閑話:シスターミリア 前編
ミリア視点の閑話です。
読まなくても支障はないと思います。……多分。
「歯、食いしばれ!」
ゲルグがヘンリー陛下に猛スピードで肉薄する。私だって魔王討伐のパーティーとしてそれなりに力量には自信はあった。でも、そのスピードは目で追うのがやっとで、瞬きをする間もなく、ゲルグの拳が陛下の頬に突き刺さっていた。
「おめぇら!! とんずらこくぞ!!」
彼の言葉にハッとして、私は、いえ、私達は踵を返してヘンリー陛下の謁見室から躍り出た。速度向上、そして風の加護を最大限に活用した彼のスピードは私達の誰よりも速く、追いつくのにただただ必死で、本当にそれだけ。それだけしか考えられなかった。
待って。行かないで。必死で彼の背中を追いかける。いつからだろう。彼の背中を目で追いかけるようになったのは。
お世辞にも美男子とは言えない。粗野で、粗暴で、如何にも悪人です、といった風貌の男。でも、いつからだろう。その瞳が酷く優しい色を携えているように感じたのは。
出会った時の印象は正直言って最悪だった。狭くて汚い部屋。そして、乱暴な口調でしゃべるボサボサ頭の男。警戒するなというのが無理な話だ。
でも、精霊メティアは人間のどんな罪も赦せと、そう仰っている。この男性にも善性が備わっている、そう思おうとした。その時は。
私はたくさん勉強してきた自信がある。自慢じゃないが、それなりに頭の回転も速い方だ。私をよく知る人には、ちょっとばかり、「ぼんやりしている」、なんて言われたりもするけど、それは頭の中で情報を整理している時に話しかけられるからだ。
アスナ様は、どうしてこの男をここまで信頼しているんだろう。そう思った。思わずにはいられなかった。聞けば出会って数日だと言う。アスナ様は勇者として正しい心をもっていらっしゃる方だ。でも、お人好しであることを自覚している私から言わせてもアスナ様はお人好しが過ぎる。
懐疑的だった。ゲルグとかいう男が、何を考えて私達に協力するのか。こんな、他者を疑う心、精霊メティアがお赦しにならないと思いもしたが、それでも疑ってしまった。
お許しください。精霊メティア。私はどうしてもこの男を警戒してしまうのです。何度そんな許しを請うたのか数え切れない。
だが、その男、ゲルグは、なんともスマートに私達をアリスタードの王都から逃してくれた。次に向かうのはリーベだと言う。街道を避けて、ぐるっと迂回するのだそうだ。その考え方は大いに理解できる。大賛成だ。
道すがら私は、ゲルグに話しかけてみた。なんで話しかけようと思ったのかはわからない。
「ゲルグ、さん」
少しばかり躊躇しそうになる心に発破をかけながら、恐る恐る声をかける。彼は鬱陶しそうな表情を隠さずに私の方をゆっくりと振り向いた。
「なんだ? シスターさんよ」
シスターさん。あぁ、彼にとっては私はそんな存在なんだ。そう思った。でも私にだって名前がある。
「あ、ミリア、と、そう呼んでください」
「そりゃご丁寧に。俺も『さん』なんてつけなくていい。むず痒くてかなわん」
「あ、はい。すみません」
人を呼び捨てにするのは慣れていない。でも、そう言われてしまうと、呼び捨てにせざるを得ない。私はちょっとばかり、彼に苦手意識を抱いた。
でも、それとこれとは話が別だ。まずはちゃんとお礼を伝えなければならない。言葉によるコミュニケーション。それは精霊メティアが人間に与えた大いなる知恵の一つなのだから。
「改めて、助けていただいてありがとうございます」
「礼を言われる謂れはねぇよ」
すげなく返される。やっぱりこの人苦手だ。
「ゲルグさ、あ! ゲルグはえっと、その、泥棒さん、ですよね?」
思わず敬称をつけそうになって、慌てて言い直す。
「あぁ、ちんけな盗人だ、それがどうした?」
本当に疑問だ。なんでそんな泥棒さんが、私達を助けようとしたのか。
「どうして、私達を助けようと? 貴方の行動は精霊メティアに高く評価されると思います。人助けをする、誰しもに備わっている普通の感覚です。ですが、危険であることには変わりません。なので……」
あれこれ言って長くなってしまったが、伝わっただろうか。私の疑問は。
「気まぐれだ。気まぐれ」
「気まぐれ」、か。普通の人間は気まぐれでここまでのことはしない。ましてや、王都で泥棒なんてやっていた彼の境遇を考えるとありえない。
でもこれ以上聞いても、本心は聞き出せないだろう。私は勝手に心のなかでそう結論づけた。
「はぁ……」
少しだけ認識を改めた。このゲルグという男性は、何かしらの信念を以って私達を助けたのだろう、と。それが善性や良心に基づいたものなのかはわからない。でもその時、私は少しだけ彼を信じることに決めた。
アリスタード大陸を出て、テラガルドの魔女、ジョーマ様の屋敷に招かれた。いや、招かれたというのは語弊がある。強制的に連れ去られたというのが正しいかもしれない。その事自体に思うところはない。最初、警戒しはしたが、聞けばゲルグとジョーマ様は既知の仲らしい。
彼はその境遇からは考えられないほど博学だ。その知識にどれだけ助けられたのかわからない。と思えば、全然知らないこともあったりする。けれども、そもそも彼のような人間があれほどの知識を有していること自体が異常だ。
でも、それも納得がいった。テラガルドの魔女。彼女と知り合いなのだ。何かしらの知恵を授けられたのだろうことは容易に予想がつく。
そして、ジョーマ様の屋敷で、私達の修行が始まった。ジョーマ様自ら修行をつけてくれるとのことだ。うん、頑張ろう。そう思った。
でも、それも一週間と数日経つまでだった。
ジョーマ様の言う結界。それが私の、私達の精神を侵していく。
私は生来それほど陽気な人間ではない。どちらかと言うと内省的で、内罰的な人間だ。その自覚がある。彼女の結界はそんな私の見られたくない部分を悪辣に暴き出す厭らしいものだった。
ひたすらに気分が沈む。神官の私は魔物や魔族と、直接戦うことができない。そのことを何度歯噛みしたかわからない。アスナ様が、キース様が、エリナ様が、身を挺して私を守ってくれる。私は傷ついた彼らの治療をすることしかできない。
と言っても、神聖魔法の中に支援する魔法もある。物理守護や、魔力保護等がそれだ。でもどうしても他者を攻撃する魔法に適性は無かった。沢山の精霊と契約はした。でも、他者を害する魔法は一つも使えるようにならなかった。
私に使えるのは「神聖魔法」というジャンルに属される魔法だけだった。他者を治癒する。他者を支援する。それだけ。
死にたくなる。どうしようもなく死にたくなる。自分の無価値さが否応無しに自覚させられる。
その頃から、夢見も悪くなった。悪夢を見るのだ。魔王の城。そこでの戦い。アスナ様が、キース様が、エリナ様が、次々と傷ついていく。私はそれを治癒することしかできない。支援魔法も完璧ではない。強力な魔物、魔族の攻撃は魔法で作り上げた障壁をやすやすと破る。
彼らが傷つく度に、私は駆け寄って、治癒をかける。確かにそれで傷は治る。だが、傷つく時の痛み。それを癒やすことはできない。
痛かったろうな。辛かったろうな。私は彼らに守られて、傷一つ負っていない。負い目を感じる私を誰が責められるだろう。
「う、夢か……」
ジョーマ様の屋敷。その奥にある広い部屋。ベッドで随分と魘されていたゲルグが目を覚ましたようだ。
「あ、ゲルグ……」
「ん? あぁ、ミリアか。お前さんも目が覚めたのか」
「はい。ちょっと夢見が悪くて……」
ちょっとだけ、嘘を吐いた。今日は一睡もしていない。眠ると悪夢を見る。それが怖い。
「んで?」
ゲルグが起き上がって私を見つめる。そうか、この時だ。彼の瞳の優しさに気づいたのは。
「はい?」
「どんな夢見たんだよ」
夢の内容。それ自体を話すことは構わない。でも、その怖さを彼に伝えるのは何故かとても躊躇された。でも何故だろう。自分でも意図せず、口が勝手に動いていた。
「いえ、大した夢じゃないですよ。魔王の城。そこで戦ったあの日の夢です」
彼が少しばかり顔をしかめた。どんな思いでそんな表情を浮かべたのかは私にはわからない。でもそんなことはあまり関係なかった。口が次々と勝手に動き出す。今日の私はどこかおかしい。
「何万と押し寄せる魔物、魔族。アスナ様が、キース様が、エリナ様が果敢にも立ち向かいました。私は攻撃は得意ではありません。皆様が傷ついていくのを、ただただ回復して、魔法で援護して、それだけしかできませんでした」
あぁ、言ってしまった。ここまで言うつもりはなかったのに。
でも、彼から次に発せられた言葉に私は驚いてしまった。
「それで十分じゃねぇのか?」
彼は、「なんでそんなこと悩んでんのか理解できない」、みたいな顔で私を見ている。何故だろう。凄く気分が軽くなった。
そこからは彼と色々と話した。分かった気がした。アスナ様が彼を「必要」だと、そう仰った意味が。
彼は泥棒さんだ。でも、良い人だ。偽悪的で、粗野で、乱暴。それでも、その心の底には私達と同じ、いや、それ以上に優しく正しい心が根ざしている。
私が彼を褒めると、必ず彼は自分を、「そんな大層な人間じゃない」、なんて言う。それは違うんですよ、と何度言いかけたか分からない。でもそんなことを言おうとすると彼は恥ずかしいのかそっぽを向く。
そうか。彼は誰よりも大人なんだ。年齢ではない。精神ではない。その在り方が。
その頃からだっただろうか。彼を目で追いかける癖がついたのは。
私が「神官を辞める」と決意したときも、誰もが反対する中、彼だけがその想いをそのまま受け止めてくれた。それが凄く嬉しく感じた。
それと同じ頃だろうか。彼がアスナ様をずっと目で追いかけていることに気づいた。それが無性に嫌だと感じてしまった。
正直に言おう。神官を辞めたいと思ったのは、そのことも理由の一つだ。私はもう、精霊メティアに貞節を捧げられない。そう思った。この感情の名前、それを私は知っている。「嫉妬」だ。
ジョーマ様の修行も一通り終え――私だけは何故か修行らしい修行をつけてもらえなかったけども――、帝都に向かう道すがら財の精霊とゲルグの契約が成立した。
彼の初めての精霊との契約。これから彼が高位魔法を使うことができる。その事実に素直に喜んだ。自分のことのように嬉しかった。
その時の私の表情は誰から見ても、舞い上がっていただろう。他人のことにここまで舞い上がれるなんて私だって思っていなかった。
そんな私にエリナ様が声をかけてきた。
「ちょっと、ミリア……来て」
なんだろう? エリナ様が私にわざわざ時間を割いて話があるなんてあまり無い。無かった。
「はい? エリナ様」
私はエリナ様に促されて、皆様から遠く離れた場所に移動した。
「ミリア……、アンタもしかしてなんだけどさ。あの悪党のこと、す、……、いや、ゲルグのことどう思ってる?」
頭が真っ白になる。確かに嘘は上手じゃない。でも、ここまで早く他の人に自分の気持ちを勘付かれるとは思っていなかったのだ。
「は? いや、え。べ、べべべ、別にそんなんじゃ」
「……ミリア、その反応がそのまま答えになってるってわかってる? はーっ……、アンタ……男の趣味悪すぎ……」
アスナもだけど、とエリナ様が小さく呟く。そうか。アスナ様も彼のことが好きなのかな? ちょっと嫌な気分になった。いけないいけない。
「あのね、アイツは駄目。ぜーったい駄目。他の男ならいいわ。でもアイツだけはぜーったい駄目!」
彼女の、彼を全否定するような言葉に、自然と顔が強張った。強張ったのが自分でもわかった。
「……どうして、ですか?」
「神官辞めたい、なんて言い出し始めたのも、それが原因?」
「……」
答えない。彼を好きになったから神官を辞める。そんなの人として浅まし過ぎる。
「ゲルグはね、悪党なの。泥棒なのよ。今更アイツが生き方を変えられるなんて思わないわ、アタシはね。だから駄目。アスナはアタシが幸せにするけど、ミリアにもアタシ、幸せになって欲しいもの」
「……幸せ、ってなんですか? エリナ様の仰る幸せって」
「……ごめん。怒った?」
怒ってはいない。いや、怒っているのかもしれない。自分でもよくわからない。ぐるぐるぐるぐる、頭の中をいろんな考えが巡って、そして消えていく。
「苦労、してほしくないの。泣いてほしくないの。アタシ、ミリアのこと好きよ。大事な仲間だし、友達だって思ってる」
「……ありがとうございます」
「だから、ゲルグは駄目。アイツ、ミリアを不幸にする未来しか見えないのよ……。アイツは悪党。きっと今の状況が全部終わったら、きっとまた元の生活に戻る。ミリアはそれを許せる?」
許せるはずがない。他人からものを奪って生きていくのは悪いことだ。そんなの私にだってわかってる。
「……許しません」
「でしょ?」
「……でも、どうしようも無いんです。自分でも、どうしようも……」
気づいたら、頬を熱い雫が伝っていた。そう、どうしようもないんだ。だって、もう……。
「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと、泣かないでよ! あーもう。……恨むわよ、ゲルグ……あんのクソ小悪党」
どうしようもない、どうしようもない、とただただ壊れた何かのようにつぶやき続ける私の肩を、背中を、エリナ様がさすってくださった。その温もりに、感情の発露は止まらない。涙が次から次へ溢れてくる。もう止まらない。止められない。
「あー、うん。わかった。わかったわ。保留!」
「ほ、りゅう?」
「うん! ミリアがゲルグのことをどう思ってても一旦アタシは気にしない! 今はね。今は……」
「……はい」
「どう思ってるのかも、もう聞かない。一旦はね。それで良い?」
「……はい、ありがとうございます」
「あーもう、お礼なんて言わないで……。なんか申し訳なくなってくるから……。アタシが野暮だった。そうよね。もうどうしようもないんだもんね。ミリアにもどうしようもできないんでしょ?」
小さく首を縦に振る。
「だから、この話は一旦これでお終い。さ、泣き止んで。可愛い顔が台無しじゃない」
エリナ様が懐からハンカチを取り出して、涙を拭ってくれる。にっこりと慈しむように笑ったその笑顔が、何故か心に痛かった。ごめんなさい。心配してくれてるのに。ごめんなさい。気にかけてくれてるのに。
――私にももう、どうしようもないんです。
後編に続く~!
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