第十一話:アンタ話聞いてた? 船出してくれるって言ってんのよ
その後は十分ほど雑談に興じた。これ以上話すことはない、とフィリップの目がそう言っていたからだ。エリナも察したのかそれ以上突っ込むことはなく、他愛もない会話を繰り広げていたもんだ。俺? 黙って紅茶を啜ってたよ。俺が喋ることなんてひとつもねぇだろ。
ややあって、部屋の中に規則正しいノックの音が響いた。
「お入り下さい」
フィリップが応える。ぎぃっ、なんて音を立てながら、王族の部屋としちゃ小さな扉が開いた。
「アナスタシア・ハヴナーハ。参りました」
「ナーシャ。お疲れさまです」
短く切りそろえた茶色の髪。シワひとつ無い、この国の官僚の制服なんであろう服。そして、きりりとした目つき。如何にも冷徹そうな表情。あぁ、苦手なタイプの女だ。この直感はあんまり外れねぇ。
「座って下さい。ナーシャ」
「はっ。陛下」
「ナーシャ。ここに居るのはほぼ身内のようなものです。いつものように接してくださって構いませんよ?」
「……あ、その。はい。わかりました、フィリップ様」
フィリップの嗜めるような言葉に、少しばかり困惑したような表情を浮かべながらも、女は相好を崩した。ん? 笑うと意外とべっぴんだな。
「フィリップ様。もう、クッキーがこぼれていますよ」
「あれ? あ、本当だ。ありがとう、ナーシャ」
ちょっと待て? いきなり態度変わりすぎじゃねぇか? え? その落差についていけねぇんだが。冷徹な摂政が、フィリップの元乳母に変身した。その瞬間を目撃した気がした。俺の直感。外れたな。速攻で……。うん、これからは、なんっつーか「この直感は外れたこたぁねぇ」とか言ったり思ったりするのやめとこう。
「あ、すみません。ご挨拶が遅れました。アスナ様、エリナ様、ミリア様、キース様。ご無沙汰しております」
「ん。ナーシャも元気そう。良かった」
「えぇ。お陰様で。皆様も色々あったようですが、ご健勝でなによりです」
にっこりと柔和な微笑みを浮かべるその女は、入ってきた時とは別人、と言っても過言ではない。なんだ? 俺は今何を見てるんだ? 混乱しっぱなしだ。
「ナーシャ。アンタその二重人格、まだ治ってなかったのね」
「え、いや、その。お恥ずかしい限りです。なんというか、スイッチみたいなものがあってですね。それを入れたり切ったりするのが大変なんですよ」
「その身空で摂政なんて立場も大変ねぇ」
「いえ、やりがいのある仕事ですよ。それに後数年ですから。フィリップ様が大きくなるまでの中継ぎです」
うん、前言撤回。こういう感じの女は嫌いじゃねぇ。
「して、そちらの方が、ゲルグ様ですね。お噂はかねがね」
いきなり話を振られて、ビクリとした。いやしゃーねぇだろ。だって俺が話しかけられるとは思ってなかったんだからよ。
「え、いや、あの、そ、そんな大層なことはしとりはせんです。はい」
「ふふ。貴方の人となりは、把握していますよ。どうせフィリップ様が、アリスタードに間者がいることまでもう話してしまったのでしょう?」
おぉ、すげぇ。ここにいなかったはずの女が、まるで今まで見ていたかのように、当てる。それだけこの摂政とやらが優秀だってことなんだろう。
「えっ!? なんでわかったの?」
「フィリップ様のお人柄を考えれば容易に想像が付きます。フィリップ様? 駄目じゃないですか」
頬を膨らませて、アナスタシアがフィリップに詰め寄る。
「う、ご、ごめん。気をつけます」
「気をつけてくださいね。貴方は将来、この国を背負う方。私もできる限りのお手伝いはしますが、それでも、手の届かないところとかありますからね」
「う、うん。ごめんなさい」
「反省してるなら、良いんですよ」
なるほどなぁ。元乳母。フィリップにとっちゃ、母親も同然。その関係性がなんとなく察せた気がする。アナスタシアとやらが優秀だってこともあるんだろうが、それ以上に、フィリップのことをよーく知ってるんだろうな。まぁ、いいや。俺から話題は逸れたらしい。ズズっと紅茶を啜る。
なんか、摂政女がフィリップの口を拭いてやったり、茶菓子のカスを払ってやったりと、甲斐甲斐しく世話を焼いている。うん、なんだ。こうやって見ると、なんか和む。紅茶をもう一口。
「で? ナーシャ。フィリップから聞いたけど、頼み事、あるんでしょ?」
ウチの王女サマが口火を切る。こいつ、本当に空気読まねぇな。今、なんか久しぶりの、仲の良い親子というか、姉弟というか、そんな感じのほんわかした感じだったじゃねぇか。邪魔してやんなよ。
エリナの言葉にアナスタシアがその表情を乳母のそれから、冷徹な摂政のものに戻す。いや、さっきも思ったけどすげぇ変わり身だ。こうなると、俺ぁ苦手意識しか持てねぇ。なんっつーかな、頭が良くて気の強い女って苦手なんだよ。例えば、エリナとかエリナとかエリナとか。
「アスナ様、エリナ様、ミリア様、キース様。そしてゲルグ様。折り入ってお頼み申し上げたい儀がございます。王都ヒスパニアから南東にある、ヒスティア山脈。そのヒスパーナ側に存在する、イスパー洞窟。そこに何やら怪しき影がある、と、そう報告があったのです」
アナスタシアの話を纏めるとこうだ。山脈の西側――つまりヒスパーナ側だ――にある、イスパー洞窟とやらが、最近なにやらきな臭いらしい。近隣住民によると、ここらじゃ出ない魔物が出入りしてるとか言う話らしい。幸い、この国の人間に被害がでることはなかったが、それでも国としちゃ見過ごせない。と、そういう話だった。
「アナスタシア、とか言ったか」
「はい、ゲルグ様」
「……様とかつけんじゃねぇ。俺ぁただの小悪党だ。アスナ達とは違う」
「いえ、国の賓客にそれ相応の礼儀を尽くす。そこに国の品格が現れます。何卒お許し下さい」
おい、そりゃ、なんだ。俺に品格がねぇって言ってんのか? うん。一理ある。品格なんざねぇわな。俺に。
「少なからず、この国も軍事力ぐらいは持ってるだろうが」
「えぇ。私と陛下の合意を以って、即刻出兵命令を出しました。しかし……」
「しかし、なんだ?」
「いえ、何も異常がなかったのです。近隣住民が嘘を言っている様子もなく……」
なにも異常がなかった、か。明らかに異常だってのが報告されてんのに、「異常がなかった」。そりゃ異常だ。
「その後も何度か出兵しました。しかし、何の成果も得られませんでした……」
少しばかり目を伏せるアナスタシアをじとりとエリナが睨めつける。
「ふぅん。ナーシャ。で? アタシ達に何してほしいの?」
「はい。調査をお願い申し上げます。我々では手に余ると判断しました」
「見返りは?」
まぁ、エリナならそういうだろうなぁ。こいつも伊達に一国の王女サマなんてやっちゃいねぇ。タダ働きはしねぇ、そういう奴だ。例え、国際手配を取り下げてくれた相手だったとしてもな。
「貴方方の国際手配は取り下げました。それで十分ではないでしょうか?」
「十分じゃないわね。だって、国際手配に関しちゃ、アタシ達何もやってないもの。無罪。無実。アタシが言うのもなんだけど、アリスタード王国は大失態よ。しっぺ返しは結構すぐくるでしょうね。その時に、そのアリスタードを支持していた国。国際的にどう見られるかなんて想像つくんじゃないの?」
う……、如何にも頭の良さそうな会話だ。ついていけねぇ。こういうときばっかりはエリナがめちゃくちゃまともに見える。普段は攻撃魔法ブッパした後、「あーすっとした」、とか言っちゃう残念なやつなんだがな。いや、流石だよ。
「ですが、現状国際手配されているのは事実。今それを取り下げる、ということにどれほど我が国のリスクがあるのか、ご理解いただけていますでしょうか」
アナスタシアも負けちゃいねぇ。ああ言えばこう言う。うん、こういう腹の探り合い。俺も経験無いわけじゃないがなぁ。なんっつーか。女同士が凄み合ってる図式がやべぇ。どっちも怖ぇ。エリナは物理的に怖ぇし、アナスタシアは得も知れない怖さがある。
「リスクねぇ。世界の食処のアンタ達にどれだけのリスクがあんの? アリスタードだって、全世界を敵に回したくは無いはずよ」
「そうは思いません。エリナ様。アリスタードの今回の国際手配。グラン・アリスタード、あぁ貴方のお父上でしたね。彼は気が違ったとしか思えません。また世界を自らのものにしようと考えているのやも、と我々が考える。その危惧についてはどう思われますか?」
「う……。……あんのクソオヤジ……恨むわよ……。……早く死なないかしら……」
見たところエリナが劣勢だ。顔を盛大にしかめてやがる。んで、てめぇの父親に向かって「死なないかな」とか言ってやがる。流石に実の娘にそこまで言われんのは可哀想だぞ。同情はしねぇがな。
兎に角だ。エリナ、頑張れー。俺には応援することしかできん。
「じゃあこういうこと? アタシ達がそれを断ったら、国際手配取り下げの話はナシ。断った瞬間、アタシ達は牢屋行き。それから、アリスタードに引き渡される、と」
「……ご想像におまかせします」
「……そういうこと……ふぅん」
あ、やべ。エリナの導火線に火が着いた。血を見るぞ、こりゃ。アスナをちらりと見る。あぁ、だめだ。あたふたしてやがる。何も解決策が思いつかないんだな。ミリアは? うん。お前に期待した俺が馬鹿だった。アスナとおんなじでアワアワしてやがる。
こういうのはな、落とし所ってのが大事なんだ。それをお互い見つけられねぇから、今こうなってる。しゃあねぇ。俺がしゃしゃってやるかぁ。
と、思った時、予想外のところから状況を打破する一言が飛び出した。
「ナーシャ、その辺で。あまりエリナさんをいじめるもんじゃないですよ。国際手配の件は、アリスタードから公布があった時点で取り下げが決まっていたじゃないですか」
「……陛下」
「エリナさん。ナーシャが失礼しました。久々にエリナさんと口喧嘩ができるって張り切っちゃったみたいです」
ただのこまっしゃくれたガキだと思ってた。だが、違ったみてぇだな。良く分かってる。落とし所ってのを。こいつは今、アナスタシアとエリナが振り上げた拳を、握手させるところまでスムーズに持って行きやがったんだ。
こういう奴が名君ってやつになんだろうなぁ。
「はーっ……。陛下。せっかく、エリナ様と舌戦が楽しめると思ってましたのに……。水差さないでくださいよ」
険のあった、アナスタシアの表情が和らぐ。このきつそうなべっぴんを一言で諌める、って相当だぞ。そこに信頼関係があったとしても、だ。
ってか、こいつ、エリナと口喧嘩したかったんか。命知らずにも程があると思うのは俺だけか?
「『国際手配取り下げはナシ』は駄目だよ。エリナさんにとって、アスナさん達にとって、死刑宣告みたいなものです。実力は弁えないと、ですよ」
うん、フィリップも同じ考えみたいだな。俺だけじゃなかったらしい。エリナの真の恐ろしさに気づいている奴は。
「……ナーシャ、アンタねぇ。アタシと遊びたいのわかるけど、そういう遊び方、良くないわよ」
「エリナ様こそ。ノリノリだったじゃないですか」
「っるさいわねぇ。ノッてあげたんでしょ。感謝しなさい」
「聞こえないでーす。それで、見返り、ですよね?」
「あぁ見返り? 要らないわよ。そんなの。フィリップとナーシャの頼みだもんね」
ってか、さっきまでのやり取り、遊びだったのか? 明らかにエリナが「てめぇぶっ殺す」、ってな雰囲気を出してた気がするんだが。それに、アナスタシアのなんだ、その、茶目っ気? っぷりも怖ぇ。端的に怖ぇ。遊びでエリナに喧嘩売るってどんだけだよ。
ついでにさっきと言ってること、会話の流れが真逆なんだが、気にしてるのは俺だけか? 周りを見る。うん、俺だけみてぇだ。皆、「めでたしめでたし、良かったね」みたいな顔をしてやがる。キースに至っては、うん、あの顔なんも考えてねぇな。脳筋め。
「いえ。恩には恩を。仇には仇を。それがヒスパーナの流儀。成功報酬として、皆様の目的地、そこまでの安全な旅路をお約束致します」
必要でしょ、と悪戯っ子みたいな笑顔をアナスタシアが浮かべる。
「そりゃ、ありがたいわね。ヒスティア山脈。どう越えようか、悩んでたのよね」
「そうでしょうね。メティア聖公国。山超えはあまりにも危険過ぎる」
「ナーシャには全部お見通し、か」
いやな、本当、コイツらの会話は何言ってるんだかよくわかんねぇ。ただ、どっちもめちゃくちゃ頭が良いんだなぁ、ってだけだ。アスナ。お前、ポカーンとしてる場合だぞ。ミリアはなんだかんだで会話の内容は理解できてるらしい、そんな顔だ。
「なぁ」
「なによゲルグ」
「つまりどういうこっちゃ?」
「アンタ話聞いてた? 船出してくれるって言ってんのよ」
「船?」
「船」
うん。船なんて一言も話して無かったと思ったがな。
「つまり?」
「あー! もう!! つまり、ナーシャはアタシ達の目的地がメティア聖公国だってお見通しで、ヒスパーナ辺境国とメティア聖公国の間には険しいヒスティア山脈があって、山越えはアタシ達でも流石に危険だから、調査すれば、船出してくれる、って言ってんの!!」
おぉ、よく分かった。ちゃんと説明できるんじゃねぇか。最初からそう言えよ。
「はーっ。馬鹿がいると疲れる……」
「うるせぇよ」
俺とエリナの漫才に、アナスタシアが「ふふふ」、なんてちょっと笑う。やっぱべっぴんだな。いつもそんな顔しときゃいいのになぁ。
だが、その微笑みの後の台詞に俺もエリナもびっくり仰天した。
「エリナ様、ゲルグ様。お二人は仲がよろしいんですね」
無言。数秒。その後のユニゾンは必然だ。答えはこうだ。
「んなわけあるかっ!」
と、いうわけでお使いイベント発生です。
そしてまた、新しい女性登場人物が出てきました。
頭の良い女性です。
(頭が良さそうに書けているか若干不安なのは内緒)
イベントの目的地で何が起こるのでしょうか。
まぁ、平穏無事で済むわけがないですよね。
でも大丈夫!! アスナのしゅじんこ(略)
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とーっても励みになります。トゥリマカシ!!!!
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えーっと、うーんと、うん、死にます!