閑話:メティア教教皇の憂鬱 前編
フランチェスカ視点の閑話前編です。
視点移動等嫌いな方は飛ばして下さいまし。
読まなくても大きく影響はありません。多分……。
「――以上が、メティア聖公国に受け継がれる初代教皇の手記、その内容だ」
「はい」
識っている。私はその書の内容を全て識っている。
「今伝えたのは、手記に書かれた内容をざっくりと要約したものだ。詳細な内容はここに全て翻訳し書き起こしている」
「ありがとうございます。メティア聖公国でも長年の謎だったのです」
識っている。テラガルドの魔女とまで呼ばれた目の前の女性が、「私が識っている」ということを理解した上で、今こうして話していることを。
「あやつらには話しておらぬ。魔王打倒に向けて出発せんとする、このタイミングでわざわざ伝える必要はあるまい」
「私もそのように存じております。ジョーマ様」
識っている。目の前の女性が翻訳した内容は世界の真実と呼べるであろうもの。その半分も明記されていないことを。
「……フランチェスカ・フィオーレ。そなたも余の愛い子供らの一人だ。そう余は考えている」
「ありがとうございます。ジョーマ様にそう仰っていただけて、私嬉しく存じます」
識っている。目の前の女性が全てを把握してはおらず、それでいて「全てを把握していない」ことをきちんと理解していることを。
「子供らが喧嘩をするところは、例え死んだ後でも見たくは無い。余がそう思っていることだけ、しっかりと覚えておくが良い」
「はい、勿論です」
手慰みにテーブルの上に用意したティーカップの持ち手をなぞる。ざっくりと要約したと言っても、それなりに話は長かった。冷めたお茶もそれはそれで美味ではあるのだが、今日はタイミング的に気分ではなかった。持ち上げて口をつけようとし、すぐに辞める。
「そういえば、今代の魔王についてですが、彼らにはお伝えしたのですか?」
「いや、敢えて今伝えることもあるまい。確信も持てておらん。じきにわかることだ。あやつらの士気を徒に下げてもな」
叡智の加護。歴代のメティア教教皇を遡っていっても、その加護を与えられた者はいない。私が初めてだ。
過去、その強すぎる力を与えられたのは、メティア教をただ信仰するだけの者が数名。その誰もがその与えられた叡智によって、真実の一端に触れ、不幸な末路を辿った。
ある者は人間には多すぎる知識の量に狂い、泣き叫びながら自死を選んだ。
ある者は加護によってもたらされた真実を世界中に公表しようとし、成し遂げる前に教会から異端認定を受け、処刑された。
ある者は……。いや、辞めよう。未来は流石に私の加護をもってしても分からない。記憶を掘り起こす作業に停止指示を出す。
「さて、別の話をしよう。余がこの作戦に関わっていることは公にはしないほうが良いだろう。今を生きる人間が、それぞれの力を結集させアスナ・グレンバッハーグを支援した。そんなシナリオが望ましい」
「理解しております」
「そなたは話が早くて助かる。どこぞの結論を急く癖のある、自称小悪党とは偉い違いだ」
ジョーマ様が「ふふ」と小さく笑いながら、ティーカップを口に運ぶ。中身を一口飲み、そして少しだけ顔をしかめた。冷めたお茶は彼女の口には合わなかったらしい。悪くはないのにな、と少しだけ残念に思うも、自分もタイミング的に同じ顔をしたであろうことに思い当たって、心のなかで苦笑いを浮かべる。
「叡智の加護。使いこなしているようだな」
「はい、お陰様で」
この加護が私に与えられたのは――正確には「与えられていることが判明したのは」だ――齢にして五つの頃。
周囲は私のことを、酷く頭の回る幼児だと気持ち悪がっていた。それはそうだろう。五歳程度の子供が、まるで数十年学問を追求した大人のようなことを口走るのだ。当然だと思う。
当時私はどう思っていただろうか。
……そうだ。要約すると「周囲の人間はなんでこうも頭が悪いのだろう」、だ。私にとって識っていることは当たり前のことで、それ以外の人間は普通じゃない。そんな認識だった。
人並みから外れた私に対して優しく接してくれたのはミリアだけだった。しかし私にとっては彼女も「普通じゃない」人間の一人で、早い話が見下していた。
勿論それを表情に出したりすることは良好な人間関係の構築に支障を来すということを識っていた。なので表向きは、優しい姉のような存在に甘える子供という図式になっていただろう。
メティア教の枢機卿の一人。その娘である私に件の加護が与えられていること。それに最初に気づいたのもミリアだった。丁度、相手に付与された加護を判別する方法を習ったらしく、その練習相手として私が選ばれたのだった。
そこからの周囲の反応の変わりようは面白かった。
気味悪がっていた大人はこぞって私を「次期教皇だ」などと騒ぎ立て始めた。当然、権力欲に塗れた私の父親が積極的に裏から手を回して、お膳立てをしていった。あれよあれよという間に、先代の教皇の体調が悪化した。私の知る由の無い場所で全てが決まり、そして将来教皇への内定が下された。
それは私が九歳になったばかりの頃。
父からすると都合が良かったのだろう。自身の娘を傀儡として操り、世界最大の宗教を意のままにする。彼が好きそうな筋書きだ。醜悪な笑顔で、内定を喜ぶ父の表情を若干の嫌悪感を感じながらも思い出す。
その頃には加護の扱い方にも慣れ、彼の醜い欲望の一端も識っていた。
それを私が快く思うと想像する人間はいるだろうか。それは識らない。識ろうと思えばできるだろうが、脳のキャパシティーを軽く超えてしまうことも識っていたため試したことはない。
でも、周囲からみると仲睦まじい親子に見えたのではないだろうか。だからこそ、父が毒殺された時、私は疑われもしなかった。勿論計画は入念に。事前の印象操作も完璧だ。私は「私が疑われないだろう」ことを識っていた。
私を律するのは私一人で良い。愚かな他人に自分の行く末を任せるなど狂気の沙汰ではないか。そういう意味では父も私にとっては不要で邪魔な人間の一人に他ならなかった。
その顛末の一部始終を思い出すと、今でも笑える。私が計画したシナリオ通りにことが運んでいくのはまさに痛快だった。他者をそうとは悟らせずに意のままに動かす。その作業は殊の外私の趣味に合っていた。
予想外――というよりも、そこまで気を回していなかった――だったのは、全てが一段落した時に、ミリアが私を強く抱きしめ頭を撫でてくれたことだった。その時の感情は、加護の力を用いても何故か明確に思い出すことはできない。
ただ、その時の私にとって、非常に世界に対して偏った考えを持っていた私にとって、大層衝撃的な出来事だったことは確かなのだろう。
その日を境に私はミリアを見下すことはなくなった。本心から実の姉のように慕うように変わった。人間という頭の悪い生き物の中にも、尊敬に値する者は存在する。幼心にそのようなことを理解した。それは識らなかった。
立場が違えど、私にとってミリアは数少ない心を許せる人間の一人だ。私に大きく影響を与えた人物の一人だ。彼女には感謝せねばなるまい。
ミリアがいなかったら、私はとんでもなくろくでもない教皇に成り下がっていただろう。加護の力を使わずともそんなことは知っている。
善意の塊のような彼女の影響を受けたのか、受けなかったのか、いつのまにか私は自分にもたらされた叡智の加護をどうやって世界の為に有効活用するかを考えていた。
叡智の加護。
それは確定した事項について、識らんと念ずれば、識ることができる。そういった力だ。人間には過ぎた力だと自分でも思う。
識ることができないものも勿論ある。
それは未来。未来はその瞬間の様々な力学とある程度の無作為性によって決まっていく。そこに無作為なものが介在している時点で確定した事項とはならない。つまるところ未来がどう転ぶか、というのは誰にも分からないのだ。
だが、逆に言えば、未来のこと以外は全て「識らんと念ずれば、識ることができる」。それが精霊のことであっても、神のことであっても。この世界、テラガルドの理の中にあるものであれば全て。
叡智の加護というものはそういうものであるそうだ。そう聞いているし実感している。
とは言っても、全てを識ろうとなんてしてしまったら、それこそ廃人になってしまっただろう。幸運だったと思う。その時の私はまだ、自身の周囲の環境に関してのみ力を使い、世界の真実や、それに準ずるものなどは識ろうとはしなかった。
私に叡智の加護がもたらされていることが公表されたのは、教皇の内定を賜ってしばらくしてからであった。先代の教皇から世界中に向けて「フランチェスカ・フィオーレが次の教皇である」と勅語が出され、数日後くらいだった。
ジョーマ様と初めて出会ったのはその頃だった。
彼女は私に力の使い方を懇切丁寧に教えてくれた。何を識ろうとすれば危険なのか、どういう風に力を制御すればよいのか。力の使い方を全く知らない私に、彼女は手探りながら、手取り足取り訓練してくれた。
そして、ジョーマ様の力を借りながら、私は加護の力を利用する上でのルールを設けた。
一つ。「識るべき事柄」と「識るべきではない事柄」を事前にじっくりと吟味すること。
一つ。「識るべき事柄」であっても一度に全てを識ろうとはせず、ゆっくりと噛み砕き、段階的に知識を仕入れること。
一つ。自分が好ましいと考えている人間のことを探るようなことには、力を利用しないこと。
他にも細かいルールは沢山決めたが、大きくはその三つだ。未だ気が狂わずに私が私のままで保たれているのは、偏にそのルールのおかげであると言っても過言ではないだろう。
それらを踏まえて、私に大きく関わってくれたミリアと、ジョーマ様。この二人が今の私の人格形成に大きく寄与している。
ミリアは世界中の人間が幸せに生きていくことを漠然と願っていた。
ジョーマ様は人間という種がこの先どのように成長していくべきなのかを真剣に考えていた。
彼女らの思想は私の思想に影響を与えた。
世界をより良くするには、どのようにすればよいか。
世界をより健全なものにするためには、どのようにすればよいか。
世界中の人間を幸せにするためには、どうするのが正しいのか。
いつからかそんなことを考えるようになった。
考えて考えて考えて――このことに関しては未来の事柄に含まれる為、識ることはできなかった――出した結論は、「メティア教が世界にとって非常に有益なもの」だ、ということだった。
メティア教を疑うものは少ない。信徒ではなくとも、精霊は「魔法」という技術を以て人間にとって身近な存在として認知されている。精霊の存在を否定するものはマイノリティだ。つまるところ、魔法という技術が世の中に根ざしている、それが大きな要因だ。
魔法によって、人々の生活は豊かになる。メティア教の神官も魔法を使って人々を救済する。それらを重ね、メティア教はテラガルドにおいて確かな基盤を築いた。
権力欲に塗れた父を好んではいなかったが、世界をより良くするためには権力というものが必要不可欠であることも理解した。
その上で、私が据え置かれた「メティア教教皇」という立場は、非常に重要なものだ。この立場が無ければ色々と難儀しただろう。
そういった様々な私の生い立ちが前提となって、私は「メティア教という宗教が健全な組織として人々から信仰される未来」を目指すようになった。これといった切っ掛けはない。いつのまにかそういうことばかり考えるようになっていた。
宗教というのは、その教えというのは、ある種の洗脳に近い。悪用すれば様々なことができるだろう。
でも、それを良い方向に利用した場合。洗脳された人間たちは幸せなのではないだろうか。
教義という甘言を味わい、「信じる者は救われる」などといった詭弁を心の底から真実だと思い込み、そして魔法という力を以て奇跡と救いを与えられる。
世界が、人々が幸福に、そして健全に生きていくためには、メティア教の教えは必要不可欠だ。
そのためには手段を選んではならない場合もある。
そのためには公表すべきではない真実もある。
「フランチェスカ・フィオーレよ。余は恐らく死の大陸で散ることとなる」
ジョーマ様が微笑みながら私にそう言った。
――そうお考えになっていることは理解しています。
「余は、実のところ、結構直情的でな。今代の魔王。あのような凶行に走っている者がユリウス・アレクサンドロやもしれぬことが許せぬのだ。どうせ老い先短い身だ。文句の一つでも言ってやって、そして一発ぶん殴ってやりたい。そうして死ねるなら、それもまた一興ではないか、と思うのだ。愚かだと思うか?」
「いえ、貴方のそのお気持ちを愚かだと申し上げることは、私にはできません」
手段を選んではならない場合。そういった場面はいくつも遭遇してきた。そして今、まさにその場面に直面している。
彼女は恩人だ。本来であれば止めるべきなのだろう。でも、世界の幸せを考えるなら、彼女は、ジョーマ様はいずれ邪魔になる。
「そなたにとってもその方がよいだろう」
「……否定はしません」
「そう言うだろうな、と思っていた。賢くなったな」
口を噤んで、テーブルの上に置かれた二冊の書に視線をやる。
先程、ジョーマ様が私に差し出した本。初代教皇の記した手記、そしてそれを翻訳したものが、まさに「公表すべきではない真実」だ。
ここに記されている「真実の一部」は、メティア教を信じ、幸せに生きる人間たちにとって不都合過ぎるものだ。
なればこそ、世間に対しては隠し通さねばならない。
「フランチェスカ・フィオーレよ」
「なんでしょうか? ジョーマ様」
「ゲルグの、あやつの目指すところは聞いたか?」
「いいえ」
「だが、識ってはいる、というところか?」
「いいえ。識りません」
ジョーマ様が少しばかり驚いたような顔をする。
「そうか。予想外であった。これからも識る気はないか?」
「はい。ゲルグ様は私にとって『好ましく感じる方』です」
そう、ゲルグ様は不思議な方だ。
最初は他の人間と同じ有象無象だと思っていた。
けれど違った。何が違うのかはわからない。
でも決定的に一つ違ったのは……。
私を徹底的に子供扱いするところだ。
「私は私の目的を達成するために手段は選びません。ですが、自らに課したルールは守ります」
手段は選ばないがルールは守る。酷く矛盾に満ちた言葉だと自分でも思うが、それも私の根幹の一つだ。
「……そうか……」
ジョーマ様が苦々しい顔をする。なんでそんな顔をするのだろう。私は疑問に思う。
「薄々感づいてはいたものだが。あやつの目標と、そなたの目標は、最終的に衝突を起こすやもしれん。その時、どうするか、今から考えておくが良い」
ゲルグ様と衝突。余り考えたくはない。
その時私はどうするのだろう。どういう行動を起こすだろう。
「はい。ジョーマ様。きちんと考えておきます」
「ふむ。やはりそなたとの会話は退屈せぬな」
ジョーマ様の小さく笑う声が耳に心地よい。
その笑顔に精一杯の笑顔を返しながら、私はゲルグ様のことに思いを馳せた。
フランチェスカ、驚きの黒さ!!
でも、「未来以外であれば、望めばすべて知ることができる」なんて能力を与えられたら、
こうなるのかなぁ、とか思います。
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