プロローグ
転移による空間の歪みが落ち着き、そして数時間前に見たメティアーナの地下の光景が輪郭を持つ。
上位領域から帰ってこれた。生きたまま。
たった数分前の出来事。ちょっとばかしではあるが、ようやくその実感が湧いてくる。
「戻ってきたかぁ」
安堵から思わずため息を吐く。
「疲れたなぁ」
「ん」
アスナが俺の独り言に返事をした。
俺とアスナに関しちゃ、何度か殺されてるもんだから、疲労感も際立っているのだろう。
自分の顔はわからねぇが、アスナの顔は若干土気色だ。そんだけしんどかった。俺もおんなじような顔色をしているのだろう。
とは言え、顔色一つくらいなら儲けものだ。それだけのどでかいことをやらかした。
混沌の神と呼ばれる存在、ゲティアを倒し、世界滅亡までの猶予期間を延ばしてきたのだから。
「しっかし……、戻ってきてみるとアタシ達とんでもないことしてるわねぇ」
「エリナよぉ。お前、魔王を二回ぶっ殺したってのは、その『とんでもないこと』に含まれねぇのか?」
「そりゃそうなんだけど、相手は神よ? 神。本当に倒しちゃったんだ、ってさ」
気持ちはわからなくもない。
生きて戻ってきた実感はようやっと湧いてきたが、神と呼ばれる巨大な存在を打倒したという実感は未だに無い。まるですべてが夢だったかのようだ。
あれは全部嘘でした、なんて言われても驚きゃしねぇ。
「……おかしいですね」
なにやら煮え切らない感じになりつつも、ひとまず扉のある台座から降りようとした時、ミリアがぼそりと呟いた。
「どうした? ミリア」
扉から降りながら、問いかける。
「いえ、フランチェスカ様なら、私達が帰ってくるタイミングで既にここにいるだろうな、と思っていたのですが……」
「そういわれりゃ……」
叡智の加護持ちのフランチェスカだ。俺達が帰ってくるタイミングも当然知っているに違いない。そう考えてもおかしくはないくらいに、あのガキのそういった勘――勘という表現が正しいのかはわからねぇが――は冴え渡っている。
口々に、同意の言葉を呟きながら、扉から降りていると、数時間前俺達が降りてきた階段から、足早に駆けてくるような足音が聞こえた。
ややあって姿を表したのは。
「はぁっ、はぁっ」
フランチェスカだ。
「フランチェスカ様」
ミリアがその名を呼ぶ。
フランチェスカが荒らげた息を整えようともせずに、俺達に信じられないものを目の当たりにしたような顔を向ける。
「……ど、どうして?」
出てきた言葉は疑問。
「フランチェスカ様?」
ミリアが再び、にこりと笑いながら名前を呼ぶ。ハッとした表情を浮かべたフランチェスカが、頬を伝う汗を袖口で拭い、そして笑顔を作る。
「み、皆様ご無事で何よりです。ぜっ、はっ。お、お疲れ、でしょう。い、一旦私の、執務室へお越し……ください。お茶を淹れます」
「いや、『お疲れでしょう』って、お前もだ。ちったぁ息整えろ」
「い、え……。ぜっぜっ。あ、の」
「ほれ、深呼吸だ、吸ってー」
俺の言葉に合わせてフランチェスカが深く息を吸う。
「吐いてー」
そして深く息を吐く。
そのやり取りを何度か繰り返す。
「落ち着いたか?」
「お、お陰様で。ありがとうございます。ゲルグ様」
なんとか息も整ったようだ。
「んで? お前の執務室に行くのか?」
「はい。色々とお話もお伺いしたいですし」
疲れているとは言え、さっきまでの怒涛の展開に全員まだ興奮気味だ。このまま部屋に戻ったりしても、ゆっくり休んだりは到底できねぇだろう。それに何より、全員身体が疲れ切っているはずだ。
「お前ら、大丈夫か?」
後ろを振り返り、四人の顔を見回す。全員小さく首を縦に振った。
「んじゃ、行くか」
執務室は階段を登ってすぐだ。
少しばかり様子のおかしいフランチェスカの後ろにひっついて、俺達は長い階段を登ることになるのだった。
フランチェスカの執務室に到着しまずしたことは、部屋の中央に据えられた柔らかなソファに身を預けることだ。五人全員が同じ行動を取ったもんで、少しばかり笑いそうにはなったが、実際の所笑う気力も無い程度には疲れている。
その柔らかな感触が疲弊した身体に染み渡る。
「……なんか、今にも眠っちゃいそうなんだけど、何故か目は冴えてるのよね……」
「私もです……」
「ん。エリナと一緒」
エリナの言葉に、ミリアとアスナが同意する。
俺とキースも似たような感じだろう。キースの顔を見る。
「お前、今すぐ部屋に戻って眠れそうか?」
「いや、無理だな。トレーニングでもして身体を更に疲れさせなければ、眠れそうにはない」
「そうだよなぁ。疲れちゃいるんだがなぁ」
「うむ」
そんなこんな話しているうちに、フランチェスカが手ずから淹れた茶を俺達に差し出した。
「どうぞ。ゆっくりお飲み下さい」
「ありがとうございます。フランチェスカ様」
エリナが代表して礼を言う。
その茶を見て、自分の喉がめちゃくちゃ乾いていることに気づく。ティーカップの取手を掴み、本能のままに茶を煽った。
「ちっ! あちちっ!」
「あっ! ゲルグ様! 淹れたてなので、そんな勢いで飲んだら」
フランチェスカが慌てたような声を出す。
そのアドバイスはもう数秒早く欲しかったよ。いや、「ゆっくり飲め」って言ってたな。うん。俺が悪い。
舌は火傷したが、それでも喉は潤った。でもまだ足りない。
「フランチェスカ、お代わり」
「はい」
天下のメティア教教皇を顎で使う俺をエリナが咎める。
「ちょっと、ゲルグ。アンタ、流石に」
「いえ、良いのです。お茶を入れるのは趣味みたいなところがありますから」
「申し訳ございません。私の騎士が」
「いえいえ」
にこりと笑いながら、ティーポットにわずかに残っていた茶を淹れ、また俺に差し出す。
今度は同じ轍は踏まない。差し出されたそれをゆっくりと啜る。
「はーっ、美味ぇ」
茶の味なんて俺にゃわからねぇが、喉が乾いているときはどんな水分でも美味く感じるもんだ。
「それはなによりです」
そう言って笑いながら、フランチェスカが自身の執務机に座る。
「さて、皆様」
フランチェスカが俺達の顔を見回す。
「お疲れのところ申し訳ございません。ですが、お話を聞かなくてはなりません」
その顔が不穏な色に染まっている気がしたのは気の所為ではないのだろう。
「上位領域で皆様は何を見、何を聞き、何をなさってきたのですか?」
叡智の加護でも、上位領域で俺達が何をしてきたのかは見通せていないらしい。
「わからねぇのか? 叡智の加護とやらがあるんだろ?」
シンプルに純粋な疑問をぶつける。
「……見通せていないので、こうやって尋ねています」
喉につっかえたようなフランチェスカの言葉にごく僅かな違和感を抱いた。少なくともゲティアをぶっ殺した。そのこと以外は予定通りなはずだ。
「そうか、どこから説明すりゃいいんだか……」
俺が仔細に説明しようと口を開きかけたのを、アスナが遮った。
「私達は、混沌の神ゲティアを倒した」
時が凍る。いや、正確にはフランチェスカの表情が凍った。
アスナ。お前それは直球が過ぎる。もうちょっとクッションってのをはさめよ。フランチェスカじゃなくても、そんな反応になるぞ。
「……え?」
「ちょっと、アスナ。端折り過ぎよ。えっと、フランチェスカ様?」
エリナが補足しようとした。
だが、それはフランチェスカの震える声によって止められた。
「それは真ですか?」
少しだけ俯いたフランチェスカの表情はこちらからは分からない。
だが、声だけじゃなくその身体さえも僅かに震えさせている。
「混沌の神を、皆様が滅した、と」
「ん」
「……なん、てことを……」
今度は少しばかりではない。わなわなとフランチェスカがその身を震わせる。
「なんてことを、なさったのですか!?」
そして、次いで発される怒声。
「ちょ、ちょっと待て、フランチェスカ。驚くのもわかるが」
「驚いていますよ。えぇ。驚いています。でもそれだけではありませんっ!」
フランチェスカが俺を睨みつける。いつも俺に見せる、人懐っこい表情なんかではない。メティア教、教皇としての顔だ。
「混沌の神ゲティア……。精霊メティア……。テラガルドの根幹に位置する二柱の重要な存在の内一柱を滅した、と」
その尋常ではない雰囲気に、アスナが慌て出す。
「ふ、フランチェスカ。何でそんなに怒ってるのかわからないけど、ゲティアは――」
「そのような世迷言、聞きたくはありません!」
世迷言ときたか。
「フランチェスカ様……? 確かに混沌の神は、テラガルドにとって重要な存在だったのかもしれません。ですが、理由が……」
ミリアが恐る恐る声をかける。
「ミリア。貴方は、メティア教がこの世界にとって有意義であると、そう思いますか?」
「はい」
「混沌の神ゲティア、精霊メティア。その存在は対となり、メティア教の根幹に関わります。その片方が消えた。その重大さを理解していますか?」
「それは……ですがっ!」
んなもん、皆理解している。ミリアは少しばかり違った予想を持っているみたいだけどな。
「メティア教の教義は教義。実を伴わずとも――」
「駄目なのです! それでは!」
小さな教皇が叫んだ。
「おい、フランチェスカ! 聞け!」
「聞きません!」
「いいからっ! 聞け! ゲティアは、数年後世界を滅ぼす、そういう計画を立てていた!」
「聞きたくっ……え?」
フランチェスカが俺の言葉に驚いたような表情を見せた。
「混沌の神とやらが、直接言っていた言葉だ。それを端的にお前に伝える。いいか?」
「ど、どういうことなのですか? 私にはそんな情報は……」
「いいから、考えるな! まず聞け!」
「は、はいっ!」
とにかく考えるのを止めさせる。頭が良い奴ってのは、考え込むと人の話が耳に入らねぇもんだ。
「ゲティアは言っていた。『飽きた』、ってな」
「飽き、た?」
「あぁ。だから、一旦リセットするんだと。そう言っていた」
「リセット?」
「そうだ。準備は着実に進んでいて、数年後に世界全部を滅亡させる。そしてやり直す。そんな計画なんだそうだ」
「なんですか? それ……。そんなこと、叡智の加護は……」
叡智の加護、叡智の加護ってよ。
「そんな万能なのかよ。その加護はよ。お前はなんでも知ってんのか?」
「そのつもりでした。何でも識っている。識ることができる。それが私の加護です」
なんじゃそりゃ。アホか。
「あのなぁ。フランチェスカ」
呆れたような俺の言葉に、フランチェスカがキョトンとした顔をする。
「加護を与えるのはどいつだ?」
「精霊メティアです」
「その精霊メティアが叡智の加護をお前に授けたってんならよ。その加護は、精霊メティアのコントロール下にある。そうじゃねぇのか?」
「……いえ、そんなはずは」
「現にお前は俺達がゲティアを殺したことを存じ上げてねぇじゃねぇかよ」
「ですがっ!」
「精霊にとって『都合の悪いこと』を、お前に教えるはずがねぇだろ」
そう。
加護というものが、メティアから授けられるものなのだとしたら。その力は精霊にとって都合の悪いものには決してならない。
「頭の良いお前ならわかんだろ?」
「……納得はできませんが、今は良いです。数年後に世界が滅ぶはずだった、と」
フランチェスカが俺を見て、そしてアスナを見る。
「そうだ。だから俺達は、奴を、混沌の神を殺した」
俺の言葉を最後に、静寂が訪れる。
フランチェスカは顎に手を当てて何かを考えている。
数十秒だろうか。数分だろうか。
それぐらい経って、フランチェスカがゆっくりと口を開いた。
「……そう、ですか……。皆様は神をも殺したのですね」
アスナが応える。
「ん。自分でも信じられないけど」
「そうですか……」
フランチェスカが震える手で自分のティーカップを手に取り、その中身を口に含む。
「この際です。……正直に申し上げます」
「何?」
「私は、皆様が無事に帰ってくるとは露ほども想像していませんでした」
は?
どういうことだ?
「上位領域に行き、そして混沌の神に相見える。そんなことをして生きて帰ってくるはずがありません」
つまり……。
「皆様は、上位領域に向かい、そしてそこで命を散らす。そういうシナリオでした」
このガキは、俺達が死ぬと理解っていて。
「そのつもりで、皆様を送り出しました」
「……本気で言ってんのか? フランチェスカ」
「はい」
「……もう一度聞く。本気で言ってんだな?」
「はい」
「こっ……いや、こりゃ違う。お前を叱りつける義理はねぇ。悪い」
「どうしてですか? 怒って同然ではないですか?」
「お前、怒ってもらいたくて言ってんのか?」
「……そうかもしれません」
フランチェスカがその顔を俯かせる。
「なら筋違いだ。俺達は、お前に止められたとしても、それでも行っていた。結果論だがよ、世界の滅亡は回避できたわけだ」
「……その話には続きがある。そうではありませんか?」
流石に察しが良い。
「次だ。まだ最後の仕事が残ってる」
「最後の仕事?」
「あぁ。ケリをつけにゃならねぇ」
「ケリ、ですか?」
俺はフランチェスカを見据える。
「俺達は精霊メティアをぶっ殺す」
第十部の始まりです。
いきなり不穏ですが……。
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