第三話:お前さんは、そうやって笑ってろ。馬鹿みてぇに。お人好しなまんまで。人畜無害に笑ってろ
俺の強がりにアスナは涙を流しながら小さく頷く。ここで、強情に「良いから王宮に私を連れてけ」だとか言わなくて本当に助かった。時間が無い。とにかく、身を隠さなきゃいけねぇ。
幸いにも、俺のねぐらはこの都中を探しても誰一人として把握していない。いや、ゲン爺ぐらいは把握してるかもしれねぇ。だが、あの爺も小悪党だ。脛に傷を持つ人間であることを十二分に認識してやがるあのジジィが、俺のねぐらを訪ねてきて、アスナを連れて王宮に連れて行くなんて考えるほど馬鹿じゃねぇ。一緒にしょっぴかれるのぐらいわかってるはずだ。
未だにすすり泣くアスナを落ち着かせるのは後からやるとして、とにかく俺はアスナを引きずって隠し部屋に戻る。途中でさっきの国王からの放送を聞いて起きてきたのであろう住人を何人か見かけたが、アスナは目深にフードを被っている。怪しまれはしても、こいつが「勇者サマ」だってことは気づかねぇ。気づいたとしても、その頃には俺達はもう数百歩は走り去っている。そんなスピードだ。
程なくして、俺のねぐらに辿り着く。右を見て、左を見て、ついでに上も見て、誰も見ていないこと、誰もいないことを確認したあとで、隠し扉を開け、その中にアスナを押し込む。勿論その後で俺も中に潜り込む。
さて、ここからは作戦会議の時間だ。俺はちっぽけな盗人だ。小悪党だ。民家やら、貧乏貴族の屋敷やらには忍び込んだことはあるが、王宮に忍び込んだことは流石に無い。忍び込もうと思えば忍び込める自信はある。だが、そんなリスクを取って、それに見合ったリターンがあるとは到底思えなかったからだ。
未だにすすり泣くアスナを呆れ顔で見る。そんな暇ねぇってわかってんのかな、こいつ。
「アスナ。泣き止め。泣いてる暇なんてねぇ」
「……ん。わかってる」
ぐずぐず、と鼻をすすって、目をこする。どうにかこうにか涙は止まったようだ。目が充血しているのが、ちょっとばかし笑えるが、それはまぁどうでもいい。
「お前さん、王宮の構造はわかってるか?」
「ん。わかってる」
「じゃあ、お袋さんと仲間が捕まってる場所は? 当たりつくか?」
「なんとなく」
その「なんとなく」が、的中してればいいものだが。とは言っても、それが正解しているかどうかの確実性を疑っている暇がないことも事実だ。あぁ、リスクだらけだ。おぉ、怖え、怖え。正直身体が震えそうだ。でも、俺もいい歳こいたおっさんだ。ガキの手前怯えた素振りなんて見せらんねぇ。
「よし。じゃあ、道案内はお前さんだ。いいな」
「ん」
道案内役は決まった。だが、大事なことをこいつに念押ししておく必要がある。
「一つ聞いておきたい。お前さん、戦えるか?」
「……」
無言。人を傷つけたくない。その志はご立派だよ。だが、もうそうも言ってられねぇ状況だっていうのは理解してもらわにゃいかん。
「殺さなくても良い。峰打ち……ってもその剣、両刃だな。鞘つけたままぶん殴れ。それぐらいはできんだろ?」
「……ん。頑張る」
「良い返事だ。俺は荒事ってなれば、お前さんと比べりゃ月とスッポンだ。後ろから忍び寄って気絶させるぐらいはできるし、一対一、多く見積もって一対三ぐらいまでならなんとかできる。だが、万一見つかって、大勢に囲まれたときゃ、お前さんが頼りだ」
「わかった」
充血させて、泣きはらした目で、それでもその瞳を決意の色に染めてアスナが頷く。
「王宮の人員配置は?」
「ごめんなさい。そこまでは」
「だろうな。いい、いい。そもそも期待してなかった」
期待してなかった、というのは出任せだ。本当はちょっとばかし期待していた。まぁ、そこまでこのガキに求めるのも酷な話だということも理解している。しかし、行き当りばったりか。マジでリスクしかねぇ。ため息を吐きたくなるのを必死でこらえる。
「オーケだ。決行は、日付が変わった頃。王宮の警備も手薄になってるはずだ」
そう願いたい。だが、その可能性は低いだろう。ついさっき、国王が大々的にアスナの罪状と、人質がいることを喧伝したばかりなのだ。あちらもそれなりの準備はしてるはずだ。むしろ警備が厳重になってることさえ考えられる。とはいえ、気休めも大事だ。勇者サマが、「厳重な警備」なんかに震え上がるのかどうかは知らないが、ガキは知らなくていいことってのがゴマンとある。
「それまでは?」
「あん?」
「それまでは何をすれば良い?」
「息をひそめる。それだけだ。今日中にお前さんの手配書が世界中に公布される。それを見て、他の国がどう対応するのかは俺にはわからん。だが、少なくともこの国ではお前さんは百万ゴールドの賞金首だ。文字を読めるやつばかりじゃねぇが、それでもこの王都に関しちゃ噂が広まるのは早い」
百万ゴールド。百万ゴールドかぁ。一生遊んで暮らせる金だな。っといかんいかん、思考が邪な方向に行っていた。俺の存在自体が邪だ、なんてツッコミは野暮だ。
「……賞金首……」
「あぁ、この都中の一攫千金を夢見た馬鹿共がお前さんを狙いにくる。でも安心しろ、この場所は少なくとも安全だ。ゲン爺ぐらいしか知らない」
「ゲン爺?」
「あぁ、盗品を扱ってる古物商だよ」
「盗品……もしかしてゲルグって、悪い人?」
おいおいおい、今更かよ。最初に俺がお前さんの身ぐるみはがそうとした時点で気づけよ。
「悪い人だよ。ちんけな盗人だ」
「泥棒は悪いこと。ね、やめよ?」
「うるせぇよ。その泥棒に匿われてるお前さんが言うんじゃねぇ」
アスナがぷくっと頬を膨らませる。そんな顔しても、俺が盗人だって事実は変わんねぇんだよ。ま、その稼業も今日で終いだがな。少なくともこの街じゃ。
「ま、とにかく、今は休んどけ」
「話、逸らした」
「うるせぇよ。お前さんのせいで俺のちっぽけな稼業も閉店ガラガラなんだっつーの」
あ、やべ。こんなこと言ったら、この後このガキがどんなこと言い出すかわかってたはずじゃねぇか。ほらぁ、やっぱりちょっと悲しそうに顔を俯かせてやがる。っとーにイライラするやつだ。それ以上にイライラするのは、そんな迂闊な発言をした俺自身だが。
「……やっぱり、ゲルグ。私を王宮に」
「それ以上言うな。怒るぞ」
「……もう怒ってる」
大人げない。全く大人げない。これじゃただの八つ当たりだ。相手はガキだぞ? 深呼吸、深呼吸。
「とにかく、休め。俺は外の様子を見てくる」
「ん」
アスナがブランケットに包まってもぞもぞと横になるのを見届けてから、俺はねぐらを抜け出すのだった。
周囲を警戒しながら、隠し部屋をそっと抜け出す。さて、向かうのは街の中心。ガルム・アリスタード広場だ。初代国王の名前がついた仰々しいその広場は、今や王都に住む人間の、憩いの場兼情報収集の場だ。おばはんどもが、井戸端会議を開き、安息日でもないのにフラフラと酔っ払った中年どもがゲラゲラ笑いながら雑談に興じる。そんな場所だ。
勿論、国からの正式な発表がなされる掲示板もその広場には据え置かれている。俺の目的はそれと、それに群がる群衆共だ。
路地裏を抜け、大通りに出る。街の中心部まではそれほど遠くない。俺はできる限り一般人に見えるように、何気ない風を装いながら歩く。こういうときに足音を消したりとかはかえって逆効果なことは経験からわかっている。わざと、靴音を鳴らし、少しばかりイキったおっさんを精一杯演技する。
広場が見えてきた。俺の演技は完璧だ。これでも二十年近く泥棒稼業を続けている。お天道様に顔向け出来ない稼業をしながら、未だにこうやって生き永らえているのが何よりの証拠だ。すれ違う人間は誰しも俺に疑問一つ抱かない。
その半径にして数百歩ほどもある広場には、いつもじゃありえないほどの人間が集まっていた。その中心は、国が据え置いた掲示板だ。どれどれ、と少し高めの身長を背伸びして、さらに高めて目を凝らして掲示板を見遣る。
あぁ、あったよ。ど畜生。しっかりと「指名手配」の文字と共に、アスナの人相が記された巨大な張り紙が張られていた。ご丁寧に「生死問わず」とまでついてやがる。
群衆が、集まった有象無象どもが口々に勝手なことを言ってやがる。俺は耳をすまして、並み居る無数の群衆が口々に話す内容に耳を傾ける。これも泥棒稼業で身につけた技能の一つだ。盗人ってのはな、周囲の音やら気配に敏感じゃなきゃ務まんねぇんだよ。
「何書かれてんだ? 誰か教えてくれよ!」
「勇者様が指名手配ですって」
「あの勇者様がそんなことするように見える?」
「魔王を倒したってんだ。ちょっとぐらい天狗になったっておかしくねぇよなぁ」
「あんな人畜無害そうな顔して、極悪人だったのねぇ」
「あの勇者が重罪人とは、俄に信じられんなぁ」
「国家転覆するぐらいの力はあるだろうな。魔王を倒したぐらいだし」
「いつかやると思ってたわ。あぁいう、『私お人好しです~』って顔してる子は、そういうもんよ。裏があるに決まってるわ」
「しかし、百万ゴールドか。一生遊んで暮らせるじゃねぇか」
「でも、魔王を倒した勇者だぞ? 捕まえられるか?」
「まだガキっぽい顔してんじゃねぇか。どうとでもなる」
っとーに、好き勝手言ってやがる。懐疑的な発言が二割。信じ切ってる馬鹿が四割。賞金額に目がくらんでるのが三割、ってとこか。
賞金に目がくらんでる連中が厄介だ。アスナの姿を見た瞬間に捕まえようとするだろう。こいつらには絶対にエンカウントさせちゃいけねぇ。仮にも勇者なんて存在が簡単に捕まるとは思っちゃいねぇが、警戒しとくにこしたことはない。
あとは信じ切ってる連中もだ。アスナの顔を見た瞬間、悲鳴を上げて衛兵を呼ぼうとするだろう。ばれないようにしねぇとな。衛兵に囲まれたら流石にやばい。アスナがそいつらをぶっ殺せたらいいが、アイツはそんなタマじゃねぇ。
顎に手を当てて、うんうんうなりながらそんなことを考えていると、背後から声が掛けられた。同時に肩を叩かれる。誰だよ、今考えごとしてんだ。邪魔すんな。そう思いながら振り返る。見知った顔がそこにはいた。
「よぉ、ゲルグ。お前も百万ゴールド目当てか?」
盗人ではないが、こいつも叩けば埃しかでねぇ人間の一人だ。俺とは五年ぐらいの仲。好きなタイプじゃねぇが、かといって排除するほどでもねぇ。その程度の関係だ。
ここでボロを出すのはまずい。俺はニヤリと笑って、賞金に目がくらんだ馬鹿を演じることに決めた。
「あぁ。百万ゴールドだとよ。一生遊んでも釣りがくる」
「だよなぁ。俺も一攫千金狙ってみるかねぇ」
「だが、相手は勇者だぜ? どうにかなるもんか?」
「そこはそれ、俺らの腕の見せどころだろ?」
どの腕の見せどころなのかはよくわからない。こいつは何時だって自信過剰だ。端的に馬鹿だ。そういうところが好きになれない。早死にするタイプだろうな。別にこいつが死んでもどーだっていいから、指摘なんて絶対してやらねぇが。
「ま、お互いせいぜい頑張ろうや、ゲルグ」
「あぁ、お前もな」
しかし、こんなやつまで賞金に目がくらんでるとなると、いよいよ厄介だ。ゲン爺も信用できなくなってくる。あいつ、俺がいねぇ間にねぐらに忍び込んでアスナを口先三寸でさらってったりしねぇよな? いや、心配し過ぎか。ゲン爺は間違っても善人じゃねぇが、馬鹿でもねぇ。勇者に手を出す。それがどういうことなのかはっきりと理解しているはずだ。
上機嫌に下品な笑い声を響かせながら去っていくクソ野郎の背中を見送ってから、俺はねぐらに戻ることにした。やれやれと肩をすくめて、今の現状が予想通りすぎる最悪な状況になっていることに辟易としながらな。
「おかえり。ゲルグ」
「んだ。寝てろっつったろ」
「なんだか眠れなくて」
勇者サマでも緊張で眠れなくなる、なんてあるもんなのか。へえぇ、と少しばかり驚く。人並みの感性をこのガキが持っていたことが驚きだ。もっとにぶちんで、天然ボケなアホガキかと勘違いしてたよ。
「率直に言うぞ。もう、手配書が出てやがった。お前さんの面は大勢に割れてると思っていい。十分に気をつけるこった」
「ん」
アスナが神妙な顔で俺の言葉に応える。決行は今夜だ。行き当りばったりだ。どう考えてもリスクしかねぇ。
なんだって俺はこんな面倒くさいことに手をだしちまったんだろうな。自問自答は終わらない。昨日からずっとだ。安臭い同情か? ちっぽけな良心がうずいたのか? 人助けなんて柄じゃねぇ。本当に柄じゃねぇ。
そんな俺の神妙な顔を見て、アスナが昨日の夜のように「ふふ」と小さく笑う。なんっつーか、見ただけで他人を安心させるような、暗闇の中からすくい上げてくれるような、そんな笑顔だ。俺はちょっとばかし見惚れる。いや、そういうんじゃねぇ。そういうんじゃねぇが、うん。なんっつーか、こいつが勇者なんて大層なものだってことが思い知らされた、そんな気がした。
「ゲルグ。難しい顔してる」
難しい顔するに決まってんだろ。馬鹿かこいつは。
だが、今のアスナの笑顔でなんとなくわかった、気がした。こいつがこうやって小さく微笑む。そんな世界を作ってやりてぇ。そう思っちまったんだ。
俺にゃ両親なんざいなかった。親の愛情なんて知らねぇ。でも、もし俺に子供がいたとすれば、その笑顔を、アスナの今浮かべた微笑みみたいなもんを精一杯守ろうとするだろう。多分そんなもんなんだろうな。自分でもよくわかんねぇ。よくわかんねぇよ。
でもそれだって、それだけだって理由には十分だ。
「……お前さんは」
「え?」
「お前さんは、そうやって笑ってろ。馬鹿みてぇに。お人好しなまんまで。人畜無害に笑ってろ」
アスナが、何言ってんだ、このおっさん、みたいな表情で俺を見つめる。やめろ。俺だって恥ずかしいんだ。つい口を突いて出た言葉を後悔する程度には。
「なんもかんも成功させる。おっさん舐めんな。小悪党舐めんな。俺が、成功、させてやる」
あまりにも非力な言葉だとは思う。俺はただのチンケな泥棒。こいつは世界を救った勇者サマ。どの口が言ってんだ、って自分でも思うよ。あぁ、思う思う。
だけど、それでも、その言葉にアスナは安心したような、守ってもらえる場所を見つけたような、そんな満面な笑みを浮かべた。つられて俺も笑った。
さぁて、踏ん張りどころだ。死なねぇように、気張りますかぁ。あぁ、怖ぇ……。
王宮に忍び込むことが決定しました。
忍び込めんのか? 大丈夫です。
ちゃーんと主人公補正がかかっています。
主にアスナに。
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