閑話:シスターミリア 後編
そして数日が過ぎ、ルマリア帝国の帝都に着いた。
彼が率先して帝都に忍び込む筆頭となった。不承不承といった表情を浮かべてはいるが、本心から嫌がっているわけではないことを私は理解している。いや、理解はできていないかもしれない。ただの想像だ。でも、その想像は正鵠を射ている、そんな根拠のない自信があった。
そして彼はそのまま捕まった。捕まってしまった。慌ててアスナ様が帝都の検問に事情を話し、奇跡的にも私達は無事帝都に入ることができた。城に招かれ、ゲルグを開放してほしい旨をアスナ様が伝えた。本当に驚くべきにそれはすぐに、まさにあっさりと、叶った。
でも、再会した彼は酷い有様だった。
拷問されたと聞いた時は、はっきり言って血の気が引いた。拷問。心臓に悪い響きだ。彼の右手の指はぐちゃぐちゃだった。赤黒く、それでいて青く腫れ、ここまでの人体の破壊を人間がするものなのか、できるものなのか、とそう思った。急いで治癒する。痛かっただろう。辛かっただろう。
でも、そんなこと彼はおくびにも出さない。なぜならきっと、私達が心配することを理解しているからだ。
本当に優しい人だ。泥棒さんなんてやっていたことが信じられない。
そこから先は怒涛の展開だった。ヘンリー陛下にアスナ様が求婚されたと言う。抱き合っているように見えたアスナ様とゲルグを見て、「最低」とか言ってしまったのは正直に言おう、反省している。
「嫉妬」。コントロール出来ない感情。私はそれを持て余していた。
だからだろうか、ゲルグに思わず尋ねてしまったのは。
「……えっと、あの。求婚されたのが私だったとしても、ゲルグは……いえ、忘れて下さい」
途中で自分がとんでもないことを口走っていることに気づいて、口を噤む。けれど、いくら察しの悪い彼でもその後に続く言葉は分かってしまったらしい。
「あのな。俺だってお前らを仲間だと思ってる。仲間が『結婚しないとどうなるかわからんぞ』なんて言われて、黙ってられる程人間できてねぇよ」
仲間。仲間かぁ。そっか。そうだよね。彼にとっては私はその程度。知っていた。彼はずっとアスナ様を守りたいと、その一心でここまで来たことは私も理解している。
それはどんな感情なんですか? どんな気持ちからくるんですか? 聞いてしまいたくなる。でもそんなこと聞けない。勇気がない。
そして今。なんだかんだで、ヘンリー陛下から逃げ、帝都を駆け抜ける。ゲルグがエリナ様に促され、範囲速度向上で私達を支援する。身体が軽くなる。範囲魔法。非常に難しい魔法だ。それだけ彼が財の精霊に愛されている、そういうことなのだろう。
そうして、私達はなんとか帝都を駆け抜け、検問を突破し、帝都から少しばかり離れた場所までやってきた。息が上がる。苦しい。ここまで必死で走ったのは久しぶりかもしれない。
そもそも私はかけっこが小さい頃から苦手だ。軽い喘息持ちだからだ。
そんな私を見かねて、彼が背中を擦ってくれる。温かい手が私の背中を撫ぜる。未だに肩で息をしている状態には正直辟易としていたが、それでも、これだけで幸せな気持ちになってしまうのだから、自分は酷く単純な女なんだと思う。
その後、私の様子を見て思うところがあったのか、アスナ様が彼に背中を擦れとねだった。また少し嫌な気持ちになってしまった。私は神官失格だ。でもいいか。もう辞める。辞めると決めたんだ。
それから一週間ほど歩いた。ルマリア帝国の国境まで後少し。そこで野宿することになった。野宿をするのに食べ物が無いとき、食べ物が心細い時、キース様とゲルグが獲物を獲ってくる。私も何か役に立ちたいと思い、野草や食べられるキノコなんかを近くの林でとってきた。
獲ってきた食材を調理するのはいつだってゲルグだ。なんたって、彼は料理が上手い。ジョーマ様の料理と比べるとそりゃ見劣りはするけれど、それでも簡素に「特製」だという調味料をふりかけたそれらは、魔王討伐の為に旅をしていた頃からすると考えられないほどに美味しい。
夕食を食べ終え、いつものように交代で見張りをする。今日の私の番は三番目。少し眠ってから、アスナ様に起こされる。
「ミリア、起きて。交代」
「むにゃ、あ、すな様?」
「起きて」
寝起きは苦手だ。どうしても寝ぼけてしまう。苦手なものがたくさんあるな、と自分でも嫌になる。欠伸をして、目をこする。頬を叩く。乾いた音が響き渡る。よし、目が覚めた。
アスナ様がブランケットに包まるのを確認してから、私は篝火の側に腰掛ける。魔物の気配は周囲にはない。これでも神官だ。彼ほどではないけれども悪しき気配を感知することはできる。
端的に言う。暇だ。だからだろうか。魔が差した。差してしまった。私はそうっと立ち上がって、彼のもとに音を立てないように近寄って、その寝顔を眺めた。思わず笑顔になってしまう。お世辞にも綺麗な顔とは言えない。でもその寝顔が私にとっては宝物だ。
でもそれも数秒。彼がパチリと目を開けた。慌てた。そりゃもう盛大に慌てた。感づかれないように必死で取り繕う。
「あ、起こしちゃいましたか? ごめんなさい」
我ながら慌てているのがバレバレだ。でも察しの悪い彼は気づかない。気づきっこない。だって、私がどんな気持ちなのかさえ、彼は理解していないのだから。
「ミリア、どうした? 見張り、辛くなったか?」
ほら、気づいてない。そして、彼がまずするのは、私の心配。彼はいつだって誰かを心配している。
そこから彼の提案で雑談することになった。彼はその相貌に似合わず聞き上手だ。私は自分のことを滅多に話さない。特段話すべきことがないからだ。面白くもない。ただの小さい頃の思い出。魔王討伐に旅立つまでの私の人生は、ただ神官として生きる。それだけで、楽しい話なんてできっこない。
でも、彼にかかれば私の幼少期の思い出なんてポロポロと口から流れるように引き出される。
雑談の途中、彼がじいっと私の顔を見つめているのに気づいた。な、なんだろう。ドキドキする。私の顔は今ものすごく真っ赤だろう。今が深夜で良かった。気づかれてないと良いけど。
「……げ、ゲルグ? 私の顔になんかついてます? 流石にそんなに見つめられると、は、恥ずかしいんですけど」
「あ、あぁ。すまん。お前さん、いっつもニコニコしてるなぁ、って思ってよ」
「あ、あぁ、そういうことですね。笑顔が元気の源ですから! 私、ちょっとしたことで落ち込んじゃったりするんで、笑顔を心がけてるんです」
本音だ。笑顔は私のともすれば落ち込みがちな性格を覆い隠してくれる。笑顔は私の鎧だ。どうしようもない自分の性質を覆い隠し、他人に悟らせないための。
「神官、辞めるって言ってたよな」
言った。
「……はい。メティア教の教義に思うところはありません。すばらしい教義だと今でも思っています。ですが、精霊メティアに全てを捧げる。それが全てでは無い気がしてしまったのです。皆には止められちゃいましたけどね」
「別に、神官辞めても、神聖魔法を使えなくなるとかそういうことはねぇんだろ?」
「はい。神官という職業に対して神聖魔法の適正がつくわけではないので」
魔法の適性は、その人間の過去、現在、未来に対して評価され与えられる。肩書は関係ない。
唐突に彼が、何やら真面目な顔をする。
「ミリア。お前は神官なんて辞めても、神官だよ。俺が保証する。悪党の俺の保証がなんの意味があるのかなんて俺も知らねぇがな。お前の在り方は俺には眩しすぎる」
え? 今……。
「お前はどこまでだって、きっと他人を想い続けるんだろ。敵も仲間も他人も全部ひっくるめて。すげぇやつだよ。誇っていい」
お前って言った? 彼は異性を呼ぶ時必ず「お前さん」と呼ぶ。「お前」なんて呼ぶのはアスナ様だけだ。
「げ、ゲルグ。今、私のこと『お前さん』じゃなくて、『お前』って呼びました?」
「ん? あぁ、そういやそうだな」
本人はどうでもよさそうな顔をしているが、私にとっては酷く重要なことだ。私は彼に背中を向けて、拳を握りしめる。嬉しい。そんな風に喜びを噛み締めていると、背後から声をかけられた。
「いや、なんだ。すまん。気に触ったなら謝る。『お前』なんて呼び方失礼だったな」
何を言っているんだ、この朴念仁。そう言いそうになるのをぐっとこらえた。
「ち、違うんです! 怒ってないです! 『お前』って呼んで下さい!」
「ん? 変なやつだな。普通『失礼だ』って怒るところじゃねぇのか?」
「失礼なんて、とんでもないです! も、もう一回、もう一回、『お前』って呼んでください!」
そう、「お前」って呼んでほしい。それは今までアスナ様だけに許された特権だ。そのはずだった。
「お前」
「……っ!」
不味い。私は、さっきよりも数倍ほど、顔に血が集まっていくのを感じた。私の頬は、耳は、誰だって分かるほど真っ赤だろう。頬が熱い。思わず両手を当てる。
「っぱ、怒ってねぇか?」
「お、怒ってません! 怒ってないです! むしろ……」
「むしろ?」
「な、なんでもないでーす! 忘れて下さい……」
この人は、どうしてこうなんだろう。察しが悪すぎる。女心というものを何もわかっていない。だから童貞なんだ。そんなこと口が裂けても言えないし、言わないけれど。
でも嬉しい。だからこそ、伝えたい言葉がある。こんなことを伝えてしまったら彼が困ってしまうんじゃないか、とか、凄い恥ずかしいこと言おうとしてるよな、とか考えて、ちょっと長いこと躊躇してしまったけど。
伝えたい。これだけはどうしても伝えたいんだ。
「……ゲルグ。やっぱり貴方は私達の……。いえ、私の北極星です。貴方がいるから今、この状況で私は私でいられるんです。貴方の過去がどうだとか、貴方がどれだけ悪いことをしてきたかとか、そんなの関係ありません。誰がなんと言おうが関係ありません。そんなこと私には関係ありません」
深呼吸を一つ。
「貴方がジョーマ様のところでたくさん努力していたのを私は知っています。今だって誰よりも頑張っているのを私は知っています。深く物事を観察して、考えて、そしてどうすれば私達が助かるのか、それを誰よりも考えてくれていることを私は知っています」
彼が何やら言おうとしているが、そんなこと知らない。遮らせてなんてやるものか。
「貴方は私達の誰よりも現実的で、誰よりも理想家です。ともすれば、自分を犠牲にしてでも私達を助けてくれるでしょう。でもそんなの許しません」
彼の優しげな瞳を見つめる。
「色々言っちゃいましたが、でもそんなこと全部全部関係ないんです。貴方がどんな在り様でも関係ないんです。情けない姿いっぱい見せて下さい。楽しそうな姿たくさん見せて下さい。見守らせて下さい。頼って下さい。受け止めさせて下さい。私は貴方の全てを肯定します、ゲルグ。貴方が貴方だから、私は……。私、は……」
「……なんだよ?」
「…………ごめんなさい。なんでもないです。忘れて下さい」
駄目だな。私。今、本当は言おうとしたのだ。私の素直な気持ちを。でも言えなかった。臆病者だ。きっと彼はアスナ様のことを「子供」としか思っていない。今は。「今だったら」。そんな考えが頭をよぎったのだ。卑怯者だ。今言ってしまえば、きっと彼はちょっとだけでも私との関係を考えてくれるだろう。
でも駄目だった。言えなかった。
「貴方のことが好き」という、たったそれだけのことが。どうしても言えない。それを言ってしまうと、全てが脆く崩れ去ってしまいそうで。
あー、駄目駄目だ。私。なんでこうなんだろう。アスナ様にも申し訳ない。私を気遣ってくださるエリナ様にもだ。自分の卑怯な一面。どす黒い「嫉妬」なんて感情。すべてが私の心に突き刺さる。
そんな風に自己嫌悪に陥っていると、彼がニッコリと笑いながら私を見つめた。
「あんがとよ。なら俺は、お前もひっくるめて、全部守ってやるよ。魔物にゃ力不足だがな。人間からは俺が何があっても守ってやる」
……本当に、私は単純だ。ついさっきまで自己嫌悪で忙しかったのに、彼のそんな言葉でもう心の中は嬉しさで一杯だ。
「はいっ! 守って下さい!」
常々笑顔を取り繕ってきた。そりゃあ、本気で笑うこともあったかもしれない。でもそれは、可笑しくて笑うとか、そういう笑顔だ。
私はしばらく誰にも見せていなかった、本心からの、嬉しさから自然と溢れ出る笑顔で彼に応えた。
精霊メティア。申し訳ございません。私は、もう貴方には貞節を誓うことはできません。
この人に抱いてはならない気持ちを持ってしまったのです。この人と共に在りたいと願ってしまったのです。精霊メティア。お許し下さい。この気持ちは、もう、どうしようもないんです。
でも、それでも今。胸を張って言えます。彼の前じゃ勇気がなくてまだまだ言えそうもないけど。
――私は、彼が、大好きです。
ミリアさんがおっさんにメロメロになってる……。
おっさんには勿体ない良い娘です。
おっさん死ね。
ミリアさんは、結構内省的で、内罰的な、控えめな性格です。
でも、それを自覚して、コントロールすることのが大事だということも理解しています。
めちゃくちゃ良い奥さんになりそうですね。
やっぱりおっさん死ね。爆散しろ。
これにて、第二部は完結となります。
次話より、第三部に突入します!
引き続きよろしくお願い致します。
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