第四話:アスナ、お前はそれでいい
眠れねぇ眠れねぇ煩かったアスナも、俺が帰ってきて一時間ほどで静かに寝息を立て始めた。当然ながら俺もちょっとばかし寝た。当然っちゃ当然だ。睡眠不足でパフォーマンスが出せませんでした、じゃ片手落ちもいいとこだ。
十二分に休息を取り、準備は万端だ。っていっても、行き当りばったりな作戦だ。成功するかどうかは五分五分すらも言いすぎだ。二分八分がいいとこだろう。どっちがどっちなのかは言うまでもねぇ。
アスナがフード付きのマントを着込む。俺は稼業用の仕事道具を懐にしまい込む。仕事道具なんてたくさんある。
まずは、細いピアノ線だ。金属のリールに巻きつけてある。こいつがまた便利だ。背後から忍び寄って、警備を気絶させるのは勿論、鉤爪をつければ、いざってときに高所から安全に着地したりもできる。ピアノ線は勿論滅茶苦茶丈夫なモンを使っている。魔法で作られた逸品だ。そうそう切れやしねぇ。
次に人間の居場所がわかる魔法具だ。これもまた便利だ。気配は俺だってつかめる。だが、そいつの正確な位置を割り出すのは時間がかかる。できねぇわけじゃねぇんだがな。こいつを使えば瞬時に、半径数十歩ほどの生体反応の位置が頭の中に流れ込んでくるって寸法だ。原理はこれを譲り受けた時に教えて貰って理解したが、如何せんとっくに忘れちまった。使えりゃ良い。
あとは、自分にしか見えねぇ光を灯す魔法具やら、鍵開けのピッキング道具やら、バールやら、煙玉やら、吹き矢やら、その他諸々。どれもこれも、泥棒稼業には欠かせない大事な仕事道具だ。カバンに入り切らねぇだろって? そこはそれ、ちょっとばかし上手いことやってる。説明はしねぇ。
「さて、行くぞ」
「ん」
少しばかり緊張に染まった顔で、アスナが小さく頷く。ガチガチにはなっちゃいねぇ。いい傾向だ。多少の緊張はパフォーマンスを底上げしてくれる。
俺達は示し合わせたようにねぐらから躍り出て、王宮に向かって駆け抜けた。
辺りはもう真っ暗だ。人っ子一人いやしねぇ。月明かりがちょっとばかし気になるが、贅沢も言ってられねぇ。
王宮までは、大通りをまっすぐだ。だが、そんな馬鹿正直に正面から突っ込んだら速攻でしょっぴかれるのは目に見えてる。俺はアスナを先導するように、王宮の正面を避けてぐるりと回って、裏側に回る。流石に高い塀のある裏側を警備する兵は少ない、と思いたい。
「アスナ。ここから入ったら王宮のどこにでるか想像つくか?」
「うん。どうやって入るの?」
「そりゃな」
俺はアスナを抱える。最初にしたみたいに肩に荷物を抱えるようなやり方じゃない。お姫様抱っこだ。腐っても女の子、ってやつだろ? 失礼じゃねぇか? ってこんなくだらねぇこと考えてるからゲン爺に「童貞臭い」って言われるんだよなぁ。
「こうすんだよ!」
加護を全開にして俺は跳ぶ。そのスピードに、高さに、アスナが驚いて目を見開いたのがちらりと見えた。すげぇだろう、そうだろう。人間業じゃねぇのは自分でも大いに自慢したいところだ。なんたって、この高い高い塀を乗り越えそうな程に跳んでるんだからな。音にすると「びゅーん」だ。
風の加護。それは俺がこの世に生まれ落ちたときから授かっているらしい潜在能力だ。なんの因果で俺なんかにこんな特殊能力が備わったのかはわからねぇ。だが、使えるもんはありがたく使わせてもらう。
加護。この世界ではそういったものを持って生まれる人間がわずかばかりいる。風の加護は、端的に言うと速度やら身の軽さを担保してくれる。他にも火の加護やら、水の加護やら、剣の加護やら色々あるらしい。矢避けの加護なんていう、「なんでそんなピンポイントなんだよ」って加護もあるってぇ話だ。
それは人間の脆弱さを嘆いた精霊メティアが、その人間の役割に応じて与えた潜在能力なんだとか言われてる。精霊メティアが人間を救うなんて眉唾モンだがな。世界中で信仰されてる宗教らしいが、あいにく神やら精霊やらに祈り願うことの無意味さはとうの昔に実感した身だ。
「……すごい」
アスナがボソリと呟く。勇者サマに褒められたんだから、俺だって鼻高々だ。ま、逃げ足やら何やらに特化した能力だ。使い所は限られる。
目論見通りに、塀の上に着地する。アスナを降ろしてから、周囲を確認。右に一人。左に二人。どいつも俺らには気づいていない。俺はアスナに目配せをする。
「お前さんは左の二人だ。俺は右の一人をやる」
「ん」
小さく頷いてからアスナが風のように駆けていく。大丈夫そうだ。人を傷つける。そのことになんとか折り合いを着けたんだろう。その瞳に迷いは無かった。
さて、俺もガキにばっか頼ってないで自分の仕事を終わらせにゃ。
足音をかき消して、俺はアスナとは逆方向に駆け抜ける。幸いにも警ら兵は、明後日の方向を見ていた。チャンスだ。カバンからピアノ線を巻きつけたリールを取り出して、両腕を広げたぐらいの長さのそれを両手に巻きつける。
輪っかにしたピアノ線を兵士の首に引っ掛ける。奴さんには、キラリと光るなにかが視界に映ったぐらいにしか感じないだろう。違和感を感じる暇さえ与えない。そのまま、ぎゅっとピアノ線を引き絞って、背中合わせになり、ピアノ線を肩を支点に引っ張り下ろす。警ら兵の身体が浮き、手足をバタバタとさせるのが気配でわかった。さじ加減が大事だ。一、二、三、と頭の中で数える。気絶までは大体十秒。死ぬまでは六十秒。早すぎても、遅すぎても駄目だ。
ややあって、奴さんの動きが止まり、だらんと力なく手足が弛緩する。まだだ。後数秒。
完全に気絶したのを確認してから、俺はピアノ線を引っ張り下ろしてきた力を緩める。どさりと警ら兵が床に倒れ込む。
「お、お前は、ぎゃっ!」
「なにも、ぐわっ!」
あっちも終わったみたいだ。ってか静かにやれよ、静かに。
一仕事終えたアスナがのそのそとこっちに向かってくる。
「おい、あんま騒ぎになるような暴れ方すんな」
「ごめんなさい」
「ま、いい。こっから、連中がいる場所まで、最短経路、わかるか?」
「ん」
よし。そこまでわかってるなら話が早い。あとはアスナの勇者としての力に任せて、突っ走るだけだ。
「よし。いいか? ここからは俺の言うことに絶対従うことだ。いいな」
「ん」
わかってのか、わかってねぇのか、微妙な顔をしやがるな、こいつ。まぁ、もともとボケっとしたお人好しを絵に書いたような顔をしてるからなぁ。
「行くぞ」
俺達は走り出した。
道中は不気味なほど順調だった。警ら兵、衛兵、憲兵。よりどりみどりな兵士どもが、王宮を巡回していたが、そのどいつらも、俺が、アスナが、あっけなく気絶させることができた。罠なんじゃねぇかと嫌な予感が頭をよぎるが、そんなことに思いを馳せている暇はない。
「こっち」
アスナが言葉少なに、道を指し示す。その先には地下へ続く階段があった。なんとなく思っていた通りだが、人質は地下牢に閉じ込められているという考えに至っているようだ。その予測が当たっていることを心の底から祈る。
俺とアスナは、足早に階段を駆け下りる。むわりとした据えた匂いが鼻につく。臭ぇ。当然だろう。この場所は王国の極悪人が収容されている地下牢なんだからな。王宮の地下牢だ。言わずもがな収容される人間の罪は重くなるし、その扱いもぞんざいになる。
訝しげに俺達を見遣る極悪人共を尻目に、アスナが駆けていく。気が急くのはわかる。だが、不用心だ。俺は仕事道具を取り出す。痺れ毒蛾の鱗粉を塗った矢を込めた吹き矢だ。アスナに気づいた様子の看守めがけて吹く。
「ふっ」
見事命中。俺の腕も鈍っちゃいねぇ。久々にやったもんだが、案外忘れてねぇもんだ。
「母さん! キース! ミリア!」
アスナが叫ぶ。見つけたようだ。アスナの予測が当たったことに胸を撫で下ろすと同時に、その不用心さに少々イラつく。だから、もっと静かにしろってんだよ。ほら、看守どもが集まってきやがった。ここまで来ると、俺じゃどうにもできない。俺は猛スピードでアスナの側まで走り抜ける。
「アスナ! 俺を守れ!」
「え?」
「鍵開けるから、その間の時間を稼げって言ってんだよ!」
「わかった」
やべぇやべぇやべぇ。何がやべぇって、集まってきた看守の一人が、魔法で連絡を取ってるような素振りを見せていることだ。牢の中で宙吊りにされてぐったりしている、おばはんと、野郎と、美人な姉ちゃんの様子も十二分にやべぇが、この後の展開が容易に予測できすぎてやべぇ。
俺はピッキング道具を取り出して、牢の扉につけられた南京錠の鍵穴にそれを突っ込む。焦るな。気を静めろ。腐ってもここは王宮の地下牢。解錠には相当時間がかかるはずだ。
かちゃかちゃと俺が錠前に苦戦している後ろで、「ぐぇっ」やら「ぎゃっ」やら、看守どものあっけなくやられていく声が聞こえる。勇者サマに敵うわけねーだろ、バーカ。魔王ぶち殺してんだぞ? だが数の暴力ってのはマジでやべぇ。アスナが不殺を貫いている以上、いつか崩壊する。
急げ、急げ。俺は自分の仕事に集中する。
数分だろうか。十数分だろうか。時間の感覚がもはやよくわからない。何人の看守のやられる声を耳にしたか分からない。というか、看守なんてもう全滅して、王宮中の兵士どもが集まってきてるだろうな。アスナの荒い息遣いが耳朶を打つ。
――カチャリ。
ようやく、お望みの音が聞こえた。
「開いたぞ!」
アスナが俺のその言葉に、ばばっと踵を返して牢の中に駆け込む。人質三人の腕を縛めていた手枷、それを天井から吊るす鎖を抜剣して切り裂いた。パキン、パキン、パキン、と三回分の音がなって、三人分のどさりと言う音が響いた。
さて、ここからどうする?
なーんてな。そこはもう打ち合わせ済みだ。迷宮脱出用の魔法をアスナが使える。人質さえ救出できればこっちのもんだ。
俺は野郎を、アスナがおばはんと綺麗な姉ちゃんを抱える。後は魔法で脱出するだけだ。
俺とアスナが目配せをする。アスナが呪文を唱えようと口を開く。その瞬間だった。
パチ、パチ、パチ、と人を小馬鹿にしたような拍手の音が聞こえた。
あー、こういう展開も勿論予想してた。悪の親玉の登場ってわけだ。まだ気絶していない兵士が道を開けて跪く。でっぷり太ったおっさんが、もったいぶるようにゆっくりと歩いてくる。
他でもない、アリスタード王国現国王、グラン・アリスタードだ。ニヤニヤと薄気味の悪い笑顔を浮かべてこちらを見てきやがる。さぞかし国民の税金で贅沢してるんだろうなぁ。身につけてるものの高級さがそれを物語っている。
「勇者よ。のこのこと、よく戻ってきたな」
「陛下……」
アスナよ。陛下、とか言う必要は無いぞ? こんなの「豚」で十分だ。
「貴様にかけられた罪は既に世界中の知るところとなっている。ここから逃げ出せたとして、その後はどうなるか、わかるな?」
「……っ」
無言。アスナはただただ無言で返すしかない。そりゃそうだろう。最初はちやほやして、魔王討伐に送り出したんだろうさ。魔王をぶち殺した瞬間に手のひらくるっくるだ。アスナも混乱しっぱなしだろう。
「今、余に恭順するならば、貴様は死んだことにして、その後の安全は約束しよう。余のために働くと誓うか?」
……あぁ、そういうことか。こいつの考えてることやら、今までの経緯がなんとなくわかった。こいつは勇者サマの力を自分だけのモノにしようとして、それで拒否されて、その意趣返しをしたんだ。他の国にどう伝えたのかまでは知らねぇ。でも、こいつの下衆な考えはよーく理解できた。勇者サマの力を利用して全世界を掌握しようとか、そんなところだろう。
何度だって言う。俺は小悪党だ。ちっぽけな。だからこそ、ちっぽけな悪事なんてもんじゃない、巨悪に対しては人一倍敏感だ。
アスナがこちらをちらりと見る。なんで俺を見る? 今そんな場合じゃねぇだろ。だがそれも一瞬。何かしらその瞳に決意の色を湛えてから、おっさんに向き直った。
「戦争の道具にはなりたくない。守らなきゃいけないと思ってた人々をこの手で傷つけたくない。何度聞かれても私の答えは同じ」
昨日、同じ問いをされたのだろう。アスナがおそらくその時と同じ答えを返す。
かっこいいじゃねぇか。その眩い在り方に憧れる。憧れざるを得ない。そう、この時俺はこのちっちゃな勇者サマをどうして助けたいと思ったのかはっきりと自覚したのだった。
泥臭く生き抜いてきた。なんでもやった。小悪党なりに、小狡い知恵を絞って、その日暮らしの生活をなんとか泥を啜りながらも生き抜いてきた。そんな俺からすると、真っ直ぐという言葉じゃ表現しきれないアスナの在り方は、雲の間から差した太陽の光みたいなもんだったんだ。憧れて当然だ。眩しくて当然だ。
だからこそ、そうだ。それでいい。お前さんは。いやお前はそれでいいんだ。
「そうか。ならば貴様の仲間達も、その横で突っ立っているおと……誰?」
国王がポカンとした顔をする。ようやく俺の存在に気づいたらしい。そりゃそうだ。ちんけな小悪党な俺を一国の主が知ってるはずもねぇ。
まぁいい。ここは精一杯カッコつけるところだろ。大人として、男として。俺はニヤリと笑った。キャラじゃねぇ。キャラじゃねぇが、今はこれぐらいが丁度いいんじゃねぇか?
「おうおうおう! 黙って聞いてりゃ、とんでもねぇ! 俺はちんけな小悪党、名をゲルグ!」
「いや、だから……誰?」
王様が目を白黒させている。笑いそうになるのを必死でこらえる。
「小悪党にゃあな! 小悪党なりの矜持がある! てめぇにゃ到底理解できねぇだろうがなぁ!」
俺の啖呵は続く。
「ひとーつ! むやみな殺生、慎んで!」
ちょっとばかし恥ずかしい。
「ふたーつ! 巨悪に遠慮は要らぬ!」
いや、ちょっとじゃねぇな。だいぶ恥ずかしい。やめろ、アスナ。そんな目で俺を見るな。
「みーっつ! 質素な生活を!」
「で! 貴様は何が言いたいんだ!」
今までぽかーんとしていた国王陛下サマが、業を煮やして叫び始める。顔真っ赤だぞ。ざまぁみろ。しかし、十まである俺の小悪党矜持を全部伝えきれねぇのはちょっとばかし残念だ。
「アスナ、お前はそれでいい。お前はいつまでも、どこまでも勇者であればいい」
アスナの方をちらりと見遣る。何やら感動したような、それでいて少しばかり笑いを堪えているような、そんな顔で俺を見つめていた。何やってんだ。さっさと魔法を使え。そんな意味ありげな視線を送ると、ようやくその意味に気づいたらしい。呪文をボソボソと唱え始めた。
「豚みてぇに肥え太った国王サマよ。俺らはとんずらさせてもらう。小悪党の底力、舐めんじゃねぇぞ? 簡単に捕まえられるなんて考えないこった」
王様の顔がいよいよ真っ赤になる。締められる直前の豚みてぇで、くっそ笑える。
「じゃあな、バーカ。いい夢見ろよ」
「ふ、不敬! 不敬罪だ! この者を捕らえよ!!」
そんなのできるわけがねぇだろ。ほら、アスナの魔法が完成した。俺達の身体が淡く光り始める。
「バッハハーイ、……はちと古いか」
俺らはそうして王宮から脱出するに至ったのであった。あぁ、心臓が痛い。ついでに頭も痛い。だが、これからが本番だ。俺はぐにゃぐにゃとねじ曲がる景色をぼんやり見つめながら、今後に思いを馳せた。
王宮へ忍び込んで、なんとか人質を救出しました。
ヒューッ、ゲルグ、かっこいー。
いや、その啖呵はないわ。ダサい。
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