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閑話:大切だった部下に餞を 前編

 訃報。


 それは、一国の摂政なんかをやっていれば、いくらでも目にする。


 最も多いのは、マトリクスだ。兵士の種類や、国民の種類ごとに、年間どれだけの人間が死んだのかが記載されている。それをただデータとして把握し、緊急時には対策する。人間を数字として扱うようで、余り好きではない。


 次に、仕事で関わりのある人間の死。これらは、直接私に手紙が届く。仕事上の関わりだ。深い人間もいれば、浅い人間もいる。摂政という役職柄、私が関わる人間は非常に多い。全ての葬送の儀に出席することはスケジュールの関係上できないが、それでも可能な範囲で足を運ぶようにはしている。


 ただ葬送の儀は、重苦しく、好きではない。魔王の脅威に晒されていた、あの数年間を覚えているからこそ、人間の死というものに、私は敏感になり、そして鈍感にもなった。一見矛盾しているように聞こえるが、それらは私の中で等しく同居している。


 最後に多いのは、政府やそれに準ずる組織に所属する誰かが死んだ、というそういう時だ。例えば兵士が死んだ時、葬送の儀には必ず私がフィリップ陛下の代理として出席する。勿論一人一人に対して、個別に葬儀を行うことはできないため、合同葬儀になってしまうのが死んでしまった者や遺族に申し訳ないところでもある。


 その中で、葬儀すら実施されない者達がいる。


 それは工作員達だ。


 ヒスパーナ辺境国は、世界の食処。性質上中立を貫かねばならない。


 となると、必然的に軍事を強化し、世界中の情報も詳細に把握しておく必要がある。


 工作員の存在は一般には知られてはいけない。勿論例外も存在するが、公にはその人間は工作員ではないことになっている。


 そのため、工作員が死んだ時、国を挙げての葬儀は行えない。身内のみで密やかに葬儀を行う。私も出席は控える。


 彼らは任務の性質上、遺体が返ってくることは稀だ。そして、死亡報告や行方不明報告も私が直接受ける。この時ばかりは胃がキリキリと痛むものだ。


 そしてその日。私の元に届いた一枚の紙切れはまさにそれだった。


 紙に書かれた「殉職」の文字。そしてその横に記された「イズミ・ヤマブキ」という名前。


 身体中から力が抜ける、そんな表現が正しいのかもしれない。座っていたからへたり込むことはなかったけれども。


「……イズミ・ヤマブキ一級工作員の死亡が確認された、と報告が……ありまし、た」


「……見ればわかるわ」


 報告書を持ってきた、三級工作員のダリアが、信じられないと言った表情で、震える声で、私に報告する。その声が、遥か遠くから聴こえてくるようで、私は頭を振った。


 いけない、いけない。工作員一人の死に動揺してはいけない。私はこの国の摂政だ。フィリップ陛下に国を任されている。


 ダリアが報告を続ける。


「そちらの報告書には記されていませんが、各工作員から収集した情報から、詳細な死因と、死亡までの活動記録がございますが……」


 別に、詳細な死因やら、死亡までの活動記録なんてものを作る決まりはない。恐らく彼女が、ダリアが自ら作り上げたのだろう。


 ダリアは特にイズミを慕っていた。イズミもまんざらではない様子で、彼女の持つ忍の技術を教えることまではしないものの、工作員としてのいろはをイズミ自ら叩き込んでいたりもした。


 その目が真っ赤に充血しているのにも頷ける。


「お聞きになりますか?」


 逡巡する。聞くべきなのか、聞かざるべきなのか。


 聞けばきっと辛くなる。だから聞かない方が良い。そう理性が判断している。


 だけれども根源的欲求として、聞きたい、とそう思ってしまった。


「報告をお願い」


「はっ」






 イズミと出会ったのは、摂政としての仕事の合間に取った休暇中の出来事だった。魔王が現れる少し前だったろうか。とは言っても、休暇とは名ばかりの査察だ。公人には会ったりはしないが、首都を見て回り、そしてヒスパーナとの違いを肌で感じる。それが目的だ。勿論息抜きという側面も無いわけではない。だが、それは二の次だった。


 シンの首都、リャンワンはよく栄えた都だった。人々の活気もあり、活きた街だ。歩いているだけで、興味深い。


 だがシンの技術レベルは我が国と比較すると、非常に遅れていることは事実だった。人々はヒスパーナの国民と比較して貧しく見えた。着ている服も貧相で、街は雑然とした印象を抱いた。とは言え、ツギハギだらけという印象はではなく、計画的に作られていることは推測できた。計画通りに作ってこれか、と半ば呆れ混じりのため息を吐いた記憶がある。


 そして、ついでに言うと治安もあまりよろしくないらしい。


 少し裏通りに入ると、(いかめ)しい顔をした人間がぬっと出てくる。護衛にと随伴してくれた騎士がとりなしてくれなければ、私は捕まって、奴隷としてでも売られていたのだろう。


「閣下。裏通りは危険です。あまり立ち入らない方が」


「グェン、言っていることはわかるわ。でも、スラムにその国の本質が見えるのよ」


 彼はグェン。シンから亡命してきた人間の二世だ。現地の方言や訛りも理解できるということで連れてきた。


「ですが……」


「良いのよ。リスクは承知。それに伴うリターンがあるわ。貴方に負担をかけてしまうことになるけど、そこは許してくれないかしら」


「わかりました、命に代えても」


「あと、私を『閣下』って呼ぶの禁止。私のことは『ナーシャ』って呼びなさいって言ったでしょ」


「す、すみません、かっ……いえ、ナーシャ」


「よろしい」


 あだ名で呼ばせているのは、私が公職に就いていることを隠すためだ。勿論シンの王族達には面は割れている。だとしても、一応お忍びの旅ではあるのだ。気軽に「閣下」とか呼んでもらっては困る。


「じゃあ、次はあの路地を曲がりましょう」


「……ナーシャ、楽しんでませんか?」


「あら、そんなことないわよ」


 足取りも軽く、薄暗い路地に躍り込む。


 やっぱり治安は悪そうだ。アリスタードに勝るとも劣らないのではないだろうか。


 裏路地には、乞食がそこかしこに座っていた。私達を見てギョロリと目をむき、そして右手を上げる。「施しを」、という合図なのだろう。


 片足の無い老人。腕が無く、頭に包帯を巻いた若者。私はその一人一人に金貨を一枚ずつ握らせながら、裏路地の奥へ奥へ歩いて行く。グェンの慌てた声が耳元で聞こえるが、なんのことやらさっぱりだ。


 そこで出会った。


 異常なまでに痩せ細った少女。瞳は奇妙な色を放っており、それでいて澱んでいた。


「……お姉さん、お金持ちそうですね。どうかお恵みを……」


 五体満足な物乞いは珍しい。五体満足であれば何かしらの仕事ができるはずだ。しかもこの娘。歳は十代半ばから後半ぐらいではないだろうか。身体を売ることもできるはずだ。


 そして、その言葉のイントネーションに違和感を覚える。


 この国に来てからずっと聞き続けていたシン訛りの話し言葉。それは誰しもが微妙に違っていた。教育レベルの低さなのか、訛りを許容する文化なのかは知らない。


 そう、この娘は訛りが完璧すぎる。完璧な、理想的な、シン訛り。


「……お嬢さん、金貨を一枚あげるわね。これでしばらくしのぎなさいな」


「ありがとうございます。この御恩は……」


「恩義を感じる必要は無いわ。気まぐれですもの」


 少しだけこの少女に興味が湧く。金貨を懐から取り出し、そして少女の手のひらに落とした。


「ありがとうございます……」


「では、もう会うこともないでしょうけど、強く生きなさい」


 私はグェンに目配せをして、踵を返す。グェンの腕を引き、裏路地を取って返す。彼が目を白黒させているのが面白くもあり、そして少しだけ申し訳なくもあった。


 大通りに出る。


「一体どういうことですか?」


「いえ、ちょっと気になってね。あの少女……」


 私は自身の懐をまさぐる。ついでにカバンの中も。全て検める。


「やられたわね」


「そ、んな。わ、私が目を光らせていたのに!? 怪しい動きは無かった!」


 あの少女に金貨を渡す直前まで確かにそこに在った金貨が、財布でさえも、見当たらない。


「戻るわよ」


「はっ」


 走る。先程の裏路地を。「何事か」、と物乞い達がこちらを見て、そしてすぐに目を逸らした。彼らとしてもトラブルとは無縁でいたいのだろう。


「……いないわね。逃げ足の速さは一流。さっきここから引き換えして、今戻ってくるまでに何分くらい?」


「およそ、二分半です」


「であれば、そう遠くには行っていないはず」


 その日の目的が、少女を探すことに変わった。


 実のところ私は工作員出身だ。工作員として職務を遂行する中で、情報を吟味し整理する能力、情報を元に迅速に判断する能力を買われ、今は亡き前王に公務、私事共に重用された。十代半ばの若い頃から工作員をやっていて、まだ生きながらえている。自慢にしかならないが、それは私がそこそこに優秀である証でもある。


 工作員からの異例の摂政への昇格。それは亡き前王の遺言でもあった。


 話を戻す。工作員であった経験から、私は人間の痕跡を探すことにかけては一日の長がある。


 そんな私から見ても、見事な手腕だ。一見痕跡を一切残していない。だが、それがかえって不自然だ。


 優秀すぎる。優秀すぎるが故に、その後の行動も予測しやすい。


「グェン、私を抱えなさい!」


「えぇ!?」


「私が走るより、貴方が私を抱えて走るほうが速い!」


「は、はい!」


 グェンが私を横抱きにし、そして軽やかな足取りで駆け抜ける。途中途中で私は彼に「右っ!」だとか、「左っ!」だとか指示を出す。


 私ならこう動く。その経験を最大限に活かして、少女の所在を突き止める。


 優秀な工作員であれば、どう動くか。優秀過ぎる工作員であればどう動くか。例え仮に私がその域に達していなかったとしても、それを予測することは得意分野だ。


 グェンの腕の中から、わずかに残された少女の痕跡を目ざとく見つける。ここらで気を抜いたようだ。


「グェン! 跳びなさい! 屋根の上に登れる!?」


「少し時間をいただければ!」


「やりなさい!」


 グェンは魔法を使える。風の精霊(シルフ)に強めの適性があったのだ。


 だからこそ、こういう芸当もできる。


飛翔(フライング)!」


 物凄い勢いで、私を抱えた彼が上空に打ち出される(・・・・・・)。私は魔法は使わないが、これはまた貴重な経験だ。


 そして、あっという間に、私達は屋根の上に到着した。


 そこには先程の少女が立っていた。こちらを注意深く見ている。


「お姉さん達、只者じゃありませんね、私に追いつくなんて。油断していました」


「世の中にはね、上には上がいるのよ」


「嘘ですね。お姉さんは私よりも弱い。技術も拙い。どうして追いついてこれたんですか?」


「それはね、情報を即座に収集し、それらを元に最適な判断を下し、迅速に行動した結果よ」


 笑う。この少女は末恐ろしい。


 私一人であれば追いつけなかっただろう。グェンの魔法があったこと。そして少女が私をただの金持ちであると油断したこと。その他諸々。様々な幸運が積み重なった結果だ。


 一級工作員でも追いつける人間がいるかどうか怪しい。いや、いない。いるはずがない。この少女が本気を出したら、誰も追いつけない。


 その確信があった。


「ここからは油断はしません。全力で逃げます。おさらばです」


「待ちなさい!」


 私の制止する声に、少女がビクリと震えた。


「財布も金貨も惜しくはないわ。全部あげる。今それ以上のものを見つけた」


 興奮した私は、鼻息が荒くなっていただろう。


「貴方、こうしてちまちま盗みを働いて生きていくつもりなの?」


「盗みは生きていくための手段の一つです。他にも色々やってます」


「その完璧なシン訛りは、どこで覚えたの?」


「……完璧、ですか。まずったなぁ……。ここらの奴らには気づかれなかったんですけどねぇ」


「確かにシン訛りが耳に馴染んでる人間にはそれで十分でしょうね。というか、世の中のほとんどを騙せるでしょうね」


「……お姉さん、本当に何者ですか?」


 少女の顔から感じられる警戒心が強くなる。


「答え合わせをさせて。貴方はシンの出身ではない」


 返ってきたのは沈黙。この場合沈黙は肯定と捉えてよいだろう。


「何かしらの特殊な訓練を受けている。またはその経験がある」


 少女は黙ってこちらを睨みつけたままだ。


「目鼻立ちから推測するに……、ヤーペン出身ってところかしら?」


 少女の目が驚きに少しだけ見開かれたのを私は見逃さなかった。


「さて、交渉したいのだけれども良いかしら?」


「……交渉の余地なんてありません。私はお姉さんから今すぐ逃げて、行方をくらませます。それぐらいはできます」


「私はヒスパーナ辺境国摂政、アナスタシア・ハヴナーハ。今貴方が逃げ出したら、私は帰国してすぐ、我が国の総力を上げて貴方を探し出すわ」


 これは嘘だ。ただの脅しだ。総力を上げて、少し身体能力の高そうで特殊な訓練を詰んでいそうなだけの少女を探し出させるなんて馬鹿げている。


「……何が目的ですか? 私を殺しますか? 良いですよ」


「馬鹿言うんじゃないの。貴方みたいな人材を殺すものですか」


「え?」


 少女が呆けたような表情を見せる。気を緩ませることに成功したらしい。勿論それも彼女の演技である可能性は捨てきれない。


「それだけの技術を持ちながら、貴方はこれからどうやって生きていくつもり?」


「知りませんよ。自由にやらせてもらいます」


「その身なり。娼館で働けば相当稼げる。それをしなかったのは、貴方の矜持から。違う?」


「……ち、がいます」


 私は微かな記憶から二つの単語を引っ張り出していた。


 ヤーペン独自の諜報部隊、「忍」。そしてその中でも女性の忍は特別に「くノ一」と呼ばれるらしい。


 くノ一の任務は多岐に渡る。諜報活動、戦での斥候、要人警護、そしてハニートラップ。


 この少女は、自身が鍛え上げたその男を悦ばす能力をただの金稼ぎのために使いたくなかったのではないだろうか。


「良い? 人生を変えるチャンスってのはね、ある日突然降って湧いて、それを逃したら次いつ来るかわからない。そんなものよ」


「と、突然何を言って」


 あぁ、私は交渉事が下手くそだ。一般的に言えば上手い部類に入るのだろう。でも自分自身で上手に交渉を進められたと納得できたことは無い。


 それでも結果は上げてきた。


「それが今よ。私についてきなさい。貴方のその技術の高さ、高度に訓練されたであろう身のこなし、気に入ったわ」


「……ついていくと思っているんですか?」


 まだまだ少女は警戒している。だがもうひと押しだ。


 少女が何を求めているのか、それさえわかれば。


 ふと、初めてこの少女を目にした時の瞳を思い出した。奇妙な色をしていた。これは単純な色彩の話ではない。瞳から発せられる雰囲気のことだ。


 どこかで見た記憶があった。どこで見たのだったか。


 記憶を掘り起こす。


 それは、割とすぐに見つかった。


 フィリップ陛下だ。


 前王は忙しかった。子供に構っている暇など無い。彼は親の愛情に飢えていた。それを私が陛下から勅命を受け、世話をしたりなどしていたものだ。当然工作員であることは隠しながら。


 そう、彼女の瞳は初めてお会いしたフィリップ陛下のそれによく似ている。


「その技術は、貴方の努力の証よ。どれだけ努力を積み重ねたら、その歳でそこまでの技術を体得できるのか、私には想像もつかない」


「だからなんだって――」


「だから、交渉とは関係なしに、言ってあげたいの。褒めてあげたいのよ。よく頑張ったわね。偉いわ。小さい頃から頑張ったんでしょう?」


 少女が、驚いたような顔をする。この表情は演技ではない。本物だ。その確信があった。


「な……んで……」


 少女、イズミの瞳から、一粒の涙がこぼれ落ちたのは、その数秒後だった。


 程なくして、イズミの身柄は私が預かることとなった。交渉は成功。プロセスは評価できないけれども、結果だけは評価できるのではないだろうか。

アナスタシア様視点の閑話前編となります。

アナスタシア様とイズミさんの出会いのお話です。


ってか、アナスタシア様、工作員なんてやってたんすね。

そりゃ優秀ですね。


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― 新着の感想 ―
[一言] 完璧すぎるのもダメってことですね。 何かしら欠点があったほうが、親しみやすいってのと同じですよね。
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