エピローグ
つかの間の楽しい夕餉の後、否善の呪詛とやらについては、ババァから直々にアスナに伝えられた。それを耳にしたアスナの反応は特に無かった。表情としても、「そうなんだ~」みたいな、ポケッとした顔を浮かべやがったもんだ。
むしろ、周りの人間たちが本人よりも憤るという、おかしな図式が出来上がったもんだ。
エリナが吠え、ミリアが涙し、キースがわなわなと震えた。あの時の状況は、やかましい上に、重苦しい空気がふんだんに感じられてあんまり思い出したくはねぇ。
その中でも、「どうということもない」みたいな表情で、ぽかんとしているアスナがえらく印象的だった。ありゃあれだ、理解していないって顔だ。「呪詛ってなぁに」ってな顔だ。事態の深刻さもなにも感じてやがらねぇんだろう。そう思った。
だが、ひとしきり騒ぎが収まった後、アスナが発した言葉で、俺のその考えは間違っていたことに気づいた。気付かされた。それこそ、強制的にな。
「私は、人を守る。それだけ。どれだけ痛くても、きっとそれは変わらない」
俺が憧れたその在り方のまんまに、あいつはただただ自然と覚悟を決めていた。それだけだった。
アスナのその様子に、ババァがニヤリと笑ったりとか、エリナとミリアがことの重大さをアスナに必死に説明したりとかもしたが、まぁ些細なことだろう。
その後は、ババァが秘蔵の酒を大量に出してきやがった。アスナは下戸だから遠慮していたがな。ありゃ酷かった。阿鼻叫喚なんて言葉があれほどまでにピッタリ当てはまる絵図も珍しい。
ババァはザルだ。その上、周りの人間に兎に角飲まそうとしてくるなんて、たちの悪い飲み方をするババァだ。俺はその性質をよーく知っていたんで、ひっそりと隅っこの方に移動して、ブランデーをちびちびやっていた。ありゃうまかった。ぜってぇ高ぇ酒だ。
結果的に被害者になったのは、エリナとミリアとキースの三人だった。三人ともベロベロに酔い潰され、ぐでんぐでんにさせられたのだった。あぁ、見ものだったよ。
エリナは笑い上戸と泣き上戸が混じったよくわからない酔い方をする。笑いながら、ボロボロボロボロ涙を流すのだ。気味の悪いことこの上ねぇ。
ミリアは普段の鬱憤が溜まっているんだろうか。言葉遣いまでは変わりゃしねぇが、ひどい絡み酒だった。「あんですかぁ、ゲルグ、私の酒が飲めないっていうんですかぁ? ひっく」、なんて台詞は忘れられない。ミリア、定期的にストレスを発散したほうが良いぞ。
一番酷かったのはキースだった。兎に角脱ぐ。脱ぐのだ。アスナはそれをぼんやりと見て、目をパチクリさせてやがるし、エリナとミリアはその様を見て大笑い。その汚ぇもんをさっさとしまえよ、と何度思ったことかわからない。
ババァはいつもどおりだ。ガブガブとバカ高ぇ酒を流し込み、「ふーっはっはっは」と高笑いする。酔っ払ってる様子はない。ついでに、俺の方に近寄ってきてしなを作って寄りかかってくるのを忘れない。やめろ。ババァは守備範囲外なんだよ。
それを見て、またアスナが割って入り、「駄目」とか言い出したもんだから、もはやよくわからねぇ。エリナは笑い泣きしながら、その様子を見て怒り始めるし、ミリアは「ゲルグはぁ、ロリコンですよねぇ。あらしぃ、知ってますよぉ」とか抜かしやがる。やめろ、俺はロリコンじゃねぇ。
そんなこんなで楽しい楽しい? 夜は過ぎていった。次の日の朝はご想像の通り、俺とアスナ、それとババァを除く全員が二日酔いに悩まされることとなった。連中の二日酔いによって、一日がまるっと潰れたのだ。まぁ、些細なことっちゃあ些細なことだろう。
そして、さらにその次の日。ババァが俺達を集めた。大事な話がある、なんてことだ。どうせ、俺達に修行をつけるとか、そういう話なんだろう。想像するだけで嫌気がさす。
「そなたらに、余が自ら修行をつけてやる」
ほーらきた。このババァは、見た目は魔女然とした格好をしちゃいるが、その中身はめちゃくちゃ体育会系でスパルタだ。修行の中でこの四人のうちの何人が反吐を撒き散らすのかは俺にだって想像できない。
「修行、必要?」
アスナが不思議そうに尋ねる。こいつはこんな能天気そうな顔をしちゃいるが、自分の実力ははっきりと理解している。そりゃ、必要かどうか聞くだろう。
一方でエリナは喜色満面の笑みを浮かべていた。憧れのテラガルドの魔女に手ずから指導を受けられる、と大喜びだ。やめとけ? このババァは本当に加減ってものを知らねぇんだぞ?
ミリアとキースは、同じような反応をする。精一杯頑張ります、みたいな顔だ。うん、クソ真面目なこいつららしい。
「ババァ。しかし、こいつら、これ以上強くなれんのか?」
「成長上限の話だな? 大丈夫だ。全員上限には達していない。まだまだ成長の余地がある」
そりゃすげぇ。
成長上限。それは個々の人間の才能の限界だ。才能のねぇやつがどんだけ努力をしたとしてもある一定の部分から全く成長を見せなくなる。そりゃそうだろう。絵が苦手な奴がどんだけ訓練したって、一流の画家にはなれねぇのと変わらねぇ。
「ゲルグ。そなたの上限もまだまだだ。伸びしろがある。むしろ伸びしろしか無い、誇っていいぞ」
「まぁ、そりゃそうだろ。俺は別に大した訓練なんかをしてきた覚えはないからな」
「そうではない。そなたはアスナ・グレンバッハーグと同じくらいの成長上限だ。普通にやれば、一生かかっても上限には達しないがな。誇っていいぞ。ふーっはっはっは」
「はぁ? 冗談も大概にしろよ? 俺はただの一般人だろ。才能なんてかけらももっちゃいねぇだろ」
「いや、事実だ。その代わり、余の修行を受けなければ、成長のスピードは恐らく亀のように遅々としたものになるだろうがな。大器晩成型、というやつだ」
大器晩成型、ねぇ。実感はわかねぇが、まぁそう簡単に強くなれるとか、そういうわけじゃねぇのはなんとなく理解した。
「なぁ、だがよ。どうして今更修行なんだ? こいつらは魔王を倒してる。この世のどこにも敵う相手なんていねぇだろ?」
ババァがニヤニヤとした笑みを引っ込めて、唐突に真面目な顔をしだす。
「……理由はな。いくつかある」
ババァが人差し指を伸ばす。
「一つ目は、アリスタード王国の呪詛を受けた者たちの動向が気になる、ということだ。こと邪悪な意思を持った人間にとっては、呪詛というのは非常に強い潜在能力となる」
ババァが中指を立てる。
「二つ目は、端的にそなたらの実力がまだまだという点だ。魔王を打倒したのも、運に味方された部分が多分にある。確かにそう簡単にはやられないだろう。だが、不十分だ」
最後にババァは手をひらひらと振って、心底うんざりしたように顔をしかめた。
「最後は、魔王がまだ生きている、ということだ」
は?
「いや、魔王はアスナが倒したって」
「魔王も呪詛を受けている。恐らく『不死の呪詛』だ。アスナ・グレンバッハーグよ。魔王を打倒した時に違和感は感じなかったか?」
「……確かに、なんか嫌な予感? 違和感? 感じた気がする」
「今の魔王は不死身だ。今はまだ死にっぱなしだろうが、しばらくすると蘇る」
驚愕の事実だ。魔王なんて化け物が、また生き返るなんて言うのか?
「しかもだ。前よりももっと強い力を携えて、だ」
とうとう、俺達は口をあんぐりと開けて、何も言えなくなってしまったのだった。数分間ほど無言の時間が続いた。ババァもこれ以上何も言うことは無い、とただただ顔をしかめている。
「……ってことは、私達の一年間は無駄だったってことですか?」
エリナが茫然自失としながらババァに問いかける。
「無駄ではない。そなたらは確かな強さを一年間で得た。それは得難いものだ」
「でも、魔王は死んでない、んですよね?」
ミリアが顔を青ざめさせる。
「彼奴を殺せる方法はたった一つを除いて存在しない」
「その方法とは、なんなのですか?」
キースが難しい顔をしながら、小さく声を発する。
「……アスナ・グレンバッハーグ。こちらへ来るが良い」
「ん」
ババァがアスナを手招きする。アスナは言われるがままに、ババァの目の前に歩いていった。
ババァが人差し指をアスナの額にくっつけて、何やらぶつぶつと呟き始めた。なんかわからん魔法のなんかだ。ボキャブラリーが貧困? 俺ぁ教養なんてねぇんだよ。
しばらくして、アスナの額が輝き始めた。俺達は驚愕をもってその様子を見守る。
「この通りだ。アスナ・グレンバッハーグは、『太陽の加護』を付与されている」
「それは、知っています」
神官で、加護の力を見抜くことができるミリアが震える声を出しながらババァを見つめる。
「ミリアよ。太陽の加護の効果は?」
「全ての能力の大幅な向上、です」
「ふむ。間違ってはいない。だが不十分だ」
「え?」
ミリアが驚きに目を見開く。
「太陽の加護。それは全てを照らし出し、浄化する。そこに本質がある」
「つまり、どういうことだ?」
「ゲルグ。結論を急くな」
うるせぇ、さっさと吐けってんだこの野郎。
「太陽の加護の真髄。それは全ての呪詛の無効化だ」
「呪詛の無効化、だと?」
「精霊メティアが人間に与える最も強い加護。それが太陽の加護だ」
ババァがアスナの頭をくしゃくしゃと撫で回す。
「アスナ・グレンバッハーグには、今代び「魔王を真の意味で打倒する。その可能性がある、ということだな」
「おい、待てよ。その太陽の加護持ちのアスナが、魔王を殺せなかったのはどういうことだ?」
「条件がある」
「条件?」
ババァがもったいぶるようにウロウロとし始める。
「全ての精霊との契約。それが条件だ」
全ての精霊との契約。なんか簡単そうに聞こえるが、そうじゃねぇのか? とは思ったが、そうじゃないのはミリアの顔を横目で見てすぐに分かった。
「そ、そんな! 全ての精霊と契約なんて!」
っていうか、まだ契約してない精霊がいやがったのか。世界中周ったんじゃねぇのか?
「ミリア。お前がそんな焦るなんて、どういうこっちゃ?」
「各地におわす精霊は、精霊メティアの様々な感情を切り離して産まれたものです」
「うーん、と。よくわからねぇ」
つまりどういうことだ?
「精霊メティアも、その全てが善なる存在では有りません。もっと人間に近い、そんな存在なのです」
あぁ、言わんとしてることがなんとなく分かってきた。つまりあれか。人間が持ついろんな感情。それを持つ精霊がいるってぇことか。ん? 別にそりゃ構わねぇんじゃないのか?
「何が問題だ?」
「精霊はその全てが善なる存在ではないということです。危険な精霊もいます。私達は魔王討伐の旅の時、危険な精霊とは決して相見えないように旅をしました」
「危険な精霊?」
俺の疑問にババァが補足する。
「人間だって、一筋縄じゃいかないだろう? 愛情、労り、正義。そんな善性も持ち合わせている。だが、悪意、憎しみ、殺意。そんな負の感情も持っている。それが人間だ。精霊メティアも人間と同じ、そういう感情を持っていたということだ」
「そうです。その感情や思想を全て切り取って、各地の精霊は産まれました。精霊メティアの殺意を受け継いだ精霊。憎しみを受け継いだ精霊。欺瞞に満ちた心を受け継いだ精霊。その他にも。危険な精霊はたくさんいます」
ほうほう、ミリア。流石神官。博学だな。んでもってわかりやすい。
「精霊は基本的には能動的に地上の者たちを害するようにはできていません。ですが、精霊と契約する時、精霊が課す試練を受けなければならないのです」
「ってーことはあれか? その試練ってやつが、めちゃくちゃたちの悪いものな可能性があるってことか?」
ミリアが神妙な顔で首を縦にふる。
「最悪、命に関わります」
「アスナなら大丈夫なんじゃねぇのか? 知らねぇけど」
「精霊の試練は、精神に働きかけます。つまり、肉体的な力量とは別の次元で行われるのです」
つまり、身ぐるみ剥がされて、むりやり崖から突き落とされるみてぇなもんか。
ウロウロしていたババァが、ゆっくりと俺達を見回す。
「であるからして、修行だ。そなたらには、肉体的な力量もそうだが、精神的な成長をしてもらう。でなければ、勇者があっさりと死んでしまうなんて、笑えぬ事態になりかねない」
へー、ふーん、ほー。
「おい、ババァ」
「なんだ? ゲルグ」
「てめぇ、なんでそんな大事なことを今まで黙ってやがったんだ。俺にぐらい話せよ、馬鹿!」
「ええい、うるさい。余としても、この事実は話すべきかどうか凄く悩んだのだ!」
右手でババァがその長い髪を掻き上げる。
「この事実は重すぎる。話すべきかどうか、見極めていた」
「そういうのはなぁ、さっさと言うに限るんだよ。馬鹿」
「ゲルグ、うるさいぞ! アスナ・グレンバッハーグ。そなたには、重い試練が課せられる。覚悟はあるか?」
ババァがアスナを真剣な瞳で見つめる。だが、アスナにそんな瞳は効かねぇ。そうだろ? アスナ。
「ん。大丈夫。ジョーマさん。ありがとう」
ほらな。こいつはどこまでいっても「勇者」なんだ。「勇気ある者」なんて書いて勇者と読む。呪詛? 呪い? 魔王が復活? こいつにゃそんなの関係ねぇだろ。
俺ぁ小悪党のゲルグだ。小悪党にゃ小悪党なりの矜持なんてものがある。そんな俺が、そんな俺がだ。その瞳に。在り様に、憧れた。
あぁ、そうだ。お前はどこまでいっても「勇者」なんだよ。それでいいんだ。それでいいんだよ。
だから、アスナ。お前はどこまでも「勇者」であれ。俺は、どこまでもちっぽけでデクノボーな小悪党として、隣に突っ立ってるからよ。
第一部は次話、アスナ視点のちょっとした閑話を挟んでおしまいとなります。
「sideじゃない、閑話だから大丈夫」と自分に言い聞かせています。
……本質的には一緒です。書いてて楽しかったのです。しょうがないです。
はい、というわけで、第一部おおまかには終わりました。
アスナの主人公補正です!(とりあえず言っておく)
閑話の後、第二部になります。
第二部はジョーマお婆ちゃんの修行やら、なんやらのお話になります。
引き続きお付き合いいただければと思います。
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