第八話:今貴方は戦うときでは無い! 力は出すべき時に出すものです!
華やかな喇叭の音色と共に、ホールテラガルド連合軍の艦隊が一斉に動き出す。ヒスパーナの蒸気船は、真っ白な煙を吹き、ゆっくりと風に逆らって進みだす。他の国の船も、帆の角度を調整し、死の大陸に向かって進み始めた。
フランチェスカが港で少し心配そうな顔をしながら出港する艦隊を見送る。メティア教のトップがこの大作戦に付いていくわけには行かない。勿論各国の指導者連中もだ。
だが、魔法ってのは便利なもんで、ある程度の距離であれば連絡を取り合うことができるらしい。知らない魔法だ。エリナとババァは、そんなの当然、みたいな顔をしていたが、間違っても常識じゃねぇからな? それ。
そんでもって、その「ある程度の距離」は、メティア聖公国から死の大陸までの距離をしっかりとカバーしている。だもんで、司令部は将校から報告を受け、指示をすることができると、そういうことらしい。
死の大陸までこの大艦隊で移動するとなると一ヶ月はかかる、とのことだ。だから出港して始めの一週間ぐらいは特段やることがねぇ。それは全員がそうだ。
だが、それを超えると、流石に魔王もその軍勢を差し向けてくるだろう、とフランチェスカは語っていた。
一週間。士気を下げず、恐怖にも負けず、耐える。それは普通の人間であれば耐えられないものなのかもしれない。だが、この連合軍は、この艦隊は、各国の選りすぐりの強者ばかりだ。そんなことは問題ではないのだろう。
なお、俺達は死の大陸に艦隊が到着するまで力を温存しておけと言われている。つまり他の連中以上にやることがねぇ。ねぇってよりも、「何もするな」というのがやることだ。
魔王を打倒する。それは勇者のみに許された特権だ。
出港してから数時間ほどだろうか。メティア聖公国の船の上。手持ち無沙汰になった俺は、その甲板の隅で手すりに身体をもたげて煙草を吹かす。
ちなみに、アスナとエリナとミリアの三人は優雅に茶を嗜んでるらしい。アスナが「これから皆でお茶会するんだ」と言っていたのを聞いた。
ババァは、自室に籠もって本でも読んでんだろ。
そんなふうにぼけーっとしていた俺の後ろからキースらしき気配が近づいてくるのを感じた。
「暇か?」
「まぁな。ってか、船に乗ってる間暇してねぇ奴なんていねぇんじゃねぇか?」
「一理あるな。娯楽も少なく、食料も限られている。毎日同じ人物と顔を合わせ話題もなくなる。日々の鍛錬は置いておいて、やることと言えば、寝るか、物思いに耽るか、といったところか」
「そうだなぁ。俺達だけで船旅してた時も暇だったしなぁ」
「それでも話題は尽きなかったような記憶があるがな」
「そりゃお前、俺達は仲良しグループみたいなもんじゃねぇか」
「仲良しグループ」なんていう呼び方もなんだか語弊がある気もするがな。
「ははっ。そうだな。貴様から『仲良しグループ』などという言葉が出てくるとは思わなかったがな。仲良しなつもりなのか?」
「仲良しかどうかは知らねぇがよ。仲間なのは確かだろ? 一緒の船に乗る頃には、俺はお前等のこと仲間だと思ってたぜ」
「一度逃げ出した奴が何を言うのやら」
ぐっ。それを突かれると痛ぇ。
しょうがねぇだろ。あの時は俺なんざお役御免だと思ってたんだよ。
「その後は貴様はイズミと訓練していることが多かったからな」
「そうだなぁ」
イズミと訓練かぁ。昨日のことのようにも思えるし、遠い昔のようにも思える。だが不思議と、気分が落ちたりとかそういうのはない。ババァが言ってた、「成熟した」ってことなんだろうか。
「『力を温存しておけ』と言われている以上、模擬戦なんかもできないな」
「そうだな。お前と模擬戦なんてしたら、疲れきっちまわぁ」
「それほどでもないと思うがな。だが、まぁ。貴様がそういうのならそうなのだろう」
なんでそこで「それほどでもないと思うがな」なんて言葉が出てくるんだよ。キースをじろりとにらみつける。てめぇと本気で手合わせなんて、メティアーナから出てった時以来だが、もうそれで腹一杯なんだよ。結構必死だったんだからな。
会話が途切れる。だが、不思議と不快感はない。気まずくもない。
男同士、だからなのかね。
煙草が燃え尽き、海に投げ捨てる。もう一本と、懐から取り出し、また火をつける。
「貴様は飲み食いするように煙草を吸うな」
キースがその様子を見て、感心したような声を出した。
「あー、まぁ。美味いからな」
「美味いのか?」
「吸ってみるか?」
煙草を取り出し差し出す。キースが少し躊躇しながらも、それを受け取った。
自分が咥えている煙草の火種をキースの顔に近づける。お前、なんちゅー顔してんじゃ。「何をすれば良い?」みたいな、キョトンとした顔してんじゃねぇ。指でちょいちょいと、「てめぇの煙草の先っちょをここにくっつけるんだよ」と合図する。
キースが手に持った煙草を近づける。
「違ぇよ。咥えろ」
「こ、こうか?」
キースが口に咥えた煙草に、自身の火種を近づける。
「吸え」
じゅっ、と小さく音がなり、火種がキースのそれに移る。もうもうと煙が上がり、そしてキースの口から肺まで入り切らなかった紫煙がぶわっと漏れ出した。
そして数秒。キースが激しく咳き込んだ。
「ぎゃーっはっはっは。だっせぇ!」
「げほっ、ごほっ! な、何だこれは! 喉が痛い、苦い、煙い! これのどこが美味いのだ!」
「ストックがあるにはあるが、補充はできねぇんだからな。それ捨てるんじゃねぇぞ。ありがたく全部吸え」
「む、むう」
咳き込みすぎて涙目になったキースを見て笑う。こんなくだらねぇことで笑ってられんのも後一週間くらい、か。
咥えていた煙草を一気に吸い込み、煙を大量に肺に溜め込む。ぶはーっと、紫煙を吐き出し、暇な時間でぼんやりしていた脳みそが活性化していくのを感じる。
短くなった煙草を海に投げ捨て、踵を返した。
「じゃな。俺は寝る」
「あぁ。ではな」
去り際にキースがまた煙草にトライして咳き込んだのであろう音が聞こえた。
「口に一回溜めて、ゆっくり肺に入れんだよ」
振り向かずにそう叫ぶ。
今度は咳き込む音は聞こえなかった。
そんで、なんやかんやで一週間が過ぎた。
朝だ。船中に鳴り響く、けたたましいサイレンの音で俺は飛び起きた。敵襲だ。
ベッドから飛び出し、できる限り早く着替えて、部屋を出る。バタンと乱暴に開閉された扉が悲鳴を上げる。
走る。船の廊下を走る。目標は甲板だ。
甲板に続く扉を開ける。そして開けた視界に映ったのは。
「……こりゃ……」
翼を持つ魔物の軍勢がヒスパーナとルイジアの艦隊を襲っている。パッと見ただけでも数千? いや、万はいそうだ。幸いにも、前線の二国と、遊撃部隊の各国の頑張りで、後ろのこの船までは魔物の軍勢はやってきていない。
だが、それも時間の問題に思えた。
「や、べぇな」
こんな大群が襲ってくるのか? 想像なんてしていなかった。ここまでとは思っていなかった。せいぜい百やそこらだと思ってた。自分の考えの甘さに反吐が出そうになる。
寝ぼけている暇も無いほどに、脳味噌が緊急警報を頭の中で鳴らし続けている。
「ゲルグっ!」
立ち尽くして、何をするべきか迷っていた俺のもとにアスナが走り寄ってきた。
「ど、ど、ど、どうしよう! あんなに沢山!」
なんだろう。さっきまでパニックになっていた頭が急速に冷めていく。自分よりもパニクってる奴を見ると、どうして人間ってのは冷静になるんだろうな。
ため息を一つ。
「……とりあえず落ち着け。俺達が言われたことはなんだ?」
「ち、力の温存!」
「そうだ。信じろ」
「で、で、で、でも!」
あー、もう。こいつは責任感が強すぎる。それがこいつの良いところでもあり、悪いところでもある。
この状況を他人事とは思えない。自分が動かなければ、と思ってしまう。たしかにそりゃ「勇者」って称号にぴったりなんだろうさ。
「何のために、世界中の連中がこうやって兵を出したと思ってる?」
「わ、私達のため?」
そんなやり取りを繰り広げている俺達二人の元に、エリナとミリアが駆けつける。
「アスナ! ここにいちゃ駄目でしょ! まだ魔物共は気付いてない。船室に隠れてっ!」
「で、で、でも、エリナ!」
「あーもう。アスナが皆を心配してる気持ちはよく分かるの! でも、連中が狙ってくるのは、アスナ、きっと貴方なんだから! 居場所を知られちゃだめ!」
「でもっ!」
慌てふためいた様子を崩さないアスナの手をミリアが取る。
「アスナ様、こちらへ」
「み、ミリア、でもっでもっ!」
アスナがミリアの手を振り払った。バカ、そういうことしてる場合じゃねぇってのがわからねぇのか。
そこへキースがようやく駆けつけた。遅ぇよ。バカ。っても脳筋が増えたところで、この状況がどうにかなるとも思えねぇんだけどよ。
だが、そうじゃなかった。
「アスナ様! 世界中の強者が今、命を懸けて戦っています! それは、我々を無傷で死の大陸まで連れていくためです!」
キースがアスナの肩を掴み、叫ぶ。
「だけどっ!」
「『だけど』ではありません! 今貴方は戦うときでは無い! 力は出すべき時に出すものです!」
「でもっ!」
「それに、この状況では、貴方はどうしても『皆を守る』、そう思ってしまう! 否善の呪詛にやられます! ここは皆に任せるのです! それが、今の、我々の、仕事です!」
強い語気で、キースがアスナを睨みつける。
「……でもっ……」
「大丈夫です。信じて下さい。皆各国の猛者ばかりです。そう易易とやられはしません」
「……ん……」
キースの冷静な声でようやっと落ち着いたらしい。偉いぞ、キース、よくやった。お前を脳筋と呼ぶ回数を今の半分にしてやる。
「それでは、船室に戻ります。良いですね?」
「……ん……」
だが、アスナがまだ納得いっていない様子だ。不承不承といった面持ちで、小さく頷く。
だが、それでも良い。俺達の仕事は今は無い。周りに任せるしかないんだ。
「ふーっはっはっは! キース・グランファルドよ! 良く言った! 流石は余の愛い子供の一人よ! そなたも良く成長した!」
ババァ……。いつからいやがった。俺でも気配を全然感じ取れなかったぞ。
「そなたらの出番は無い」
ババァがアスナを見る。優しげに笑いながら。
そしてアスナがババァに切羽詰まった表情を向ける。
「み、皆が、心配で、だか――」
「心配する必要はない。余が出る」
ババァが飛ぶ。飛翔だろうか?
「余が加勢する。竜種が多いな。ぱっと見ただけでも、ドレイク、バハムート、ワイバーン……。ケツァルコアトルまでいるか。腕が鳴る」
ニヤリと笑いながらババァが魔物の軍勢を見た。
「おまけにガルーダにグリフォン。クイーンハーピィ。その他諸々。空を飛ぶ魔物が勢ぞろいだな」
ババァの魔力がうねりを上げる。
「そなたらは船室で待っているが良い。余が行って、あの程度の魔物等蹴散らしてくれよう」
「じょ、ジョーマさん、でもっ!」
「アスナ・グレンバッハーグよ。余があの程度の魔物に遅れを取ると思うか?」
「思わない……けど」
「そなたと余。どちらが強いと思う?」
「え? それは……」
ババァがその長い髪をかき分ける。
「魔王を前にした時。魔王を打倒するという、その一点に限り。余はそなたに勝つことはできぬ。なにせ魔王を倒せるのは勇者であるそなただけだ。だがな……」
その顔が獰猛で凄惨な笑顔に変わった。
「そなたと余の一騎打ちであれば、余はそなたを三十秒もかからず殺せるぞ」
その顔にアスナの顔が少し青ざめた。気圧された、のだろう。その殺気に。ババァらしからぬその迫力に。
いつも高笑いしているか、優しげに見守っているババァとは大違いだ。俺もこんなババァの顔は初めて見る。
そんで、さっきの台詞。大口を叩いてるわけじゃねぇんだ。きっとババァが本気を出せば、アスナですら瞬殺だろう。
例えばアスナがババァに攻撃を仕掛けたとしよう。それはおそらく通らない。ババァは簡易転移で回避する。無詠唱で瞬時に魔法を展開して。
そして、アスナが動き回って疲れ切ったところに、それなりの火力の魔法をぶっ放し、怯んだところに、本気の魔法を打ち込むだろう。
アスナの表情に、ババァがふっと表情を緩める。
「心配するでない。魔王と名乗る者、魔王軍と名乗る者らとやり合うのは二度目だ」
先代の勇者。その仲間。それがババァだ。
「因縁が全くない訳では無い。少しぐらい張り切るさ」
そう言って、ババァが爆速で飛んでいく。
呆然と立ち尽くすアスナがそれを見送った。
そして、数秒後。最前線で――魔物の軍勢のど真ん中だ――真っ白な光が爆発した。
遅れて、どか……ん、と爆音が轟き、どでかい爆煙が上がる。
おいおいおい。ババァ。やりすぎだろ。味方まで殺してねぇだろうな。
いや、まぁ。心配ないだろう。あのお人好しババァのことだ。誰一人として人間は傷つけちゃいまい。
「……すご……」
エリナが呆然と呟く。
「さ、見惚れてねぇで、船室に戻るぞ。俺達の仕事だ」
俺はアスナの腕を引き、エリナに、ミリアに、キースに声をかける。俺達の出る幕はない。何しろ人類最強の魔法使いがこっちにはいるんだ。
続けて聞こえてくる爆音やら、轟音を聞き流しながら、俺達は船室へ戻った。
そして、三週間。艦隊は兵士達の尽力と、メティア聖公国の僧兵、神官の治癒や護りと、そしてなによりもテラガルドの魔女の圧倒的な魔法によって、死者を出さずに死の大陸へたどり着いた。
船室ですら爆音で響き渡る、ババァの魔法の音には心底辟易としたのは言うまでもない。
キース君、煙草に初挑戦。
おっさんに笑われてしまいました。
そして、ジョーマ様の強さよ。
パない。
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