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第十二話:その可能性……もあると、覚悟はしていた……だが……っ!

――大丈夫、君は死なない。


 メルクリウスの透き通るような声が耳朶を打つ。その声は酷く優しげで、野郎のくせに聞き惚れてしまいそうで。


――ジョーマ・ソフトハート。よく知っているよ。先代の勇者の仲間だね。


 そうらしいな。


 ってか、先代の勇者が今魔王ってどういうことだよ。てめぇ、知ってんだろ? 色々とよ。腑に落ちねぇんだよ。しっかりきっかり全部話しやがれ。


――君の気持ちもよく分かるよ。だけどね、それはちょっと難しいんだ。


 てめぇらの都合なんて知るかよ。


――僕達の都合じゃない。君に話しても理解できないか、精神が壊れてしまうかのどちらかだからさ。真実というものを知ってしまったらね。物事には順序ってものがあるから。


 どうでも良いよ。俺は今死んだんだよ。


――いや、だから言っただろ? 君は死なない。そう決まっているんだ。


 いや、死んだだろ。まーた、運命がどうたらってやつか?


――運命とも違う。って何回も言ったね。全ては発散し、そして収束していくんだ。


 はぁ? 意味がわからねぇ。


――だからわからなくて良いんだって。さ、目を覚ましなよ。


 メルクリウスの声が相変わらず優しい。ってか、精霊なんて大層なモンのくせに気軽に俺に話しかけてきやがってよ。馬鹿じゃねぇのか?


 ってか、これあれじゃねぇのか? 死んだ後の世界? 上位領域とか言ったっけか?


――だから、死んでないって。君の母であり、姉であり、仲間であり、同志であり、友人の最期だ。目を覚ましてあげないと不義理じゃないのかな?


 はぁ? 俺には両親やら姉なんていねぇし、仲間なんていまサマエル霊殿にいるし、友人ってのもなんか違う気がするぞ?


――いやぁ、そこまで鈍いとねぇ。メティア様はどうして……。ま、それもまたこの世界を形作るのに必要ってことなのかな?


 だから、意味分かんねぇこと言ってねぇで――。


――次の瞬間。ぼんやりした、無もない空間から、突如として視界が開けた。


 まず目に飛び込むのは、真っ赤などろりとした液体。俺の顔に垂れ落ちる。粘度の高いそれが顔を伝う感触は気持ちが悪く、思わず身震いをした。


 俺はそれがなんなのかよく知っている。人間が負傷したり、死んだりするときに出る液体だ。血だ。


 そしてそれはどうやら俺の身体から流れているものじゃないらしい。


「……ゲルグよ。大事ないか?」


 ババァがホッとしたような顔で、優しく微笑んでいる。いつものババァだ。いつだって俺がなんかやらかせば、こいつは、このババァはこんな顔をする。


 違うのは、大量の紅が口から垂れ落ちていることだ。それは、他の体液と混じり合って糸を引き、そして俺の顔に次々と滴り落ちる。


 いや、滴り落ちるってレベルじゃねぇ。ポタポタ、じゃねぇんだ。ドバドバだ。このレベルの血液が失われるってことは。それはイコール……。


「無事、だったようだな」


「……お、おい。ちょっと待て。な、なんで」


「そなたも余の愛い子供の一人。自身の子を身体を張って守らぬ親など、その資格は無い。それに――」


「そうじゃな――」


「正直な。そなたが自身の命をも顧みず、ここまで来てくれたこと。少しばかり嬉しく思う余がいるのも事実なのだ。……まぁ待て、すぐにケリを付ける」


 俺に覆いかぶさっていたババァが笑顔のまま、ゆっくりと立ち上がる。その土手っ腹にはどでかい風穴が空いていて、臓物の隙間から魔王の冷淡にこちらを見る顔が覗けた。


 だから、ちょっと待てって。


「ケリを付けるだとか、そういう話じゃなくてだな。と、とにかく神聖魔法なりなんなり使って、治せ。な? 悪かった、俺が悪かったからよ」


「ふーっはっはっは」


 ババァがいつもの高笑いをする。だが、その声は掠れていて、いつものような力強さはなかった。おまけに傷に障ったのか、「げほっ、ごほっ」とか咳き込みやがる。そんな痛ぇなら笑うんじゃねぇよ。


「……無駄だ。あやつは余を逃すつもりはない。治療しても、また攻撃される。こうなってしまっては、どちらの魔力(マナ)が先に尽きるか、だ。そして、今のユリウスの方が魔力(マナ)の総量は上だ」


「あれ、魔力(マナ)だったのか? っじゃねぇ! そ、そんな冷静に分析してる場合じゃねぇだろ」


「ゲルグよ」


「話聞けって。さっさと治せって!」


「聞け」


「だからッッ!」


「聞けっ」


 ババァの顔が真剣なものになる。


「余は生きすぎた。他ならぬあやつの、ユリウスの、先代の勇者の頼みだった。『人間を、世界を、正しい方向に導いて欲しい』、とな。愛する男の頼みだ。断ることの出来る女がどこにおろうか」


 ババァの瞳が懐かしいものを眺めるように揺れる。


「余は、持てる限りの知識を以て、世界に貢献した。だが、途中で違和感を抱いた。『余がしていることは、本当に世界を正しい方向に導いているのだろうか』と。余が協力すればするほど、人間は余に甘え、怠けてしまうのではないか、とな」


「そ、そんなん一緒に飲んだ時に腐るだけ聞いただろ」


「余は人間に、各国に知識を授けることにした。飽くまで現状理解できる範囲で、だがな。そして余が直接手を下すことはしなくなった」


 そうだよ。それで、てめぇは隠居したんだろうがよ。


「人類は一歩目を踏み出した。もう余の役目はとうに終わっていたのだ。だが、最後の最後、役目が一つだけできたのだ。それは……」


 ババァが振り返る。口から腹から、全身から血を垂れ流しながら。


「かつて愛した男に『そなたは間違っておる』と、一発良いのをくれてやる、という重要なものだ」


 ババァが魔王の方に顔を向けた。


「ゲルグよ。余が知る真実は全てフランチェスカ・フィオーレに預けた。借りていた手記の内容も全て。アスナ・グレンバッハーグと共にあやつに引導を渡した後、話を聞きにいけ。尤も……」


 ババァがくすりと笑う。


「フランチェスカ・フィオーレが全てを話すかはわからんがな。だからこそ、その時はそなたが全てを聞き出せ」


 ババァの身体から、再び魔力(マナ)が迸る。いつもとは違う。それは真っ白で、真っ赤で、眩しくて。ロウソクが最後に燃え尽きる、そんなものを想像させた。


「話は終わったか?」


 魔王が無感情に、そう告げた。


「あぁ。伝えたいことは伝えた」


 奴が、また、すんすん、と鼻を動かすのを遠目で捉える。


「なるほど。そういうことか。私ではその男は殺せないようだ。そう風の香りが告げているな」


「そうであろう」


 ババァの掠れた声が、凄惨な響きを孕んだ。


「余がいるからなっ!」


 ババァが消える。転移だ。だが、魔王も伊達じゃねぇ。迷いなく目線を顔を動かし、ババァが現れたその場所を睨む。


魔銃(マナピストル)


 ババァの伸ばした右人差し指から、圧縮された魔力(マナ)の塊が高速で射出される。魔王がそれを腕で振り払う。視線が途切れた一瞬、またババァが消える。今度は魔王もどこに転移するのかすぐには把握できなかったようで、少しだけ呆然としたようにみえた。


「後ろだ」


 ババァが魔王の後ろにその姿を現す。流石の反射神経で魔王が振り向く。だが、ババァは既にそこにはいない。既に転移済みだ。


「人が作りし人工の神、デウス・オムニポテンに命ずる」


「ジョーマよ。腕を上げたな」


 魔王が感心したような声で、ババァの連続転移を目で追う。だが、あの化け物を以てしてもそれが限界のようだ。それとも手を抜いているのだろうか。それは俺にはわからない。


「遍く森羅万象を構成する、最小単位の粒子を、決して隔絶するに能わぬその連鎖した結束を」


「それは貴様が作った精霊によるもの、か。流石だ。稀代の魔女、ジョーマ・ソフトハート」


 やがて魔王は転移を繰り返し続けるババァを目で追うことは諦めたのか、その言葉を最後に空中で棒立ちとなった。それはいかなる存在にも、「勇者」以外には傷つけられはしないという絶対の自信からなのだろうか。


「真理を超えたその先の先の先に在る、知識を超越した絶対なる流れによって、分離させ、其が持つ尾を飲み込む竜の如き秘められし力を開放し――」


 魔力(マナ)がババァの身体に収束する。魔法が完成する。


「爆ぜろ」


 最後は魔法名の発話。それがキーだ。


核爆発ニュークリアエクスプロージョン


 瞬間、魔王を中心として光が迸った。同時に、鼓膜が破れないか心配になるほどの轟音。突然の閃光に、目がやられ、視界がぼやける。


 直感的に思う。これは爆発だ、と。しかもただの爆発じゃねぇ。大爆発だ。だが、そうは言っても半径としては微々たるもの。その威力が、爆風が、俺を傷つけることはなかった。


 だが、空気の振動が、大地の振動が、その現象(・・)が発生させたエネルギーの凄まじさを物語っている。


 あまりの眩しさに馬鹿になっていた目が少しずつその機能を取り戻していく。


 爆発は、炎の柱となり、渦となり、発生した煙がきのこのように空高く舞い上がった。


「これが……、ババァの魔法?」


 凄すぎる。このレベルなのか? 俺が今まで「ババァ」とか呼んで、軽口を叩いてたジョーマ・ソフトハートという人間は。ここまでの力を持っていたのか。


 これは世界を容易に滅ぼす。そんな力だ。なんとなく、根拠もないがそう思った。


 そんな破壊力を持った魔法を直撃させられて無事なはずはない。


 普通ならそうだった。そのはずだった。


――ざくっ、ざくっ。


 魔王の真っ黒な靴が爆発で荒れ果てた大地を一歩一歩踏みしめる音。その音が鼓膜を震わせる。


 その右腕で掲げられているのは、ババァの身体。魔法を放つ直前よりも、更にボロボロになったその小さな身体を大きなゴミでも抱えるように襟首を掴み、空高く掲げている。


「人間。返すぞ」


 奴が、それ(・・)を放り投げる。力なくただ投げられるままに、ババァの身体は宙を舞い、そして俺の前に、どさり、と落ちた。


「ジョーマ・ソフトハートは死んだ。良き魔女だった」


 魔王を見る。そしてババァを見る。


 ババァはピクリとも動かない。


「お、おい。ま、まだ生きてるよな?」


 その声は誰に向けたものなのだろうか? 自分でもわからない。


「生きてなどいない。死んだ。全ての魔力(マナ)を使い果たし、爆発の余波に巻き込まれて」


「……待てって。待て、待て。待て待て待て」


「何を?」


 魔王が不思議そうな顔を隠さずに問う。


 ババァは。ジョーマ・ソフトハートとか言う女は、殺しても殺しきれねぇ、どんな窮地でもその知恵と、知識で切り抜けて、絶対の信頼を預けられて。


 そんでもって、いつだって顔に似合わねぇ高笑いをしてて、時々優しく俺を、他の連中を見てて。


 そんなんだろうがよ。


 百歳超えてんだろ? 普通の人間は百年も生きねぇぞ。


 なんで死んでんだよ。馬鹿じゃねぇのか?


 違う。馬鹿は俺だ。


 俺がいなけりゃ、ババァは死ななかったかもしれない。いや、結局同じで死んでいたかもしれない。無数の「かもしれない」が頭の中で渦を巻く。


 脚が立たない。力が入らない。下半身を引きずりながら、腕を使って、ババァのところまで這う。


 震える身体にイライラしながらも、うつ伏せになっていたババァの身体をひっくり返す。


 その顔は、歳相応の、しわくちゃの、俺がよく知っているババァの面影を残した老婆の亡骸が横たわっていた。


魔力(マナ)によって、若さを保ち、死から免れていたのだ。魔力(マナ)をすべて使い尽くせば、そのとおりだ」


「……るせぇ」


「何?」


「んなどうでもいいコトピーチクパーチクほざいてんじゃねぇ」


「……どうでも良い、か。なるほどな」


 ババァの身体を撫で擦る。脈を取る。そこには本来生きている人間が持つはずの鼓動が存在しない。


 確かに。


 死んでいる。


「……ッッ!」


 声が出ない。


 叫ぼうとしている。だが、声が出ない。


 叫んでどうする? 事実は変わらない。そうも思う。


 だけど、叫ばせてすらくれないのだ。この身体は。ただ、ただ、大声を出したい、それだけなのに。


「あぁ、ジョーマの懐からこれがこぼれ落ちていてな、おそらく貴様らに託す予定のものだったのだろう」


 魔王が何かを俺に向かって放り投げる。それはババァの腹の上に、とすっ、と乗っかる。小さな手製の巾着袋だ。


 震える手でそれを手に取り、開ける。中からは小さな紙切れと小瓶が出てきた。紙切れには文字が書いてある。


――これは余が作り上げた人工精霊の体液を全て混ぜたものだ。エリナ・アリスタードであれば、全てではないが使いこなせるやもしれぬ。飲ませるが良い。ジョーマ


 そこにはそれだけが、なぐり書きされていた。


 はぁ? ふざけんなよ。特に最期っぽいところも見せねぇで、逝っちまいやがって。


「ユリウス、だったか?」


「呼んだか?」


「……ぶっ……殺す」


「無理だ、貴様にはな。それに私が貴様を殺すのもどうやら無理らしい」


 はぁ? 何を言ってやがる。


「ほら。来たぞ」


 魔王の言葉に、ハッとして周囲の気配を探る。


「……良かった、ゲルグ生きてた……。そ、れ……は、ジョー、マさ……ん?」


 アスナが、ミリアが、エリナが、キースが、駆けつけてきた。


 皆が皆、魔王を見て、俺を見て、そしてババァを見る。


 ミリアが慌ててババァに駆け寄って、そして全身をくまなく触り、そして首を横に降る。


「ね、ねぇ? ジョーマ様は?」


 エリナが震える声を出す。なんでお前がそんな声だしてんだよ。ババァを置いて逃げただろうが。いや、そうじゃねぇ。あの判断は迅速で正確で間違いなく正解だった。間違ったのは俺だ。


「……その可能性……もあると、覚悟はしていた……だが……っ!」


 キースが絞り出すように声をだす。わかってる。その覚悟は、あの時必要なものだった。


 何度だって言う言う。俺が馬鹿だった。間違ってた。


 そもそもが魔王は、ババァを殺すつもりでここに来た。そして「勇者だけ」は殺さないと告げた。


 ならどうするか。勇者であるアスナを連れて逃げる一択だ。


 ババァは最強だ。例え魔王が相手だったとしても、その事実は変わらない。俺が、俺達がいるだけ足手纏いだった。なのに一人でここまで駆けつけてよ。馬鹿みてぇだよ。いや、馬鹿だ。


「アスナ……契約は?」


「……ん。無事、済んだ」


「そうか……」


「だから、ね」


 アスナの身体がまばゆい光を放つ。


「心置きなく戦えるッッ!」


 太陽の加護。それが今完成した。


 全ての呪詛の効力はアスナの前では無力となる。それはアスナに与えられた否善の呪詛も、魔王の不死の呪詛も、等しく、だ。


「……ジョーマさんからいろんな物を沢山もらった」


 太陽の光を彷彿とさせる、黄金色の輝きを放つアスナが、震える声を出す。


「私、何もまだ返せてない」


 それはな。俺だって、誰だってそうだよ。


 このお人好しババァはな、いつだって誰かに施すだけ施して、そんでもって「見返りなど要らぬ!」なんてほざきやがるんだ。


「許さない!」


「守りたい」という感情。そして大切な人間を奪われた「憎しみ」の感情、「呪い」の感情、「恨み」の感情。そして何よりも隠しきれない憤怒。


 それらがごちゃまぜになった声で、アスナが吠えた。

ジョーマ様ぁっ!!


世界最強の魔女を失いました。


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[一言] 覚悟はしていたけど哀しい
[一言] 魔王、なんだかんだ言ってジョーマのフォローしてますね。 なにか理由でもありそうですね。
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