第十七話:求婚されたのが私だったとしても、ゲルグは……
ドンドン、という音で強制的に目が覚める。ぼんやりした頭で、あぁ、ノックされてんな、なんて思う。なんだってんだ。まだ五時間程度しか寝てねぇぞ。おっさんには辛いんだぞ? わかってるか? ほら、まだお天道様も南に登っちゃいねぇじゃねぇか。昼過ぎまで惰眠を貪るつもりだったんだがな。
俺はしぱしぱする目をこすりながら、フラフラする頭をよっこらせと持ち上げ、上体を起こして「いいぞ」と声を出す。しっかし眠ぃ。そんな俺なんてお構いなしに、扉がゆっくりと開けられた。
「んだ、アスナか。どしたよ」
「……」
アスナが俺の姿を確認し、如何とも言い難い表情を浮かべ、少しばかり躊躇するような素振りを見せてから、数秒後。俺に向かって全力疾走してきた。そんでもってタックル。ってぇ。お前の力量でタックルされりゃあな、いくら手加減されていたとしても結構な衝撃なんだぞ? なんだってんだ、一体。
「……ゲルグ……」
「どうした」
「……なんでもない」
なんでも無いわけあるかよ。ならなんで、お前は俺に向かって全力タックル決めてんだ。ったく。
「バーカ。そんな嘘通用するかよ。何があった? 話せ」
「……ゲルグにはお見通し。悔しい」
「悔しがってる場合だよ。んで? 何があった?」
アスナが俺の胸にグリグリーっとこすりつけていた顔をゆっくりと離して、上目遣いで俺を見る。うん、なんだ。素直に可愛いとは思う。いや、違う。そういうんじゃねぇ。俺は断じてロリコンじゃねぇ。って誰に言い訳してんだ俺? あぁ、今この瞬間も覗いてるかもしれねぇババァにか。そういうことにしとこう。
「……嫌いにならない?」
「何いってんだ? 嫌いもクソもねぇだろうが。お前のこと嫌いだったらここまで付いてきてねぇだろうがよ」
「ん……」
なんだ、っとーに。何があったんだっつーの。
アスナが、俺の瞳を覗き込み、そんでもってそらす。で、数秒後にはその青白い瞳がうるうるしだして、遂には涙をぽろりと流した。
「……ヘンリー陛下が……」
こいつの涙と、口から出てきた「ヘンリー陛下」という名前に、俺の脳味噌が一気に沸点に達する。
「なんだ! あのクソイケメン! なんかしやがったのか!? 寝込み襲われたのか!?」
「いや、違う。そうじゃない……」
なんだ、そうじゃないのか。なら良かった。うん、落ち着け、俺。
「朝、呼び出されて……」
「おう」
「結婚してくれ、って」
「は?」
予想外の言葉に俺の頭が回転を止める。なんて言った? 今。「結婚」とか言ったか? 俺の聞き間違いか?
「す、すまん。もっかい」
「ヘンリー陛下が、結婚してくれ、って」
「はぁ?」
け、っこん? どゆこと? いや、マジで。あのクソイケメンが何考えてるか全っ然わからねぇ。ってか、ロリコンだったの? ねぇ、ロリコンなの? いや、やんごとなき連中は、十二歳の嫁さんを貰うとかって話だ。ロリコンかもしれねぇが、まぁ別におかしい話でもねぇ、のか?
それよりもわからねぇのが、こいつの反応だ。別に「結婚してくれ」って言われたなら「嫌です」って断わりゃいい話じゃねぇのか? んなもん、皇帝陛下だろうがなんだろうが、女をモノにするにゃお互いの合意が必要だろうがよ。クソ喰らえの一言で万事解決だろうが。それに、こいつは「勇者」だ。世界の英雄だぞ? いくら皇帝なんて立場のクソイケメンだからっていって、強制的にこいつをどうこうするとかはできねぇはずだ。
俺は未だにポロポロポロポロ涙を流すアスナの肩に手を添える。
「んなもん、お前が『嫌だ』って言や、済む話だろうがよ。いや、結婚したいなら止めねぇが」
その言葉の何がこいつの琴線に触れたのか知らねぇが、涙の勢いは更に強くなっていく。おいおい、そんな泣くんじゃねぇ。童貞のおっさん舐めんなよ? 女心なんて理解できねぇからこの歳まで童貞なんだよ。あ、考えてて悲しくなってきた。
「……結婚しないと、国際手配、取り下げないって。即刻全員捕縛してアリスタードに引き渡す……って」
アスナのその言葉に俺の脳の血管がプツリ、と切れる音がした。アスナを引き離して、無言で立ち上がる。
「……ゲルグ?」
「あのクソイケメンのところに行ってくる」
「ま、待って!」
「うるせぇ。待たねぇ!」
アスナが俺のシャツの裾を引っ張って止める。流石勇者だ。その細っこい腕からは予測できねぇぐらいの力だ。びくとも動けねぇ。ついにはシャツを引っ張るのを辞めて、俺の腹あたりにしがみつく。
「離せ。あのクソイケメンには言ってやりてぇことが山程あんだよ」
「み、皆と相談、してから!」
「んなクソみてぇな暇あるかよ!」
そんな風に、アスナと押し問答を繰り広げていると、他の連中が「なんだなんだ」と起きてきた。扉はアスナが開けっ放し。あ、やべ。この後の展開が容易に想像できてきた。
傍から見りゃな、アスナが背中から俺に抱きついていて、俺がなんか憤慨してるっていうそういう図式だ。誤解しか招かねぇ。
「うるっさいわねぇ。ゲルグ。今何時だと思って、……アスナ! なんで泣いてるの!? ゲルグ! アンタ何したの!?」
「な、何もしてねぇ!」
「ゲルグ……最低です」
「ミリア! 誤解だって言ってんだろ!」
「ゲルグ……俺は、貴様を悪党だとは思っていたが、そういうことはしない人間だと思っていたのだがな」
「キース。うるせぇ。死ね」
あー、もう。しっちゃかめっちゃかだよ。クソッタレが!
「で、アスナが求婚されたってことね。で、ゲルグがブチギレてクソイケメンに殴り込みに行こうとした、と」
「ん」
なんとかアスナが拙いながらも事情を説明して、俺のペドフェリア性犯罪者という汚名は雪がれた。よかった。あと数秒遅かったらミリアの支援魔法で底上げされた魔力によるエリナの爆殺魔法で粉々になっていたところだった。
「す、すみません。ゲルグ。貴方のお話も聞かずに……」
「いい、いい。悪党扱いされるのには慣れてる。っていうか悪党だしな」
「いえ、すみません。アスナ様の状況に憤り、そして一人でも直談判に行こうとしたこと。尊敬します」
そんな大層なもんじゃねぇよ。ただ一発ぶん殴ってやろうと思っただけだ。直談判? そういうレベルじゃねぇ。
「俺と結婚しねぇと仲間達の命はねぇぞ?」ってそう言ってんだ。あのクソイケメンは。ほーら。やっぱり悪意の塊じゃねぇか。きな臭ぇ、きな臭ぇ、と思っていた俺の直感は正しかったわけだ。
「まぁ、アスナ様の解釈が間違っている可能性もある。皆で話を聞きに行くのがいいだろう」
珍しくまともなコト言ってんじゃねぇよ。脳筋が。だが、その意見は悔しいが大賛成だ。頭が冷えた俺からすると、ぶん殴りに行くのは流石に軽率だったとちょい反省してる。
「んじゃ、行くわよ。あんのクソイケメン……どう料理してやろうかしら……」
おーい、エリナさーん。話に行くんじゃねぇのか? さっきまでの俺と一緒だぞ、それじゃ。
エリナが未だにグズグズしているアスナの肩を抱いて、キースがその後に続いて部屋を出ていく。
さて、俺も行くか、と歩き出そうとした時、ミリアが俺のシャツを引っ張った。
「あの、ゲルグ……」
「んだ? 行っちまうぞ? エリナ達」
「あ、いえそうなのですが。……聞きたいことがありまして」
「なんだ?」
「……えっと、あの。求婚されたのが私だったとしても、ゲルグは……いえ、忘れて下さい」
その言葉の続きは流石にわかるよ。察しの悪い俺でもな。
「あのな。俺だってお前らを仲間だと思ってる。仲間が『結婚しないとどうなるかわからんぞ』なんて言われて、黙ってられる程人間できてねぇよ」
そんな俺の台詞に、ミリアは少しばかり嬉しそうな、それでいてちょっとだけ残念そうな、そんな顔をした。ん? どういう感情なんだよ。その顔。
「……仲間……ですよねー。はい、わかってまーした」
「さ、行くぞ。置いてかれんぞ」
「は、はいー!」
俺とミリアはエリナ達に追いつかんと足早に廊下を駆けていくのだった。
皇帝の謁見室。その前にはセドリックが立っていた。
「いらっしゃると思っていました。皇帝陛下がお待ちです」
俺達が来るのなんてわかってたってことか。いい度胸してんじゃねぇか。怖ぇぞ? 俺らをブチギレさせたら。主にエリナがな。もうすでに右手に炎球を浮かべてやがる。それでなにするつもりだ。やめろ。俺はエリナの右手を引っ張って止める。
「何すんのよ。ゲルグ」
「話、すんだろうがよ。物騒なこたナシだ。そういうコトになったろ?」
「や、やぁねぇ。寒かったから温まろうとしてただけよ」
その言い訳苦しすぎるぞ。今、夏に差し掛かろうとしてるんだが。
「そんな目で見ないでよ。分かってる。分かってるから」
セドリックがそんな俺らのやり取りを尻目に、ドアをノックする。っていうかこいつも結構豪胆だよな。エリナの「ぶっ殺す」みてぇなオーラを目の当たりにしても何も言やしねぇんだから。皇帝とやらが心配じゃねぇのか?
「……ゲルグ。さっきの、よろしく」
エリナが俺に耳打ちをする。さっきの? あぁ、魅了のことか。いや、俺殺されたくねぇんだが。
「殺さないから。ぶん殴って」
殺さないなら、まぁ良い。その口約束がどこまで有効かについては懐疑的にもなりはするが、まぁ良い。必要なこと必要なこと。俺は言葉少なにエリナの神妙な顔に応える。
「了解」
扉が開き、俺達は謁見室に入る。入った瞬間に香ってきたのは、淫靡な香り。こりゃあれだ。娼館なんかで嗅ぐ匂いだ。男と女がイタした後の独特の匂い。
そして、数時間前に謁見したときとは違って、クソイケメンの周りには十人ほどの美女が集まっていた。裸の。ついでにクソイケメンも裸だ。
皇帝陛下サマがニヤリと笑う。
「あぁ。勇者アスナ、とその一行。よく休めたか?」
アスナが顔を青ざめさせる。クソが。こいつにこんな顔させやがって。
とりあえず、数時間前と一緒で、顔を真っ赤にして服を脱ごうとしているエリナの顔面をグーで殴る。あ、すまん。右頬を狙ったんだが、鼻っ柱に入った。
次に、ミリアの頬をペシペシと叩く。
無事二人の魅了がとけた。
「……ったいわねぇ。やっぱ殺す!」
うん。殺われるのは怖ぇんだがな。エリナ。鼻血出てるぞ。笑える。いや、出させたのは俺なんだがな。流石に見かねたミリアが治癒をかける。
鼻血も止まり、ミリアのハンカチで口元まで流れた血を拭ってもらったエリナがクソ皇帝を睨みつける。
「皇帝陛下……。いや、ヘンリー。アスナに何言ったのか、アタシにちゃんと聞かせてくれる? クソイケメン」
「エリナ。君のその性格は相変わらずみたいだね。何、簡単なことさ。結婚を申し込んだんだよ」
「それだけじゃないってアスナから聞いてるけど。あとその粗末なモンしまいなさい。侍らせてる女共もどっか行かせて。気分悪い」
「それはすまないね。侍従! 服を持て! 君たちは、ちょっと隣の部屋で待っててくれる?」
侍従の男が皇帝の服を持ってやってくる。周囲に居た女共は「えー」やら「もうちょっとだけー」とか言いながら散っていく。クソが。羨ましいことしやがって。いや、違ぇ、羨ましくなんてねぇ。ねぇったらねぇ。……羨ましいな、ちょっとだけ。
「ゲルグ。羨ましそうな顔しないでよ」
言うな。あとそれ言うならキースも同じような顔してるぞ。ほら。無言でキースを顎でしゃくる。それを見てエリナが顔をしかめる。
「……キース。後で魔法を受け止める特訓ね……」
「ひ、姫様!? いや、あの、これはですね!」
まぁいい。兎にも角にもことの真相をたしかめにゃならん。エリナに目配せをする。うん、意図は伝わったみてぇだ。
「で? ヘンリー。アスナ、泣いてたんだけど。どういうコト? 返答次第じゃ」
ただじゃおかない、そんな台詞をエリナは言っちゃいない。だが確かに聞こえた。
「誤解させてしまったみたいだね。すまない。余は『結婚してくれれば、君たちの安全は保証しよう』と伝えたんだがね」
その言葉に、エリナの怒気が膨れ上がる。
「ヘンリー。アンタね、それ『結婚しなきゃ、私達を殺す』って言ってるのと同じだって、理解、してる?」
「嫌だなぁ。そんなこと余は一言もいってないよ」
「そう取れる、ってことよ。っていうか、そのつもりなんでしょ?」
クソイケメンが立ち上がる。そして、芝居がかった様子で、両腕を広げた。
「エリナ……。色欲の呪詛を受けたこの数ヶ月。僕の苦悩はどれほどだったかわかるかい?」
「は? 分かりたくもないわよ。気持ち悪い」
「数々の美女を抱いた。普通の男なら経験出来ないほどの数だ。誰しもが余に恭順した。皆余に尻尾を振る犬だ」
ヘンリーの瞳が不穏な色に染まった。
「飽き飽きしたんだ。飽き飽きしてるんだよ。それに引き換えどうだ? 勇者アスナは余の魅了を受け付けない」
皇帝陛下サマが、その金髪を掻き上げる。美麗なその顔がぐにゃりと歪む。
「アスナ・グレンバッハーグが、余は欲しい。そのためなら手段は選ばないよ」
黙ってるつもりだったがな。もう我慢の限界だ。クソが。ぶん殴るぐらいじゃ足んねぇ。
「ヘンリーとか言ったか。クソイケメンよ」
「……ゲルグ。なにかな?」
「お前さんはな、しちゃいけねぇことをした」
しちゃいけねぇこと? そんなん一つに決まってんだろ?
「アスナは勇者だ。誰のもんでもねぇ。どこまでもまっすぐで、どこまでも純粋で、それで誰かを助けたいって、そう思って。それだけで戦ってきた奴だ」
「……それがどうかしたのかな?」
「つまりだな、てめぇみたいなクソいけすかねぇボケナスにゃ、アスナは勿体ねぇってそう言ってんだよ! エリナ! やれ!」
「火の精霊、サラマンダーに乞い願わん。有りとし汎ゆる全てを燃やし尽くす豪炎を顕現させたもれ! 爆炎!」
エリナの杖から、震え上がりそうな程激しい炎の奔流が発せられる。一国の主に牙を剥く。その意味はよーく理解している。俺だって、当然エリナもだ。
だが、それ以上にこいつはやっちゃいけねぇことをした。俺とエリナの息がぴったりなのがその証拠だ。
部屋が、クソイケメンの周りが爆炎に包まれる。
だが、炎の中から奴さんがニヤニヤしながらゆっくりと出てきた。こいつどういうことだ? 普通の人間なら死んでるぞ?
「君たちと敵対する可能性があるのに、何の対策もしてないと本気で思った? 色欲の呪詛。その真髄を見せてあげよう。呪詛による魅了は意識すれば、異性じゃなくても効くんだよ? 知ってた?」
次の瞬間、得体のしれない何がしかによって、俺の意識が刈り取られた。
「ヘンリー陛下、本性を表す」の巻、です。
いや、良い人なんですよ。少なくともアスナ達が初めて会った一年前は。
呪詛。それが如何に人間を歪めてしまうのか、怖いですね。
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とーっても励みになります。Fxxkin' Awesome!!
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