」
ギーグが絞り出すように声を出す。
「だが、事実だ。いいか? 勇者の国際手配なんて、どの国も懐疑的に見てるに違いねぇ。『あの英雄が?』、『魔王を打ち破った勇者が?』。この国の中ですら、懐疑的に思ってるやつがゴマンといる。他の国となりゃどうだろうな」
「……つまり、何が言いたい?」
「勇者の国際手配なんて、いずれ綺麗サッパリ無くなっちまうって言ってんだ。なにしろ捕まえられねぇ。魔王をぶち殺したんだぞ? 普通の人間がそんなバケモンを捕まえられると思うか?」
これはちょっとばかし嘘だ。あのお人好しなら、ちょっとばかし策を弄すれば、ほいほい自分から捕まりにいくだろう。だが、アスナの人格なんて実際に会ったことのある人間しか知らねぇ。
「そんときゃ、お前は勇者の母親を守った英雄だ。どうだ? 日陰者から、一転して世界の英雄だ。この意味が、わかるか?」
「……俺はな。俺は自分の身の程ってのをわかってるつもりだ。だから逃がし屋なんてやってるんだ。英雄? 笑わせるな。身の丈に合わねぇ評価なんていずれ身を滅ぼす。そもそも俺はこの国じゃ存在しない人間だ。そんな人間が英雄? あるわけねぇだろ」
こいつの言ってることも尤もだ。だが、ここで引き下がるわけにゃいかねぇ。
「別にお天道様の下を堂々と歩けるようになるって言ってるわけじゃねぇ。全部コトが済んだら、お前の評価は鰻登りだ。世界中から逃してほしい人間が集まるようになる。いいか? これはお前の評価云々の話じゃねぇんだよ。ビジネスの話だ」
「……ビジネス?」
小さな揺さぶりだ。だがギードには効果テキメンだったらしく、少しばかり興味深げにこちらを見始めた。最後の仕上げだ。
「お袋さんよ。言ってやれ」
予め示し合わせてある。俺の全財産をこのおばはんに持たせてな。
「……これが前金です」
おばはんが木綿の袋に入った大量の貨幣を、部屋のど真ん中に置かれたテーブルに丁寧に置く。カチャリと貨幣がぶつかり合う音が部屋に小さく響いた。一万ゴールド。逃がし屋の相場は、せいぜい一回で千ゴールド前後だ。俺のへそくりを全部はたいたんだ。頼む、効果あってくれよ。
「よく聞け? こいつはお前も知ってる通り、勇者の母親だ。魔王討伐の報奨金なんて世界中から山のように届くだろう。当然、国際手配とやらが綺麗サッパリ消し飛んでからの話だがな」
こりゃ口から出任せだ。だが、その真偽なんて誰にもわからねぇ。勿論俺にもだ。嘘を言っているわけじゃねぇ。酷く楽観的な予測を口にしているだけだ。
「はい、成功金として、前金とは別に十万ゴールドをお約束いたします」
おばはんの言葉に、前金としてはありえないその木綿袋の大きさに、ギードが目を白黒させている。いいぞ。もう少しだ。
「お前はそれを資本に、世界中に逃がし屋稼業を展開させれば良い。ガッポガッポだぞ? どうだ? 実績もある。国際手配犯を無事逃しきったってぇ実績だ」
「だ、誰がそれを信じるんだよ」
「このおばはんが生きてるっていうのが、お前の実績の証拠になる」
「……ま、待て待て待て。ちょっと考えさせ」
「あいにくと、その時間はねぇ。やるのか? やらねぇのか?」
我ながら下手くそな交渉術だ。だが、ギードだって頭はそんなに良くはねぇ。十分だ。
「ついでに言っとくとな。俺が世界中でお前の功績を喧伝しといてやる。『アリスタードにギードあり』ってな」
「そ、それはどういう」
「勇者サマ御一行に俺も着いてくんだよ。俺も国際手配だ。国王陛下サマを馬鹿にしまくったからな」
やべぇ。ちょっとばかし言ってて悲しくなってきた。いくらテンションが上ってたとは言え、あの啖呵は黒歴史以外の何物でもない。覚えてそうなのがアスナぐらいなのが唯一の救いだ。んでもって、国際手配か。アスナの手配はすぐに消えそうだが、俺の手配はそうそう消えやしねぇだろうなぁ。俺もヤキが回ったもんだ。
「さぁ、ギード。どうする? その前金とお前の蓄えがありゃ、北アルテリアまで行って帰ってきて、せいぜい二万ゴールドぐらいだろう。んで戻ってくるのが十万ゴールド。十分にペイするはずだ」
「……十万じゃ足らん」
「はぁ? 十万で足んねぇだと?」
ほらほら。食いついてきた。こうなることも織り込み済みだ。
「ミーナさんよ。十万じゃ足りねぇってよ」
「はぁ。わかりました。じゃあ百万ゴールドならいかがですか?」
「ひゃっ!?」
どうだ? 一生遊んで暮らせる額だぞ? 百万ゴールド本当に支払えるのかって? バーカ。そんなの後から考えりゃいいに決まってんだろ。最悪魔物でも狩りまくって稼げばいい。アスナに勝てる魔物なんていやしねぇだろ。
「……わ、わかった。北アルテリアだな。百万ゴールド。絶対だぞ?」
「あぁ、俺達みたいなやつは信用第一だ。約束を破ったりはしねぇよ。んじゃ、改めて。このおばはんがミーナ・グレンバッハーグだ。勇者サマのお母サマ、その人だよ」
「ミーナ・グレンバッハーグと申します。改めて、よろしくお願いいたします」
「……ギードだ。すぐに出る。準備は」
「もう済ませてある」
おばはんの背中に背負わせたリュックを顎で指す。
「……お前、最初から……」
「さて、なんのことやら」
「……まぁいい。ミーナさん。じゃあすぐに出発する。事前に打ち合わせしてぇから、奥の部屋に行って待っててくれるか?」
「はい」
おばはんが言われたとおり、奥の部屋にしずしずと歩いていく。
「ゲルグ。お前の面はもう見たくねぇ。とっとと消えろ」
「いーのかぁ? そんなこと言って。俺が死ぬと、お前の栄光が世界中に知れ渡らなくなるぞ?」
「くっ。てめぇ。……まぁ良い。久々のどでかい仕事だ。せいぜい気合を入れてやってやる」
「その意気、その意気。だぁーいじょうぶ。俺がお前の名前を方方の裏社会に触れ回っておくからよ」
「忘れんなよ。くそっ。割に合うのか合わねぇのかわかんねぇ。自分の頭の悪さを本気で恨めしいと思ったのはこれが初めてだよ」
何度も舌打ちをしながら、ギードがおばはんの入っていった部屋に向かう。これで安心、っと。多分な。
ギードの腕は確かだ。国際手配犯を逃がすなんて大それたことはいままでしちゃいねぇが、それに近い仕事なら何度もやっている。魔王のいねぇ平和な世の中だ。しっかりきっかり北アルテリアまでおばはんを運んでいくだろうよ。
それに、こいつに助力するやつなんでゴマンといる。なんだかんだで、ギードに感謝してる奴なんて数え切れねぇ。悪党は信用第一ってな。仁義やら、倫理やらに疎いやつでも、自分を本気で逃してくれたギードに対してだけは、少なからず感謝する。そのネットワークの強さもこいつの実力の内だ。
俺は踵を返して、ギードの家を後にした。
人目をはばかりながら俺は自分のねぐらに戻った。幸いながら手配書はまだ出回っちゃいないらしい。アスナと違って、俺は小悪党ではあるが一般人だ。人相書きを作るのにもさぞかし時間がかかることだろうよ。
隠し扉を押し開けて、中に素早く潜り込む。
「ゲルグ。おかえり」
アスナが俺の姿をいち早く確認して、少しばかりほっとしたような顔をする。
「おう。手はず通りに進んだ。お前のお袋さんはもう大丈夫だ。ま、運次第っちゃあ、運次第だが、この街にいるよりゃ何百倍もマシだ」
「うん。ゲルグがそう言うなら。信じてる」
しっかし、こいつはどこまでお人好しなんだ。出会ってまだ三日も経っちゃいねぇ。そんな小悪党の俺をどうすればここまで信用できんのやら。警戒心丸出しの騎士とシスターの方が、よっぽどまともだ。
「さぁて、てめぇら。まだ悪巧みは終わっちゃいねぇ。ここからは、俺達がこの街を脱出する。それだけだ。随分簡単なミッションだろ?」
ニヤリと笑う俺の顔に、騎士サマが顔をしかめる。
「おい、悪党」
「なんだよ。元騎士サマ」
騎士道とやらを持ち合わせてるこいつにゃ、「元騎士」なんて呼ばれた日にゃ、怒り心頭だろう。ほれみろ、顔を真っ赤にしながらこっちを見てやがる。
「王都を脱出して、その後はどうする?」
「リーベ村に行く。あそこにゃちょっとした伝手がある。それに、小さな寒村だ。手配書が回るのも後回しになるし、噂が広まるのも遅ぇ。字が読めるやつもほとんどいやしねぇ」
希望的観測に満ちた俺の言葉に、騎士サマがため息を吐く。
「その後はどうする?」
「エウロパに行く」
「エウロパに?」
「最終的な目標はメティア聖公国だ。魔王を倒した勇者サマだぞ? 無碍に扱ったりはしねぇはずだ」
「そんな、楽観的な……」
おいおい、そんなため息ばっかり吐くんじゃねぇよ。幸せが逃げんぞ。
「お前さんは、ことを重く考えすぎなんだよ」
「重く考えすぎって! 国際手配だぞ! 国際手配!」
「わぁってるって。なんもかんも俺に任せとけ」
「任せられるか!!」
あぁ、うるせぇ。これだから国なんて馬鹿な組織に忠誠を誓った奴は苦手なんだ。公僕が苦手とも言う。
「ミリア! お前もなんか言ったらどうなんだ!?」
キースが、シスターに声をかける。警戒心丸出しでこっちを見ていたとはいえ、話を振られるとは思っていなかったらしい。途端にあたふたとし始める。
「え、えっと。ゲルグ、さん? の仰るとおり、メティア聖公国なら手配書を無視してでも匿ってくださる可能性はある、かと……」
うん、ちょっとはまともな頭をしてるようだ。頭がお花畑なだけかもしんねぇが。
「ミリアまで……。アスナ様!」
「私はゲルグのことを信じる。キースは私を信じて」
「……ぐっ。ゲルグとやら! 全てが終わるまでだ! 俺が騎士として汚名をすすいだ暁には、貴様を必ず捕縛し、罪を償わせてやる!」
あぁ、あぁ、言ってろ、言ってろ。っていうか、お前俺とおんなじ匂いがすんだよ。どうせ童貞だ。いや、俺は童貞じゃねぇけどな? 童貞じゃねぇ。絶対だ。絶対だぞ。なんだろう、悲しくなってきた。
それにな。お前が騎士に返り咲くことなんてありえねぇよ。グラン・アリスタードは小悪党の俺でもわかる。俗物だ。この国に俺達の居場所なんて今後絶対にできるこたねぇ。奴さんのメンツを散々俺が潰したんだぞ? 勿論そんなこた言わねぇ。
まぁいい。とにかく逃げる。それだけだ。
「いいか? お前ら。こっから先はとんずらの時間だ。存分に着いてきやがれ」
勇者ママを無事逃がし屋に引き渡しました。
交渉は成功です。
ゲルグ、凄い!
いえ、アスナの主人公補正が働いてるだけです。
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