第十四話:この下水を煮込んだような、元小悪党のおっさんに負けてたまるもんですか!
気持ち悪い笑い方は鳴りを潜め、その顔は下品な知識欲ではなく、知性に満ち溢れ始める、そんな風に見えた。だが、その表情から隠しきれない知性も、チビにお誂え向きな小さいおつむに詰まった知識も、両者とも同様に歪んでしまっていることは、奴の澱んだ瞳を見れば一目瞭然だった。
俺達を騙すために猫を被っていた? いや、そんな風には見えなかった。
つまり、もしかしたらミハイルは。奴は、今まで戦ってきたいつの時も、最大限手を抜いていたのかもしれない。気持ち悪い笑い声を挙げられる程度には。
それほどまでに、その立ち姿は圧倒的なものだった。
エリナも優秀な魔法使いだ。それは、その立ち居振る舞いやオーラ、今では俺にもようやく感じ取れるようになった魔力の漏れ出し方、そして本人の態度から十分に感じ取れる。
だが、目の前のミハイルとかいう人間は、まさに規格外だ。今まで相対した時とは、印象がまるで違う。
「もう、僕に近づけるよ。さ、誰から来るの?」
静かに、それでいて自信たっぷりに微笑む。その笑顔に、俺達は怖気づいたように誰一人動けないでいる。
立っている姿は隙だらけだ。猛スピードで斬りかかれば、その首を刎ねることだってできそうな、そんな予感さえする。
だが駄目だ。んなことをしたら死ぬのは俺だ。そんな未来予想図だけははっきりとイメージできる。いや、違う。できてしまった。
「ぐっ、くそっ! うおおお!」
キースが痺れを切らしたのか、膠着状態に耐えられなくなったのか、大剣を振りかぶってミハイルに突っ込む。「待て、止まれ。そいつはヤバい」、そんな言葉で制止する暇すらなかった。
そこから先はコマ送りのように見えた。
そのでかい身体からは想像もできない速度でミハイルに肉薄しようとするキース。
手を伸ばして何かを叫ぼうとするエリナ。
耳をふさぎ、目を閉じ、悲鳴をあげようとするミリア。
鋭い目でただただ観察しているイズミ。
そして、ゆっくりと、勿体ぶるようにゆっくりと右手を横に振るミハイル。
右手を横に動かしただけ。そう、ただそれだけだ。
それだけで、目の前で大爆発が起きたかのような衝撃が俺達を襲う。俺はまだ距離があったから少しばかり後退りするぐらいですんだ。
だが、ミハイルに一人向かっていったキースはふっとばされ、破裂音と共に壁に打ち付けられた。
壁にヒビが入り、キースを中心として凹む。それだけの衝撃で壁に打ち付けられた。ダメージも相当なもののようで、肺の中の空気がいっぺんに吐き出されたような、そんな声を出した。勿論、それと同時に大量の血液が口からどろりと流れ出た。
「ッッ! 逃げるぞッ!」
叫ぶ。
そう、逃げる。戦略的撤退でもなんでもない。敵わないから逃げる。それだけ。
何をすべきかなんてそれだけしか思いつかなかった。
「馬鹿だなぁ。魔王様に僕は全てを任された。つまり、『君たちを確実にここで始末しろ』ってことだ」
ミハイルが浮かぶ。風の精霊の魔法に空を飛ぶ魔法はあるが、それとは全く違う。あんな風に、ふわりと重力に逆らってゆっくりと浮き上がることなんてできない。
それだけで、目の前のチビが、人間を超えた何かになったという事実がよく理解できた。
もう良い。俺とキースは最悪死んでも良い。まだ無事なミリアとエリナだけは。
「お、お前ら、に、逃げっ――」
「逃がすと思ってる?」
俺の言葉を遮って、ミハイルが何かを掴むように手を伸ばす。広げた手のひらをゆっくりと握っていく。
「えっ!? あっ! ああっ!」
後ろからミリアの苦しむような声が聞こえて振り返る。
ミリアが浮き上がり、そして大きな手のひらで握りつぶされたかのように、身体が圧迫されていく。
「ひっ! ぎっ! いやっ! あがっ!」
ミハイルがその握りこぶしを戯れにニギニギするだけで、ミリアの身体がぐねりと歪む。もちろん、併せて骨の軋む音が鳴り響く。
「い、イズミッッ!」
「……敵いそうにないですが、致し方無し、ですね」
ミリアを助けねぇとっ。
俺はイズミに声をかける。まだ、範囲速度向上の効果は続いている。俺もイズミも、速度に関しちゃ誰にも負けない。
右手に持った天逆毎を、左手に携えた煙々羅を交差させ、ミハイルの伸ばした右腕を断たんと振るう。
イズミも同様に、右手で小さめの剣を振りかぶり、左手では苦無を投げる準備万端で跳び上がる。
「つまらないなぁ」
ミハイルが右手を開き、そして両手でクロスさせるように腕を振るう。
吹き飛ぶ。俺もイズミも。そして、キースのように壁に打ち付けられ、子供が戯れに蹴り上げたボールみたいに跳ね返り、冷たい地面にキスをすることになった。
痛みで、赤く歪む視界の隅で、ミリアが地面に倒れ伏しているのが見えた。とりあえず、ミリアが死ぬ前に解放させることができたらしい。小さくではあるが、ピクリとその体を奮えさせている。生きてる、まだ。
どうする? こっからどうする?
バキバキになった身体で、回らない頭で必死に考える。
いや、どうしようもねぇ。今無事なのはエリナだけだ。だがそれも時間の問題だろう。
キースが倒れた。俺もイズミもダメージを負った。ミリアは恐らくギリギリのところだろう。
態勢を立て直すのには時間がかかりすぎる。
エリナは詠唱しないと魔法を使えない。だから詠唱している間、集中している間は他の誰かが守ってやる必要がある。
だが、その守る奴がいねぇ。
今の現状は、守れる奴は全員倒れていて、無防備なエリナがミハイルと相対している、という最悪なものだ。
「さて、女王陛下」
「……殺すなら、殺しなさい」
言うに事欠いて、そんなことを言いやがるのか。挑発すんじゃねぇ。それはお前の役目じゃねぇ。だが、痛みで何も口に出せない。ただただ、喘ぎ声を上げるだけ。それだけしかできない。
「殺さないよ。君は」
「はぁ?」
「君には役目がある。魔王様の治める魔族共和国と手を組み、世界を滅ぼすっていう役目が」
「言ってる意味がわからないわ」
「テラガルドの在り様は歪んでいる。それを全て破壊するのさ。魔王様もそれをお望みなんだよ」
何を言っている?
「テラガルドの魔女から聞いてない? 勇者と魔王のシステム。それはメティアとゲティアの代理戦争だ、って」
「ジョーマ様からではないけど聞いてるわ。それがどうかしたの?」
「それを含めて、世界を全て破壊する。それが今代の魔王様の悲願だ」
それは奇しくも、俺の最終目標と似たようなものだった。手段は違う。だが、目指すところは遠くない。
「魔王様は、今のテラガルドを憂いていらっしゃる。メティアとかいう精霊の親玉に牛耳られたこの世界を。だから全部壊すんだよ。そして、混沌が蔓延る、本来あるべき世界の姿に戻すんだ」
「だから、言ってる意味がわからないって言ってるでしょ?」
「この崇高な志は君には難しすぎたかな?」
崇高かどうかは俺には理解できねぇ。だが見つけた。
俺の最終目標と、魔王とやらの最終目標の違い。
今まで意識したことも無かったが、俺はこのテラガルドとかいう世界が案外好きらしい。
一年ぐらいか。アスナと、ミリアと、エリナと、キースと。五人で旅をした世界は新鮮だった。見たことのないものだらけだった。聞いたことのない音だらけだった。
こんなおっさんが何言ってんだって思うだろ? でもアリスタードから出たことのねぇ俺にとっちゃそれ以外の何物でもねぇ。その新鮮さを感じるだけの余裕が無かっただけで、思い返せばいつだってそうだった。
世界中に蔓延る人間って奴の一部はクソだ。クズだ。そんな連中ゴマンといる。
だが、そうじゃない連中がいることなんて元から理解していたし、この一年で嫌というほど実感した。
人間も捨てたもんじゃない。悪党の俺が言うんだからこれは本当だ。
だから、別に俺はこの世界全部を壊したいとかんなこた考えてねぇ。ただ「勇者」と「魔王」ってのが、これからも延々と続く茶番なんだったら、そのシステムだけは破壊してぇって思っただけだ。
それに、世界がぶっ壊されたら……。
――アスナが笑えねぇだろうが。
だから、ここでくたばるわけにはいかねぇんだよ。
生まれたての子鹿みたいに震える足を、何とか手で支えて立ち上がる。全身を襲う痛みを無視して、我慢して。
「ゲルグ!?」
後ろにいたエリナが驚いたような声を上げる。
んだよ、そんな驚くことか? 俺はまだまだやれる。小悪党は、おっさんは、しぶといのが取り柄なんだよ。
「……おい、ミハイルよぉ」
「なんだい? ドブネズミ君」
「てめぇのことクソチビとか言って悪かった、謝る。正確じゃなかった」
頭の中に聞き覚えのある声が響く。
――そう。それが君の役目の一つだ。期待しているよ、ゲルグ君。
財の精霊め。まーたちょっかいかけて来やがって。どんだけ俺のことが好きなんだよ。ってかそれどころじゃねぇんだっつーの。
「てめぇは、クソチビにも満たねぇ、ビチグソだよ。ドブネズミにすら劣る、羽蟲だ」
――君の役目の一つは、勇者達とその周囲の人間たちを奮い立たせ、導くことだ。君の言葉が力となり、君の意思が活力となる。
頭に響く声が煩い。んなことよくわかってるよ。
だってよ。
「よく……言った……悪党。我々はこんなところで倒れているべきでは……ない……」
「キース! アンタ、無事なの!?」
キースがゆっくりと立ち上がる。
「……わた、し。言いました、よね。『守らせて下さい』って……。今がその時、かもしれま、せんね」
「ミリア! 無理しないで!」
ふらふらになりながら、壁にもたれかかりながら、ミリアが起き上がる。
「いたたた。弟子にこうも格好つけられちゃ、師匠の面子が立ちませんよねぇ」
イズミが、さっきまで倒れ伏していたのが嘘みたいに飄々とした表情で跳び上がり、そして着地する。
「イズミ! アンタ! 無事だったならそれっぽい気配見せなさいよ!」
「エリナ様ぁ。死んだ振りって結構大事なんですよぉ?」
役者は揃った。届くかはわからねぇ。だがこっちには、人間には到底届かなかった筈の魔王とかいう存在に手を届かせた三人もいる。
「簡単にぶっ殺せると思うな! ビチグソが!」
俺の声に、他の連中が奮い立つのがわかる。
ミリアが早口で詠唱を始めた。
「させないよ!」
ミハイルがまたその妙ちくりんな右手をかざそうとした。
「させないのはこちらですよ」
イズミがいつの間に移動したのか、ミハイルの背後からその右手を掴んだ。あいつが一番人間離れしてねぇか?
「範囲治癒!」
功労者をイズミとして、ミリアの魔法が発動する。俺達全員の傷が、痛みが嘘みたいに無くなっていく。
「宮廷魔導士だからといって、他の魔法使いと同じだと思うのはやめだ。全力を以て、化け物と相対する気概で、貴様を抑え込む!」
キースがどでかい足音を鳴らしながら、俺達の前に仁王立ちし、剣を構えた。
「姫様! 魔法を!」
「わかったわ! 皆、時間稼ぎ、よろしく!」
キースがゆっくりとミハイルに近づいていく。奴の右手はイズミが捕まえたままだ。振り払おうと右手をあっちこっちに動かそうとしているが、そのどれもイズミの体術によって抑え込まれている。
余裕綽々だったミハイルの顔が、ここにきてようやく変わった。
「な、なんなんだよ、お前等! 心は折ったはずだ! 再起不能のダメージも与えた! なんで立ち上がってくる!」
「さぁて、なんででしょうねぇ」
イズミが更にミハイルの左腕を両脚で抑え込み、左手で首をガッチリとロックした。
これで奴さんはしばらく動けねぇ。
「それがわからんから、貴様は三流なのだ!」
キースがその大きな剣をイズミに当たらないように、それでいて大胆に振る。ミハイルの身体に傷はつかなかったが、それでもその衝撃は相当なもののようだ。奴さん、「ごはっ」とかって声を出してやがる。
「全防御障壁!」
ミリアの魔法が完成する。一度だけならば、どんな攻撃も無効化する、神聖魔法最大の護りの術だ。
「皆様は私が癒やし、そして護ります! 私は、いの一番に立ち上がったゲルグの傍に在れるような人間でいたいんです!」
ミハイルの顔が、理解不能な物を見るような表情に変わる。それは恐怖なのか。不安なのか。驚愕なのか。あるいはそれら全部なのか。それは俺にもわからない。
そして、詠唱が完成する。他でもない、大魔道士エリナ様の、だ。
「月光槍」
エリナの身体から、無数の月光を模した光が迸り、その一つ一つが鋭い槍となってミハイルに突き刺さる。
「いくらアタシの騎士になったとは言え、この下水を煮込んだような、元小悪党のおっさんに負けてたまるもんですか!」
相変わらず口が悪いが、啖呵としちゃ上等だよ、女王陛下。
ミハイルの口から、真っ赤な血が大量に漏れ出る。
「くっ、煩わしい!」
煩わしいってレベルかよ、お前。エリナの魔法で蜂の巣になってんだぞ。
穴だらけになったミハイルがまたそのよくわからねぇ右手を振る。だが、全防御障壁がある。衝撃は襲ってこない。
あと一息ってところか。あの様子じゃ。あとはトドメだな。
ってか順番的に最後が俺になっちまったじゃねぇか。しゃーねーな。そういう役回りじゃねぇんだけどな。
でも、おっさんじゃなくても、これほどの誉れはねぇ。
「ただのドブネズミでも噛まれたら痛い目を見る、ってこれ世界の常識だぜ?」
二刀の小太刀を持った腕を交差させて跳ぶ。さっきは届かなかった。だが、今なら、届くはずだ。根拠もなくそう思う。
風の加護も全開だ。幸いまだギリギリ範囲速度向上の効果も切れてない。
ミハイルに肉薄し、イズミとアイコンタクトを取る。イズミが奴の首を締めていた左手をパッと離す。
「てめぇもただの人間だったって、そういうこったよ。俺達となんらかわんねぇ」
首に向けて、鋏のように小太刀二本を振るう。
流石、イズミの国の銘刀だ。キースの大剣で傷つかなかった奴さんの首に、少しばかり抵抗はあるものの確かに刃が入っていく。
そして振り切る。
ミハイルの首が飛んだ。
着地し、荒い息を整える。興奮でテンションが上りまくった脳みそが、その反動でひーひー言っている。
首を飛ばして、頭を切り離されて生きていける生物なんて聞いたことがねぇ。それが人間ってんならなおさらだ。
「……なんか、イイトコ持ってかれた気がするけど……まぁいいわ。流石私の騎士よ」
「それ言やぁ、なんでもお前の手柄になるじゃねぇか、エリナ」
「そういうもんなのよ」
「そういうもんなのか?」
俺はキースをちらりと見る。
顔をそむけられた。クソが。
ミリアが俺の背中側から、そっと俺の腕を掴む。
「私は、貴方を守ってあげられましたか?」
「……言わなきゃわからねぇか?」
「いえ。よくわかりました」
ミリアの満足げな声が耳朶を打つ。
「最後の見せ場を弟子に譲るのも、デキる師匠ならではですね」
「言ってろ、イズミ」
「……ですが、あの胆力。土壇場の思い切りと馬鹿力。我が弟子ながら感心です。私は貴方を誇りに思いますよ」
そう直球に褒められると照れる。頬をかく。
「っちゅーわけで、あとはフランチェスカを出してやって一件落着、か?」
そう言いながら、地面に転がっている小さな筒を拾おうとしたその時だった。
「酷いなぁ。人を勝手に死んだことにしないでくれるかな?」
切り落とした筈の首がいつの間にか浮かび、そして喋り始めた。
目を疑う。
だが、すぐに理解したことは、これだけ全力をこいつにぶつけたのにもかかわらず「戦いはまだ終わっていない」ということだった。
奴の首から筋組織や血管のようなうねうねが生えて、転がっている胴体に向かい、そして切断したはずの首に結合する。そのうねうねが、徐々に短くなり、ついには何事もなかったかのように元通りになった。その様は余りにも人間離れしていて、生理的な嫌悪感に背筋が凍る。
ついさっきまで、頭と胴体がおさらばしていたとは思えない余裕の微笑みでミハイルが言う。
「第二ラウンド、だね」
ミハイル君、強い、強いぞ!!
今までのはなんだったんだ!!
最初からそれぐらいやっとけよ!!
何か事情があったのでしょう。
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