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第一話:ちょっとした気まぐれだ

「で?」


 大人としての最低限の情けで、服は着せてやった。決して、涙目でこっちを見つめてくる目の前のガキに根負けした訳じゃない。いや、わかってる、言いたいことは。「根負けしたんだろ?」ってことだろ? あぁ、そうだよ。根負けしたんだ。これで満足か。


「魔王なんて、大層なモンをぶち殺した勇者サマが、なんだってあんな大勢の連中に追われてる?」


「……分からない。でも、仲間が、『とにかく逃げろ』って……」


「仲間? お前さん、一人で魔王を倒したんじゃねぇのか? 仲間なんていたのか?」


「そんなことない。私一人じゃ、あの化け物は絶対に倒せなかった」


 仲間がいたのか。聞いていた話と随分違う。こいつは単身で魔王の拠点に乗り込み、奴さんを打倒した。そんな話だったはずだ。


「確かに、魔王と対峙したのは私一人。でも、あいつに辿り着くまでに、魔物を食い止めたり、道を切り開いてくれたり、した」


「あぁ、なるほどな」


 確かに嘘じゃあねぇ。「単身で魔王を打倒」。あぁ、嘘じゃねぇ。嘘じゃねぇ分質が悪い。真実の一片、それだけを開示するやり方だ。詐欺師なんかがよくやるやり方だな。盗品商のゲン爺なんかもよく使う。何度煮え湯を飲まされたかわからん。


「話を戻すぞ。なんで追われてる?」


「……分からない……」


 情報はひとっかけらも出てこないご様子だ。俺はボサボサのおさまりの悪い黒髪をぐしゃぐしゃとかき回しながらため息を吐く。


「わかんねぇ、わかんねぇって……。あのなぁ、俺まで捕まるところだったんだぞ」


 状況を全く把握していない。いや、把握しようともしていない目の前の少女に俺はしかめっ面を浮かべる。そんな俺の表情を見て、勇者サマは申し訳無さそうな顔で顔を少しばかりうつむかせる。


「そ、それは……ごめんなさい」


 別に謝ってほしいわけじゃねぇんだ。情報を寄越せって言ってんだよ。わかってんのかねぇ、このガキは。それにもう一つ理解できないことがある。


「っていうか、お前さんなら、あの程度の追手なんて瞬殺だろうが。曲がりなりにも魔王とやらを倒したんだろ? なんでその力を振るわない。その剣は飾りか?」


 そう、それだ。魔王なんて強大な化け物をぶっ殺したんだ。人間なんて虫けらみてぇなもんだろ? 俺みたいなちんけな小悪党なんて、こいつにかかれば一瞬でぶち殺されるに決まってる。そうに決まってるし、それは俺以外のちっぽけな人間も同じだ。


「人を傷つけるのは、違う、気がする」


「はあぁ?」


 馬鹿かこいつは。今、まさにてめぇが命を狙われてるんじゃねぇか。


「馬鹿か? お前さんは。今まさにてめぇが命を狙われてるんだろうがよ」


 あ、思ってることが思わず口をついてしまった。どうにもこのガキといると俺のペースも乱されるらしい。普段はポーカーフェイスが得意なナイスガイで通ってる俺様なんだがな。


「……人間を守るために戦ってきた……」


「ん?」


「……守るべきだと思ってた。そんな人達を傷つけることは、なんか違う、気がする」


 よーくわかった。こいつは超弩級の馬鹿で、そんでもってお人好しだ。普通生物なんてもんは、自分の身を守ることを最優先にするもんだ。当然、生物の範疇からはみ出しっこない人間だって同じだ。犬だって猫だって、なんならそのへんにいる魔物だってそうする。誰だってそうする。俺だってそうする。


 でも、こいつにそんなことを言っても無駄だろう。なんとなく、目の前の勇者サマの表情を見ればわかる。こいつは、あー、あれだ。純粋培養ってのか? 人の悪意やら、悪辣さやら、そういったもんを一切感じてこなかった人間だ。そりゃそうだろう。世界を救う勇者サマだ。どんな街に、どんな村に、どんな国に立ち寄っても、諸手を挙げて歓迎されただろう。


「……ま、いいわ。一晩だ。一晩経ったら出ていけ。厄介事は御免だ」


「うん。ごめんなさい」


「謝られる謂れもねぇ。服は勘弁してやる。鎧とサークレットは置いてけ」


「ん」


 ほら、これだ。普通の人間なら、「なんで、私の鎧とサークレットを置いてかなきゃならないんだ」と憤るもんだ。こいつにはそれがない。俺の言うことを素直に聞く。それしか知らないのだ。


 俺は部屋の隅に一つだけぐしゃぐしゃにまるまって転がっていたブランケット――滅茶苦茶薄汚れていたもんで、渡すのに少しばかり躊躇したが――を勇者サマに放り投げる。


「ま、今日は寝るこったな。せめてもの情けだ。明日、安全に都から脱出させてやるよ」


「……ありがとう」


 ありがとうなんて言葉を受ける謂れもねぇ。俺はただこいつの身ぐるみをはいで、王都の外にほっぽり出して、あとはとんずらこくだけだ。それで終い。そっからは赤の他人。そんなこともわかっちゃいねぇこいつは、本当に正真正銘の馬鹿野郎だ。まぁ、俺も一端の小悪党だ。そんなことを口に出す愚は犯さない。


 春先とはいえ、夜は冷える。そしてブランケットは一枚だけ。俺もお人好しになったもんだ、と震える身体を両手で抱きしめて縮こまる。この隠し部屋は何しろ隙間風がぴゅうぴゅうと入ってきやがる。あーあ、今夜は眠れねぇな、とぼんやりしながら目を閉じた。


 目を閉じて、数秒ぐらい経ってから、ふと気まぐれに思い立った。そういや、こいつの名前も知らねぇな、と。ごそごそと薄汚れたブランケットに包まって、寝息を立てようとしていた勇者サマに向かって、振り返らずに問いかける。


「おい」


「ん……」


「お前さん。名前は?」


 少しばかり間があった。何を考えているのかはわからない。何しろ、勇者サマの小綺麗な顔は俺からは見えない。


「……アスナ。アスナ・グレンバッハーグ」


「家名があるってことは、いいとこの嬢ちゃんか」


「そんなでもない。普通の家。昔は貴族だったって母さんが言ってた。親戚とかも居ないし、ただ家名が残ってるだけ」


 没落貴族ってやつか。このアリスタード王国じゃ、十数年前くらいに貴族の大粛清があったってぇ話だ。きっとその被害者なんだろう。どんな罪をおっ被せられて没落したかは聞かねぇ。聞きたくもねぇ。だが、無実の貴族どもが、大勢下ったってぇ話だ。そんな身の上話なんざどうだって良い。


「そっちは?」


「あん?」


「人に名乗らせといて、自分は名乗らないのは失礼」


 言うに事欠いてそれかよ。妙なところで神経質な奴だ。どうせ明後日には忘れてるだろうがよ。っていうか忘れるべきだ。そんなことを思いつつも、一理どころか百理ぐらいもある勇者サマに、俺は不機嫌そうな声色を隠そうともせず呟いた。


「ゲルグだ」


「ゲルグ……。なんか、悪役みたいな名前だね」


 ほら、言った。俺はこの名前が大嫌いなんだ。誰も彼もが名乗った瞬間に口を揃えて「悪役みたいだ」なんてのたまいやがる。実際悪役なことは間違っちゃいねぇんだがな。


「うるせぇ。早く寝ろ」


 ますます不機嫌な色になる声色に、アスナが「ふふ」と小さく笑った。そういや、ここまでこいつ一回も笑ってなかったな。そりゃそうか。何も分からず追い回されて、そんでもってちんけな小悪党に保護されて身ぐるみはがされようとしてんだ。笑ってられっかよ。そんな勇者サマから次に発せられた台詞に、俺はびっくりすることになる。


「ありがとう。ゲルグ。優しいんだね」


 顔に血液が集まっていくのが自分でもはっきりと分かった。優しい? 俺が? 生まれてこの方言われたこっちゃねぇぞ。それに、今の会話のどこに、優しさのかけらがあった。身ぐるみはごうとしてる相手に「優しい?」。馬鹿じゃねぇか? っていうか、「さん」ぐらいつけろ。俺は歳上だぞ? 敬えよ。


 まぁ、感謝される分には悪い気はしない。んでもって俺は日銭も稼げてウィンウィンだ。真っ赤になった顔はとりあえず無視して、ついでに色々言いたいこともなんもかんも全部無視して、俺はアスナに短く告げた。


「バーカ。ちょっとした気まぐれだ。とっとと寝ろ」


「ん」


 お互い無言になる。数分ほど経っただろうか。アスナが、すうすう、と少女らしい寝息を立て始めた。一方で俺は寝れる気がしちゃいない。とにかく寒い。


 それにやること、というか気になることもあった。アスナを起こさないようにそうっと起き上がる。その、あれだ。さっきアスナにも言ったが、あー、あれ、ちょっとした気まぐれ。そう、ちょっとした気まぐれだ。


 ガラじゃないことをやろうとしてるってのは百も承知だ。俺だって、自分がこれからやろうとしてることを思うと、「やれやれ、馬鹿だなお前」って言いたくなる。


 だけどよ。こんな小さなガキが、いきなり魔王倒してこいって言われて、それでやっとこさぶっ殺したと思ったら、今度は守るはずだった人間に追われてるだと? ふざけるんじゃねぇよ。俺は小悪党だ。小悪党なりの矜持がある。小悪党は小悪党なりに、ちっぽけな悪事をやってるべきだ。そんなこたぁ、小悪党なら誰しもがわかっちゃいる。だがな、それだけに、ちっぽけじゃないどでかい悪事にゃ小悪党は敏感だ。


 普段の俺なら、このまま逃げちまうことだろう。だが、なんとなくそんな気は起きなかった。なんでだろうな。そう、ちょっとした気まぐれ。気まぐれだ。俺はアスナを起こさないように隠し部屋を後にした。






「よぉ、ゲン爺」


 古ぼけた扉を乱暴に開けて、俺は短く挨拶をする。


 ゲン爺。主に盗品を扱う古物商だ。俺とは十年ぐらいの付き合いの爺さんだ。さっさと死なねぇかな、と数年前から思っているが、一向に死ぬ気配がない。憎まれっ子世にはばかる、とはまさにこのことだろう。


「お、ゲルグ。久しぶりじゃのう」


「耄碌してんのか? 六日前に来たばっかじゃねぇか」


「がはは、冗談じゃ。して、またちんけな盗品でも売り捌きに来たのか?」


「別件だ」


 この爺は盗品専門の古物商なんかをやってるもんだから、方方から新鮮な情報が集まってくる。古物商の傍ら、情報屋なんてのもやってる、クソッタレな耄碌爺だ。だが、情報の精度は抜群。ついでに言えば、交渉能力も抜群で、俺は一度も目の前の好々爺然とした爺に金額交渉で勝てた試しがない。本当早く死なねぇかな。


「ほう、別件、とな。お前がそんな顔をしとるとは珍しいの」


「そんな顔って、どんな顔だよ」


 ゲン爺がニヤニヤと笑い出す。


「人助けでもしようなんて顔だ」


 この爺はほんっとーに抜け目がない。「耄碌」とか言ったな。ありゃ嘘だ。こいつはバリバリ現役の、おどろ木ももの木爺だよ。


「……用件を話すぞ」


「聞くだけ聞いてやる」


 一見酒場に見えるこの店。実際に日中から夕方にかけては、安物の酒をぼったくった値段で捌くたまったもんじゃねぇ酒場として営業している。尤も、カウンターに居るのがこんな爺じゃ、客なんて来やしねぇことは誰でも思い当たる。そんなもんで、酒場をやってる時は、どっから捕まえてきたのか知らねぇが美人な姉ちゃんがバーテンダーを務めてるときたもんだ。あの姉ちゃん。どんだけ口説いてもなびかねぇんだよなぁ。


 そんな店だ。当然ながらカウンターがある。俺はカウンターの椅子にどすりと腰を下ろすと、カウンターの奥で未だにニヤニヤしている爺を睨みつける。


「勇者とそれにまつわる情報。全部寄越せ」


「……勇者、か。お前さん、面倒なことに巻き込まれたな?」


 図星だ。なんでまたこの爺は変なところで鋭いんだ。だんだんイライラしてきた。


「うるせぇよ。良いからとっとと話せ」


「そう急くな。情報料が先じゃ」


 そう言ってゲン爺は右手を開いて俺の目の前に突き出し、更に左手の指を二本添えた。


「な、七百ゴールド!? ぼったくりすぎだろ!」


 今の大体の相場でパン一つが五ゴールド。エール一杯が十ゴールドだ。七百ゴールドなんて法外もいいとこじゃねぇか。いきり立つ俺に、ゲン爺が肩をすくめる。


「ゲルグ。この情報は、漏らした儂にも危険が及ぶ。つまりそれだけの価値があるってことじゃ。要らんならとっとと失せろ」


「……っ!」


 小さく舌打ちをする。懐にしまっておいた木綿の財布を取り出して、中から七百ゴールドを取り出し、バンとカウンターに叩きつける。持ってけ泥棒。いや、泥棒は俺なんだけどな。


「乱暴じゃのう」


「うるせぇよ。七百ゴールドだ。満足したろ?」


 残りの俺の財布の中身は三百ゴールド。隠し部屋にへそくりはありはするが、それを考えてもちょっとばかし貯め込めたと思ったら、まーた汗水たらして働かにゃならない。明日からやってくる実直な勤務状況に俺は辟易とした。


 ゲン爺は、カウンターにばらまかれた硬貨を一枚一枚数えて、七百ゴールドピッタリあることを数分掛けて確認してから、「確かに」、とボソリと呟いた。数えんのがおせぇんだよ。あーイライラする。思わず貧乏ゆすりをする。癖だ。


「七百ゴールドぴったりじゃ。だが、貧乏ゆすりはやめろ。床が抜ける」


「てめぇが数えんのがおせぇからじゃねぇか!」


「もうちょっと静かにできんのか、全く」


 爺が数える際に綺麗に十枚ずつ積み上げ、並べた硬貨をじゃらりと木綿の袋にしまい込む。ほんと、こいついくら稼いでやがるんだ。もうちょっとこっちにも還元しやがれ。


「で、勇者の情報じゃったな」


「あぁ」


 ゲン爺が指でちょいちょいとジェスチャーをする。顔を近づけろということだ。汚らしい爺に近づくなんて御免被るところだが、七百ゴールド払ったんだ。それぐらいは我慢する。


「国際手配じゃ」


「……は?」


「勇者には国家転覆と要人暗殺の容疑がかけられている」


 国家転覆。要人暗殺。どちらも重罪だ。というかどんだけ低く見積もっても死刑だ。アホか? 七百ゴールド払って、ガセネタ掴まされたのか? あのお人好し丸出しなアスナとまるっきりかけ離れた罪状だ。そんなはずあってたまるか。


「金返せ」


「まぁ、待て。明日になればお前もわかる。手配書が世界中で公布される予定じゃ」


「情報源は?」


「王宮の兵士。面白そうに話しておったよ。捕まえたら、真っ先に犯してやるんだ、とな」


「おかっ!?」


「あぁ、煩い。童貞丸出しじゃな」


「ど、どどどど、童貞ちゃうわ!」


「そういうところが童貞丸出しなんじゃよ」


 うるせぇよ! こっちだって好きで童貞やってんじゃねぇよ。あれだ。タイミング? そういうのを逃しただけだ。決してそういう濡れ場みたいなものが無かったわけじゃねぇ。ただただ、タイミングに恵まれなかっただけだ。


 いや、そういう場合じゃねぇ。


「もっとだ。七百ゴールド分の情報を寄越せ」


「いいじゃろ。大サービス。感謝しろよ」


 ゲン爺がにまりと笑う。クソッタレが。七百ゴールドの割に合わなかったら殺してやる。断じて、童貞をイジられたからとかそういう理由じゃない。そうじゃないったらそうじゃない。


 ゲン爺がゆっくりと語り始めた勇者の情報はそれはそれは長いものだった。聞き終わる頃には夜が明けようとする程度には。


 聞き終わった俺にとって、ちょっとした気まぐれは、もう気まぐれじゃなくなっていた。踵を返して、爺に別れの挨拶も告げずに店を出たのだった。

女勇者のお名前と、小悪党のおっさんのお名前が出てきました。

今回は名前は思いつくままにつけています。

特に理由とか、そんなものはありません。


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― 新着の感想 ―
[一言] 美人なバーテンダーの姉ちゃんがゲン爺の女裝だった、というオチを期待してますw
[良い点] どどど童貞な小悪党とは…まさか女性に幻想を抱いてる? 童貞拗らせた盗賊おっさんに興味深々です
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