第九話:だから、『自分が何者か』とか、あんまり考えなくて良い
アスナが「行こう。ゲティアに会いに」、なんてかっちょよく決めたとは言え、もう夜。酒も入っていたし、その日はゆっくり休んで、それから帰ることになった。
部屋に戻って燭台に火をともす。その火を火種に煙草に火を付けて、ベッドに腰掛けた。
「ふーっ」
紫煙が部屋一杯に広がり、視界がぼやける。
――今は何もかもがどうだって良い。目的を達成する、それ以外は。
そう考えはした。だが、やっぱりこうやって改めてじっくりと思案する時間を与えられると、引っ込んでいた恐怖や不安がむくりと湧き上がってくる。
「俺は……」
俺はなんなんだ?
元々はアリスタードを根城にする小悪党だ。ガキの時分、グラマンに拾われて、色々と仕込まれて、そんでもって盗人なんてやってた。
――普通五歳ぐらいの記憶はありますよ。おかしくないですか?
イズミのいつかの言葉が脳裏によぎる。
そんなおかしいか? おかしいもんか?
わからねぇ。
そんな風に一人悶々と考え事をしていると、不意にノックの音が部屋の中に飛び込んできた。
「いいぞ」
ゆっくりと扉が開く。開いた入り口から顔を覗かせたのは、アスナとミリアだった。
短くなった煙草をもみ消して、二人を見る。
「なんだよ。二人揃って」
「ん。ゲルグが心配だ、って」
心配って。お前らなぁ。
「先程、食堂であまりにも顔色が悪かったものですから」
ミリアが心配そうに俺の顔を覗き込む。
「そんなか?」
「ん」
アスナが頷く。
「大丈夫だよ。問題ねぇ」
だってよ。これから、「混沌の神」なんざ大層な存在とくっちゃべりに行こうってんだぞ?
俺が何者か、だなんて枝葉末節な話だ。単純に俺が気持ち悪く感じてるってそんだけなんだからな。
「アスナ様と話したんです。前に少しだけ言いましたよね?」
「なにをだよ」
「他者を癒やす魔法は、人間の本来持つ自然治癒力を活性化させる。その副作用で、相手の身体が今どんな状態なのかなんとなくわかる、と」
そういやそんなことも言ってたな。俺の寿命の件がミリアにバレたときだ。アスナから治癒をかけてもらったのは、魔王の城で一回こっきり。俺の寿命がガッツリ減った後だ。
となると、寿命云々の話じゃねぇ。ミリアには口止めしてる。義理堅い奴だ。口止めした話をペラペラと吹聴するのは考えにくい。
「ゲルグ。私の予測ですが、貴方は今『自分が何者なのか』について、悩んでいますね?」
「……別に悩んじゃいねぇよ」
そう。別に悩んじゃいねぇ。ただ、わからねぇ、わからねぇ、ってぐるぐるしてるだけだ。
「自分が何者なのか。それは人間が誰しも抱えるある種の哲学的な問いです」
「だから、悩んじゃいねぇって」
「いいから、聞いてください。確かに貴方を治癒する時、僅かながら違和感がありました。普通の人からは感じ取れない、本当に小さなものです。ですが、アスナ様とお話ししてその原因がはっきりしました」
「原因?」
「ん。ゲルグは魔力の流れが他の人と少しだけ違う」
魔力の流れが違う?
「どういうことだよ」
「ゲルグが魔法を使う時のイメージってどんな感じ?」
いや、質問に答えろよ。
まぁ、良い。俺が魔法を使う時のイメージ……か。
「身体中に散らばってる魔力をかき集めて、練り上げて、詠唱によって方向性が与えられて、発火する。ってな感じだな」
その答えにアスナとミリアが顔を見合わせて納得がいったような顔をする。
なんだよ。そんな変なこと言ったか?
「普通はそうじゃない。魔力は身体の中心に溜まってる。ちょうどお腹の下。このあたり」
そう言ってアスナが自身の下腹部を手で撫で擦る。
「意識しないと、身体中に魔力を散らばらせるなんてそうそうできない。疲れちゃうから」
「疲れる?」
「はい。魔力を全身に行き渡らせるのは高等技術です。ジョーマ様やエリナ様ぐらいの魔法使いになれば、苦もなくできるとは思います。ですが、それは飽くまで必要な時だけ。本来魔力が存在しない、存在していたとしても微小、そんな末端に魔力を行き渡らせるのは、繊細で神経を使う作業なんです」
えーっと。何を言わんとしているのかわからねぇんだがよ。
「つまり、どういうことだよ」
「ん。ゲルグが『精霊に愛されている』のは、その資質に依るものである可能性が高い」
「えーっと?」
まだよく分かっていない俺に、ミリアが苦笑いしながら補足する。
「魔力を全身に行き渡らせる。それは技術的には可能なことで、貴方はそれを呼吸をするように自然にできているだけなのです。つまるところ、無意識化での魔力の扱いに長けている。貴方はただそれだけが特別な普通の人間だということです」
ミリアがそう言って、アスナを見る。アスナもミリアの顔を見返して、満足気に首を縦に振った。
「ん。他の人よりも才能があるだけ。だから、『自分が何者か』とか、あんまり考えなくて良い」
あー、そうか。それを言いたかったわけか。
「……そうか。なんっつーか」
――あんがとよ。
その言葉は口の中だけで。二人には聞こえちゃいないだろう。
「ってか、それを先に言えよ。どんな衝撃的な事実が飛び出してくんのか、気が気じゃなかったぞ」
じとりと二人を見遣る。アスナとミリアがその視線に少しだけ慌てた。
「す、すみません。順を追って説明したほうがわかりやすいかと」
いや、まぁ。その方が理解しやすかったのは事実だ。結論を急くのは悪い癖、って何度もババァに言われたもんなぁ。
「ババァはこのこと、知ってたんかねぇ」
「恐らくご存知だったと思います」
「なるほどなぁ。だから俺にちょっかいかけてきたわけか」
合点がいった。
だが、アスナがその言葉を聞いてすぐさま否定した。
「ううん。ジョーマさんがゲルグと仲良くしてたのはそれだけじゃない、と思う」
「あん?」
「ジョーマさんは、ゲルグがゲルグだってことを、ちゃんとわかってた、んだと思う」
「……いや、お前、自分が何言ってるのか理解できてるか? ちなみに俺は全然理解できてねぇ」
「むー! きっかけはそうだったかもしれない。でも、それだけじゃない。そう私は思う」
いや、皆まで言うな。からかっただけだよ。アスナのふくれっ面が面白くて、思わず笑ってしまう。
「むー! なんで笑うの!?」
「アスナ様、からかわれてるの気づいてますか?」
ミリアが頬を膨らませたアスナに苦笑いを向けた。
「わーったよ。お前らが心配するほど俺も落ちぶれちゃいねぇよ。もう遅い。明日は早いんだろ? さっさと部屋戻って寝ろ」
俺も大分眠たくなってきたんだよ。
「ん。でも、良かった」
「何がだよ?」
「ゲルグの顔、いつも通りになった」
アスナの笑顔に、俺は自分の顔をペタペタと触る。そんな酷かったか?
「別にいつも通りだよ。さ、帰った帰った。俺も寝る」
「ん。おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
そう言って二人は部屋を出ていく。
その後姿を見届けてから、煙草を取り出して火をつける。
ありがたいこったよ。こうやって心配してくれる仲間がいる。
ただ一つ。あいつらは勘違いしている。
確かに「自分が何者なのか」というところは疑問点の一つではある。だがそれは枝葉末節な話でしかねぇ。
その根本を手繰り寄せていけば、一つのどでかい疑問に出くわすんだ。
それはさっき大食堂で俺がアレハハンドロのジジィに行った言葉。
――できすぎてんだろうがよ。
そう。できすぎてんだ。
ガキの好きそうな英雄譚でも聞いてる気分だよ。ご都合主義にも程がある。
元々小悪党だった俺が? 風の加護なんて与えられて? 「精霊に愛された」とか、そんなよくわからねぇ大層な人間で? なにやらちょっとばかし才能があって?
ババァと出会って、色々教えて貰って?
そんでもって、アスナと出会って? あいつを助けたいとか思って?
なんやかんやで付いていくことになって?
それで死なずに今ここにいて?
そんで終いには、上位領域に行くためには俺がいないと駄目だ?
そんな、奇跡的な偶然があってたまるかよ。どんな確率だよ。馬鹿。
俺が生理的嫌悪感を感じてんのはそこだ。何者かどうかなんて、ぶっちゃけどうだって良い。そりゃ俺が決めることだ。そうあるべきことだ。
何もかもが都合良くできすぎてんだろうがよ。三流の無名作家でももう少しまともな脚本を考えやがるぞ。
俺は、自分の意思でここにいる。そのはずだ。
だが、それが誰かにそう仕向けられたものだったとしたら?
アスナを助けたいなんて思った気持ちも。憧れも、義務感も、なにもかも。
全てが何者かに操作されたものだったとしたら?
だったら俺は何者になるんだ?
……とは言え、出来すぎてること自体は悪いことじゃねぇ。むしろ良いことだ。
このまま「出来すぎた三文芝居」みたいな流れが続けば安心だ。俺の気持ち悪さはほっぽっといてな。
暫く前から感じていた違和感を心の中で握りつぶす。物事は上手いこと行くのが一番だ。
何しろこれから、誰もやったことがねぇはずのことをしにいくんだからよ。
隙あらば、余計なことを考えそうになる脳味噌に、軽くげんこつを食らわす。
その後で煙草をもみ消して、目を閉じた。
眠れそうにないのは、言うまでもなかった。
次の日の朝。
結局さっぱり眠れなかったもんだが、わりかし頭はすっきりとしている。
手早く身支度を整えて、前日に全員で示し合わせていた通り、アレハハンドロのジジィの謁見室へ向かう。
扉を開けて部屋を出る。
気配から他の連中はまだ準備中のようだ。
早すぎたか、なんてちょっとばかし思ったもんだが、早すぎて不都合があるわけじゃねぇ。あるとしたら、一国の主の謁見室に向かうってのに、約束の時間よりも相当早いのは少しばかり無礼だってぐらいか。とは言え、あのジジィがそれを気にするようなアホにも見えねぇ。
廊下を歩き、謁見室へ向かう。
謁見室の前に着くと扉の前の近衛が俺を見る。
「ヒーツヘイズ殿、ですね。どうぞ」
近衛がそう言って、扉を開ける。少しばかり「こいつ来るの早すぎだろ」みたいな表情を浮かべてやがったが、知ったこっちゃない。
「よぉ。ジジィ」
「早いな、ヒーツヘイズ殿」
「悪党は早起きだって相場が決まってんだよ」
「確かに朝早く、人が少ない時間の方が活動しやすい。もしくは、深夜かな?」
「あぁ。小悪党の習性ってやつだ。リスクは少しでも減らすべきだって、経験から学んだからな」
「なるほど。君が何故、彼らに受け入れられているのか、納得したよ」
ジジィが変なことを言い出す。
俺がなんで連中に受け入れられているか?
「偽悪的で、粗暴。自身を『悪党』と言って憚らない。だがそれはただのポーズであって、自身を『そうあれ』と定義づけたのだろう? その実、身内には甘く、他者を慮る。本質的には彼らと近似している」
俺とあいつらが近い? あのなぁ、ジジィ。
「馬鹿言うな。俺とあいつらじゃ、月とスッポンだ」
「そうかな?」
「ったりめーだろ。あいつらは世界を救った勇者御一行。俺はただの使いっぱだよ」
「だが、二度目の魔王討伐で君の功績は大きかったと、エリナ殿から伺ったが?」
エリナのやつ、余計なこと言いやがって。
「そりゃあれだ。あいつなりに俺に気を遣ったんだろ。俺は大層なこたしてねぇよ」
「『大層なことはしてない』、か。ははっ。君にとってはそうなのだろうな」
ジジィが意味ありげに笑う。気に入らねぇわけじゃねぇが、何となく馬鹿にされている気がして、後頭部をかきむしる。とは言え、そこはジジィの人柄なんだろう。嫌な感じはしない。
このままジジィと益体の無い会話に興じるのも、悪かねぇ選択肢ではある。
だが、その時間は今無くなったみたいだ。
謁見室の扉が開く。連中がそれぞれ、アレハハンドロのジジィに礼を尽くしながら中に入ってくる。
そんですでに謁見室でジジィと話し込んでいた俺を見つけて、思い思いの反応を示した。
「あー! ゲルグ! アンタ、部屋に居ないと思ったら、先に来てたのね! 駄目でしょ! 時間の約束は遅くても早くても失礼なのよ!」
「っるせぇよ」
あー、やかましい。エリナのキンキン声が頭に響く。
「おはようございます。ゲルグ。昨日はよく眠れましたか?」
「まぁまぁ、ってとこだ」
さっぱり眠れていないのは心の中にとどめておく。ミリアを徒に心配させても、申し訳ねぇし、面倒っちゃ面倒だからな。
「悪党。さては興奮して早く起きすぎたのだろう。なにしろ、上位領域に行くなどという、前人未到を成し遂げんとするのだからな。何を隠そう俺も眠れなかった」
「一緒にすんじゃねぇ」
てめぇは脳筋だから、ドキドキとワクワクが収まらなかったんだろうがよ。頭の中お花畑は幸せだよ。ったく。
「ん。ゲルグ」
「おう、アスナ」
「だいじょぶ?」
「大丈夫だ。あんがとよ」
「ん」
アスナが満足気に笑う。
一晩ずっと考えたんだ。
できすぎてても良い。それがどうした。
俺はこいつが屈託なく笑える、そんな未来をもぎ取るって決めた。
それが達成できるなら、何もかもが実際どうだって良い。
その程度には、俺はこの勇者サマのあれこれを他人事とは思えなくなってんだ。多分、それは最初っから。
アスナがジジィを見る。
「アレハハンドロ陛下。おはようございます」
「おはよう。武運を祈っている」
「はい。ありがとうございます。行って参ります」
「うむ。行ってきなさい。なに。きっとうまくいく」
「はい」
アスナがジジィに笑顔を向ける。
「アレハハンドロ陛下。此度は多大なるご厚意、誠にありがたく存じます。全てが片付きましたら、必ず何らかの形でお返しさせていただきます」
「エリナ殿。お返しなど必要はない。それを言い始めたら今生きている全ての人間は君達に返しきれない恩がある」
「……それでも、です。ありがとうございました」
そして、エリナが皆を見回す。
「さ、行くわよ。フランチェスカ様は確かに教皇猊下。だけど、ちょっとおいたが過ぎてる。可愛がってあげないとね」
お前「可愛がってあげる」とか言うなよ。相手が誰だったとは言え、お前の可愛がりは恐ろしい想像しかできねぇんだよ。
エリナが詠唱を始める。ババァの置き土産。簡易転移。行き先はメティアーナ。
エリナの言う通り、まずはフランチェスカだ。あの小賢しいガキを言いくるめて、上位領域への入り口ってやつを吐かせねぇとな。
「行こ」
アスナが全員の顔を見回し、それぞれ大きく頷いた。
そして、エリナの魔法が完成する。
「ジジィ、世話になった」
「君達はジョーマ様の愛しい子供らだ。弟子である私が協力しない選択などありえないよ」
そんなとこもババァとおんなじなんだな。ったく、このお人好しどもめ。
「簡易転移」
景色が歪む。
一行はメティアーナへ。
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