第十五話:私もゲルグを見習って、死んだふりという、狡い手を使っていたのですが、姫様のせいで台無しです
グネグネしていた視界が、はっきりとした輪郭を形成し始める。何度も経験した転移だが、その特殊な体験からくる酔いには未だに慣れそうもない。
ねじ曲がり、ぼやけた景色がはっきりとした色彩を以て視界に映る。
そして、瞬間、目の前に現れたのは。
「……予想以上に早かったな」
魔王ユリウス。そいつが、禍々しい剣を振りかぶって俺達に猛スピードで接近している姿だった。
「っ!」
アスナが瞬時に剣を抜き、一歩前へ。その剣閃を見事受け止めた。
「注意しておいて正解だった。転移にはわかりやすい兆候がある。介入させてもらった」
どうやら俺達は誘い込まれたらしい。エリナは敵の目の前に転移するほど馬鹿じゃない。目の前の魔王、その居城の目立たない場所に転移しようとしていたはずだ。その証拠に、エリナが小さく舌打ちをする音が耳朶を打つ。
キチキチキチ、と耳障りな音が響く。アスナと魔王の鍔迫り合いはほぼ互角。アスナの力量やら能力やらの高さを鑑みると、いかにこいつが化け物なのかが良く理解できる。
そしてそれを見て、エリナが、キースが、ミリアが動き始める。流石に判断が早い。
「キース! アスナのフォロー! ミリアを守るのを忘れないで!」
「はっ! 姫様! おまかせを!」
一方のミリアは既に詠唱を始めていた。
「範囲物理守護!」
まずは、物理的な攻撃から身を守る護りの魔法。続けて詠唱。
「範囲魔力保護!」
そして、魔法の類から身を守る護りの魔法。
魔王のスピードは早い。全防御障壁はどんな攻撃も防御してくれる万能魔法ではあるが、その効力は一回だ。それに魔力の消費量も多いらしい。使い所はここじゃねぇ。
ワンテンポほど遅れはしたが、当然俺も動く。詠唱を始める。何度だって繰り返した。この土壇場でミスるなんてアホらしい真似はしねぇ。
詠唱が完成する。
「範囲速度向上!」
俺を含めた五人の速度が底上げされる。
「なるほど。良いチームだ。前回は勇者、貴様と一騎打ちだったが……。この結束、なかなかどうして見事だ」
魔王の剣との拮抗した力。それによって震える剣と腕。そんな状態で、少しだけ苦しそうな声で、それでも笑った。
「良いこと、教えてあげる」
「……良いこと?」
「ここにいる皆は。私の心から大切に思っている人たちの中でも、心の底から大切な仲間。後ろで皆が私を支え続けてくれている限り――」
アスナがその腕に力を、そして恐らく魔力を込める。
瞬間、魔王の剣が弾き飛ばされ、奴が数歩ほど後ずさる。
「私は負けない」
この瞬間を待っていた。詠唱はゆっくりと、小さな声で。そして、つい先程完成させた。
「模倣」
いつだって、お前が切り札だ。イズミ。お前がいたから、今の俺がいる。
お前の存在証明は、俺がする。
その筋肉の動かし方を、骨のしならせ方を、力のかけ方を、全てを模倣する。
そして、風の加護と魔法で底上げされたスピードを以て、魔王の背後へ。
「な、に?」
突然消え、背後に転移したかのようにも見える俺の動きに、魔王が小さな驚愕を口から漏らす。
んなことで驚きやがって。なんだ?
「てめぇよりもすばしっこい人間に会うのは初めてか?」
そりゃよ。てめぇと駆けっこなんてし始めたら、俺ぁ負けるに決まってるよ。なんたって俺はただの小悪党で、エリナ様の騎士見習いだからな。どうやったって身体能力で、魔族の頂点に適うわけはない。
だが、適切なタイミングと、視線の動かし方、そして筋肉と骨の使い方。それさえ理解していれば……。
一瞬だ。
一瞬だけなら、てめぇだって上回る。
そのまま剣を持っている右腕を右手で掴む。左手は奴の左肩へ添える。それだけで良い。
「……なるほど、動けぬ」
「そりゃそうだ。世界最強、かどうかはわからねぇが、最高峰の忍の技術だ。そう簡単に動けたら目も当てられねぇよ」
相手の力を予測し、利用し、それを上手く逸らしてやる。それだけでこんな芸当が可能だ。イズミに何度もやられて、原理を説明されて、それでも再現できず首を捻ったもんだ。理解はできた。だが、それを実現するなんて不可能に思えた。
でもどうだ? 模倣を使えば、こんなにあっさりとそれを再現できる。イズミが長年で培った技術を借りパクしているように感じて、少しばかり気後れもするが。
こそ泥で小悪党な俺にゃぴったりじゃねぇか?
「エリナァ!」
「ってるわよっ! 月の精霊、アルテミスに乞い願わん。我が魔力の全てを以て、深淵より引き出されし、たおやかで激しいその光で敵を滅ぼしたもれ! 月光槍!」
エリナの全身から発される光の槍が、魔王の身体に襲いかかり、そして貫く。ちょっとばかし俺も巻き添えにならねぇか不安になったが、そこはそれ、大魔道士エリナ様の実力ってことだ。
魔王は勇者にしか倒せない。それが世界の理だ。だから、エリナの魔法は一切魔王にはダメージは通らない。
だが無意味じゃない。傷一つつけられなかったとしても、屁の突っ張りにもならなかったとしても、魔法が起こす「物理的な衝撃」は通る。
奴がババァと戦っていた時だ魔力のぶつかり合いによる大気のうねりに、奴の身体は震えていた。つまりそういうことだ。
「ぐっ!」
魔王がその衝撃に少しばかりくぐもった声を上げる。ほれみろ。
「キースッ!」
「貴様に言われんでもっ! ぬううん!」
キースが大剣を振りかぶって、魔王にぶち当てる。
さっきと同じだ。ダメージは通らねぇ。
だが……。
「どうよ? 魔王サマよぉ。『絶対に自分を倒せない』なんてタカ括ってた相手にこんだけしてやられるって、どういう気分だ?」
魔王の右脚に自らのそれを絡みつかせながら問いかける。ダメ押しだ。
奴からの答えは無言。何考えてんのか知らねぇが、こういう安い挑発に乗るような性格じゃあねぇことも理解している。
小細工は不要だ。
「アスナっ!」
「んっ!」
アスナが太陽の加護を全開にする。その身体が、全ての穢れた物を浄化するかのような光を発する。
そして剣を振りかぶり、袈裟懸けに。
「ッッ!」
斬りつけた。
魔王の身体から、真っ青な血液が飛び散り、そしてアスナの顔に飛び散る。顔を汚すそれに、アスナが顔をしかめた。
やった。
他ならぬアスナの一撃をモロに受けたんだ。たとえ魔王だとかいう化け物が相手だとしても、それは必殺の一撃になるはずだ。ならなくても、再起不能になる程度には痛めつけられた筈。
「……勇者よ……」
だが、そうはならなかった。
魔王が痛みなど一切感じさせない声で、呟く。
「先程の私の問い、それに対する答えは出たのか?」
「てっ、てめっ! この期に及んで押し問答し始めんのかっ!?」
大人しくおっ死んどけ、この野郎。そんな思いを乗せて叫ぶ。
「黙れ。人間。私は今勇者に問うているのだ」
おかしい。今まで上手いこと奴の身体の力を利用して、動きを封じ込めていた筈だ。例えるならそれは、柔らかいぐねぐねと動くものを自身の意のままにコントロールするような感触だ。
だが今、それがない。今俺が押さえつけているのは、手を添えているのは何だ? 硬い何かが想起される。岩に手を当てている。大木を抱えている、そんなイメージだ。
「……私は、確かに貴方の言う通り、魔物を、魔族を倒してきた」
アスナが剣についている血を振り払って、魔王を睨みつける。
「でもそこに後悔は無い。それは、私の大切な人を、大切な物を守るために必要なこと。そこに善いも悪いも無い。私は……皆が言うような『勇者』じゃない」
再び剣を振りかぶり、アスナが魔王を斬りつける。
「私は、ただ少し強い力を与えられただけ。私の手の届く範囲は狭い」
また斬る。魔王の血が飛び散る。
「だから、その狭い範囲の大切なものだけは守りたい! 失いたくない! 私はただそれだけ! それ以外はどうなろうとも!」
横薙ぎに剣を振るう。魔王の口から少なくない量の血が吐き出された。
「私の根幹を揺るがすような、大事件にはなり得ないっ!」
最後に頭頂部からの一刀両断。
しかし、その剣閃は魔王の剣によって止められた。
「な、に!?」
驚いたのは俺だ。抜け出された感触すらしなかった。
「人間。貴様は私がジョーマと共に旅をしていたこと、その意味を理解しているか?」
はぁ? それが、何の意味が!
「ジョーマの技術の、知識の根幹は私だ。なればこそ」
魔王の姿が掻き消える。
「こういう芸当もできる」
ミリアの後ろに姿を表した魔王が、剣をその細い体躯にぶち当てる。ごきり、と嫌な音が鳴り響いた。
「ッッ!!」
声にすらならない悲鳴をミリアが上げる。
「私の剣は片刃だ。刃は立てていない。死ぬことはなかろう」
そしてまた魔王が消える。
どこだ? 次はどこに現れる?
「こっちだ」
次はエリナの左に現れた。エリナの頭に左拳をぶつける。鈍く、そして激しい音が耳朶を打つ。エリナの三角帽子が飛び、そしてその打撃によって頭が切れたのだろう、少なくない量の真っ赤な血が飛沫となって飛んだ。
「ひ、ひめさっ!」
「貴様もだ。退場してもらおう」
魔王が猛スピードでキースの横っ腹にその剣をぶつける。金属同士がぶつかり合う激しい衝撃が大気を震わせ、キースがボールみたいに吹っ飛んだ。そのまま壁に全身を打ち付けて、そして崩れ落ちる。
「キースっ――」
「最後は貴様だ」
気づいたら、魔王の左拳が俺の鳩尾に突き刺さっていた。
痛みを感じる暇すらない。ただただ突如息が詰まる。呼吸ができず、そして胃の中のものが喉元までこみ上げる。
「がっ、あっ!」
腹を押さえる。面白いぐらいにへこんだ腹は、魔王の膂力の強さを雄弁に物語っていた。
脚が震える。立ってられない。
俺はその場に膝から崩れ落ちた。
こ、ここまで……力の差ってやつがあるのか。
まだ呼吸は始まらない。酸欠気味になりかけた脳味噌が、警鐘を鳴らす。目の前が真っ赤になる。
「……すまないな。貴様らの結束力をもう少し見ていたかったのも本心なのだが……」
滲む視界の中、魔王がアスナに向き合ったのだけがはっきりと視認できた。
「勇者と魔王。その因縁。これはそう。神聖な闘争なのだ。他者の介入は許されない」
アスナがぎり、と歯を食いしばる。
「皆……」
「案ずるな。未だ誰一人死んではおらぬ。さぁ、勇者よ」
魔王から魔力らしき何かが漏れる。それはババァと戦っていた時とは引けをとらないほどに濃密で、そして禍々しい。ババァと戦っていたときとは性質が違う。そう見えた。
あれは魔力じゃねぇ。呪いの力、呪法の源となる力。恐らくそうなのだろう。
「げほっ……、ど、どこまで人を、世界を……の、呪えば、そこ、までの力、が……」
息も絶え絶えと言った様子のミリアの呟きが微かに聞こえた。
「しゃべるな。貴様の全身の骨はバラバラの筈だ。痛いだろう。だが、少しの辛抱だ」
ミリアの呟きに、魔王が律儀に応える。
「勇者と雌雄を決し、そして私が勝利する。そう時間はかからないだろう。その後で楽にしてやる」
朦朧とする意識の中、心中で舌打ちをする。
この野郎、アスナと戦って満足しやがったら、俺達を全員皆殺しにする気だ。
いや、分かっちゃいたさ。負けたら皆殺しなんだろうなぁ、程度には思ってた。
だが、こうもはっきりと言葉に出されると、その重みが違う。
「……ったぁ、いたたた」
そんな中、場違いにも思える声を上げながら、エリナが立ち上がった。
「乙女の、それも一国の女王陛下の頭をどつくなんて、どんだけ無礼なのかしら……」
頭から血を垂れ流し、顔の至る所を紅に染めたエリナがニヤリと笑いながらそう言った。懐から魔力回復薬を取り出して、グビリと飲み干す。
「キースっ! 起きなさい! アンタ、アタシの騎士でしょ! あんなんでくたばるような鍛え方してないでしょうがっ!」
「……姫様。わ、私もゲルグを見習って、死んだふりという、狡い手を使っていたのですが、姫様のせいで台無しです」
キースがよろよろと起き上がる。「死んだふり」ってのが、強がりなのかマジなのかは知らん。
「……心を折る程度には強く当てたつもりだったが……」
今まで冷静沈着な仮面を外さなかった魔王が、ここに来て大きく驚いたような表情を浮かべる。
「一つ教えてやるわよ」
エリナが顔についた血を袖口で拭きながら、いつもの勝ち気な笑顔を浮かべ、告げる。
「生半可な覚悟でここまで来てるワケじゃないのよ。皆ね……。アスナっ!」
「ん! 範囲治癒!」
いつの間にかアスナが詠唱を完成させていたようだ。気づかなかった。
身体中から痛みが消えていく。
それは俺だけじゃない。エリナも、キースも、ミリアも。皆の傷が癒えていく。
「アンタが何に絶望したのか知らないわ」
傷が消え、血を拭った跡だけが顔に残ったエリナが、魔王を指差す。
「もともと勇者だったはずのアンタが、何を思って今ここに立ってるのかなんてどうでも良い」
そう、それは俺達の共通の認識だ。
「とにかくアンタを倒す。それがアスナが笑って過ごせる必要条件の一つなのよ!」
そうなんだ。まずはそっからだ。てめぇは通過点に過ぎねぇんだよ。
「そのためには手段なんて選ばないし、どれだけ死にそうになっても立ち上がるわよ! そのためにここに来たんだからねっ!」
エリナが杖を振りかざし詠唱を始める。
第二ラウンドだ。此処から先は甘くねぇぞ?
流石の魔王です。
一筋縄ではいかないです。
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