第十七話:理解した。今は貴様の判断に従う
「……勇者よ……」
魔王の最期の声は、断末魔とは間違っても言えない、はっきりとした口調だった。叫ぶわけでもない、喚くわけでもない。ただただ、アスナの顔を見つめ、掠れた声で、それでも聞き取れる絶妙な声色を以て、静かに語り始めた。
「ん。なに?」
アスナが奴の身体に突き刺さった剣を握りしめたまま応える。
「この世界を……美しいと、思うか?」
「思うよ」
「……そうか」
魔王の身体が、霧のようにかき消えていく。後ろで控えていた俺達が、生物が死ぬ時とは余りにも違いすぎる光景に、まだ何か隠し玉があるのか、と身構える。
「大丈夫」
その中で唯一人。アスナだけは全てを理解していたのだろう。
「……理解しているか。流石は太陽の加護の持ち主だ。私もその加護は与えられなかった」
「そう」
「不死の呪詛を受けたものは、死ぬ時、その身体の全てが消え去る。ジョーマと一緒だな。この身体には無理をさせすぎた」
「そっか」
魔王が寂しげに――そう感じたのは俺の気の所為だったのだろうか――笑う。
「そなたは『世界は美しい』と肯定した。その認識が歪まぬことを心から願おう」
「ん」
そして消える。身体の末端から中心に向かって。かつての勇者が魔王となり、そして胡蝶の夢のように消えていく。その様に何故か俺は寂寥感を感じた。
邪悪さは感じられない。ただただ真っ黒な闇を顕現させたような、そんな粒子となって、人智を超えた化け物、魔王ユリウスは消えた。
その身体に突き刺さっていたアスナの剣が、支えを失って重力に引かれ、地面に落ちる。先程まで殺し合っていたとは思えない静かな部屋の中、かたん、という音だけが虚しく響いた。
「終わったね」
アスナが振り返る。その顔は笑顔ではなかった。大いなる偉業を成し遂げた、そんな達成感に満ちた顔でもなかった。
俺の想像通りの、そんな顔だった。
今までの道程を思い出し、そして儚む。そんな表情。
ここに来るまでに死んでいった奴がいる。ここに来るまでに協力してくれた奴がいる。
多くの出会いと別れがあって、人間という種の業すらも思い知って。
アスナにとっての目標を達成した今だからこそ、そういった様々なことに思いを馳せているのだろうか。
「帰ろっか」
俺達は、ともすればどこかへ消えていってしまいそうな、そんな複雑なアスナの顔を見て、思い思いに小さく頷いた。
アスナが「帰ろう」と言ってから、まずやったことは、フランチェスカへの連絡だ。
エリナが魔法でフランチェスカと会話をする。
「フランチェスカ様。聞こえますか?」
『はい、とてもよく聞こえます。魔王が失われたことが、叡智の加護によってつい先程把握できました。どうやら魔王の力が通信魔法にも影響していたみたいですね』
「はい、私達は、いえ、アスナが、やり遂げました」
『まずはお疲れ様です、と申し上げておきます。私から全軍に撤退の指示を出します。皆様は転移魔法でメティアーナまで戻ってきてください』
「はい、そうさせていただきます。……あの、つかぬことを伺いますが連合軍の損害は?」
『幸いなことに、負傷者は数多くいらっしゃいますが、死者は一人も出ておりません。精霊メティアのご加護が皆を守っているのでしょう』
「良かったです。では、メティアーナまで戻ろうと思いますが……。あの、私達は連合軍に合流し、戦わなくても良いのでしょうか?」
『そのお申し出はありがたいのですが、ご心配なさらないでください。つい先程、魔物達の動きから統率が失われているように見える、と報告を受けました。魔王がいなくなったことで、本来の本能に従って動き始めたのでしょう。以降の損害は軽微になると推測しています』
「そうですか、かしこまりました。では、お言葉に甘えてメティアーナへ直接戻らせていただきます」
『あ、ちょっと待ってください。少しだけ、アスナ様とお話させていただけますか?』
「え? あ、はい、勿論です。アスナ」
エリナがアスナを見る。呼ばれたアスナがトコトコとエリナの傍まで歩いていった。
「ん、フランチェスカ、何?」
『アスナ様。此度は魔王を打倒してくださいまして、ありがとうございます。世界を代表して、まずは私から感謝を捧げます』
「……ん。でも私は世界平和のために戦ったわけじゃないから」
『と、言うと?』
「私は、私の大切な人を守るために戦った。『世界』なんていうよくわからないおばけのために戦ったわけじゃないから、感謝されても……。なんだか受け取っちゃいけない気がする……」
そのアスナらしい台詞に、堪えきれなかったのか、フランチェスカが吹き出した。
『ぷっ、あはは、あはははは。いえ、あの、ふふっ。すみません。如何にもここ最近のアスナ様らしいお言葉で、私が予測していた返答と余りにも変わらなかったもので……。アスナ様がどのようなお気持ちで戦ってくださったのか。そのようなことは関係ないのです。結果として魔王は打倒されました。世界には平和が訪れます』
フランチェスカが、小さな子供を諭すかのような声色でアスナに語りかける。
『この感謝は、貴方が誇りを、自尊心を以て受け入れるべきものです。どうか、素直に受け取ってくださいな』
フランチェスカの方が歳下だってのに、アスナよりも相当歳上な物言いに感じるのは気の所為だろうか。いや、きっと気の所為じゃない。
「ん。わかった」
『はい。……最後につかぬことを伺いますが……』
フランチェスカの声色が少し変わった。よくわからねぇ。よくわからねぇが、そこに何か不穏な物を感じた。いやいやいや、あのフランチェスカだぞ? 頭を振って違和感を拭い取る。
『魔王は、死ぬ間際になんと言っていましたか?』
「ん。なんだっけ。確か……」
アスナが少しばかり首をかしげて、数秒。魔王の最後の言葉を諳んじる。少しばかりニュアンスやら言葉のチョイスは違っていたが、些末なことだろう。
それを聞いて、フランチェスカが満足気な声を上げた。
『そうですか。かしこまりました。どうか、お気を付けて帰ってきてくださいまし』
いつものパターンだ。転移の時が一番介入しやすいとか、財の精霊が言ってたっけな。
んで、目の前のこいつは何だ? 陰気臭い雰囲気を隠そうともしない、片目を隠すように分けられた長く黒い前髪。「少しばかり痩せ過ぎじゃねぇか?」と思わなくもない、細身の身体。身長は高めであることがわかるが、猫背なのが相まってそんなに高く見えねぇ。
「あぁ、僕は悪意の精霊だよ。魔王を倒したんだってね。お疲れ様」
こいつが悪意の精霊? 確かに「悪意」なんてもんを司ってそうな、そんな見てくれだ。端的に言ってお付き合いしたくないタイプだ。
「はっきり言うね。あー、鬱になる」
「なんだよ。情緒不安定かよ」
「僕の本質は悪意だからね。それが自分に向かうこともまた然りだよ。情緒不安定にもなるでしょ?」
なんっつーか、思いの外人間臭いやつだ。精霊ってのはもっとこう、よくわからねぇ存在だったと思ったんだがな。
まぁ、それもどうせ演技みてぇなもんなんだろ。
「よく分かってるね。正解。僕達はそう在れとメティア様に命じられた。役目を全うしているだけだよ」
「あーそーかよ。んで? 何の用だよ?」
「うん。話が早くて助かるよ。『魔王を打倒してめでたしめでたし』、だなんて当然思っていないよね?」
「ったりめぇだろ。こちとら、その先までびっしりと予定が詰まってやがるんだよ」
「うん。良い返事。だから、伝えておくよ」
いや、伝えておくって何をだよ。
「メティア教を信用するな。フランチェスカ・フィオーレだったっけか。特にそいつを信用するな」
「は?」
「確かに、彼女という存在自体は、悪意を持ち合わせていない。だから僕との適性は最悪だ。契約もままならないだろうね。……まぁ、それを言い始めると、今代の勇者も当てはまっちゃうんだけど、メティア様がちょっと焦り始めててね。無理矢理契約したんだけどさ」
ってことは何だ? アスナは本来悪意の精霊の試練には合格していなかったってことか?
「そう。彼女は『悪意』の本質を理解していない。その是非は置いておいてね。まだ君が思う君の役目は残っているみたいだよ」
そこまで読まれてんのかよ。いや、別に隠していたつもりもねぇんだけどよ。だが、気持ち悪いことは確かだ。
「あぁ、ごめんごめん。気持ち悪がらせる意図は無かったんだ。話を戻すね。フランチェスカ・フィオーレという人間には悪意は無い。だけれども、人間ってのは面白いものでさ」
その顔が、唇が愉快そうに歪む。
「集団を形成したとき、そこに無意識の内に悪意が芽生えるんだ。始まりは善意だったのかもしれない。貴き誇りだったのかもしれない。でも、複雑な力学が働くことで、それらは容易に悪意に反転する」
……いや、まぁ。言っていることは理解できる。だが……。
「フランチェスカは大丈夫だよ。あいつだってまだガキだ。俺みたいなおっさんがちゃんと守ってやらねぇとならねぇ、そんな存在だよ」
「今のところはそう思ってるんだ。でも気をつけて」
何をだよ。
「うん。何をって聞かれるとね。詳しく話すことはできないんだけどさ」
悪意の精霊がその唇の端を更に歪ませる。心底愉快だ、とでも言いたげに。
――人間の深淵ってのは複雑怪奇だから。よく考え、より良い判断をしてね。他ならぬメティア様がそれをお望みだ。
そして、俺の意識は、記憶はそこで途切れた。
エリナが使ったのは、簡易転移だ。本来の転移魔法であれば、目標物にしか転移できない上、全員が目標物をある程度イメージする必要がある。つまりその場所に行ったことのない人間が一人でもいたら、転移はできないってことだ。経験したことはないが、単純に置いてけぼりにされるらしい。
それに引き換え簡易転移はそれらの諸々の条件が無い。つまり何処にでも転移できる。下手すりゃ魔法を使う奴ですら、行ったことのない場所に行くことだって可能だ。
ただその一方で、簡易転移は普通の転移と比較して危険らしい。転移先を細かく計算しねぇと、例えば壁や土の中に埋まったりだとか、空高くに転移してしまう可能性がある、という話だ。
そういう意味では、エリナぐらいしか使えないのだろう。あいつは頭が良い。そのうえで、できることのみをできると言い、できないことはできないと言える奴だ。
とどのつまり、俺達はメティアーナにおける総司令部。それが設営されている部屋に転移した。
目標物もない、ピンポイントなその場所に転移してきた俺達を見て、司令室に居た連中が目を白黒させる。そりゃそうだろう。
そして、少しばかり驚いた表情を浮かべたフランチェスカが、すぐさま表情を笑顔に切り替えて俺達に歩み寄ってくる。
「アスナ様、エリナ様、キース様、ミリア、ゲルグ様……此度は本当に……」
感極まったように言葉を詰まらせる。
「ん。フランチェスカもお疲れ様。大変だったでしょ?」
そんなフランチェスカを見て、アスナが微笑みながら労いの言葉をかけた。
「皆様に比べたら……、私の苦労など、取るに足りません。改めて、誠にありがとうございました」
その言葉に続いて、司令室中の人間が、メティア教の祈りの姿勢を取る。口々に「勇者様の未来に精霊メティアのご加護がありますように」だとか、そんな感じのことを思い思いに言い始める。やかましくて敵わん。
「連合艦隊には既に撤退の指示を出しています。ひと月はかかりますが、皆無事に帰還するでしょう」
「ん」
「皆が帰ってきたら、盛大にパーティーを開きましょう」
「ん。楽しみ」
「はい!」
フランチェスカの喜色満面な笑みを見て、ようやく一段落ついたのだと、実感する。これまではなんだか夢の中にいるようで、現実感がなかったもんなんだがな。
そしてそれと同時に、悪意の精霊の言葉が脳裏をよぎる。
――メティア教を信用するな。フランチェスカ・フィオーレだったっけか。特にそいつを信用するな。
いやいやいや。フランチェスカだぞ? このちっこいガキを信用するな? 馬鹿言ってんじゃねぇよ。
だが、一度そう思ってしまったらもう止まらない。疑惑の種は俺の胸の内に芽吹き
そして根を張る。
だから聞かざるを得なかった。
搦手をつかって、強引に聞き出す、っていうのもできはする。だが相手はフランチェスカだ。だから、俺は極めて端的に、フランチェスカにだけ聞こえる程度の大きさの声で問いかけることにした。
「おい、フランチェスカ」
「はい、なんでしょう? ゲルグ様」
「お前、俺達に隠していることとか、ねぇよな?」
無い、と言ってくれ。「そんなはずないでしょう」と。
嫌われても構わない。「何言ってるんだ? こいつ」なんて誹りを受けても構わない。
どんな反応と一緒でも良い、完全にきっぱりと否定してくれ。それだけを祈った。
俺の祈りとは裏腹に、数秒ほどの沈黙が起こる。返答には数秒程かかった。
「……隠し事なんて、あるはずないじゃないですか」
フランチェスカは変わらず笑顔だ。
「……そうか、変なこと聞いて悪かったな」
俺は踵を返して、部屋を出る。気分が悪い。吐き気がする。
扉を開け、廊下に出て、その壁に手を着いて、うずくまる。
……悪意の精霊が言っていたことは本当だったのか? 悪党を長くやってりゃ、他人の癖みたいなものは自然と把握できるようになる。観察力や注意力がねぇと生き延びられねぇからだ。
フランチェスカとはそこそこの付き合いだ。だから理解できる。悪党の勘ってやつだ。
あいつは、何かを隠している。
それが何なのかまではわからねぇ。
腹の奥からせりあがってくる感触をなんとか我慢していると、背中側から、ガシャンガシャンと、鎧が擦れ合う音が聞こえた。
「どうした? ゲルグ」
「……いや、なんでもねぇよ」
「それにしては、気分が悪そうだぞ? 大丈夫か?」
「……大丈夫だ」
今はこいつに、いや誰にも話すべきじゃない。水を差すべきじゃない。
「詳しいことは俺にはわからん。だが、……何を考えているのか、何を危惧しているのか、それを無理矢理聞くつもりもない。貴様のことだ。何か俺達が気づかぬことに気づいてしまったのだろう」
当たりだよ。キース。お前は本当に俺のことをよく理解してやがる。クソッタレが。
「そして、それを今俺に、俺達に話すべきではないと、そう貴様は判断したのだな?」
沈黙は肯定。茶化すことも否定することもできなかった。
「それならばそれで良い。そのうち、打ち明ける決心がついたなら話してくれ」
あぁ。そのつもりだよ。もう少しこの直感に確信が持てたら、の話にはなるがな。
「……一つだけ聞かせてくれ。何も言わずとも構わん」
キースが俺の背中に手を当て、そして耳元に顔を近づけて、小さな声で尋ねる。
「……メティア教に関わることか?」
てめぇは本当に……。なんで俺のことになるとこうも察しが良いんだよ。
俺は何も答えない。答えられない。いつもなら軽口を叩いて「んなわけねぇだろ、バーカ」とか言うんだろうってのに、だ。
押し黙ったままの俺に、背中に当てられたキースの手から感じる圧力が少しだけ強まる。
そして数秒ほど黙ってから、キースが小さく笑った。
「理解した。今は貴様の判断に従う。話すべき時が来たら、その時は教えてくれ。俺は何も見なかったし、何も尋ねなかった。貴様は魔王との戦いで疲れて果てている。それだけだ。暫く休んだら戻ってこい」
俺の背中を何度かポンポンと叩いてから、キースが戻っていく気配がした。
あんがとよ。脳筋。
脳筋に相応しくない気遣いまでしやがって。
吐き気は収まらない。
魔王様をやっつけました。
そして、フランチェスカがっ!?
黒幕とかでは無いです、念のため。
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