閑話:ゲルグとかいう小悪党 後編
「それで?」
「はい、チェルシーという少女の仔細を纏めました。対象本人から得た情報なので信憑性は言うまでもないでしょう」
アナスタシア様に簡潔に纏めた報告書を手渡す。対象を理解するのにチェルシーという少女がキーとなる。それは間違ってはいなかった。
「そう……。ゲルグ様はこういう過去を……」
「えぇ。まぁ、珍しくも無い話ではありますが」
「そうね。でも傷の多寡は私達が評価できるものではないわ」
アナスタシア様が報告書に目を通しながら、難しい顔をする。
「しかし、私の意図を汲んだ上で、貴方は最高の結果をもたらしてくれたわ。ありがとう」
「いえ、それが私の任務ですから」
「そうね。ではイズミ。次の任務を与えます」
対象と元神官の仲直りも済んで、その後でアナスタシア様から頂いた指令は「可能な限り対象に協力しろ」というものだった。
その指示を十二分に曲解して、テラガルドの魔女に言われるがままに私は対象の訓練に付き合うこととした。なんでもこの洞窟は外界とは時空が切り離されているらしい。「時空が切り離されている」という言葉の意味は理解できないが、洞窟の中でいくら時を重ねても、実際は一秒も時間が経過していないらしい。
シン国にこんな洞窟が存在していたとは驚きだ。
最長で三年。自らの寿命を犠牲にして、他人よりも先んじる。つまるところそういうことだ。だが、今更自分の寿命や残された時間について思いを馳せることは無い。全てを諦めている。
私は、私の人生は、アナスタシア様に出会えた、それだけでもう完結している。尤も、対象に出会えたこともここ最近の私としては僥倖であったとも思っている。
彼は面白い。偽悪的で、口が悪く、品性の欠片もない。だが、お人好しで、努力家で、そしてどこか私に似ている。そのことに気づいたのは最近ではあるけれど。
洞窟の中でどれだけ時間が経っただろうか。三ヶ月くらいだろうか。
しかし驚きだ。対象がここまで忍の技術に適性があるとは、誰も思わなかっただろう。当然ながら私も思ってはいなかった。
彼は空蝉の術を会得した。本来であれば四歳から訓練を受けた忍の卵が十歳になるまでにようやく覚える技術だ。十歳になるまでに会得できなかった者は才能なしと判断され排斥される。容赦ないようにも思えるが、それが忍の里の掟だ。そんなどうしようもない掟やらなんやらに縛られるのも嫌で、私は里を抜け、大陸へ渡った。
私は里の頭領の娘だ。他の子供と比べて優秀だったのは言うまでもない。それでも空蝉の術を会得したのは確か七歳とかだったはずだ。小さい頃から神童と呼ばれた私でも、だ。少しばかりプライドを傷つけられても文句は言えないのではないだろうか。
その上で、対象の成長スピードについてテラガルドの魔女が御高説をたれていたものだが、そんなものでは納得はしない。できない。何か違和感がある。その違和感がなにから来るものなのかは私にもよくわからない。
夕食も先程終えた。後は寝るだけ。
そうだ、本人に聞いてみようか。そんな考えが頭をもたげた。自分の欲求に素直に、私は対象に声を掛けてみることにした。
「ゲルグさん」
「んだ。まだ起きてたのか?」
「えぇ、起きてましたぁ。ゲルグさん。小さい頃のこと、思い出せます?」
対象の幼少期。それはどれだけ調査をしても明るみにでなかった謎の一つだ。それを解き明かせば、彼の異常な成長スピードにも納得できるのではないだろうか。
「自分の正確な歳はわかんねぇが、七歳か八歳くらいより前は全然思い出せねぇなぁ」
「……いや、普通五歳ぐらいの記憶はありますよ。おかしくないですか?」
そう、おかしい。人間、薄れかけていたとしても、五歳くらいの記憶は残っているものだ。意図的に、もしくは無意識で忘れてしまっていたり、他人に封じられていない限りは。
これでは聞き取り調査したものとなんら変わらない。本人すら覚えていない、情報を持っていない、そんな謎が一つ増えただけだ。
顔には出さないよう心がけながら、私は思考の海へ沈もうとした。けれど、それは対象の一言によって遮られることとなった。
「お前さんは? ガキの頃どんなだったんだよ」
私? 私の子供の頃?
私は頭領の娘で神童と呼ばれた子供だった。最初、周囲は大いに私に期待をしたし、私自身も純粋にそれが嬉しかった。
だが、いつからだろう。両親の私を見る目が「期待」ではないことに気づいたのは。
期待ではない、「出来て当たり前」の視線。
私を褒めるのは、いつだって周囲の関係の無い人々だった。両親から褒められたことなんてなかった。
そして、しばらくして、周囲の人間達も、私自身を見ていないことに気づいた。
あぁ、彼らは私を利用して、私の両親に近づこうとしているのか、と。
別に忍になんてなりたくは無かった。ただ、父に、母に、褒めてほしくて頑張った。子供というのは単純なものだ。頑張れば褒めてもらえると、心の底からそう信じていた。
時間とともに次第に諦めて、私は両親の「出来て当たり前」に屈服した。
「私は……。そうですね。ゲルグさんが小さい頃の私を見たら驚くかもしれませんね」
自分でも驚くほど、すらすらと答えていた。他人に話すつもりなんてない、自分の子供の頃の話。別に感傷なんてない。つまらない話だってそれだけ。
「別に忍なんてなりたくなかったんですよ。ですが生まれは選べません」
子供の頃を思い出した私の心は不思議と沈みに沈んでいた。捨て去ったはずの、どうでも良い記憶な筈なのに。
「別にやりたかったわけじゃないんです。両親は里の頭領でした。頭領の娘。必然的に周囲からの期待値も高くなります」
「……そうか」
対象はなんと言葉をかければよいのか考えている様子だ。
「でも、父の、母の喜ぶ顔が見たくて頑張りました。褒めてもらったことは一度もないですけどね。笑わない子供でしたよ。気味悪がられましたね」
そう。いつからか私は、頑張ることに精一杯で、笑うことを忘れた。褒めそやしていた周囲の人間も、私を気味悪く思ったのか、自然と離れていった。
どうでも良い。そう思ったっけか。
「なりたくなかったのに、気づいたら忍の道を歩んでいました。それで、嫌になって里を逃げ出しました。紆余曲折あって、アナスタシア様に拾ってもらったというわけです」
親離れが済んで、忍としての残骸のみで認識されることとなった私にとって、忍の里は、忍の身分は窮屈なものだった。だから逃げ出した。
「……なんだ。つまんねぇこと聞いて悪かったな」
対象が申し訳無さそうな声を出す。少しばかり私も申し訳なくなる。
「いいです。今はそれなりに面白おかしくやってますから」
本心だ。アナスタシア様は仕えるべき主だ。あの方にお仕えするのは楽しい。だから今は良いのだ。
「ゲルグさんは」
話を戻す。
「どんな子供だったんですか?」
「ババァの言う通りだよ。親もいねぇ、故郷も追い出された。アリスタードの王都の裏路地でただ生き抜くのに必死だった。……面白くもねぇ話だよ」
調査した以上の話は出て来ない、か。でも、うん。両親が居た、形だけかもしれないけどちゃんと庇護されていた。それだけで私は幸せだったのかもしれない。
「そうですか。私なんて可愛いものですね。両親もいました。ゲルグさんに比べたら恵まれていたのかもしれません」
これも本心だ。私よりも悲惨な人生なんていくらでもある。私は悲惨でもなんでもない。
「バーカ。そういうのは、他人がどうこうってんじゃねぇよ。自分がどう感じたかだろうが。辛かったんだろ?」
――でも傷の多寡は私達が評価できるものではないわ。
はっとした。奇しくもそれは、アナスタシア様と同じ意味を持った言葉だった。
私が、大好きで、尊敬して止まない、上官の言葉。それと同じ言葉を対象は事もなげに吐いてのけた。
そして、アナスタシア様は言わない。「辛かったのね」やら、「大変だったのね」やら、そういう言葉は。あの方はお優しいが、そういった言葉を他者へ投げかけはしない。だからずっと気づかなかった。
すとんと何かが胸に落ちる。
そうか。私は……。
辛かったのか。
「……ゲルグさん。前に『童貞も素人童貞も等しく少年』、なんて言いましたけど、撤回します」
「あん?」
「貴方は大人ですね。ありがとうございます」
尊敬する上官と同じ性根の持ち主をはっきりと見据えて私はそう告げる。
ゲルグさんの瞳が少しばかり面食らったような色を見せる。礼を言われるなんて思っていなかったのだろうか。
嗚呼。良く眠れそうだ。私は、作り物じゃない本当の笑顔をゲルグさんに向けた。
思えばこの時だったんだろう。彼を自分の弟子としてきちんと認識したのは。
空蝉の術を教えることは楽しかった。自分の技術を伝えるのが予想以上に面白かった。嬉しかった。そしてそれにしっかりと応えてくれる彼が誇らしかった。その感情から目を背けていた。
そう、ゲルグさんはあの頃の私で、そして私は、あの頃の私が欲して止まなかった、「期待」を向けてくれる師匠なんだ。
こんなのキャラじゃない。そう思っていた。でも、彼のことをもう「対象」として私は見ることはできない。
もう目は背けられない。
彼に興味をいだき、感情移入し、そしてゲルグさんを自分の生きた証にしたくなった。
ゲルグさんにできる限りの全ての技術を。持てる限りの全ての技を。
修行も終わり、アリスタードからの襲撃云々もなんとかし、そして、なんやかんやで私はアスナ・グレンバッハーグに随伴することとなった。
きっとこの後は魔王討伐部隊のサポートを命じられるだろう。
ゲルグさんは飛び抜けて優秀ではないが、そこそこに優秀な大事な弟子だ。彼を見守ると同義の任務はやぶさかではない。
私はあと数ヶ月で死ぬ。これが最後の任務になる。多分、そうだろう。
忍は幼少からあらゆる薬物を摂取し身体に慣らしていく。そういう訓練を受けた。
そのことから、忍の寿命は著しく短い。長くて三十年。平均で二十年とちょっと。私も優秀であるとは言え、例外に漏れることはないだろう。
今更そのことについてどうこう思ったことはない。
でも、不肖の弟子のことが心配だ。できる限りのことをしてやりたい。
部屋に安置されていた、里から奪える限り奪ってきた武器や道具の数々をカバンに詰めて私は蒸気船に乗り込んだ。
「さぁて、どうなっかねぇ」
そんなことを呟きながら海を見ているゲルグさんに、敢えて気配を消さずに近寄る。
「何難しいこと考えてるフリしてるんですかぁ? ゲルグさ~ん」
「うるせぇよ、イズミ」
こんなやり取りにも慣れたものだ。彼は私のことを憎からず思っているし、私もゲルグさんのことは大事に思っている。こんなやり取りに楽しさを覚えるなんて、想像もしていなかった。
「あ、そうそう、ゲルグさん。こっち向いてくださ~い」
腰に下げた刀を抜いて、彼に向け、そしてこっちを向けと促す。彼はどんな顔をするだろうか。
彼は相槌を打って、振り向き、そして刀の切っ先が自分に向いているのを見て驚いたようだ。笑いが溢れる。
「危ねぇだろうがよ。刃物を仲間に向けるんじゃねぇよ」
彼の苦言に私はにやっと笑って、刀を返す。
「はい」
「あ?」
「あげます。二本とも」
「なんでまた。いや、ありがてぇけどよ」
ゲルグさんが刀を握り、そして眺める。
「ゲルグさんから見て右手が『煙々羅』、左手が『天逆毎』です」
「エン……アマ……?」
「我が国では、優れた刀には名前を付ける風習があるのですよ。銘刀です。不肖の弟子への贈り物ですよ」
里から盗んできたものの中でもいっとう優れた二本だ。この二本がゲルグさんを守ってくれるだろう。
「あと、これと……、これと……これも」
懐にしまい込んだ様々な武器や道具を床に放る。
「全部差し上げます」
「お、おい。いいのか?」
何を言っているんだ。良いに決まっているだろう。私がわざわざ貴方の為に持ってきたものだ。貰ってくれなければ困る。
「部屋に余らせてあっても意味がないですから。私が使う分はあげませんよ~」
これは嘘だ。最初の二本の刀は、もったいなくて安置していたものだが、いま取り出した武器道具は、全て普段遣いのものだ。
今私は上手く嘘を隠せているだろうか。いつも通りの笑顔でいられているだろうか。バレるのが少しだけ憚られて、ゲルグさんに背中を向ける。
死人には不要なものだ。どうか、受け取って欲しい。
ため息を吐く。まさか自分が他人の今後を本気で心配する日がくるとは思っていなかった。例外はアナスタシア様だが、彼女は優秀で切れ者だ。私が心配するのもおこがましい。だから、そういう意味ではゲルグさんが初めてだ。
「まさか、弟子なんてものを持つとは思っていませんでした。自分の技術を教え込むのがここまで楽しいとは思いませんでした」
本当に洞窟の中での日々は楽しかった。「辛かったんだろ?」と言ってもらえた日から、それを自覚し、そして持てる限りのあらゆる技術を教え込もうとした。
楽しかったんだ。
「ゲルグさん。私より先に死ぬ、それは師匠の顔に泥を塗ることだと肝に銘じて下さい」
私の命はあと数ヶ月。その間にどうか、死なないでほしい。唯一の弟子を失った時の悲しみは、想像もつかないから。
「お前……」
私らしくないって思ってるでしょ? 私だって思ってますよ。
――死体は喋りません。生きている者に指図もしません。ただ肉の塊になって、その後土に還るだけです。死人に感傷を抱くこと自体が間違いなんですよ。
そんなことを言った私がだ。今、彼が死なないように、精一杯考えている。
本当にキャラじゃない。ガラじゃない。でもそれが何故か心地よい。そう、泣いてしまいそうなくらいに。
「あーあ、私、こーんなキャラじゃないんですけどねぇ。貴方は私の唯一の弟子です。死ぬことは許しません。泥臭くても、生き汚くても、生きて、生きて、生き抜きなさい。師匠命令です」
私は上手く話せていただろうか。鼻声になっていなかっただろうか。なんで泣きそうになっているのかなんて自分でもわからない。
でもきっと、そう。捨てたはずの未練。生きることに対する未練。それを思い出してしまったんだ。ゲルグさんが、不肖の弟子が、どう生きていくのか、それを見たいと思ってしまったんだ。師匠として見守って、助けてあげたいと思ってしまったんだ。
でも見られないんですよ。ごめんなさい。見守ってあげられないんです。ごめんなさい。
だからこれぐらいで許して下さいね。
「んじゃ、私は船室でのんびりします。明日からデッキで訓練の続きやりますからね。覚悟しておいてくださーい」
振り返らないでゲルグさんに言い放つ。
充てがわれた船室でちょっと寝よう。今は何もかも忘れよう。立派になった弟子への誇らしい気持ち以外は。
はい、これにて第五部完結です。
イズミさん視点の閑話はちょっと駆け足だったような気もしますが、そこはご愛嬌としてください。
次話より、第六部が開幕します。
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