第六話:ゲルグが、どっか行っちゃうような。そんな気がした
アスナとひとしきり街を歩き、城に戻る。
小腹も満たされたし、アスナも満足そうな顔をしてるし、何も文句はねぇ。
城門をくぐり抜け、そして城まで続く長い庭園をアスナと並んで歩く。
その庭のど真ん中で、アレハハンドロのジジィが剣を持って突っ立っていた。上半身には何も着ていない。
その体躯は、歳を重ねたとは思えないほどに引き締まっており、皮膚のたるみはあるものの、内側に強靭な筋肉が高密度で詰まっているのがありありとわかる。
ジジィは剣を真っ直ぐ構えて動かない。だが、身体から真っ白な煙のようなものをたなびかせていることから、ただ突っ立っているというわけではないことを理解させられる。
「アレハハンドロ陛下の稽古……」
「あん?」
「何度か見た。あの方は頭の中で戦ってる。見て、微妙に筋肉が動いてるの、わかる?」
アスナの言葉によく目を凝らすと、筋肉が痙攣するように動いている。
今、剣を横薙ぎに振った。相手に避けられた。相手の剣閃を後退り紙一重で避けた。そんなイメージが脳裏に浮かぶ。
実際にはジジィは一切大きく動いてはいない。だがその身体の動き。起こりだけで、そんな錯覚さえ覚える。
「す……げぇ」
「ね。私も始めてみた時信じられなかった」
避ける。薙ぐ。斬る。弾く。いなす。
剣を持った人間がするあらゆる動作の、「筋肉の起こり」だけ。
それだけで、あのジジィは確かに脳味噌の中の相手と戦っているんだ。
数分ほどそれを眺めていると、ジジィが構えを解き、ふーっ、と大きく息を吐く。
「アスナ殿。ヒーツヘイズ殿。見ていたのなら声をかけなさい」
ジジィが微笑みながらこちらに顔を向ける。
「申し訳ございません。邪魔立てするのにためらいました」
「そのような気遣いは無用だ。つまらないものを見せたな」
「いえ、いつ拝見しても、お見事です」
「恥ずかしい限りだ。寄る年波には勝てず、実際に身体を動かすと、すぐに参ってしまってな。なので感覚だけでも劣らぬように、と考え抜いた結果だ。年寄りの最後の足掻き、とでも言えばよいかな?」
そう言ってジジィが大きく笑い声を上げる。
いや、そんなレベルじゃねぇだろ。今のは。
普通の人間じゃあんな芸当はできねぇ。
効率的な身体の動かし方を熟知しているはずの、イズミだってできなかっただろう。
「さて、今日の稽古はこれくらいにするつもりだったのだが……」
ジジィが俺をちらりと見る。
ちょっと待て。嫌な予感がするぞ?
「ヒーツヘイズ殿。少しばかり、枯れた老いぼれの戯れに付き合ってくれないかな?」
馬鹿言うんじゃねぇよ。
とっさに断ろうとしたもんだが、柔らかな声色とは裏腹に、その眼光は俺を「絶対に逃さない」と告げていた。
ため息を吐く。
「さっきのを見せられて、俺みたいなのが勝てる気がしねぇんだがよ」
「そんなことはない。どうあがいても私は年寄り。年寄りに負けては……」
ジジィの瞳がギラリと光る。
「君の目標は達成できないかもしれない」
逃げられねぇし、そこまで言われちゃ男もすたる。
俺はカバンから煙々羅と天逆毎を抜かずに取り出し、構える。ついでに紐も。紐で鞘と柄を縛り、吹っ飛んでいかないようにする。
敵じゃない人間相手に真剣を向ける事自体には抵抗はねぇ。だが、万が一にも、俺がこのジジィを傷つけたとしたら、その方が厄介だ。
そんでもって、寸止めやら手加減やらを込で勝てる相手でもないだろう。躊躇した瞬間、容易くボコボコにされる。そんな気がする。
「そのような気遣いは無用だ」
「立場ってもんを考えろ。それにそっちだって、刃を潰してんじゃねぇか。おあいこだ」
ジジィの持っているのは、刃を潰した訓練用の剣。当たりゃ痛ぇが死ぬほどじゃねぇ。
「そうか。君がそれで良いならまぁ良い。では……」
アスナが心配そうな顔を少しだけ向けて下がる。
「参る」
瞬間、半端ないスピードで、ジジィが目の前に迫った。
やべっ。終わった。と一瞬思ったが、イズミの経験を借りパクみたいなことしている俺の身体は優秀らしい。
筋肉の流れを。力の流れを。瞬時に無意識で判断する。振り下ろされた剣に右手の天逆毎を添え、わずかに軌道をそらす。
「それが君の戦い方か」
「っ! 弱者の生きる術だよっ!」
目線で、筋肉の僅かな動きで、ジジィの行動を誘導する。だが、老練したこの剣士にそれが通じるか。
いや、かかった。
狙い通り、ジジィが俺の腹を狙って横薙ぎに剣を振る。それに合わせて左手の煙々羅の背で受け止め、そしてそのままジジィの剣に沿って小太刀を滑らせる。
そこを起点に、身体を捻らせる。一回転。ジジィの右肩に右手の前腕を当てそこを軸にもう一回転。
上手く行った。このまま、ジジィの首筋に天逆毎を当ててチェックメイトだ。
の、はずだった。
「奇妙な動きをするものだな。その技術はどこから?」
だが、背後を取られていたのは俺の方。何が起こった? 背中に、とん、と剣の先端が軽く当てられる。真剣なら、本気の勝負なら、俺はこれで死んだ。
末恐ろしいジジィだ。
「……ヤーペンにいるらしい、忍って連中の技術だ。その中でも、一際優秀なくノ一に教わった」
「忍、か。私も聞いたことだけはある。見事な体捌きであった」
「負けた奴に『見事』とか言うバカがどこにいんだよ。世辞なんて恥ずかしいから辞めろ」
「世辞で言ってるのではない。私は戦の精霊に認められた人間だ。自分で言うと陳腐だが、『戦いの天才』と称されたこともある」
戦いの天才ねぇ。俺からすりゃ、天災だよ。
ジジィが構えを解いた気配を感じて、俺は振り返る。年寄りには似合わない、男臭い微笑みを浮かべながらジジィが俺を見ていた。
「いや、すまなかった。アスナ殿がえらく気に入っている君の実力が気になってな。少しばかり試させてもらった。武人、いや元武人の性というやつだ。許してくれ」
俺最近試されること多くねぇか? そんな大層な人間になった覚えはねぇんだがなぁ。
「んで? 試してみた結果はどうなんだよ? 怖くて聞きたかねぇが、どうせ言うんだろ?」
「……及第点、と言ったところか。身体能力に目を見張るものはない。だが、余りある技術がそれをしっかりと補っている。正道な戦い方ではないが、十二分に『強者』であると言える」
「……そりゃ、結構な高評価、ありがとよ」
朗らかに笑っていたジジィが、その笑顔を引っ込める。
「そして……これは私の推測だが……。君は……」
「あん? 俺がなんだってんだよ」
「……ふむ。辞めておこう。憶測で話して良いことと悪いことがある。気にするな」
そこまで言われりゃ気になるだろうが。辞めろよ。
「てめぇが何を思ったかは知らねぇがよ。俺は元小悪党で、今はアリスタード女王陛下の直属騎士見習い。そんだけだよ」
ジジィが鼻を鳴らしてから、顎に手を添える。
「そうか。そうだな」
引っ込んだ笑顔が、また戻ってくる。
「気分が良い。今宵の祝宴は贅を尽くす。期待していてくれ」
「そりゃ楽しみだよ」
笑い声を豪快にあげながら、ジジィが踵を返し城に向かう。
その後で、アスナが走り寄ってきた。
「ゲルグ、凄い」
「凄かねぇよ。負けたろうが」
負けるとは思ってたんだけどな。ハナっから勝てる気がしねぇ。
「私でも、陛下と戦ったら、全力を出しても五分五分。勿論長期戦に持ち込めば、負けはしないけど……」
はぁ? あのジジィどんだけバケモンなんだよ。
「世界は広いなぁ」
アスナでも勝てるかどうか怪しいバケモン。んなもんこんなホイホイ出てこられても困るだろうがよ。
「ところで」
「あん?」
「決着が着いた後、陛下と何か話してたけど――」
「他愛もねぇことだよ。気にすんな」
「ん」
髪をかきむしる。ジジィの迫力に、冷や汗がダラッダラだ。背中も詰めてぇし、頭皮が汗で塗れまくってる。こりゃ、いっぺん行水でもしねぇと臭くなるな。
「さ、そろそろ夕方も近い。部屋で一休みしてから、晩飯だ。楽しみだな」
そう言ってアスナに背を向け、城の中へ向かう。
「ねぇ」
背中から、アスナの震える声が聞こえた。思わず足を止める。
「ゲルグ、なんかした? なんか、陛下と手合わせしてから、変だよ?」
いつも通り、じゃねぇか。何言ってんだよ。少なくとも俺はそう振る舞ってる。
振り返って笑う。
「別に何もねぇよ」
「本当?」
「あぁ」
「なんか……うまく言葉にできないんだけど……」
「なんだよ」
「ゲルグが、どっか行っちゃうような。そんな気がした」
こういうときばっかり察しが良い。いや、別にどっか行ったりとかは俺だって考えてねぇよ。
まだ確信が持ててない。そんなことあれこれ考えるのは時間の浪費でしかねぇってことだ。
――君は特別だ。自分でも薄々感づいているだろう?
死の大陸で聞いた、財の精霊の言葉が頭の中に木霊する。
「バーカ、余計な心配してんじゃねぇ」
「でも」
「一回やって、俺ぁ懲りたんだよ。エリナに殺される」
「そう、だよね……」
「あぁ」
アスナと別れてから、俺は城の中をウロウロして、使用人に身体を洗える場所を聞いた。
そしたら、大浴場なんてもんがあるらしい。浴場ってのは、あんまり馴染みがないが、最高に気持ちの良いものだと聞いたことがある。
部屋に戻り、ちょちょっと着替えを用意して、教えられた場所へ向かう。
扉を開けると、小さく間切られた部屋があった。奥の扉の向こうは、靄がかってよく見えない。
つまりここで服を脱いで、そんであっちが大浴場とやらなんだろう。手早く服を脱いで、奥に入り込む。
「おー」
思わず感嘆のため息が漏れる。
広い。そしてど真ん中が凹んでいてそこに湯が溜められている。知識だけでは知っていたが、こりゃ良いな。
身体を軽く流してから、湯船に飛び込む。心地よい温度の湯が、さっきのジジィとの手合わせで肉体的にも精神的にも疲れ切っていた身体に染み渡る。
「ふうーっ」
思わず深く息を吐く。
こりゃあれだ。滅茶苦茶気持ち良い。
「どうかね? 我が城の大浴場は」
背後から突然かけられた声に、驚きながら振り返る。
気配察知はオフにしていなかった。つまりこのジジィは気配を消してここまで来た。
「……ったく、マジで末恐ろしいジジィだ」
「君は他人の気配に敏感そうだからな。少しだけ意地悪をさせてもらった」
マッパのジジィが仁王立ちしている。しわくちゃのボディにも関わらず、筋骨隆々。それが中々に違和感だ。
ゆっくりと歩き、身体を軽く清めたジジィが俺の隣に座る。ふーっ、と息を吐き、そして目を閉じた。
「この大浴場はな、先代が作らせたものだ。近くに温泉源があってな。そこから湯を引っ張ってきている」
「魔法で水を作って温める、とかじゃねぇのか」
「まさか。自然の産物だ」
「へえぇ」
ジジィが湯を手ですくって、顔を洗う。
「稽古が終わった後は、こうして湯浴みをする。もうすっかりルーチンだ。やらなければ一日の調子が悪い」
「そりゃ、難儀なこって」
と言いつつも、気持ちはわかる。イズミとずっとやっていた訓練。俺もそれはルーチンになっているもんだ。根が真面目じゃねぇもんだから、たまにサボったりはするが、そんな日はなんとなく調子が出ない。
さらに言えば、そんな日は、イズミの顔がちらつく。「ゲルグさーん、駄目ですよ~。日々の鍛錬と、そこに裏付けられた技術が我々の資本ですよ~」とか脳内のあいつがほざきやがる。いや、完全にイメージなんだけどな。
だもんで、もう居ないあいつに、なんとなく申し訳ない気持ちもあり、あいつから受け継いだ技術を失わないようにしたいというのもあり、できる限り毎日トレーニングはしている。
「さて、今宵の宴。食事をしながら、君の目標を達成する為の話をする」
「そりゃありがてぇ。喉から手が出るほど欲しい情報だよ」
「だが、君はこうも考えている。『それもまた真実とは限らない』」
正解だよ。このジジィ察しが良すぎて、マジで困る。
「お楽しみは取っとくとして、前もって聞いておく。『直接聞きにいく』。その考え自体は間違っちゃいねぇ。そう思う」
ジジィが俺の方に顔を向けた。
「リスクは? 足りない頭で考えりゃ、『二度と戻ってこれなくなる』だとか、『生贄が必要』だとか、そういった感じなんだがよ」
なにしろ、上位領域に行こうってんだ。
「君が考えているようなリスクは無いと言って良いだろう。だが『二度と戻ってこれない』というのは、当たらずとも遠からず、といったところだ」
「どういうことだ?」
「普通に話を聞いて帰ってくるだけなら無い。だが、相手が問題だ。混沌の神。話してみて、機嫌を損ねた時、どうなるか」
「あぁ、そういうことか。つまり、『全員死んで、帰ってきたくてもこれねぇ』ってパターンか」
「そうだ」
ならちょっとばかし安心だ。いや、安心してる場合だけどよ。それでも問答無用で帰ってこれなくなるとかなら、ちょっとばかし躊躇するもんだが。
俺は置いといて、アスナ達は人類最強の一角、それを集めた集団だ。そうそう簡単にやられはしない。多分。
「晩飯、楽しみにしとく」
「そうしておけ」
「じゃ、俺はもう上がる。長く浸かると具合悪くなりそうでな」
ざばり、と音を立てて、湯から出る。
晩飯を食って、ジジィの話を聞いて。
そんで鬼が出るか蛇が出るか。
とは言っても、試してみるだけなら、そこまで大きくリスクはねぇ。俺一人で特攻して、他の連中に死ぬほど恨まれる可能性も少しは減った。
後はその方法が現実的なのかどうか、か。
大浴場とやらを後にする。
アレハハンドロ様。
お強い。お強いです。
補足しますと、身体能力や天性の勘の良さ、精密な身体の動かし方、そういった部分ではわずかにですがアスナに軍配が上がります。
ですが、アレハハンドロ様には経験という蓄積が有ります。
総合的に鑑みると年若いアスナが「戦っても五分五分」というのは割りと楽観的観測だったりします。
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