第九話:ヒスパーナは、世界の食の中心地よ。国土の八割が農地。そんな国、誰かが攻め込むと思う?
シルフ霊殿で契約をすませて、そっから街道を避けながら歩いて、十日ほど過ぎた。
勿論、その間、俺はエリナに風の精霊が与えてくれる魔法の詠唱を暗記させられていた。何度か試したりもした。
だが、駄目だな。風による攻撃魔法。風刃やら、暴風やらは、全然使えなかった。悲しいもんだ。詠唱を完成させても何も起こらねぇ。
んで、その度にエリナがため息を吐きやがる。なんどやめろって喉元まで出かかったかわからねぇ。そうあからさまにため息吐かれるとな、傷つくんだぞ。泣くぞ? いいのか?
結局使えたのは、飛翔だけだった。他にも色々風の魔法はあるらしいが、どれもこれも何も起こらねぇ。契約した意味あんのか?
でも、飛翔に関しちゃ、色々と便利だ。今まで風の加護と、速度向上で底上げしていた身の軽さ。それによる跳躍力の向上。それが必要なくなる。
要はどっかに忍び込むときに、空を飛べるってこたぁな。うん。なんっつーか、俺は盗人ってぇ枠からどうにもはみ出やしないらしい。まぁ、分かっちゃいたし、それで良いとも思ってる。
「見えた。ヒスパニア」
アスナが声を上げる。ようやっと付いたか……。長かった。詠唱の暗記にもほとほと嫌気がさしてたんだ。
しっかし、ヒスパニアか。海に面した都市。本当にヒスパーナの首都なのか? こじんまりとしてるってレベルじゃねぇぞ? 城壁すらねぇ。
「あれ、他の国に攻め込まれたらやべぇんじゃねぇのか?」
俺はエリナに聞いてみる。政治やらなんやらなら、こいつが一番知ってるだろ。
「ヒスパーナは、世界の食の中心地よ。国土の八割が農地。そんな国、誰かが攻め込むと思う?」
「うーん、俺ならその農地をかっぱらおうと思うけどなぁ」
「馬鹿ねぇ。世界中がヒスパーナの農産物に程度の差はあれど頼ってるの。誰かが攻めて独占でもしたら、全世界から目の敵にされるわよ」
アリスタードがそうだったもの、とボソリとエリナが呟く。
あぁ、そういやそうだったな。日の沈まない国とまで言われたアリスタード王国。その統治が瓦解したのは、ヒスパーナへの侵略がきっかけだったな。ババァから聞いた。食い物の恨みは恐ろしい。
「だから、ヒスパーナは今や中立国としての地位を築いてるの。平等に、世界中に食料を輸出する。誰も攻めようなんて思わないし、ヒスパーナもそれを分かってる」
ふーん、へー、ほー。ヒスパーナは単なる農業が盛んな田舎国家だと思ってたが、そういうことになってたんか。
「そんで造船業も盛ん。今じゃアリスタード程度じゃ敵わない造船技術を持った国よ」
「すげぇ国だったんだなぁ」
「すごい国よ」
まぁ、ヒスパーナがどんだけ凄い国かどうかは、もうどうでも良い。考えにゃいかんのはどうやって忍び込むかだ。
「んで? こっからどうする?」
アスナを見る。リーダーはこいつだ。
「ここまでくれば大丈夫。このまま城下街を抜けてお城に行く」
は? 馬鹿か? 捕まるに決まってんだろ。
「まぁ、それがいいでしょうね。ヒスパーナなら」
「そうですね。姫様。仰るとおりです」
「えぇ。ヒスパーナはそれでいいでしょう」
ん? なんだ? この空気。俺だけ蚊帳の外か?
「ま、付いてくればわかるわよ」
エリナの得意げそうな顔を、思わずぶん殴りたくなる衝動を堪えて、俺は口を噤むのだった。
ヒスパーナの首都、ヒスパニアは、思った以上に小綺麗に整備された街だった。こりゃすげぇ。遠目で見て、「こじんまりしてる」なんて思ってた俺が馬鹿だった。
こじんまりしてるのにはそれなりの理由があるってこった。ここまでよくわからねぇがすごそうな技術で整備された街。こじんまりとさせにゃ、管理も運用もできねぇ。そういうことなんだろう。
よくわからん材質で舗装された道。所々に見える、造船所らしき工場。んでもって見事なまでに区画整理された街並み。こりゃすげぇわ。
フードを目深に被った俺達を、住民が不審なものを見るような目で見てきやがるが、アスナはお構いなしだ。本当にこれでいいんか? 不安でしかねぇんだが。
だが、ただ「不審」ってだけで、軍も治安部隊も動きやしねぇ。コストがかかりすぎる。
んで、ヒスパニアの街に入って一時間ほど。街の中心にある、これまたこじんまりした、それでいて見たことのない意匠の城に俺達はたどり着いた。
二人の門番が怪訝そうな目をこちらにむける。おい、本当に大丈夫なんだろうな。
アスナが片方の門番に近寄り、フードを取る。おいおいおい。ほんっとーに大丈夫なんだろうな。俺は念の為、カバンに手を突っ込む。いつでもナイフを取り出せるようにだ。
そんな俺の様子を尻目に、他の三人もフードを脱ぐ。
「あ、アスナ様!? 皆様!?」
「フィリップ様にお目通りしたい」
「か、かしこまりました! い、今すぐに!」
うん、なんか大丈夫だったらしい。なんだってんだ?
アスナの姿を見た門番が、慌ててどでかい門の脇にある通用口に引っ込んでいく。
そのまま数分ほど待っただろうか。キースなんて、残された門番となんか雑談してやがる。なんっつーか呑気なもんだ。身構えてた俺がアホらしくなってくるじゃねぇか。
そして、ゆっくりと通用口が開かれた。奥の方から門番の慌てた声が聞こえる。なんだってんだ?
「ふぃ、フィリップ様! さ、流石に……」
「アスナさん! お久ぶりです!」
「ん。久しぶり。フィリップ」
通用口から出てきたのは、歳にして十二歳程ぐらいしかねぇガキだった。格好が如何にも王族みてぇだってことを除けば、ただのガキだ。
ガキが、アスナに走り寄って、そんでタックルをかます。アスナがそれを危なげもなく抱きとめた。
「お会いしたかったです! アスナさん!」
「ん。フィリップも元気そうで何より」
うん。なんっつーか。あれだな。仲の良い姉弟みたいだな。微笑ましい。
「エリナさん、ミリアさん、キースさんもお久しぶりです」
ひとしきりアスナとの再会を喜びあったガキが、アスナから離れて、他の連中にも挨拶する。
「フィリップ。久しぶり。元気してた?」
「はい! エリナさんも元気そうでなによりです」
「フィリップ様。ご機嫌麗しく」
「ミリアさん……。畏まらないで下さいよぉ」
「そういう訳には……」
「元気そうでなによりだ。フィリップ」
「キースさん! 後でまた剣を教えて下さい!」
「勿論だ!」
うん。なんっつーか。仲いいんだな。お前ら。俺だけ仲間はずれ。うん、なんだ。切なくなってきた。いや、別に本気で切なくなってるわけじゃねぇ。
未だにフードを目深に被っている俺に、ガキが視線をよこす。
「アスナさん。そちらの方は?」
「ん。ゲルグ。王国から逃げるときに色々助けてくれた。ゲルグ。フード取って。大丈夫」
「……そう言われちゃ取らざるをえねぇな……」
俺はゆっくりとフードを脱いだ。
「ゲルグさん、ですね。はじめまして。フィリップ・ヒスパーナ・三世、と申します」
おぉ、なんっつーか、丁寧なガキだ。うん。こういうガキは嫌いじゃねぇ。
「ゲルグだ。……すまん、礼儀とかそういうのには詳しくなくてな。どういう態度を取れば良いのか、わかんねぇ」
「いいんですよ。過分に畏まられても、なんっていうかそういうの慣れなくて」
うん、なんっつーか、本当に利口で、真面目なガキなんだなぁ。好感しかもてねぇ。
「客室に案内しますよ。付いてきて下さい」
城の中は質素、ってのとはまた違うが、実用性重視な作りになっていた。まず無駄なものが置いてねぇ。今まで見た城とは全然ちげぇ。そんで今までの城とは決定的に違うところ。木が使われてねぇ。なんかの金属か? やべぇな。
俺が物珍しそうにキョロキョロしていると、ガキが笑いながら俺を見た。
「ゲルグさん。珍しいですか?」
「ん? あぁ。すまん。不躾だったな。いや、城だってのに、過剰な装飾やらなんやらがねぇな、と思ってよ」
「我が国は、実利を重視する国。頑張ってくれている民草の手前、豪華にするわけにはいかないんです。それに、落ち着かなくないですか?」
その意見には、激しく同意する。同意せざるを得ない。無駄に高そうな調度品なんかがありまくると、落ち着かねぇ。多分このガキとは別の理由で、だがな。いや、あれだ。つまり盗みたくなる。どうにか、かっぱらって金にしてぇなんて思いたくなるんだ。
五分ほど歩いただろうか。ガキが足を止めた。
「客室はここです。一部屋ずつ使って下さい。部屋だけは有り余ってます。自由に使って下さい。後ほど……二時間ほど経ったら迎えに来ます。色々と話したいこともあるので」
ガキは一礼して、そして足早にぱぱーっと駆けていった。落ち着いたガキかと思ってたが、年相応な部分もあるんだなぁ。
「ね? 大丈夫だったでしょ?」
「どういう関係なんだ?」
「フィリップはね。私達のファンなの。私達ってより、アスナの、かな?」
ファン、ねぇ。ファンかぁ。それにしちゃ、あのガキのアスナへのあの懐きぶりは異常だぞ?
「ファンってよりも、姉弟って感じに見えたがな」
「あぁ、それもあるかもね。フィリップ一人っ子でね、お父様、つまり前国王陛下を若い頃に亡くしちゃったから、それもあるのかもね」
ふーん、へー、ほー。でもそれだけとも思えねぇんだが。なんっつーんだろうな。これ。
「あとは、ヒスパーナが一番魔王軍に襲われてたからね。細かいところまでは覚えてないけど、この国に一番長くいたんじゃないかしら。ね、アスナ」
「ん。ヒスパーナの軍人さんと協力して、魔王軍追い払った」
あぁ、そりゃファンにもなるだろうなぁ。国を救ってくれた英雄だもんな。
んでもって、魔王軍がこの国を狙うってのもなんとなく理解できる。世界の食処。そこを潰しちまえば、世界中が困る。いや、困るってレベルじゃねぇな。死ぬ。人間食えなきゃ死ぬんだ。
魔王ってのは、思ったよりも優秀な存在だったらしい。
「ま、しばらく時間あると思うし。休みましょ。ヒスパニア城の客室はお風呂も付いてるのよ」
風呂かぁ。そりゃいい。自分の汗臭さにも辟易としてた頃だったんだ。
「アンタは、ちゃーんとお風呂入りなさいよ。念入りに。臭いから」
「うるせぇ。わーってる」
お前さんの臭いも相当だがな。女とは思えねぇ臭いしてるぞ。まぁ、長旅だ。全員が全員得も言われぬ臭いを放ってる。うん、如何ともし難い……。
「ちゃんと洗ってよね」
わかってるって。何度も言うな。
「ゲルグ、臭くない」
アスナ。お前は本当に良いやつだ。でも、自分の臭いなんて自分でも良く分かってる。確かに臭ぇよ。汗臭い。
俺はアスナに短く、「じゃあ後でな」と言うと、自分に充てがわれた部屋に入り込んだ。
部屋の中は、まぁ。客室ってだけあって、小綺麗な部屋だった。だが、ルマリアの帝都と比較すると、質素極まりない。盗めるもんがねぇ。いや、盗まねぇよ? ミリアに怒られるからな。盗まねぇけど、盗めそうなもんがねぇってのは盗人としちゃテンションが下がるってもんだ。
んで、ここが風呂か。どれどれ? おぉ。シャワーだけじゃねぇ。湯船も付いてるじゃねぇか。んでもって、これ! 泡風呂用の粉石鹸! ブルジョアかよ! 泡風呂なんて、王国じゃ金持ち貴族ぐらいしか入らねぇぞ! 風呂が部屋にあって、シャワーがあるってだけでもやべぇのに、湯船があって泡風呂!
やべぇ、こりゃ俺だってちょっとばかしテンションが上がる。んーと、これをひねれば良いのか? おぉ、出た出た。水だ。暫くしてそれは、温度が上がり、お湯になった。やべぇな。どんな仕組みなんだ? まぁ、良い。湯船なんて何年ぶりだ? グラマンの屋敷にいた頃に入って、最後だから……。うん、覚えてねぇ。
俺は鼻歌が出そうな程度に上機嫌になりながら、ゆったりと風呂を楽しむことに決めた。
三十分ほど風呂を楽しんで、一息つく。備え付けられたベッドに腰掛けて、半裸の状態で俺はぐーたらしていた。下半身はパンツ一丁。首にバスタオルを掛けて。おっさん丸出しだが、今ぐらいいいだろ。
風呂は良い。気持ち良い。アリスタードじゃ、公衆浴場しかなかったもんだから、風呂なんてものにはとんと縁が無かった。贅沢なんだよなぁ。
煙草を取り出して火を付ける。紫煙がくゆる。疲れた身体に染み入らぁ。
そんな感じでくつろいでいると、控えめなノックの音が耳朶を打った。
「なんだ? いいぞ」
扉がゆっくりと開く。扉の向こうから姿を現したのはアスナだった。俺の姿を見て、顔を真っ赤にして、すぐに後ろを向いた。なんだ? 何恥ずかしがってる?
「……っ!? ゲルグ! 服、着て」
あぁ、すまん。そういや半裸だった。
「すまん。ちょい待て」
俺はベッドに脱ぎっぱなしにして放っておいた服を手早く着る。ってか、おっさんの半裸なんて、別にそんな恥ずかしがるモンでもねぇだろ。
「いいぞ」
「ん」
アスナが真っ赤な顔はそのままで、のそのそと俺に近寄り、俺の隣にとすんと腰を下ろした。なんだ? こいつ。なんの用だ?
「何の用だ?」
「撫でて」
「は?」
こいつなんなんだ? 藪から棒に。
「ヒスパニアに入る方法、頑張って考えた。頑張った。撫でて」
お前、あれ、頑張った結果だったのか? 普通に入っただけじゃねぇか。何も考えてねぇだろうがよ。
「頑張った。考えた」
あぁ、うん。この目だよ。この目。最近とんと苦手意識を感じなくなっていたが、やっぱ苦手だ。再認識。なんもかんも見透かされてるような、そんな眼差し。純粋に、真っ直ぐに、俺を見つめる、この目。
「頑張ったのか?」
「頑張った。だから撫でて」
あー、もう。わかったわかった。俺はアスナのさらっさらの黒髪をガシガシと撫で付ける。このお嬢さんは本当に甘えん坊だ。なんだって、こんなチンケなおっさんに甘えたがるかねぇ、本当に。
「もっと」
「わかったよ」
ぐりぐり。ぐりぐり。無言で俺はアスナの頭を撫でる。アスナが目を細める。犬みてぇな奴だ。本当に。
部屋の中でゆったりと時間が流れていく。俺もアスナも、ただその緩やかな空気を享受していた。
まぁ、それもアスナが自分の部屋にいないことに気づいたエリナが突撃してくるまでだったがな。
なんだか、拍子抜けするほど無事にヒスパーナの首都に入ることができました。
フィリップ君はアスナの大ファンです。
これもアスナのしゅじんこうほせ(略)
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とーっても励みになります。ダンクーウェル!!!!
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