第十八話:貴様もそういう顔をすることがあるのだな
廊下に出てきてから数分ほど。ようやく吐き気も収まった。壁に手をついてうずくまっている間、俺のことを怪訝そうに見る人間が何人か通り過ぎていったが、いちいち気にしている余裕もなかった。
少しばかりふらつく身体を無理矢理立たせて、司令室の扉を開け、中に入る。
中は賑やかで、作戦の成功を祝う空気が部屋いっぱいに広がっている。
「あ、ゲルグ様。いかがされたのですか?」
フランチェスカが無邪気な顔で俺のもとに走り寄ってくる。さっきまでのやり取りを、微塵も気にしていないような素振りに少しばかりの不気味さを感じた。
「悪ぃ。心配するな。大丈夫だ」
「そう……ですか」
心配そうに俺の顔を覗き込む。その顔を見て、また胃の中の物が逆流しそうになるが、なんとか抑え込んだ。
早合点するな。飽くまで、今の段階で分かっていることは、「フランチェスカが何か隠し事をしている」ってだけだ。
隠し事なんて生きてりゃ誰でもする。それをただ無粋に尋ねて、「そんな訳ない」と一蹴された、それだけじゃねぇか。俺は何をそんなに気にしてる?
俺の顔を覗き込んでいるフランチェスカにすら聞こえない程度の声量で、低くうめき声を上げて、ボサボサの髪の毛を掻きむしる。
「だ、大丈夫ですか? 本当に」
フランチェスカが再度心配そうに俺を見た。
「あぁ、悪い。大丈夫だ」
大丈夫。飲み込め。こいつが何を隠してようが、隠していまいが、俺には関係ない。俺に、俺達に隠し事なんてしそうもないこのちっこい教皇サマの意外な一面を見て動揺しているだけ。そう、それだけだ。
頬を両手で挟むように叩く。乾いた音が響き、喧騒の中にかき消されていった。
忘れる。それが害になるかどうかなんて今はわからねぇ。だから忘れる。
それに、俺はこいつを、フランチェスカを疑いたくない。この人懐っこい笑顔で俺に話しかけてくる愛すべきガキに疑念なんて抱きたくはない。
後で考える。今はもっと先に伝えないとならないことがあるはずだ。
ババァのことだ。
「……フランチェスカ。死者はゼロって言ってたな」
「はい。死者はいらっしゃいません」
他の四人は何をこいつに伝えるのか察したのだろう。
アスナの顔が少しだけ陰る。エリナが「今言うの!?」みたいな顔で俺を見る。ミリアが泣きそうに顔を歪ませる。キースは無表情でこちらを見ていた。
「訂正だ。ゼロじゃねぇ。一人死んだ」
「……ごめんなさい。知って、います」
なんだ。知ってたのか。じゃあ、なんで――
「ゲルグ様。申し訳ございません」
「なにがだ」
「ジョーマ様がこの作戦に参加されていたことは、この司令室にいる人間と、指揮官レベルの高官のみが知っている機密事項です。あの方の存在も、亡くなった事実も、今はまだ公表することはできません」
そりゃまた。
「なんでだよ」
「これからの世界を考慮した結果です。『テラガルドの魔女』という存在は、今の世界にとって余りにも重いのです。此度の作戦は各国の強者のみで完遂された。そういうシナリオが必要なのです」
聞き捨てならねぇ。
「それじゃあなにか? ババァは今回特段何もやっていやしなくて、気づいたら老衰で死んでた、そういうことにするってぇことか?」
「……そこまではっきりと公表するつもりはありませんが、概ね仰るとおりです」
何を考えてる? さっきまで芽吹きかけて、無理矢理押しつぶした疑念の芽がまた一気に育っていく。
「ババァはっ!」
「ゲルグ様!」
フランチェスカがガラにもない大声を上げる。
「今代の魔王が先代の勇者であったこと。私は此度の作戦を通して存じています。そして、ジョーマ様が先代の勇者の仲間であったことも。それが大きな理由の一つです」
理屈は理解できる。だが納得はできねぇ。
ババァは魔王に一発イイのを食らわすため、命を賭した。少なくとも本人はそう言っていた。だがそれはきっと本心じゃねぇ。
勇者にしか魔王は打倒できない。そのルールからすると確かに非合理的で、犬死にと呼ばれても仕方のないことだったのかもしれねぇ。
その上で、あのお人好しババァは俺達を守ろうとして死んでいった。
「……人類が、それぞれの力で結束し、勇者を支援した。これからの国際平和にその事実が必要なのです」
「その理屈じゃ、アスナに付き添ってた俺達はどうなんだ」
「エリナ様、キース様、ミリア、ゲルグ様は別です。あなた達は確かにアスナ様のお仲間で、一般の人間からすると類まれなる強靭な肉体や技術を持っています、しかし……」
フランチェスカが顔を俯かせる。
「人間という枠からはみ出ているかと言ったら、そうではない……。いえ、違いますね。勇者であるアスナ様だけが特別。その他の者は、普通の人間である。そんなシナリオにしていくべきなのです」
ちょっと待て。論点からずれはするが、それもまた聞き捨てならねぇ。
「おい。フランチェスカ。アスナが特別、だと?」
俺の凄みを効かせた顔を、フランチェスカが真っ向から見つめ返してくる。
「特別です。『勇者』という存在は、精霊メティアに選ばれた者に与えられる役割なのです。逆に言えば、それ以外の者は『特別』であってはならないのです。特にこの作戦においては」
「……本気で言ってんのか?」
「何卒ご理解ください」
「こっの、クソガ――」
遂に堪忍袋の尾が切れ、怒声をあげようとした俺の後頭部に結構ドギツめの衝撃が走る。
誰だよ、と思って振り返ると、エリナだった。眦を吊り上げ、そして俺とフランチェスカの間に割って入る。
「フランチェスカ猊下。私直属の騎士が大変失礼いたしました。この者には追って何かしらの処分を与えます」
エリナが俺の耳を引っ張り、そのままフランチェスカに頭を下げる。耳を引っ張られるのは結構痛い。俺も自然と頭を下げる形となる。
「ヒーツヘイズ。猊下に謝罪を述べた後、下がりなさい」
エリナの刺々しい声が耳に刺さる。なんだ? エリナ。てめぇも、このガキの言う「シナリオ」ってのに乗るってのか? クソッタレが。
未だに頭に血が昇っている俺に、エリナが小声で告げる。
「アンタ少し頭冷やしなさい。いくら礼儀知らずっても限度があるし、場所を考えなさい。話なら後で聞くから」
「……わかった」
俺とエリナのヒソヒソ話が聞こえたのか、聞こえなかったのか、フランチェスカが優しげな声で俺達に諭すように語りかける。
「いえ。ゲルグ様のお怒りもご尤もです。エリナ様。処分には及びません。彼から誹りを受ける覚悟はありました。当然です」
「有難きお言葉。ヒーツヘイズ! 謝罪を!」
謝罪っつわれても。なんて言えばいいんだよ。
「わ、悪かった……です。反省しています」
「いえ、良いのです」
フランチェスカの声は優しい。だがその声色が嫌に癇に障る。
「寛大なお言葉、痛み入ります。ヒーツヘイズ! 部屋に戻り、数日ほど頭を冷やせ。それを以て処分とする」
「……へい」
そんな塩梅で、俺は司令室から追いやられたのであった。
充てがわれたベッドに横になりながら煙草をふかす。司令室を追い出されて、一時間ほどこうしていただろうか。
フランチェスカのことがいきなり理解できなくなった。
最初は末恐ろしいガキだと思った。
それからは、ガキのくせに、大層な重責を押し付けられて、ヒーヒー言ってる、見てられねぇガキ、という印象に変わった。
そんでなんやかんやあって、やたらと俺に懐いてくる、可愛い小娘に変わった。
今は……。あのガキがまた末恐ろしい何かに思えてならない。
紫煙がくゆる。部屋が霞む。
深い思考の海に沈んでいた俺の耳に、乱暴なノックの音が届いた。
返事をしようか一瞬迷ったが、有無を言わせず扉が蹴破られた。ドアの向こうには足を上げっぱなしの姿勢でじろりと俺を睨みつけているエリナと、その後ろに控えているキースだった。
「入るわよ」
「まだ入って良いともなんとも言ってねぇよ」
俺の文句に対してエリナはノーリアクションだ。んなこた知ったこっちゃない、ということらしい。
「キースに吐かせた。メティア教に関して、なんか思うところがあるらしいわね」
脳筋め。エリナ相手だと口が羽のように軽くなりやがる。
「……俺もよくわからん。だがフランチェスカが、あいつのことが、よくわからなくなった」
怒りの炎は既にかき消え、疑念の芽もすっかりしおれ、今の俺はただただ悩む一人の小悪党だ。俺は何をすれば良い? 何ができる? どうするべきなんだ? 何もかもがわからない。
「良い? フランチェスカ様の仰ることは、全部尤もよ。今後の国際社会に対して、今回の作戦が与える貢献度は非常に高い。そこにジョーマ様、いえ、『テラガルドの魔女』なんて、特別な誰かが居てみなさい。皆は言うでしょうね。『あぁ、結局特別な力を持った人間がいたから作戦は成功したのだ。世界が結束した意味は無かったのだ』って具合よ。想像できるでしょ?」
「……理屈では分かってんだよ」
「じゃあ何が不満なのよ」
「悪い。俺にもよくわからん」
煮え切らない俺の返事に、エリナが大きなため息を吐く。
「アンタの気持ちもアタシは理解してるつもりよ。フランチェスカ様がこれからやろうとしていることは、情報と言論の統制。箝口令が敷かれ、『テラガルドの魔女』がこの作戦に関与していたという事実は恐らく綺麗さっぱりなくなってしまう」
だろうな。
だがよ。そりゃあまりにもよ。
命がけで戦って、死んでいったババァが馬鹿みてぇじゃねぇか。
「……ジョーマ様も承知の筈よ。フランチェスカ様から聞いたわ。全部承知で、ジョーマ様はアタシ達についてきた」
「……あの馬鹿……。なんだってんだよ……。なんだってんだよ!」
思わず声が荒くなる。
それに負けず劣らず声を荒らげたのは、他ならないエリナだった。
「アタシだって文句付けたいわよ! ジョーマ様はアタシの憧れだった! ずっと目標にしてた! なのに、よくわからないうちに、死んでしまって、遺体も残らないでっ! あんなに、色々教えてくださったのにっ! あんなに、優しくしてくださったのにっ! アタシ達の事を、いつだって『余の愛い子供達』だとか言って、褒めてくれてっ! それがママみたいでっ! 嬉しくてっ! なのにっ! なのにっ!」
エリナの頬を涙が伝う。
「……納得できてないのはアタシだって一緒なのよ……。世界はジョーマ様に返しきれない恩があるはず……。それを、それがっ! 何もかもなかったことになっちゃったみたいで……。アタシが憧れた、魔法使いがっ……」
はっとする。ババァが死んだこと。その影響は俺だけのものではない。そんな簡単なことにも気づいていなかった。
ベッドから立ち上がり、エリナの元へ歩いて行く。
その三角帽を取り上げ、乱暴にその赤毛を撫で回す。
「……ジョー、マ様ぁ……。どうして、どう、して……。なんでアンタが怒るのよ! アタシだって怒りたいのに! 我慢してたのに! フランチェスカ様にっ……それをぶつけてもどうにもならないって……わかってるのに……」
「悪かった。悪かったよ。俺が考えなしだった」
「馬鹿ぁ……。今更、遅いわよ……」
ほれ、ババァ。見てるか? てめぇの為に泣いてくれる奴が少なくともここに一人いるぞ。
俺は泣かねぇ。てめぇがそのうちおっ死ぬのなんて、ハナから予想なんてついてた。だって百歳超えてるんだぜ、てめぇ。いつ死んでもおかしかねぇだろ? 見た目は綺麗な姉ちゃんだったんだがなぁ。勿体ねぇことしたなぁ。
何度か誘われたな。いっぺんぐらい抱いときゃ良かったかなぁ。いや、笑えねぇな。中身は百歳超えのババァだからな。
でもよ。なんっつーか。
てめぇがいねぇと、それはそれで、世界が少しつまらなくなったように感じるよ。
いつだって、俺を理解してくれた。いつだって、俺の選択を尊重してくれた。
それで上手くいったら、なんかよくわからねぇけど褒めてくれて。失敗したら「そういうこともある、次はもっと上手くやれ」なんて言われてよ。
チェルシーが死んだときも、何も言わずに手を貸してくれてよ。
思い返せば、てめぇに貸しばっか作ってんじゃねぇか。貰うだけ貰ってよ。こきつかうだけこきつかってよ。そんでもっていつまでだって俺を見守ってくれてるって勘違いもしてた。一方で「すぐに死ぬんだろうな」、なんて思ってたのに、矛盾してるよな。
返せねぇじゃねぇかよ。何も。てめぇが死んじまったらよ。
「……あぁ、なんか理解したわ」
「……何をよ」
エリナが鼻声で俺に問いかける。
俺はそれに「なんでもねぇ」と返す。「なによ」とエリナがまた泣き出す。
エリナは言った。ババァのことを「ママみたいで」と。
俺には親がいねぇ。親の存在なんて記憶の欠片ですら残っちゃいねぇ。
でもなんとなく今のエリナの言葉で思ったんだ。
ババァ。てめぇは、俺の母親代わりをやってくれてたんだな。いい歳こいて反抗期のずっと反抗期の真似事をしてた馬鹿なこそ泥のよ。
「ゲルグ……」
キースが驚いたような声を出す。
「なんだよ、脳筋」
「いや、なんだ……」
「煮えきらねぇな。なんだよ」
「……貴様もそういう顔をすることがあるのだな」
「そういう顔ってどういう顔だよ」
「全てを失って、涙が溢れるのを堪えている。そんな顔だ」
あぁ、そうなのかもな。
キースをちらりと見遣って、そして俺はそれから口をつぐむ。
そこまで言われると、ふとした拍子に感情が爆発しそうで、叫びたくなりそうで、狂ってしまいそうで、何か言おうにも言えなくなっちまった。
エリナのすすり泣く声が部屋に響く。ただただ俺は無言でその頭をガシガシと撫で続けていた。
魔王を倒し、無事作戦が終了しました。
失ったものは大きく、人間関係にも大きく亀裂が入りました。
次話エピローグと、フランチェスカ視点の閑話を二話挟み、第九部に突入します。
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