第六話:良い天気だ
エリナが険しい表情で俺を見る。
「別に何もねぇよ」
「嘘ね」
心を読まれてりゃ嘘だってのもバレバレだ。
「何考えてんのよ。アンタ」
何を考えてるかって……。言えねぇだろ。こんなこと。
「思い出すわね。メティアーナからアンタが逃げ出した時。あの時とおんなじようなこと考えてるでしょ」
「逃げ出そうなんて考えてねぇよ」
「そうね。『逃げ出してやろう』みたいな感じはしないわ。もっと……。もっと深刻な……」
険しい顔で考え込むエリナを睨みつける。
やめろ。それ以上俺の心を読むんじゃねぇ。
「帰れ」
「帰らないわ。全部聞きだすまでは」
「うるせぇ。帰れ」
「アンタがアタシに指図するなっ!」
エリナの怒声が響き渡る。
「っるせぇよ。他の連中の安眠妨害だろうがよ」
「知るかっ!」
余りにも大きなその声に、流石にキースが割って入った。
「ひ、姫様。お気持ちはわかりますが、少しお静かに……」
「うーっ。わかったわよ……。静かにする。だから全部話せ」
こりゃ逃げられそうにねぇなぁ。
どうすりゃごまかせる?
「ごまかそうとしたでしょ」
そんなことまで掴まれる。心中で舌打ちを一つ。
「……てめぇにゃ関係ねぇよ」
「関係あるわよ。いいから、話しなさい」
「ひ、姫様っ」
キースが止めようとしてくれるが、こうなったエリナには意味がない。
ため息を吐く。
「もう一度言う。帰れ」
「そう。飽くまで話すつもりは無いってこと。よーく理解した。ならこっちにも考えがあるわ」
考えってなんだよ。帰れっつってんだろうがよ。
そんな俺をよそに、エリナが真剣な目で俺を見つめながらブツブツとつぶやき始めた。
「……アンタ、ゲティアをぶん殴ってたわよね」
答えない。どうせ心を読まれてその真偽はエリナにゃバレバレだ。
「神、精霊を傷つけられるのは、アスナの神薙の剣、もしくは魔法だけ……。物理的なものは通り抜ける……。それはキースが実際にやって証明してみせた……」
エリナがブツブツとつぶやきながら考え込む。
「……それを捻じ曲げて、神を殴った。つまり……」
「いいから……。さっさと帰れって」
「……まさか……。いや、でも、そんなこと、あり得るの? でも、そうなら、今までの精霊との関係性も説明がつく」
その瞳が真実の、核心に近い部分に迫っている、そんな確かな自信を滲ませた。
これだから頭の良い女は嫌いなんだよ。
「……ミリアとアスナが言ってたわね。アンタは無意識下で高度な魔力の扱い方をするって……」
何も答えない。答えられない。
ここまで来りゃ時間の問題だとしても、だ。
「魔力を無意識で身体の末端まで行き渡らせる。そんなこと普通の人間にはできない。そう普通の人間なら」
黙り込む。ただただ黙り込む。
「ジョーマ様に教えられてもできるはずがない。違う。もっと神や、精霊に近しい、何か……」
そして、エリナがボソリと呟いた。
「……精霊、そのもの?」
当てられた。流石だよ。
っとーに、こいつは。辛酸を嘗めさせられてばっかりだ。
「まさかまさかとは思ってたけど……。アンタがそんな大層な存在だったとはね」
知った時はビビったさ。俺だってな。死ぬほど、ってなるとちょい違うな。直前にいっぺん死んでるからな。死の衝撃に比べれば大したことじゃなかったのは確かだ。
「精霊メティアを殺すと、魔法が使えなくなる。それはテラガルドに顕現している大精霊も、小精霊も消えるから……」
頭を抱えそうになるのを堪える。バレちゃならねぇ奴にバレちまった。
「アンタ……消えるの?」
もう抵抗は無意味だ。しょうがねぇから、落ち着いて、なんでもないように装って返す。
「心読んでんだろ? 答える必要はねぇんじゃねぇのか?」
「ッッッカじゃないの!? それで、アンタ、『メティアをぶっ殺す』なんて息巻いてたの!? 自分が消えちゃうってわかってて!?」
怒鳴られてもどうしようもねぇだろうがよ。
なるべくして、そうなる。それだけだ。
こっちはもう納得してんだよ。そう。納得してるはずだ。
「馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけど、アンタがそこまで馬鹿だったとはね!」
「ひっ、姫様、落ち着いてくだっ!」
「っるさい! キース! 邪魔すんなっ!」
またも興奮し始めたエリナをキースが止めようとするが、暖簾に腕押しだ。意味がねぇ。
「言うんじゃねぇぞ?」
「誰によ」
「他の連中だ。アスナにも、ミリアにも」
「フランチェスカ様は?」
口を噤む。その様子を見て、エリナがため息を吐いた。
「知ってるのね」
エリナが力なくよろめく。キースが慌ててそれを抱きとめた。
「アスナが……ミリアが……。納得すると思ってんの?」
「最初は色々思うだろうな。だが、しばらくすりゃ、俺のことなんて忘れるだろ」
「アンタはっ! アタシがっ! アスナがっ! ミリアがっ! キースもっ! アタシ達にとって、その程度の存在でしかないなんてっ! 本気で思ってるわけ!?」
思っちゃいねぇよ。
そんなうっすい関係で一年ちょいかけてここまで来れるか? んなことぐらい俺だってわかってる。
だがな。お前は少しばかり勘違いしてる。
「人間ってのはな。忘れる生き物だ」
「何言って――」
「聞け。どんなに大切なことでも、どんなに忘れたくないことでも。人間ってのはそれを忘れられるから、生きていける」
「そんなことっ――」
「聞けっ! 現に俺がそうだ。大事なモンはいくらでも取りこぼしてきた。だがな、喉元すぎればなんとやらだ。暫くすりゃ、感情も記憶も風化して、思い出になる」
俺はチェルシーのことを忘れてはいない。それは確かだ。
だがどうだ? あいつの声を、表情を、香りを、気配を。思い出せるか?
もう忘れてしまった。思い出そうとしても思い出せねぇ。
イズミもだ。ババァもだ。逝ってからまだそんなに経ってねぇってのによ。
それが答えなんだよ。
人間ってのは直ぐに忘れてく。後から後から情報が入ってきて、こまっかいことはあっちゅーまにすっぽ抜ける。
だからこそ、人間はどんなに辛い状況に落ちても、這い上がってこれる。
「ひと月、長くても一年。連中は俺を思い返しては、ちょっとばかし落ち込むだろうよ。だが、二年経って、五年経って。そうすりゃ、『居たなぁ、そんな奴も』ってな具合だ」
「……アンタ、それ、本気で言ってんの?」
「分かってんだろ?」
「本気で言ってるってわかるから尚質が悪いわよ!」
エリナの声がすっかり鼻声だ。だーもう。こいつは。
俺みたいな小悪党のために、一国の女王陛下サマが泣いてんじゃねぇよ。
「……どうにもならねぇ。他ならねぇ混沌の神から言われたことだ」
「どうにか……しなさいよ」
「できねぇよ。多分な。どうにもならねぇ」
「じゃあっ! 上位領域に行く前にっ!」
「それも却下だ。猶予がねぇ。他ならねぇ精霊メティアサマからのお呼び出しだ。急がねぇわけにはいかねぇだろ」
エリナがその顔を両手で覆い隠す。しゃくりあげながら、身体を震わせながら。
その背中をキースが撫でる。
「悪党」
「んだよ」
「どうにもならんのか?」
「ならねぇ」
「そうか」
脳筋め。こういう時だけ俺と通じ合ったような顔しやがって。
「姫様」
「ぐずっ……なによ、キース」
「私は、皆を護る時。必要とあらばこの命でさえ、惜しいとは思いません」
「……そりゃ立派な志ね」
「ゲルグも。……こやつもきっと同じです。私と、同じなのですよ」
「そんなの……ちが――」
「同じです」
キースの声が部屋の中で確かな響きを以て、反響した。
「私は、姫様を、皆を護るためであれば、死んでも構いません。それが私の役割です」
「でも……でもっ! それは確定した未来なんかじゃないっ! 努力次第でっ!」
「時に努力なんてものは無意味です。それに確定した未来だったとしても、この命、捨てることをためらいはしません」
「アタシが止めるわよっ……」
「姫様はお優しすぎます。一端の騎士など、姫様にとっては駒の一つ。使い潰すくらいの気概でいなくてはどうします」
そうだよ。俺はお前の騎士なんだろうがよ。
捨ててけよ。ほっとけよ。
しょうがねぇ、って。仕方のねぇことだ、って。
「そ……んな、わかったようなこと言われて、納得できるわけないでしょ……」
キースの支えも虚しく、とうとうエリナが崩れ落ちる。
「女王の命令よ……なんとか……しなさい」
それは……。
「悪いな。その命令は聞けねぇ」
「じゃあ、精霊メティアを倒すってのもっ!」
「それもナシだ」
「アンタはっ! アスナが屈託なく笑える世界を作るっ! そうじゃなかったの!?」
バーカ。
「それを成し遂げる為に、俺一人の命だ。安いもんだろ」
「……どうしてっ……」
あーもー。アスナとミリア当たりならともかく、こいつにこんなに泣かれるとは思ってなかった。
こいつなら、「あっそ、じゃあ死んできなさい」くらい言いそうな……。いや、言わねぇだろうな。
エリナはなんだかんだで仲間思いの良い奴だ。
俺だってよく知ってんじゃねぇか。
「エリナ」
「なによぉ……」
「キース」
「うむ」
「アスナを、ミリアを、頼んだぞ。さ、もう眠ぃんだよ。帰れ」
キースの顔を見つめる。奴が小さく頷いた。
「姫様。行きましょう」
「嫌よ」
「嫌ではありません」
「嫌ったら嫌!」
「姫様っ!!」
突然のキースの怒声に、驚いたのか、エリナがキースの顔を目を白黒させて見た。
「ゲルグという、一人の男が覚悟を決めているのです」
「し……知らないわよ……」
「主君として、姫様はあやつの背中を押してやるべきです。一言命じればよいのです。『主君の為に全てを、命でさえも捧げろ』と。それが貴方がすべきことです」
良いこと言うじゃねぇか。流石騎士。
そうだよ。てめぇは、勝ち気そうに笑って、そんでもって、俺に一言、「死んでこい」って言えばいいんだよ。
「そのようなザマでは、一国の主など務まりません」
「……そんな、大事な仲間を、ホイホイと見捨てろって? 女王なら?」
「そうです」
「ならっ! 女王なんて願い下げよっ!」
「なりません。貴方は将来、近しい決断を何度だって下していかなければならないのです。一番大切なもの。その他の大切なもの。決して見誤ってはなりません。姫様の一番大切なものはアスナ様とアリスタード王国ではないですか」
「……順位なんて付けられるわけないでしょっ! 今更っ!」
あー。もう。しっちゃかめっちゃかだよ。
「キース。連れて帰れ」
「あぁ」
キースが俺の言葉に頷いて、エリナを抱える。抱えられたエリナがキースの背中をバシバシと叩く。
「キースッ! このっ! 離しなさい!」
「離しません。帰ります」
「不敬よっ! 死刑にするわよっ!」
心にもねぇことを言ってんじゃねぇ。バカエリナ。
キースがそのまま踵を返して、鍵を開け、扉を開ける。
「悪党」
最後にキースが首だけひねってこちらを見た。
エリナがギャーギャー喚いているが、無視だ無視。
「んだよ」
「言うには早い気がするが。貴様と旅した一年とちょっと。悪くはなかった」
その男臭い笑顔に、俺も精一杯の笑顔で返す。
「バーカ」
ふっ、と笑ってキースが部屋から出ていった。エリナの喚く声が遠く遠くなっていく。
そんなもんなぁ。言われなくても分かってるし。
俺だっておんなじ気持ちだよ。
「やっ。ゲルグくん」
クソイケメンが目の前にいやがる。なんでいんだよ。
「いやね、またメティア様から伝言。そろそろヤバいってさ」
「あー。そうかよ。予想以上に早いじゃねぇか。ゲティアは数十年後とか言ってたぞ」
聞いてた話と全然違う。
「いやね。確かに君達の世界に影響がでるのはもうちょっと後さ」
「なら、少しぐらいゆっくりさせろよ」
「それがね。そうもいかないんだよ」
財の精霊が困ったように笑う。
「メティア様が正気を失う時間がどんどん長くなっていってるんだ。タイミング次第では僕たちでも近づけない」
「それって」
「うん。今直ぐに行けば、正気を保っているメティア様であれば、喜んで君達に討たれてくれるだろうね」
「であれば」なんて言うってこたぁ。
狂ったメティアと相対したら、素直に殺させちゃくれねぇってわけか。
「そういうこと。早めに来たほうが良い。ゲティア様は君達と戦う時、思い切り手加減してくれてたけどね。正気を失ったメティア様が同じような対応をしてくれるとは思わないほうが良い」
それはつまり。
甘く見積もっても、精霊を束ねる親玉が、その力の全てを以て俺達を殺しにかかってくる、ってことだ。ついでに言やあ、ゲティアが消えた今、あいつの力でさえもメティアに流れ込んでいる可能性が高い。
「できる限り早くね。お願いだよ」
「急かすじゃねぇか」
「急かすさ。余り本気を出した神の力を舐めないほうが良い。世界を創り出すことができるってことは、世界を消し去ることもできるってことだ。後先考えなければ、念じただけでテラガルドが吹き飛ぶ」
「そりゃ、ゲティアの時に嫌ってほど実感した」
「うん。ゲティア様は、色々と計画して世界を滅ぼそうとしてたんだ。滅ぼすまでのスパンはそのため。やろうと思えば、一秒とかからずに世界が消え去っていたはずだよ」
「僕たちにとって時間の感覚ってのは希薄だけどね」と財の精霊が笑う。
そりゃ怖ぇ。
「あとどんぐらいだ?」
「うーん。できる限り楽にやりたいなら、君達の体感で一週間くらいかな。遅くても一ヶ月。それ以降は、君達人間がどれだけ強かろうが、メティア様は倒せなくなる」
「……そりゃ急がねぇとな」
「うん。お願いだよ。兄弟」
兄弟とか呼ぶんじゃねぇ。気色悪い。
そして、いつものこのよくわからない空間から俺ははじき出される。
目が覚める。フランチェスカの治癒がようやっと効果の全てを発揮したのか、痛みは全然感じねぇ。
立ち上がって、窓から差し込む朝日を浴びる。
「良い天気だ」
本当に。良い天気だ。
「さぁて。フランチェスカと会って、全員招集して、今日中……は無理としても、明日には行かねぇとな」
やるべきことはシンプルだ。
俺は両頬を叩く。乾いた音が部屋に響いた。
エリナ様の気持ち。キース君の正論。
おっさんは、どう受け止めたのでしょうか。
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