第六話:そうではなく……。いえ、そうですね。ご無事で。
「よっしゃ。それじゃ、行くか」
「ん」
次の日、俺達はソニアを伴ってまたネメシス霊殿の前に立っていた。昨日一度道案内してもらったわけで、ソニアには「別に付いてこなくても良い」と言ったんだが、「付いていく」の一点張りだ。なんでも、霊殿による試練をクリアすることで、人間がどうなるか興味があるらしい。
昨晩話した内容が内容なもんで、ミリアはちょっとばかり落ち込んだような顔をしている。だから、バレるような顔するんじゃねぇ。そんなことを思いはしたが、まぁ口には出さなかった。
エリナはというと、ソニアに貰った薬がようやく完全に効いたようで、昨日よりはマシな顔色をしている。それでもキースは心配そうにエリナの周りでおろおろしているもんだから、エリナの鬱陶しそうな顔が印象的だった。
「ゲルグ……」
ミリアのか細い声が耳朶を打つ。
「大丈夫だ。心配すんな」
「そうではなく……。いえ、そうですね。ご無事で。アスナ様も」
「ん」
アスナが小さく頷いて、踵を返す。
「小悪党、気張りなさいよ~」
「バーカ、言われなくても」
背中にかけられたエリナの声に、手をひらひらさせる。
「ひ、姫様。あまり無理をされては」
「もー、大丈夫だって! キース! 過保護!」
「で、ですが……」
確かにキースはエリナに対して過保護なところあんなぁ、なんて思って少しだけ笑いそうになる。とはいえ、笑ってる場合だ。ムシムシ。
「よくわからんが、武運を祈る」
「あんがとよ、ソニア。なんかあったら、連中を頼まぁ」
「んで? アスナ。試練はどんな感じだったんだよ」
「ん。なんか、皆が殺されちゃった設定、だったのかな。それで、目の前に知らない男の人がいて。その人が犯人、なんだと思う。そこから、どうするか、みたいな」
「そりゃ、わかりやすい試練だ。復讐を司ってるだけあんなぁ」
「……ゲルグならどうする?」
俺なら? 俺ならか。
仮にそんなことになったなら、俺はそいつを生かしておく自信はねぇ。何しろ前科がある。チェルシーが死んだ時、俺は関わっていた連中全員を殺した。
「殺すだろうな」
「そう……だよね」
煮え切らないアスナの返事。
「どうしたんだよ」
「私、どうしても、そういう気分にはなれなかった。皆のこと、大好きだし、大切。でもその男の人にも事情があったのかもしれない、だとか、ここであの人をどうこうして、何になるんだろう、だとか……。なんか、色々考えちゃって」
そりゃ、なんっつーか、アスナらしいというかなんというか。このちっこい勇者サマが、復讐心やらなんやらに狂っている状況は想像がつかねぇ。
「まぁ、取り敢えず『俺を連れてこい』って言われたんだろ? なんとなかるさ」
そうこう話している間に、俺達は霊殿の中に足を踏み入れていた。
いつものように、だだっ広い空間のど真ん中にでかい宝石が浮いている。
「ほれ、行くぞ」
「ん」
俺達はいっせーのせで宝石に手をかざした。
「……こんにちは」
「ん? おお。お前さんが復讐の精霊か」
ここは、どこだ? あー、チェルシーが死ぬきっかけになった、屋敷だ。忘れもしねぇ。いや、忘れてたんだけどよ。そこは置いとけ。
そんでもって、目の前には、目の下に濃いクマをこさえた、ロングヘアで痩せっぽちの女。真っ黒なドレスを纏って、ありえねぇくらい猫背な姿勢が印象的だ。あー、なんかこういうタイプの女、見たことがあんなぁ。なんだったっけなぁ。
「そう。私が復讐の精霊。お噂はかねがね。ゲルグさん」
お噂、ってなんだよ。
「そりゃご丁寧にどうも。俺を連れてこいったぁ、どういう了見だよ」
試練を受けるべきはアスナだ。俺がついてきても、何になることもねぇと思うんだがなぁ。
「そんなことはない。勇者には想像力が足りない」
「想像力?」
「そう。貴方ならわかるでしょ? 自分が大切にしていたものが、ゴミのように扱われた時の気持ち。価値があると思っていたものに対して、よく知りもしない他人が無価値だなんていう烙印を押してきたときの気持ち」
わかってるつもりだよ。
「別に私は、貴方自身に大きな興味を持っているわけではないの。少しぐらいは気になるけどね。でも、勇者が私の試練を突破するには、きっと貴方が適任」
そりゃ、なんっつーか。今までの精霊とはちげぇ。
これまで会ってきた精霊は良くも悪くも、人間のことなんざどうでもよかった。聞かれりゃ答えるし、助言を求めりゃ応える。だが、絶対的に俺達を能動的にどうこうしようなんてタマは一柱もいなかった。
そういや、アスナと二人で来たんだよな。あいつ、どこいった?
「勇者は別の場所に案内した。今は貴方と私だけ」
復讐の精霊が、ふふふ、と底冷えするような笑い声を上げる。その笑い声で思い出した。こいつ、あれだ。アリスタードでたまに世話になった娼婦にそっくりだ。見た目は似ても似つかねぇ。だが、雰囲気がこんな感じだった。
なんだったっけな。質の悪い男に捕まって、無理くり娼館で働かされてたんだったか。そんなひでぇ扱いを受けてるにも関わらず、その恋人のことに執着して、依存してんだから、病気以外の何者でもない。娼婦としちゃ、それなりにエロかったんだが、目の澱み方が気持ち悪くて、数回相手してもらっただけで以降は敬遠してたっけなぁ。
「なんか失礼なこと考えてるね。まぁいいけど」
「あぁ、そりゃすまねぇな。別に他意はねぇ」
「うん、それもわかってるからいいよ」
なんっつーか、寛大な精霊だ。本当にこいつ危険な精霊なのか?
まぁいいや。
「そんで? なんで俺を呼んだ?」
「あのね。私の試練を合格するには、『復讐心』を理解して、コントロールできるようにならないといけないの」
復讐心を理解してコントロールねぇ。
「その点では、勇者はダメダメ。そもそも、復讐心というものから、かなり遠いところにいる」
そりゃあ、それがアスナだからなぁ。
しかし、復讐心をコントロールってどういうことだ?
「復讐心をコントロールする。それは、貴方みたいに見境なしに復讐対象に牙を剥くことではない」
「……あぁ、そういうことか」
死の精霊の試練、その前後の経験を経て、アスナは殺意というものを、自由自在かどうかは怪しいが、出したり引っ込めたりすることができるようになった。
復讐心に置き換える。
つまり復讐心を出したり引っ込めたりする、ということだろう。
具体的にどうするのかは知らねぇし、どういう状態なのかも想像はつかねぇ。一つわかるのは、復讐心にかられて、関係者のことごとくを抹殺した経験のある俺にとっちゃ、難問すぎる。
「復讐心は、毒にも薬にもなるの」
「毒にも薬にも?」
「そう。復讐心があることで、ヒトは一段上のステージへ上がれる。自己を研鑽できる。『復讐は何も産まない』って、わかったようなことを言うヒトがいるじゃない? あれは間違い」
まぁ、復讐は無意味じゃない。それは俺にもわかる。多少なりともスッとはした。経験談だ。だが、心の底から晴れやかな気分になれたのかどうかというと怪しい。
「違う。そういうことじゃない。例えば貴方は、チェルシーとかいう女の仇を取るために、さ」
「あぁ」
「努力、したでしょ? 相手を殺すために。殺し尽くすために」
俺は何も言わない。あれが努力だったかと言われると、それは違う気がする。
「考えたでしょ? どうすれば、殺せるか。計画したでしょ? どうすれば消せるか」
それは当たりだ。あれだけの人間をぶち殺すのなんて、考えて考えて、計画を練りに練って。それぐらいしなきゃできない。できなかった。
「普段は下げないような頭も下げた」
確かにババァに頭は下げた。「手伝ってくれ」、と。「助力してくれ」、と。歯をギリギリと食いしばりながら。
「普段ならやろうともしないようなことも、軽々とできた」
おっしゃるとおりだよ。そもそも、人間を殺すなんて、何かしらのタガを外さねぇとできねぇことを、あんなに軽々とできたのは、『復讐』という、『敵討ち』という、目的があったからだ。
「復讐という目的があることで、ヒトはそれまでは困難だと思っていたことにも、臆せず立ち向かうことができるようになる。それが『復讐心』の本当の力。それを理解して、利用する。それが私の試練」
理解はした。だが、アスナにそれができるだろうか。
それと同時に思う。なんって陰湿な考え方をする奴だ。
「また、失礼なこと考えたね」
「……いや、すまん。別にそれ自体に是非がねぇってことはわかってるよ」
「うん、いいよ。気にしてない。だって、今から貴方には」
復讐の精霊の頬が不気味な程につり上がって、そして上唇と下唇の隙間から地獄のそこから響いてくるような音が響いた。それはただ一言だった。「死んでもらうから」。それだけ。
次の瞬間、俺の首筋から、真っ赤な鮮血が吹き出した。
血が流れていく。声が出ねぇ。そりゃそうだ。首が半分ぐらい千切れてんだからな。ついでに身体もなぜだか動かねぇ。断続的に、ピクピクと痙攣するだけだ。「死んでもらう」なんて言っときながら、特に死にそうな感じはねぇ。死ぬほど痛ぇし、苦しいが、言ってみりゃそんだけだ。
その証拠に、意識だけははっきりとしている。
霞む視界に呆然と立ち尽くすアスナが映った。
「ゲ、ゲル……グ?」
あぁ、そういうことか。理解した。いや、してしまった。
復讐の精霊は、悪辣な方法で、アスナに「復讐心」というものを理解させようとしている。
親しい奴が殺された。その事実を言葉だけで伝えられるのと、実際に目の前にするのじゃ意味が違う。生々しい血の匂い。少しずつ冷たくなっていく身体。それを抱き上げて、次第に消えていく命の灯火を直に感じて、そうして初めて、「あぁ、こいつはここで死ぬんだ」という実感が湧く。
アスナが俺のもとに駆け寄ってくる。そして、俺を抱き上げる。
「し、しっかり! なんで? どうして?」
声は出ない。
「こんにちは。勇者、アスナ・グレンバッハーグ。私は復讐の精霊。精霊に会うのは初めて?」
背中側から声が聞こえた。復讐の精霊の声だ。どろりとした粘着質なものを想像させるような、そんな声。
「げ、ゲルグを! 助けて!」
「なんで? わざわざ殺したのに。なんで助けなきゃいけないの?」
「殺……し?」
「うん。私が殺した」
「なん……で?」
「なんで、かぁ。なんとなく、かな?」
試練をどうすりゃ合格になるのかはわからねぇ。だが、復讐心というものを理解する必要があることだけは確かだ。
アスナの顔が不穏なものに染まる。
「なんとなく?」
「そう、なんとなく」
「そ……っか」
アスナが背中の剣に手をかける。
その瞳に涙を湛えながら。その顔を悲痛な色に歪めながら。
そして、見たこともない、憎悪に染まった表情をしながら。
だめだ。アスナ。それは違う。そうじゃない。
さっき、復讐の精霊が話した試練の突破方法。それを鑑みるに、お前の今の状態は正解じゃない。
復讐心に捉われるな。支配されるな。
それは復讐心に振り回されているだけだ。理解には程遠い。
「絶対に……許さない!」
「昨日よりはマシな顔になったね」
愉快そうな声で復讐の精霊が笑う。
「でも、わかってる? 私は精霊。人間よりも遥か高みにいる存在」
嗤う。
「そして、ここは私の試練のための空間」
可笑しくてたまらない、そんな声を出す。
「肉体的な強さなんて、ここじゃ何の意味も持たない」
心底滑稽な物を目にした、そんな声を上げる。
「残念だったね。貴方にはどうしようもできないよ」
ただただ残酷な事実を淡々と、面白そうに告げる。
「この男の魂は、この空間に囚われ、そして永遠に私のおもちゃになる」
嘘を吐いているのか、真実を告げているのか、それすらもわからない。
「そして貴方は試練に失敗。なんの収穫もないまま帰ることになる。この男を残して」
その顔はさぞかし歪んでいるのだろう。
「生半可な覚悟で私に歯向かおうなどと考えるなよ? 人間」
そして、地の底から響くような低い声で、最後の釘をアスナに刺した。
数秒、無言の時間が続いた。怖いくらいの静寂が空間を支配する。
ややあって、アスナがゆっくりと口を開いた。
「……だから?」
その声は今までアスナが出したどんな声よりも、悲しく。
「……それが、なんだっていうの?」
その声が今までアスナが出したどんな声よりも、虚しく。
「……もう、よくわからない。自分がどうしたいのかも、どうするべきなのかも」
その声は今までアスナが出したどんな声よりも、醜く。
「だから、私は、今、貴方を殺す」
そして、美しかった。
「あは、あははははははははは」
復讐の精霊がまた嗤う。
「精霊に立ち向かおうというのか! 矮小な人間よ!」
「貴方が精霊だとか、そんなことはどうでも良い」
アスナが柳眉を逆立てて、復讐の精霊を睨みつける。
「貴方はゲルグをっ!」
ついにアスナが背中の剣を抜いた。
もう止まらない。
ネメシスさんの試練です。
ネメシスさんの容姿は、皆様が「ヤンデレ」という言葉で思い浮かぶ黒髪ロングの女性を思い浮かべてくださいな。
おぉ、怖い怖い。
復讐だってちゃんと色々産みます。
使いようによっては。と思います。
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