第一話:それでも、あの方は、今持つ力の全て、何もかもを、自分の努力でもぎ取ったのだ
「ゲルグ様。少々お時間頂いても?」
「あぁ」
無表情に俺を見つめるアナスタシアに、首を縦に振る。
「ナーシャ、ごめん。アタシも付いてくけど、いいかしら?」
エリナがこれから何の話をしたいのか察したのだろう。俺とアナスタシアの間に割って入った。
突如始まった少し刺々しい雰囲気に、フランチェスカがおろおろしているのが視界の端に映る。
「いえ、エリナ様はお忙しいでしょう? 御用があるのは、ゲルグ様だけですので」
「ゲルグ・ヒーツヘイズはアタシの騎士よ。主君をほっぽって騎士を連れてくってのは、筋が通らないんじゃない?」
エリナの一歩も引かない姿勢とその鋭い眼差しに、アナスタシアがため息を吐いた。
「わかりました。では三人で……。フランチェスカ猊下。失礼いたします」
アナスタシアが俺とエリナに目配せをしてから、部屋を出ていく。エリナもフランチェスカに一礼し、踵を返してついて行った。
「あ、あの、ゲルグ様……」
どんな話がなされるのか、アナスタシアが何を聞きたいのか。おおよその事情は知っているのだろうが、それでもフランチェスカが不安そうに俺を見た。
「心配すんな。ただ、話してくるってそんだけだ」
「……はい」
フランチェスカの金色の髪の毛をくしゃくしゃと撫で回してから、俺も部屋を出る。
廊下を出るとアナスタシアとエリナが待っていた。アナスタシアは姿勢よく、エリナは腰に手を当てて俺を見る。
「悪い。待たせた」
「いえ、とんでもございません。……とは言え、どこでお話をしましょうか」
アナスタシアの言葉に、俺は廊下の西側を指さす。
「あっち側の奥に、人がいねぇ部屋がある。そこならどうだ?」
「承知しました」
部屋に入り、扉を閉める。どうやらここも会議室みたいな部屋らしい。長机に椅子が規則正しく並べられている。お誂え向きに扉に鍵がついていたのもあり、それを見つけたエリナが丁寧に鍵をかけた。かちゃり、と乾いた音が響き渡る。
アナスタシアが、所在なさげに少しうろうろしてから、部屋の隅にあった椅子に腰掛けた。俺は少し離れた場所を自分の位置だと決め、そこに立つ。エリナは扉の傍から動く気はないらしく、腰に手を当てたまま微動だにしない。
「ゲルグ様にお聞きしたいことがございます」
「あぁ」
何を聞かれるのかは予想できた。だが、アナスタシアが次の句を告げる前に、エリナが口を開いた。
「ナーシャ、いえ、ヒスパーナ摂政閣下」
「はい、エリナ陛下」
「先にまずは私から謝罪させてくださらないかしら」
「何を、ですか?」
何を、とアナスタシアは問う。自分が聞きたい言葉を本当に理解しているのか、と。
その問いかけには答えず、エリナが続ける。
「桟橋でまずするべき謝罪でした。言い訳にしか聞こえないかもしれませんが、猊下の手前、不穏な空気は避けたかったというのもあり、落ち着いてから改めてと思っていました」
「はい」
「イズミ・ヤマブキの殉職について、全ては私の責任です、心よりお詫び申し上げます」
「……陛下。いえ、エリナ様。私は別に謝罪を求めているわけじゃないのです」
「わかってるわよ。ナーシャ。聞きたいのは別のことでしょ? でも必要なことだと思ったの。アンタとアタシがこれから対等に付き合っていく上で」
「対等、と仰るんですね。貴方は女王。私は一介の摂政。立場の違いがあるのに」
「アタシはアンタを友人だと思っているわ。そこに肩書なんて関係ない」
「……ありがとうございます」
ひとしきりアナスタシアとエリナが話し終える。
そして、アナスタシアが俺を見た。
その瞳は、酷く悲しげな、後悔しているような、そんな色に染まっていた。
「ゲルグ様……」
その声が、か細く震える。
「イ、イズミは、どんなふうに散っていったのですか?」
聞きたかったことはそれらしかった。イズミがどう死んだのか。怜悧に見えた眼差しは、恐らく自分の悲哀の感情を隠し通すためだったのだろうか。睨んでいるように見えたのは、やっぱり少しながらでも俺を恨んでいるのだろうか。それはわからねぇ。
どちらにせよ、アナスタシアは「イズミが死んだ」という事実に対して、誰を責めるわけでもなく、怒りをぶつけるわけでもなく、ただその死に様を尋ねた。
「イズミは……」
なんて表現すりゃいいのか、わからない。
あいつは最後まであいつだった。
イズミ・ヤマブキは、俺の知っているイズミ・ヤマブキのそのまんまで。そう、そのまんまで死んだ。
「イズミは、最期までイズミだったよ。飄々としてて、へらへらしてて、なのに滅茶苦茶凄くて、強くて、そんでもって美人だった」
「……どんな顔で逝ったんですか?」
「満足そうに、笑いながら」
「そう、ですか」
アナスタシアの眼から、ぽろりと一滴、涙がこぼれた気がした。目を擦る。別に涙なんて流しちゃいない。
だけど、そう見えた。見えてしまった。
「……悪い……。俺もよく説明できねぇ」
「理解、できます」
「ババァは、『寿命だ』って言ってたよ」
「存じています」
「マジですげぇ女だったよ」
「知っています」
「あのよ……もし、あいつが本当に寿命で死んだって言うなら……」
「はい」
俺は今まで誰にも言わなかったことを、思わず漏らした。
「俺は……どうやってあいつに詫びりゃ良い……」
下を向く。罵られる覚悟も、叩かれる覚悟もしていた。
イズミが寿命で死んだなら、だ。俺と修行した、二年と七ヶ月。それはあいつの残り少ない寿命を削ったって、そういうことだ。
あいつはそんなことおくびにも出さずに、俺に喜んで修行を付けた。それがババァの進言だったとしても。
どんな思いだったんだ? イズミ。
なんであの時断らなかった?
「そんなこと……」
アナスタシアの次の言葉は「知りません」だろう。
「……いえ、貴方が詫びる必要などありません」
予想外の言葉に顔を上げる。
「イズミは望んで貴方の修行に付き合いました。報告は本人から受けています」
アナスタシアが小さくため息を吐き、そして立ち上がって俺と向き合った。
「貴方と出会ってしばらくしてからのイズミは、私が見てきた中で、一番活き活きとしていた、と思います。『弟子なんてとらない』と言って憚らなかった彼女が、です。私も何度か『その技術を他の人間に継承しろ、勿体ない』と言って聞かせたのですが」
辞めろ。
「楽しかったのではないでしょうか」
そうじゃねぇ。
「貴方という弟子を取り、自らの技術を継承することが、嬉しかったのではないでしょうか」
もっと俺に当たり散らせよ。
「貴方が気に病む必要はありません」
うるせぇよ。違ぇだろ。
お前さんはもっと俺に怒鳴って良いんだよ。ほかでもねぇ俺がそうして欲しがってんだよ。
そんな俺の心情を知ってか知らずか、アナスタシアは俺に悲しげな笑顔を向ける。
「貴方の下らない贖罪に私は付き合いません。ゲルグ様。……もし、貴方が後ろめたさを感じるなら、感じたまま生きなさい」
口を噤む。こいつの言うとおりだ。
「イズミの技術は貴方の中で生きています。死ぬことは許しません。イズミの分まで、確りと生きなさい」
それだけです、と一言残し、アナスタシアが足早に部屋を出ていった。その瞳に光るものが見えたのは、気の所為だったのだろうか、そうじゃなかったのだろうか。
どちらにせよ、アナスタシアにとって、イズミ・ヤマブキという工作員は大事な何者かだったようだ。
終始声のトーンが低かったアナスタシアのその様子が、痛いほどにそれを俺に理解させた。
壁に拳を叩きつける。みしり、と壁が悲鳴を上げて、少しだけ罅が入った。
「あーあー。フランチェスカ様に謝らないと」
エリナが茶化すように笑いながらそんなことを言った。
「アンタのそういうとこ、嫌いじゃないわよ? でもね、ちょっと一人で背負い込みすぎ。やっぱり全然大丈夫じゃないじゃない。あのね、イズミが死んだのはアンタのせいじゃない」
「……わーってるよ」
そんなことぐらい、わかってる。だからこそ、あいつは笑顔で死んでいったんだ。
笑顔を向けて死なれるのは、人生で二度目だ。
それはある種の呪いだ。くだらなかった俺の人生に、意味を、価値を、何かを見い出せと、そう圧力をかけられている気がしてならない。
「アンタは、アンタにしかできないことをやってる。それはアタシが保証する。イズミだってきっとそれを理解してた、と思うわよ」
エリナの声がいつになく優しい。
「特別な誰かの『死』が、一人で背負える重さじゃないのを、最近痛感したから、かもね。何となく今のアンタは放っておけない」
そうだけどよ。そりゃそうなんだろうけどよ。
「アタシのときはアンタが叩き起こしてくれた。おんなじこと言うわよ? 思ってること全部ぶちまけろっつってんだ。アタシには、今アンタが何を考えてんのか知る権利があんだろうが」
俺が何を考えているか、か。何考えてんだろうな。
「……あー、うん。俺にもわからねぇ。悪いな」
「ま、そんなとこだろうと思ったわよ。アンタって自分のことになるとてんで鈍ちんだもんね。でも、ま、それでいんじゃない?」
「何だよ。今日は随分お優しいじゃねぇか」
「今日に限った話じゃないわ。アタシって慈愛に溢れた女王陛下なのよ?」
エリナの慈愛に満ち溢れた笑顔を見る。
「ほら、ここにはアタシしかいない。あいつが死んでから今まで、ずっとちゃんと泣けてないんでしょ? 顔みりゃわかるわ。泣いちゃいなさいよ」
「馬鹿、男が、そう簡単、に……」
「いいから」
エリナが少し背伸びをして俺の頭を撫でた。くしゃりと。
自分でも理解できない。だが、このまだまだ小娘な女王様に、全てを見透かされた、そんな気がした。
後から後からこぼれ落ちる。後悔の欠片が。
「ほら。悲しい時は、ちゃんと泣かないと駄目なんだって。訳分かんなくても、よくわかんなくても。そこに男も女も関係ないわよ。大丈夫よ。皆には内緒にしといてあげるから」
低いうめき声を上げながら、鼻水をだらしなく垂らしながら、俺の頭を撫でていたエリナの手を強く握りながら。
大の男が、大の大人が、見るのも憚られるような、情けない声を上げながら。ただただ嗚咽した。
エリナはただ黙って、空いている左手で、俺の頭をなで続けてくれた。
何分だろう。何十分だろう。ただ俺が泣く声が部屋に響く。そんな静かな時間が、ゆっくりと過ぎていった。
そんだけ泣けば、誰だってなんとなく落ち着いても来る。
涙も止まり、いざそうなると、非常に恥ずかしく、バツの悪い思いがふつふつと湧いてきた。
「エリナ、あの、よ」
「何も言わなくていいわ。アタシはアンタの主君で、アンタはアタシの騎士。今や女王陛下なのよ? アンタみたいなおっさん一人なんて、アタシが背負った全部に比べればちっちゃいちっちゃい」
なんだ、この女。イケメン過ぎる。
「でも、アタシはアスナっていう心に決めた人がいるから、惚れちゃだめよ?」
「誰がだよ、バーカ」
エリナが笑う。俺もつられて笑った。
あの日から胸につっかえていた何かが、少しだけ軽くなった、そんな気がした。
その夜。俺は何とはなしに、キースの部屋を訪れた。少し乱暴にノックをする。
ややあって、扉が開き、中からひょっこりと顔を出したキースが意外そうな顔をした。
「む。貴様か。俺を訪ねてくるのは珍しいな」
「いや、ちょっとな。入っていいか?」
「あぁ。トレーニングも終わったところだ。いいぞ」
部屋に入る。端的に汗臭い。いや、男臭い。まぁ、そんなことは言わなくてもいいだろう。別にこいつが傷ついたり凹んだりするのは構わないが、それを口に出した瞬間、さらに体感する臭いがきつくなる気がしたからだ。
「それで? 用事はなんだ?」
「いや、エリナのことでよ」
「姫様の?」
「あぁ」
あー、なんて言ったらいいんだろうな。具体的に言葉にしようとすると、出てこねぇ。
「あー、なんだ」
「煮え切らんな。何が言いたい」
もう。いいや。もう適当で。
「悪かった」
「は?」
「お前のことを、ずーっとロリコン騎士だと思ってて悪かった」
「へ?」
予想外の俺の言葉に、口をあんぐりと開けて固まるキース。
「エリナは……。あいつはやべー女だ。お前があいつを見て、『騎士になりたい』って思った理由が今日なんとなくだが理解できた」
「む……ロリコン云々はまぁ、置いといてだ……」
キースが誇らしげに鼻を鳴らす。
「姫様の素晴らしさを貴様も理解したか」
「あー、うん。まぁ、そういうことに、なるのか?」
「そうかそうか」
なんでてめぇが自慢げなんだよ。
「良いか? 姫様は、特段生まれ持った素晴らしい才能などお持ちではない。勿論才能が全く無いというわけではない。才能はある。だがそれは、天才のそれではなかった」
「そうなのか? そうは見えねぇけどな」
「あの方は秀才だ。天才ではない。それでも、あの方は、今持つ力の全て、何もかもを、自分の努力でもぎ取ったのだ」
「俺から見りゃ、才能に溢れたやべー奴に見えるけどな」
「それは、弛まぬ姫様の努力の結果だ」
キースが笑いながら続ける。
「だからこそ、その片鱗を姫様の顔に見たからこそ。俺は姫様に剣を捧げたのだ」
目の前のマッチョマンの鼻息が荒い。なんというか、やたらと話が長くなりそうだ。うん、もうそろそろやめておこう。
「……あー、うん。わかったわ。よく理解した。じゃあな」
なんか人選を間違ったような気もするし、誰かと一緒にエリナを褒め称えるみたいなこんな感じ、俺らしくなかった。そもそもここに来たのが間違いだった。
俺はどうかしてたんだ。そう、どうかしてた。
エリナはたしかに良い奴だ。だが、うん。俺がどうかしてた。端的に恥ずかしすぎる。
「ま、待て、話はまだ」
「おやすみ」
俺はキースの部屋を後にする。
でも、まぁ。うん。
キースの気持ちも今はわからなくもない。別に剣を捧げるとか忠誠を捧げるとかは死んでも思わねぇだろうけどよ。
それでも、エリナっていう仲間のためなら、自分ができる限りの何かをしてやりてぇ。そんなこと思ってなかったわけじゃねぇが、その気持ちが強まったのは確かだ。
あいつは凄い。あいつが治めるアリスタードは良い国になる。俺みたいな悪党でもそう思っちまう。
だからこそ、魔王とかいうよくわからねぇバケモンをぶっ殺して、その後も全部片付けて、めでたしめでたしにしねぇとな。
俺は部屋に戻り、そのまま寝る。久しぶりに、夢を見なかった。
そして、それから二週間が過ぎ。
ついにメティアーナに各国の首脳が集結した。
イケメンエリナ様とおっさんです。
そして、エリナ様信奉者のキース君。
いや、おっさん。キース君とそんな話したら、こうなるってわかってただろ?
暑苦しいに決まってるじゃん。
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