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閑話:大切だった部下に餞を 後編

 ダリアから聞かされた報告はそれはもう詳細なものだった。


 イズミをアスナ様に随伴させたのはフィリップ陛下だが、それは半ば私が指示したこと。定期的に報告も受け取っていた。だが、それ以上の情報がダリアからは得られた。


 ダリアからはっきりと報告はされなかったが、恐らくイズミの死因は寿命。忍の寿命は平均して二十歳。正確な年齢は本人もわからないと言っていたが、イズミは二十代の半ばぐらいだ。長生きした方なのだろう。


 それでも、自分の寿命を延ばす努力を彼女はしていた。できる限り劇物を扱わない、体内に入れない、健康的な生活を心がける。そんなところだ。


 最後の決め手はグリミア火山島に漂着したことだろう。


 ダリアは彼女が忍だということを、くノ一だということを知らない。だから、その原因にも気づいてはいないのだろう。


 忍の、くノ一の訓練は苛烈を極める。あらゆる劇物、毒物を少量ずつ摂取し徐々に量を増やしていく。毒に身体を慣れさせるのだという話だ。どういった原理で、そんな時代遅れかつ非科学的な訓練で、毒を受け付けない身体を作り上げるのかはわからない。イズミの身体を一度検査したこともあったが、その詳細はわからなかった。


 彼女も詳細は知らないらしい。「飲め」と言われたものをただ飲んでいた、と。飲んだ後、下痢、嘔吐を始めとする諸症状に苦しみ、そしてしばらくして復活する。それを数え切れないほど繰り返してきた、とのことだ。


 恐らく、忍の一族にしか伝わっていない毒の調合配分があるのだろう。例えば、別の毒や劇物、薬物と合わせることでそれを可能にしているのだろうが、その具体的な方法はヒスパーナでも判明していない。


 忍の寿命が短いのは、戦や任務中に死ぬことも勿論だが、その毒物への耐性を獲得する訓練が最たる原因だ。


 人間が大量に摂取すれば死んでしまうような毒を、日常的に摂らせるのだ。人体に影響が無いはずがない。


 イズミは言っていた。毒物を摂取した時に、身体の内側、内蔵のどの部分を活性化させれば、無毒化できるのか理解している、と。


 話が少し逸れるが、原理的には神聖魔法の治癒(ヒーリング)に近いのだろう。身体の自然回復力を活性化させ、傷を治す。


 事実、近年の研究結果では、治癒(ヒーリング)によって回復した回数が極端に多い者は寿命が短いという結果が出ている。当然だ。治癒(ヒーリング)によって、自然回復力を活性化させるということは、それだけ身体を酷使する、ということだ。勿論、それは「極端にやりすぎた場合」に限るというのが、魔法という力の不思議な側面でもある。ある特異点を超えると、突如寿命が急降下するのだ。


 それを毒物に適用したら? 恐らく同じようなことができるのだろう。その生き証人がイズミだったわけだ。


 つまり私はこう推測する。


 そもそも、私が最後にイズミから残りの寿命を聞いた時――ゲルグ様の監視という任務を与えていなかった時だったか――は、彼女は自らの寿命に対して、「残り四、五年程度」と判断していた。


 その後、ゲルグ様との修行により、三年弱ほどが消費された。それでもまだ短くて数ヶ月から一年の猶予があったはずだ。


 そこでグリミア火山島だ。あの島は、火山による毒気地帯が多く存在する。


 毒気の多い場所に漂着したのかもしれない。もしくは、アスナ様達との活動の中で、毒気を吸うことになってしまったのかもしれない。


 イズミは毒を中和するために、内蔵を活性化させた。


 その他にも、随分と綱渡りな冒険をしていたことにも思い当たる。


 ヒスパーナでの戦い。アリスタード主席宮廷魔導士との戦い、騎士団長との戦い。どれもが、忍として、工作員としては優秀であるものの、アスナ様達と比較して一般人の枠を出ないイズミにとっては過酷なものだっただろう。


 イズミはこうも言っていた。「内臓を強化することで、自分の身体能力以上の動作が可能になる」、と。


 常に使い続けていたのではないだろうか。


 全ては推測だ。だけれどもこの推測は当たっているのだろう。


 仕方のないことだ。誰を恨むつもりもない。


 それでも。


「報告、ありがとう。下がっていいわ。任務に戻りなさい」


「はっ」


 こうも悲しくなるのはなんでなのだろうか。


 この瞬間にも、イズミが天井からひょっこり顔を出して「アナスタシア様!」と声をかけて来そうな気がする。してしまう。


 ダリアが部屋を出ていったのを注意深く確認してから、右手で目を覆う。


 イズミは私にとってどういう存在だっただろうか。


 はじめは、「親の愛情に飢えている子供である」と判断し、御しやすくするため、それを与えるような真似をした。


 だが、人間、そういった行動を取っていれば、自然と情も湧く。


 イズミは、私にとって、娘のようなものだった、のだろう。


 熱い雫が、右の手のひらに溜まっていくのを感じた。






 しばらくして、イズミの遺体がヒスパニアにアリスタードから届いた。


 魔王が復活したことが全世界に発表され、首脳会談を終え帰国した後だった。全ての根回しや計画が済み、現場の将校に全ての裁量を委任したことで、私はお役御免となったのだ。


 そもそもが、戦争や戦闘となるとその知見は専門家に劣る。あそこはこれから鉄火場となる。素人がいては邪魔だ、ということもあるのだろう。


 国でしなければならないことも山積みだったし、皆の言葉にありがたく甘えさせてもらった。


 今頃アスナ様達は、死の大陸に着いているのだろうか。我が国の主力艦隊と共に。


 アリスタードの軍艦から、ダミアンとアリスタードの将校が降りてくる。


「摂政閣下。初めてお目にかかります、私は……」


「ごめんなさい。非常に失礼であることは承知しているのだけれども、貴方のことに構っている余裕はないの。本当にごめんなさい」


 真摯に彼に謝って、ダミアンの元へ走る。


「ダミアン!」


「閣下」


「イズミは?」


「こちらです」


 ダミアンが真っ黒い大きな袋を開ける。


 そこには、死化粧が施され、死んでから数ヶ月経過しているとは思えないほどに綺麗なイズミがいた。


 ともすれば、生きているとも勘違いしそうで、目頭が熱くなる。


「イズミ……」


 その頬を撫ぜる。血の繋がりはないけれども、私の大切な娘のような存在だった。


 笑顔をありがとう。私のために動いてくれてありがとう。


 そんな意味を込めて、冷たく固くなった、その頬をさする。


 私は何をしてあげられたのだろうか。イズミ・ヤマブキ、という人間に。


 彼女が望むものをちゃんと与えられていただろうか。


「閣下」


 涙を堪えながら、ひたすらにイズミの身体をさすっていると、ダミアンが一枚の手紙を差し出した。


「遺書です。閣下宛の」


 受け取る。数秒にも満たない逡巡。ここで開くべきかどうか迷った。


 読めば恐らく私はこの場で醜態を晒すことになってしまうだろうから。


 でも中身が気になって気になって、その衝動を抑えきれなかった。


 封がされていない封筒の中から、数枚の手紙を取り出し、読む。


 イズミらしい、丸っこい文字が目に飛び込んできた。






 親愛なるアナスタシア様へ。


 まずは感謝を。あの時、あの日、私を拾ってくださったこと、それこそが私の人生にとって最も幸運なことでした。


 直接言うのは恥ずかしいので言わなかったのですが、アナスタシア様は私にとって母のようでもあり、姉のようでもあり、友人のようでもあり、そんな存在でした。


 だからこそ、あの時貴方が私を拾ってくれた瞬間、私の人生は完結しました。


 ありがとうございました。


 私に愛情を教えてくれて。


 私に人間らしい感情を教えてくれて。


 ありがとうございました。


 そう、私の人生はアナスタシア様と出会った時点で完結し、あとは本当はどうでも良かったのです。どこで野垂れ死んでも、どこでどうなろうとも、もうそれは枝葉末節なことだったのです。


 ずっと、そう思っていました。ですが、少しだけ違いました。


 もう一つ感謝を申し上げます。


 それは、対象と引き合わせてくれたこと。対象を監視する任務を与えてくださったこと。


 弟子なんて不要だと思っていました。生涯そんな弱みとなりうるものは作らないと決めていました。


 私は工作員として生き、そして死んでいくのだと、そう思っていました。


 彼は、私自らが育てた不肖の弟子です。成り行きでそうなってしまいました。


 私の技術は完全ではありませんが彼に受け継がれ、そして歴史に名を残すのではないか、と期待しています。過大な期待を彼にかけすぎている気もしますが、それぐらいはやってもらわないと困ります。


 他ならない私の弟子なのですから。


 私の生きた証は、こんな私に愛情を注いでくれたアナスタシア様です。


 そして、もう一人は、彼です。


 ここで、「私の生きた証はアナスタシア様一人ですよ~」とか書ければよかったんですけど、文章になると私は存外嘘の吐けない正直者のようです。


 ゲルグさんのことですが、きっとアナスタシア様と意気投合します。アナスタシア様と似ているところがあるのです。なんとなくそう思いました。


 全てが片付いた後、彼とちゃんと話をしてみて下さい。きっと仲良くなれると思います。


 別に男女の関係になれとかそういうことを言ってるんじゃありませんよ?


 アナスタシア様を幸せにするには、彼じゃ力不足です。ダメダメです。辞めといて下さい。まぁ、アナスタシア様にもその気がないとは思いますが。


 本当は、アナスタシア様に相応しい伴侶ができるまで見届けたかったのですが、それは叶わなさそうです。


 アナスタシア様。


 貴方と相まみえた時、その瞬間から、私の人生の全ては貴方でした。


 ゲルグとかいう弟子ができた今でも、それは変わりません。言っちゃえば、ゲルグさんに関しては、私の個人的な趣味に付き合わせただけとも言えますし。


 こうしてここに書くのも何か違う気がするのですが……。


 誇って下さい。


 貴方はイズミ・ヤマブキという人間に生きる意味を与えたのです。どうしようもなかった私に、何もかもを授けてくださったのです。


 沢山笑わせてもらいました。沢山叱ってもらいました。沢山愛情をいただきました。貰いすぎて、何をお返しすればいいかわからなくなってしまう程度には。


 なので私は現世に未練は無いです。いや、あるにはありますが、枝葉末節でしかありません。


 なので、どうか、これを読んだ時に、貴方が、泣いてしまわないように。


 それだけが気がかりです。


 泣かないでください。笑って下さい。


 イズミ・ヤマブキという人間は、貴方そのものです。その私が、恐らく大きな偉業を成し遂げたのです。これから成し遂げるのです。


 勇者を補佐するという、偉業を。


 その手柄はアナスタシア様、貴方の手柄です。貴方のものです。


 あの時私が貴方に出会っていなかったら、きっとこうはなっていなかったのですから。


 だから、改めて書きますね。


 泣かないで、笑って、そして誇って下さい。


 私は自由に生き抜きました。そして満足して死んでいくのだと思います。だから、後悔なんてありません。そうしてくれたのは、他ならぬアナスタシア様、貴方です。


 本当にありがとうございました。


 いつか上位領域でお会いする時を楽しみにしています。


 貴方の娘を自称する、イズミ・ヤマブキより。


 P.S.


 フィリップ陛下を若いツバメとして良いように扱うってのもありだと思いますよ。彼は今のところアスナさんにお熱ですが、アスナさんとの可能性は全然です。百パーセントありえません。


 傷心の陛下を、アナスタシア様の大人の魅力でメロメロにしちゃって下さい。やり方は手慣れたものでしょう?


 ゲルグさんが誰とくっつくのかが個人的に非常に興味深いです。いつかアナスタシア様がこちらにいらした時、上位領域で報告を待ってます。


 それまで、ちゃんと生きてもらわないと困るので、生涯を全うしてくださいね。






 馬鹿なのだろうか。あの娘は。


 こんなこと書かれたら。


「泣くな」だとか、「笑え」だとか、「誇れ」だとか書いていたけど。


「……っ!!」


 泣いてしまわずにはいられないじゃないか。


 私はイズミに、あの娘が求める物をちゃんと与えられていたのかずっと疑問だった。聞くのが怖かった。


 工作員という枠に押し込めて、彼女が心の底から欲して掴み取った、「自由」を奪ってしまっていなかったか、終ぞ聞けなかった。


 その答えがここにある。


 雫が次々と落ち、手紙を濡らす。あぁ、だめだ。この手紙は大事な物なのに。そうなるはずなのに。


 汚してしまう。


「か、閣下?」


「ご、めんなさ、い。ダミ、アン……。後、のことは、任せます」


 私は走る。手紙を握りしめて。自分の居室に向かって。大事な手紙、イズミの遺書がくしゃくしゃになってしまった。でももうそんなことも気にしていられない。後から丁寧に伸ばそう。


 数分ほど全力疾走し、そして扉を開け、ベッドに突っ伏した。


 何が「泣かないでください」だ。何が「笑ってください」だ。何が「誇ってください」だ。


 一人だけ満足そうに逝ってしまって。残された私の気持ちを全然考えてないじゃないか。


「あああああああああ」


 声にならない声を、叫び声を、枕で外に漏らさないように細心の注意を払いながら。


 泣く。泣き叫ぶ。


「アンタがっ! 私の娘だと言うならっ! 私を母親だと思うとか言うならっ!」


 なんで私よりも先に死んでしまうのだ。


 そんな問いに答えてくれる人間はいない。


 イズミが、今にも、天井からひょっこりと顔をだしそうな、そんな予感さえしてくる。


――やだなぁ、冗談ですよぉ。あ、怒りました? すみません~。


 そんな声が聞こえてくる気がする。


 やめてくれ。私はそんな立派な人間じゃない。


 私は貴方を工作員として重用するために拾ったのだ。


 情はあった。だけど、動機は不純だ。


 結果は評価できるかもしれない。だけど、そのプロセスは評価できない。してはならない。


「イズミっ! どうしてっ!」


 寿命が近いことは知っていた。


 もうすぐ逝ってしまうんだろうな、ということも。


「ずっと、私の傍にっ! いてほしかったのにっ!」


 そう願ってしまうのはいけないことなのだろうか。


 よく言われた。イズミに。「アナスタシア閣下は、摂政としては優しすぎますよ。もうちょっと冷酷になったほうが良いです」、と。


 それが私の駄目なところだ。


 工作員一人死んだだけで、ここまで取り乱すのだから。


 でも、仕方がないじゃないか。


 イズミ・ヤマブキは、確かに私の娘であった。


 目をかける存在であり、愛情をそそぐべき人間であった。


 フィリップ陛下が一人目なら、彼女は二人目だ。


「あああああああああああああ」


 ねぇ、イズミ。


 泣くな、なんて言わないでよ。


 泣いちゃうに決まってるでしょ。しばらく落ち込むに決まってるでしょ。


 それは、私を母だと慕ってくれた、姉だと慕ってくれた、友人だと言ってくれた、貴方が一番わかっているでしょう?


「ああああああああああああっ!」


 私の頭の中のイズミが「そこまで計算済みですよ~」なんて言って笑った気がした。

アナスタシア様とイズミさんのお話でした。


閑話も終わりましたので、次話より第八部へ突入いたします。


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[一言] 覚悟していても、別れは辛いものですよね。 たくさん泣いて、少し酒を飲んで、ゆっくりと心の整理をつけるのが良いかと。
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