第二話:私達にとって『魔物と戦う』ことは日常でしたから
「一ヶ月、よく耐えた。褒めてつかわす」
知らない内に始まっていた精神を鍛え上げる修行とやら。それが幕を開けてから一ヶ月程が経った朝、ババァが朝飯の席で藪から棒にそう言い放った。
一ヶ月か。色々あったな。うん。エリナと殴り合い寸前までいきそうな喧嘩をしたり。ミリアが首を吊りそうになったり。キースがひたすら喘ぎ声を上げ続けたり。アスナが俺を見ていきなりぽろりと涙を流したり。それを見たエリナとまた大喧嘩したり。
うん、なんっつーか、個々人の精神構造が強制的に顕わにさせられた気もするが、気のせいだろう。気のせいだっつったら、気のせいだ。
しかしながら、最後の一週間。俺達は、精神を安定させたまま過ごすことができた。喧嘩もせず、ダウナーにもならず、大声を上げて発散させたりもせず。ババァの結界の効果が日増しに強くなっていくにも関わらず、だ。
「精神に関しては、そなたらはもう問題ないだろう」
本当にそうか? やってたことと言ったら、ババァの世話ばっかだ。ちょっとばかし疑問には思うが、そこはそれ、口には出さない。いや、なんか「やりきった!」みたいな顔してる連中を見て、それに水を差すのも馬鹿らしいじゃねぇか。
「今日からは結界はそのままに、肉体の力量を上げていく。覚悟しておくが良い」
へー、ふーん。ほー。ようやく本格的に修行っぽいことが始まるわけか。っても何すんだろうな。よくわからん。っていうか、もう一ヶ月経ってるけど、時間は問題ねぇんだろうか。まぁ、問題ねぇんだろうな。誰も気にした様子がねぇ。いや、問題あるだろ。まぁいいか。
「まずは、アスナ・グレンバッハーグよ。そなたの呪詛がどんなものなのか、実際に身をもって体感してもらう」
「ん」
ババァが尤もらしいことを言い始める。確かに、まずそこからだよなぁ。「否善の呪詛」とやらがどんなものなのか。しっかりと理解するというのは大事だろう。
んでもって、後は俺以外の連中の力の底上げ、ってとこだろう。俺もそれなりに訓練させられるんだろうが、俺が修行をしたところでまともに魔物と戦えるようになるビジョンは見えねぇ。当たり前だろ? 俺ぁアラサーのおっさんだ。努力ってなんだっけ、とか、もはやそういう歳だ。
いや、努力はしてる。してきたし、今だってしてる。だが俺の努力の方向はそういう方向じゃねぇだろ。
「次のメインは、ゲルグ。そなただ」
は? なんで俺が次のメインなんだ?
「そうだな。俺も一番それが必要だと思っている」
おい、キースやめろ。
「えぇ。必要ですね」
待てってミリア。
「そうよねぇ。クソ弱いクソ小悪党じゃお話にならないものねぇ」
だから、待て。エリナ。自然な流れで「クソ小悪党」とか呼んでんじゃねぇ。殺すぞ。
「ん。ゲルグ。頑張って」
待て待て待て。アスナ。
「久しぶりにそなたに特訓をつける日が来たようだな。まぁ、アスナ・グレンバッハーグの後だ。楽しみにしておけ」
だーかーらー、待てって言ってんだろうがよ。ババァの訓練。その厳しさが走馬灯のように思い出される。いや、ある程度、少しばかりは覚悟はしていた。覚悟はしていたがな。アスナの次の優先順位になるとは予想なんてしてねぇじゃねぇか。
「他な者にも、ちゃんと修行をつけてやる。安心するが良い。余の訓練に間違いはない」
や、てめぇの修行は確かに間違ってねぇのは経験で知ってんだ。だが、ほら。いや、本当待てって。待て。すいません、待ってください、お願いします。
俺達はババァの屋敷を出て、迷いの森の一角に移動した。迷いの森。なーんかありがちな名前だとは俺も思う。森なんて迷うもんだろ、って思う。誰だって思うだろう。俺だって最初聞きかじった時は思ったもんだ。
だが、「迷いの森」がそう呼ばれる所以はちゃんとある。
それはこの森自体が魔力によって常に護られた聖域だってことがある。迂闊に足を踏み入れたが最後。この森からでることはかなわねぇし、最奥に辿り着くこともできねぇ。そう聞いている。
それに打ち勝つためには、自分たちの誰かがこの森の有する魔力に対抗しなきゃならねぇ。一般的な凄腕の魔法使いでも苦戦するってぇ話だ。誰がどうやってこの森にそんな魔力を付与したのかは誰も知らねぇ。ババァは知ってるかもしんねぇな。
「おい、アスナ」
「ん」
「お前たちはこの迷いの森に足を踏み入れたことはあんのか?」
「ない。意味、なかったから」
あぁ、そらそうか。この森は「迷いの森」なんて大層な名前がつけられているわりに何もねぇ。今となっちゃババァの屋敷がありはするが、基本的には人を迷わせて、外に出させない、それだけの森だ。中に何があるってわけじゃねぇ。そんな話は聞いたことがない。
「さ、着いたぞ。最深部だ」
ババァが小さく声を上げる。最深部。迷いの森の最奥ってことなんだろう。
うん、魔物がうじゃうじゃいる。気配がそこかしこから感じ取れやがる。
「アスナ・グレンバッハーグよ。剣を持て」
「ん」
「とりあえず、普通に戦ってみるが良い」
ババァのその言葉を皮切りに、魔物がそこかしこから襲ってくる。他の三人が思わず自身の武器を手に取るものの、それらは全てババァに制止された。
アスナの動きは見事だった。否善の呪詛? なんじゃそりゃ。って感じだ。剣閃が走る。その度に数多の魔物が切り刻まれていく。魔法が迸る。その度に、これまた数多の魔物が塵になっていく。おー、すげぇすげぇ。
数分と経たずに、笑えるぐらいうじゃうじゃいた魔物の群れが姿を消した。いや、勿論周囲の気配を探ると、注意深くこちらを見ているような、そんな生き物がたくさんいる。だが、積極的に俺達をぶっ殺そうなんて考えを持ったやつは少なくともいなくなったようだ。
「アスナ・グレンバッハーグ。見事だ。どうだ? いつもと何か変わったところはあるか?」
「なにもない」
「だろうな。そなたは今何も考えずに魔物を屠っていた。否善の呪詛の効果は発動しない。ポジティブにもネガティブにもな」
ん? どういうこっちゃ?
「ゲルグ。いちいち、『俺わかんねぇんだけど』、と言いたげな顔をするのはやめろ」
「うるせぇよババァ。わかんねぇんだからしょうがねぇじゃねぇか」
「ミリアよ。説明してやれ」
いきなり話を振られたミリアが、あたふたとしながら、説明を始める。
「えっ、と、ですね。アスナ様は本当に何も考えないで魔物を倒していたんです。私達にとって『魔物と戦う』ことは日常でしたから。ゲルグ、貴方は朝起きて歯を磨く時、顔を洗う時、朝食を食べる時、何か考えますか?」
「いんや、何も考えねぇ。……あぁ、そういうことか」
否善の呪詛。その効果は、怒りや憎しみとか負の感情で戦う時の能力の大幅な向上。一方で誰かを救いたいとか守りたいとか、そういう感情で戦う時、苦痛が伴う、だったか。
今、アスナはなーんにも考えねぇで、頭空っぽな状態で戦ってた。それこそ、朝起きて歯ぁ磨いて、顔洗って、朝飯食うときぐれぇ。どんだけだよ、とは思いもするが、まぁそういうもんなんだろう。戦うのが日常って、素直にやべぇ。馬鹿じゃねぇのか、こいつら。
「では、こうしてみよう」
ババァがなにやらブツブツと唱えると、俺の身体が浮き上がった。おい、なにしやがる、やめろ。そんな制止の声は言葉にならなかった。どさり、と音を立てて、俺は周囲から感じられる魔物どもの気配、その中心に落とされた。
殺意が、憎しみが、絶望が、俺の身体を刺す。あぁ、そうか、魔物に狙われるってこういう感じだったなぁ。アスナ達と一緒に行動していたせいで忘れていた。
魔物どもが、「目の前の獲物を喰らい尽くす」という意思をはっきりと持って、俺めがけて集まってくる。おぉ、怖ぇ。だから魔物ってのは嫌なんだよ。人間とはまるっきり違う行動原理。人間とはまるっきり違う思考回路。それが、俺には本当に合わない。
「ゲルグ!」
叫び声を上げたアスナが魔物と俺との間に身を躍らせる。
剣を走らせる。魔法を放つ。だが、その動きはさっきまでと違って緩慢としたものだった。
アスナの頬を冷や汗が流れる。その瞳が、ほんの一瞬驚きに染まる。俺はただその様子を、なーんにもできずにぼうっと見ていた。だが、ボケッと見ていたからこそわかる。剣を振り上げるその瞬間、魔法を放つその瞬間、確かにアスナの腕が、脚が、胴が、痙攣していた。
「……っ! あ! ぐっ!」
遂には苦しそうなうめき声を上げ始めた。それでもなお、あいつは戦うことを止めない。
本人は意識してないだろう。多分無意識なんだろう。その眦からは涙が流れていた。
そうか、これが、「死にたくなるほどの苦痛」とかいうやつなんだろう。胸糞悪い。
「そこまで!」
ババァが声を張り上げて、雨あられと魔法を放った。魔物は焼かれ、爆ぜ、千切られ、斬られ、凍らされ、そして後には何もなくなった。
数十秒。数十秒だ、たったの。それなのに、アスナが肩で息をしている。さっきは息一つ乱れなかったのに、だ。周囲を見回して、そして安心したように身体から力を抜く。で、ゆっくりと全身の力が抜けたように膝を着いた。
「お、おい……」
「……ゲル……っ! グ、大丈夫?」
大丈夫じゃねぇのはお前だろ。体中が冷や汗でびしょびしょだ。眉毛を隠すぐらいの前髪が、濡れて額にくっついてやがる。んでもって、未だに全身のそこかしこがビクビクと痙攣している。顔色は真っ青だ。重病人でもあそこまで血の気のひいた顔色にゃならない。
顔をしかめながら、それでも「私は大丈夫」みたいな笑顔を必死で作ろうとしている。馬鹿か、お前は。俺の心配している場合じゃねぇだろ。
エリナとミリアが駆け寄ってくる。それぞれ思い思いにアスナを心配する声を投げかけているが、俺の頭の中には何も入ってこなかった。
あぁ、そうか。俺の強化が次のメインイベントな理由がはっきりとわかった。
「アスナ・グレンバッハーグの守るべきものは、今現在、そなただ。そなたが一番脆弱な存在だからな。エリナ・アリスタードでも、キース・グランファルドでも、ミリアでもない」
いつの間にか俺の隣に立っていたババァが偉そうに講釈を垂れ始める。うっせぇな、んなこた知ってんだよ。
「……」
「あれは酷い痛みだ。余も味わったことはない。『死にたくなるほどの苦痛』とだけしか、文献にも書かれていない。実際に味わったあやつにしか理解できないだろう」
「……るせぇ」
「人間が時折行う拷問とやら、それの何百倍、いや何千倍もの苦痛だろうな」
「……うるせぇよ。ババァ」
「それを精神力で抑え込み、見事そなたを救った。健気だと思わんか? 心底愛い小娘だ、全く」
「るせぇって言ってんのが聞こえねぇのか?」
俺は何にこんな憤ってる? いや、答えはもう出てんじゃねぇか。あんな顔、ガキがするもんじゃねぇ。俺みたいな、小汚いおっさんがすれば良い顔だ。なんで俺が今ぼけっと座り込んで、アスナがあんな顔をしている?
俺のせいだ。いやいや、そんなことはとうの昔に分かっていたはずだ。今更何を恥じる必要がある? 馬鹿か、俺は? でも、ちげぇだろ。なんかちげぇだろ。これはよ。
「強く、なりたいか?」
ババァが俺の顔を覗き込む。その、年甲斐もなく小綺麗な面が、訳知り顔で笑う顔がいつだって俺の神経を逆なでする。
「答えは、決まってんだろ」
ここでやる気にならなきゃ大人じゃ、いや男じゃねぇだろ。はーあ。全く。いい歳こいたおっさんをここまでやる気にさせて、どうしたいってんだか。ババァを一睨み。俺のそんな顔に、ババァが満足気に笑う。その笑顔が、どうしようもなく俺をイライラさせる。
「修行、よろしく頼まぁ」
「ふーっはっはっは! そんなことは最初から余の中で決定事項だ。安心しろ。そなたを、それなりに強くしてやる」
「あぁ。頼む」
俺はふらふらと立ち上がって、女三人の元へ歩いていく。エリナがその気配を敏感に感じ取って睨みつけてくるが、そんなのは知ったこっちゃない。アスナに近づくなって? うるせぇよ。お前の都合なんて知ったことか。
「アスナ。大丈夫か? 痛くねぇか?」
「ん。大丈夫」
なにが大丈夫だ。ったくよ。でも、こいつにかけられる言葉なんて俺は持っちゃいない。他でもない俺のせいで、こいつは痛がって、それでそれを必死で隠してる。
「そうか……」
俺は踵を返して、ババァのところに戻る。
「ゲルグ」
ミリアが何故か俺の後を付いてくる。やめろ、今は誰とも何も話したくねぇ。
「貴方のせいではないです。どうか、気に病まないでください」
ため息を一つ。
「ミリア。それはちと違う」
「いえ、でも、本当に貴方のせいではないのですよ」
「ちげぇ。ババァはこれからこんなことが数え切れねぇほど起こり得る、ってそう言ってる」
「……っ! 確かにそうですが……」
「だったら、俺にできることは、限られてんだろ」
俺はババァを睨みつける。
「ババァ。俺を強くしてくれ。頼む」
頭を下げる。俺が頭を下げるのなんて何年ぶりだろうか。いや、頭を下げたことなんて記憶にねぇ。生きてきてから初めてかもしれねぇ。何分反骨心旺盛な人間だったもんでよ。
「五年程前、だったか。その時とは大分顔が違っているな。ふむ。その心の在りよう。評価に値する」
「御託は良い。さっさとやるぞ」
否善の呪詛。
めっちゃ嫌な呪詛です。
アスナとは相性が笑えるぐらい悪いバッドステータスです。
でも大丈夫!!なんやかんやでなんとかなります!
主人公補正です!!アスナの!!
んでもって、なんかゲルグが年甲斐もなく頑張ろうと考え始めたみたいですね。
がんばえー。
でも、多少修行をつけてもらったところで、よわよわ主人公なのは変わらないです。
ゲルグが強くなるのはもっともっと後です。
それまでは、ちんけな泥棒さんの域を超えません。
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とーっても励みになります。嬉しくて大体吐きます。
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それは多分気絶します! ばたり!
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誠にありがとうございます。
死ねばいいんですね?死にます!!
いや、生きる!!!