プロローグ
ノックを三回。幼さを残しつつも為政者としての凛とした風格を持った、メティア聖公国教皇であるフランチェスカの声が部屋の中から聞こえた。答えは「どうぞ」、の一言。
俺がメティアーナに帰ってきてから六日程経ち、今は夜。蒸気船で二ヶ月の旅をするってもんで、必要なものを用意するためのリードタイムが必要なんだと。ヨハンが言うんだから従うしかねぇ。しゃーねぇから、俺達はそれを手伝いながらも少しばかりゆっくりしていた。
「入るぞ。忙しいだろ、悪いな」
扉を開けると、フランチェスカが部屋の奥に備え付けられた執務机に向かってあくせくと書類仕事をしている様子が目についた。小さくため息を吐いて、その後で顔を上げて俺を見た。
「おはようございます。ゲルグ様。そこまで忙しくはないので、大丈夫ですよ」
「んなはずねぇだろ。目の下にクマできてんぞ」
「えっ!? 本当ですか!?」
俺の言葉に慌てて引き出しから手鏡を取り出し、そして自分の顔を確認する。その後で、「あー」だとか、「うー」だとか、そんなうめき声を上げてから手鏡をゆっくりと引き出しにしまった。手鏡の影から現れた顔は随分と渋面に変わっていた。
「……ゲルグ様にお見せできるお顔じゃないです……」
「何言ってんだ、お前さん」
「……いえ、忘れてください。こっちの話です」
忘れろ。それがフランチェスカの回答だった。いや、忘れろって言うなら気にしねぇようにはするけどよ。俺どころか、誰にも見せられたもんじゃねぇ顔になってんぞ。ガキがそんな顔になってんじゃねぇよ全く。周りの大人はどーしたんだよ。
やれやれ、なんて思いながら、どかっとソファに座り込む。
「アナスタシアからの手紙の件か?」
「はい。ヒスパーナ辺境国からの提案については、枢機卿団からも満場一致での賛成をもぎ取りました。奇しくも先日のアリスタードの襲撃、その一連の流れが、私自身の求心力の向上に寄与したみたいで」
「そりゃ良いことじゃねぇか」
「はい、とても良いことです。メティア聖公国も一枚岩ではありません。枢機卿団に蔓延る利権構造や、政治的な対立には頭を悩ませていたんですよ」
人間が集まって、組織になって、そんでもってそれらを束ねる指導者が数人うまれりゃ、対立が生まれるし、自分の利益を守ろうと躍起になる連中も出てくる。厄介なのは、そういう連中は切れ者で求心力もある、優秀な人間だってところだ。
フランチェスカがどれだけ優れた教皇であったとしても、この国がメティア教の総本山だったとしてもそれは変わらない。蓋を開けてみりゃどこのどんな組織だって似たりよったりだ。
だが、先のアリスタード襲撃の一件によって、枢機卿の連中が、「あ、こりゃやべぇ、自分の既得権益を守ってる場合じゃねぇ」ってことに気づいたんだろうな。そうしねぇとこの国が滅ぶ。共通の敵は団結力を高めるもんだ。
「んで? 万事順調そうなのに、なんでそんな忙しそうなんだよ」
「それがですね、この国を動かすならまだしも世界中を動かすとなると根回しや、手続きが大変で……。国が、世界が大きく動きます。まだ公にできないことが有りすぎて他人に任せられる仕事でもないのです」
フランチェスカが疲れ果てた表情で頭を抱えて、そしてはっとしたように頭を振る。別に頭を抱えるぐれぇ良いと思うけどな。教皇ってのは大変だ。
「そりゃ難儀だなぁ」
世界が大きく動く。
ヒスパニアでババァ――テラガルドの魔女、ジョーマ・ソフトハートだ――は言った。「諸国の協力を得る必要がある」、と。世界が足並みを揃えて、アスナに協力するべきと、あのババァが言ったんだ。
アナスタシアの手紙の内容は簡単に推測できる。メティア聖公国を中心にアスナを国際的に支援する動きを作り出さないか、という提案だろう。そして、フランチェスカはそれを受諾した。
「寝る間も惜しんで諸々の手続き等を急ピッチで進めているのですが……。目が回りそうです」
「いや、そんなときに来て悪かった。改めるか?」
すぐにでも聞いときたいことがあったんだが、こんな状態のフランチェスカに色々聞き出すってのも中々に鬼畜な所業だ。今すぐにはっきりさせておきたい話でもねぇからな。そう思ってそんなことを言うと、フランチェスカが俄に慌て始めた。
「い、いえ! 良いんです! そ、そう。ちょうど休憩しようと思っていたのです!」
「お、おう? そうなのか? 休憩なんてしてる暇あんのか?」
「あります! 今できました! お茶淹れますね、ゲルグ様は座っていてください!」
フランチェスカがすくっと立ち上がって、大慌てで茶の支度を始める。教皇なんて大層な立場のガキに茶を淹れさせるたぁ、俺も偉くなったもんだ、なんて思いつつも、俺は紅茶なんて上手く淹れられる自信がねぇ。黙ってフランチェスカをぼうっと眺める。
しかし、なーんで国のトップに立つガキってのはこうも働き者で、偉ぶらねぇのかねぇ。フィリップ然り、フランチェスカ然り。親の顔が見てみてぇもんだよ。
そんな感じでフランチェスカの洗練された動きに感心していると、間もなくフランチェスカの手によってセンターテーブルにティーカップが二つ置かれた。ご丁寧に茶菓子までついてやがる。
その後でフランチェスカが俺の真正面にゆっくりと腰を下ろした。
「どうぞ」
「おお。悪いな」
「いえいえ。いいんです」
淹れてもらった茶を啜る。音を立てて飲むのはマナー違反だってー話だが、小悪党にんな礼儀作法なんて求めるやつはいねぇ。ってか求めるな。フランチェスカが俺を見て少し笑い、自分も紅茶に口を着ける。
「それで、ご用向きは?」
茶を飲み、一息ついた後、フランチェスカが訪ねた。
「あぁ。メティア教で精霊メティアと混沌の神ゲティアがどう言い伝えられてるのか。勇者と魔王ってのはどういうモンなのか、それを聞いておきたくてな」
「精霊メティアと、混沌の神ゲティア。そして勇者と魔王、ですか」
フランチェスカが小首をかしげた。
「あぁ。ちょっと前にミリアに暗唱させられたメティア教の教典の中には、俺が知ってた創世神話以上の情報は無かった……筈だ。教皇であるお前さんなら一般人にゃ伝わってねぇ話とか知ってるんじゃねぇかと思ってよ」
「なるほど……。ですが……あの……」
「あん? 煮えきらねぇな」
「実際にお見せしたほうが早いでしょう。ちょっとだけ待ってください」
フランチェスカがティーカップをテーブルに置いて、ゆっくりと立ち上がり、部屋の隅に据え置かれていた本棚に向かった。
本棚に向き合って、「どれでしたっけ……これじゃないし……」だとか、なんとかブツブツ呟きながら、所狭しと並べられた本の背表紙を指でなぞる。やがて、「ありました」、なんて言ってから一冊の本を抜き出した。
そしてその本を携え戻り、ゆっくりとソファに腰を下ろした。
「こちらを」
フランチェスカがその本を差し出してくる。布張りの表紙は掠れてタイトルすら読めない。羊皮紙で作られた随分と年季の入ったそれは、見た目の割にずっしりと重かった。
「開いて良いのか?」
「はい、どうぞ」
差し出されたそれを手にとって、パラパラとめくる。一枚一枚の羊皮紙に規則正しく配置された文字は、とんとお目にかかったことの無いものだった。
「……理解した」
「古代文字で書かれていて、読めないのです。私も多少は読めるのですが、難しい表現や見たことのない単語が有りすぎて……。ですが、これが教皇に代々受け継がれた文献です。メティア聖公国初代教皇が書き起こしたものだとか」
フランチェスカがこめかみに指をあてて、「焚書なんてした十二代前の教皇を恨んでます……」と、低い声で呟いた。
「ババァなら読めっかねぇ」
「ソフトハート様ならあるいは……」
顎に手を添えて、考える。ババァを呼び出すか? 幸い笛は俺が今持ってる。だがなぁ、あいつ今シンハオ大陸の諸国を回ってるって話だったよな。邪魔するのもアレだな。
「あんがとよ。返す」
本をパタリと閉じて、フランチェスカに返す。だが、フランチェスカがそれを手で制した。
「それはゲルグ様が持っていて下さい。きっと教皇庁にあるよりも、貴方が持っていた方が有意義です」
フランチェスカが、「どうせ読めないものですし」、なんて言って少し笑った。
「そうか? まぁそう言うならせっかくだから借りとくわ」
「ただ、一応メティア教の重要文化財のようなものなので、失くさないでくださいね?」
「おう、気をつける」
本を丁寧にカバンにしまい、茶をもうひと啜り。うん、旨いな。
「どうして突然、メティア教の教義に興味を持たれたのですか?」
フランチェスカが何気なく尋ねる。
「いんや、勇者やら魔王やらってやつがよく分かんなくなってきてな。お前さんなら、色々知ってるかもなと思ってよ」
「勇者と魔王、ですか……」
「あぁ。ババァに言わせりゃ、勇者と魔王ってのは、メティアとゲティアの代理戦争だって話らしい」
「ソフトハート様がそのようなことを……」
「お前さんは叡智の加護ってのがあるんだったか? その辺はわからねぇのか?」
俺に問われたフランチェスカが申し訳無さそうな顔をした。
「すみません。叡智の加護は飽くまで現し世を広く見渡すための加護です。流石にそこまでは……」
「そうか。いや、いい、いい。そんな期待してなかった、んな顔すんじゃねぇ」
罪悪感いっぱいってな様子のフランチェスカの顔に苦笑いを向けて手を振る。それから紅茶を呷って飲み干し、テーブルにティーカップを置いて、伸びをしてから立ち上がる。
未だに申し訳無さそうな顔をしているフランチェスカの元まで歩み寄り、その長い金色の髪の毛をガシガシと撫で付ける。
「お前さんもまだガキだ。あんま根詰めねぇで、しんどかったら早めに周りに助けを求めるんだな」
「……うう……。わ、わかりました」
フランチェスカがさっきまでの申し訳無さそうな顔から一転して、よく分からねぇ顔をしだす。
「お前さん、なんちゅー顔してんだよ」
「ゲルグ様……。そういうとこですよ?」
「はぁ?」
ため息を吐いてから、フランチェスカが自分の顔を掌であおいだ。その後で自分の頬をパンと叩いて居住まいを正した。その真面目な顔に俺もグリグリと撫で付けていた右手を離す。
「メティア聖公国、ヒスパーナ辺境国を中心として、我々は貴方達を全力でサポートいたします。魔王の討伐は世界の悲願。世界中を纏め上げてみせます。何卒、よろしくお願いいたします」
「あー、あんがとよ。まぁ、中心はアスナだけどな。俺は使いっぱだ」
「それでも、です。そして、その……」
フランチェスカがなにやら口をモゴモゴとさせる。数秒程視線を泳がせてから、やがてゆっくりと口を開いた。
「メティア聖公国の教皇として、本来であれば申し上げるべきではないのですが……。皆様の命を最優先に。魔王の討伐よりも、皆様の無事の方が重要です。どうか、死なないで下さい。怪我にも十分に気をつけて下さい」
教皇ともなりゃ、言いたくなって当たり前のことも言えねぇらしい。まぁ、死ぬ気はねぇし、誰も死なす気もねぇ。俺は少しだけ苦笑いして、右手を挙げた。
「問題ねぇ。なんとかなる」
「はい……。ご無事を祈っております」
「おう。邪魔したな。あんま、頑張りすぎんなよ」
くるりと踵を返して、「はい、ゲルグ様も」なんてフランチェスカの返事を背中で受け止める。収穫が無かったわけじゃねぇ。読めねぇ本が一冊。この本がどれだけの意味を持ってるかなんて俺にゃわからねぇが、何かしらの役には立つだろ。
俺はフランチェスカの部屋を後にした。
フランチェスカの部屋から帰った足で、そのままエリナの部屋に向かう。ドアを三回ノックし、返事を待つ。
「ゲルグでしょ? 入りなさいよ」
ドアの向こうから、いかにも気の強そうなエリナらしい返事が聞こえて、俺はドアを開けた。
「よく分かったな」
「アンタ歩き方がわかりやすいのよ。気配消してない時はね」
「そうか?」
「うん。乱暴で品のない足音だからすぐわかるわ。……で? 珍しいじゃない。アンタがアタシの部屋に来るなんてさ」
「あぁ。ちょっとな」
エリナが部屋の隅に置かれた椅子を顎でしゃくった。椅子を部屋の中央に置いてから、ドスンと座り込む。
「精霊メティア、混沌の神ゲティア。そんでもって勇者と魔王。お前なら普通のヤツが知らねぇことも知ってるんじゃねぇかと思ってよ」
「なんでまた、そんなこと……。メティア教の教義以上のことは知らないわ。それがどうかしたの?」
ベッドに座っていたエリナが脚を組む。俺はババァから聞いた話をエリナにかいつまんで伝えた。
それを聞いたエリナは少しだけ難しい顔をしてから、首を横に振った。
「うん。ごめん。アタシもその話は初耳」
「そうか。ちなみに、お前古代文字は読めるか?」
「古代文字? 多少なら」
俺はカバンの中からフランチェスカから借りた本を取り出してエリナに差し出した。
「これって……」
「フランチェスカから借りた、メティア聖公国の教皇に代々伝わる文献だとよ。古代文字で書かれてて、さっぱりわからねぇ」
エリナが本を受け取ってパラパラとめくり、そして眉間にシワを寄せた。
「……確かにこれは難読ね……」
「ババァにでも聞けば読めるかねぇ」
「ジョーマ様でも読めるかどうか……。相当古いものよ、これ」
「初代教皇が書き起こしたとか言ってたからな」
「……その時代のものなら……。アリスタードの王宮に辞書があったかもしれないわ」
「マジ?」
なんでそんなもんメティア聖公国になくて、アリスタードにあんだよ。
「アリスタードはね。国の名前が違っても歴史は人類発祥のほぼ直後から続いてるの。当然アタシの血筋も辿ればメティア聖公国よりも古いわ」
「そりゃ初耳だよ」
「そりゃそうよ。王家だけの秘密だもの」
メティア聖公国よりも歴史が古いとか、あんまり喧伝できないでしょ、とエリナが笑う。まぁ理由までは即答できねぇが、なんとなく理解できた。
「でも、ま。アリスタードの書庫なんて今となっちゃ入れないわね」
「そうだよなぁ」
はい、とエリナが本を俺に返す。受け取ってカバンに突っ込んだ。
「アンタが何を考えてるかは大体想像がつくわ。アタシも同じ気持ち。でも今はそれどころじゃないのも事実。今に集中しなさい」
「へいへい。んじゃ、寝るわ」
「えぇ、おやすみ」
「おう」
椅子から立ち上がって手をひらひらさせてから踵を返す。
次の目的地は「忘却の島」とかいう所だ。ヨハンから聞いていたスケジュールからすると出発は明日。明日に向けてさっさと寝ねえとなぁ。俺はエリナの部屋を後にした。
第六部の開幕です。
さーて、おっさんの目的もだんだんと大きいものになってきた様子。
がんばえー。
大丈夫、アスナのしゅじんこうほせ(略)
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