第十話:それが我慢ならねぇ
俺は王女サマを伴って、村の近くにある林の中へやってきていた。王女サマは「こんなところへ連れてきてどうしようってのよ」ってな顔をしていはするが、何を思っちゃいるのか、俺についてくることに決めたらしい。無言で俺の後ろをついてくる。
村から歩いて数分ほどの場所に辿り着く。木の葉の隙間から木漏れ日が差し込み、木々は鬱蒼と茂っている。この辺りでいいだろ。誰もいねぇし、誰に聞かれることもねぇ。
「王女サマよ。俺はあんたが気に入らねぇ」
「奇遇ね。あたしも同じよ」
犬猿の仲。不倶戴天の敵同士。出会った瞬間からそうなることは恐らくお互い予測できていただろう。俺は王女サマが気に入らねぇし、王女サマはともすれば俺をしょっぴくべき立場だ。
「お前さんが付いてくれば、アスナに『王女誘拐』なんて罪状がついてまわるのは理解できてるか?」
「……それはそうね。でもあたし本人が否定すれば、各国の元首も納得するはずよ」
「世の中そんな簡単じゃねぇよ。それに追手が増える。それも理解できてるか?」
「えぇ。でもね、そんな追手、並の人間なんてあたしの魔法で瞬殺よ。伊達に魔王討伐の一行として世界中を旅してないわ」
うん。ああ言えばこう言う。こいつはこういう女なのか。
「アスナはあたしが守るの。これは一年前アスナについていくと決めた時にあたしの中で誓った何よりも尊い誓約。あんたにそれがわかって?」
悪いが、そこは理解できねぇ。そこだけが理解できねぇ。
「なんでアリスタード王国の王女サマが、一介の勇者サマなんかにそこまで肩入れする? あいつは確かに今でこそ『勇者』なんて肩書だ。だが、魔王をぶち殺すまではただの小娘だったろうがよ」
「あたしも同じことを同じように質問させてもらうわ。あんたみたいな小悪党がどうしてアスナを助けようとするの? 地位? 名声? 自分のちんけな罪をそれで許してもらおうとでも思った?」
「俺はっ!!」
うまく言語化はできない。だが、ここで言わなけりゃ俺は多分この王女サマに強制的に置き去りにされる。そんな予感がした。
風が吹く。木の葉が、茂った草が揺れて、そして止んだ。
短く刈り込んだ髪の毛をくしゃくしゃと掻きむしる。どんな言葉でその質問に答えれば良い?
王女サマは俺の方をえらく真剣な目で見つめている。もういい。飽くまで、自分の言葉で、今思っていることを、正直に話す。それしか思いつかない。それだけしか知らない。
「その、なんだ。……あいつは勇者だ。どんな状況でも……。自分でもよくわからねぇ。だが、その有り様に、憧れた。惹かれた」
それからなんだ? 俺があいつを守らなきゃいけない理由? それはなんだ?
「……あいつは、ガキだ。何も知りやしねぇ。……人間なんてのは弱い生き物だ。……道を踏み外すやつなんてザラに居る。俺だってそうだ」
そうだよ。そうなんだよな。
「俺は人間なんてもんの悪意とやらを嫌ってほど見てきた。感じてきた。裏切られた。殺されかけた。騙された。……人間なんてそうそう清廉潔白な存在じゃねぇ」
だがな。
「あいつはそんなこと全然わかっちゃいねぇ。だからあいつはガキなんだよ。世間知らずの。人の善意なんてものを本気で信じてやがる。悪人なんて世界にゃいねぇと、本気で思ってやがる」
人間、転げ落ちる時はとことん転げ落ちる。落ちきった後に行き着く先は、他人を呪い、騙し、裏切る。そんな悪意の塊みたいな化け物だ。
「そんな悪意から、あいつを守ってやりてぇ。キースにゃ無理だ。あいつは確かに強いが、どうせなんでも剣で解決しようとする脳筋だ。ミリアじゃ無理だ。あいつは頭の回転は早いが人間を疑うことの知らないお花畑頭だ。王女サマ。お前さんにも無理だ。一年世界中を旅した? そんなんじゃ十分とは言えねぇ」
魔王討伐の御一行には、俺みたいな「悪い大人」がいねぇんだ。キースは大体二十四歳だと聞いた。ミリアは二十歳。王女サマは十八歳。ついでにいや、アスナは十六歳。世の中の酸いも甘いも噛み分けるような経験をしてきた奴はいねぇ。
「俺みたいな小悪党のおっさんがいなけりゃ、そんな悪意にお前さんらは呑み込まれる」
そう、人間の悪意なんてものは、魔物よりおっかない。容易に他人を破滅させうる、それだけのエネルギーがある。破滅させられた人間なんていくらでも見てきた。善人だろうが悪人だろうが関係ない。簡単に人間ってのは他人を陥れられる生物だ。
「それが我慢ならねぇ。……いや、違うな。アスナがそんな悪意を知って、『勇者』じゃなくなっちまうことが我慢ならねぇ」
そう、それが我慢ならねぇんだよ。
「……我慢ならねぇんだよ」
ひとしきり話し終えた。何度も言うが俺は小悪党だ。小悪党だからこそ、他人からの悪意やら何やらには人一倍敏感だ。アスナを守りたい。それは魔物やら化け物やらから守りたいわけじゃない。俺がいなくてもアスナ達ならそんなん瞬殺だ。だがよ、他ならねぇ、アスナが守ろうとしている「人間」ってやつから、あいつを守ってやりてぇんだ。
王女サマが何やら難しい顔で、ちょっとばかし考え事をしているような素振りを見せる。数秒ほどの無言の時間。そしてその後、険のある視線で言い放った。
「……ふぅん。わかったわ。ゲルグ。あんたはあたしの敵」
「はぁ!? 敵ってどういうこった!?」
「うるさいわね! 敵っていったら敵なのよ!」
鼻息を荒くする王女サマに俺は目を白黒させる。今の話のどこに俺が王女サマの敵になる要素があったってんだ。じとりと睨みつける。王女サマは俺の睨めつけるような視線にも気づかず「……アスナが……れちゃう……」だとか「いかにもアスナが……きになり……イプよ」とかぼそぼそ呟いている。何言ってるんだ? 全然聞こえねぇよ。
「で?」
「な、何よ!?」
「お前さんがアスナを助けようとする理由はなんだってんだよ?」
俺は王女サマの方をギラリと睨みつける。王女サマは少しばかり逡巡し、それでもゆっくりと口を開いた。遠い目をしながら。
「……アスナはあたしの幼馴染なのよ。小さいころから一緒に遊んでた。一年前、アスナが魔王を倒しに行くなんて話になったときは驚いたわ。パパの制止も振り切ってついていった。アスナを失いたくなかったから」
王女サマとアスナが幼馴染? そりゃ初耳だ。
「……あたし、小さい頃はお転婆でね。よく王宮を抜け出して街に遊びに出てたわ。その時に出会ったのがアスナ。こんな純粋な女の子いるんだって思った。こんな真っ直ぐな女の子いるんだって思った。あたしもね、多分アンタほどじゃないけど人の悪意なんてものにはちょっとばかし敏感よ」
王女サマが一息つく。
「あたしに寄ってくる大人は皆腹にイチモツ抱えてる。そんなこと子供の頃からわかってた。パパとママだけは確かにあたしを、あたし自身を愛してくれた。でもね、それでもそれ以外の人間は子供心に信用できない人だなってそう思ってた」
そりゃ知らなかった。てっきり王女サマなんてご身分なもんだから、温室育ちのお嬢様かと思ってたよ。
「アスナに出会って『あぁ、人間も捨てたもんじゃないな』ってそう思ったの。それからずっとよ。ずーっと。……きなの」
王女サマが顔を俯かせる。こころなしか頬が赤く色づいている気がした。大きな帽子で隠れてよく見えなかったが。ってか聞こえねぇよ。なんて言った? 今。
「あぁ? 聞こえねぇよ」
「好きなの!!! アスナのことが!!! 好きなの!!!」
あ、やっぱり真っ赤だ。でもそんな恥ずかしがることか? 要はアスナのことを『友達として大好き』ってことだろ? 何もおかしいことはねぇじゃねぇか。
「別に、そんなの普通のことだろ?」
「……あのねぇ。アンタ、あたしの言葉のニュアンスをちゃんと理解してる? アスナのことを! 好きなの! 一人の女性として!」
ん? 今なんて言った? 理解できなかった。
「えっと、もっかい」
「だーかーらー! あたしは! アスナと! 恋人に! なりたいの! ……っ! 言っちゃったじゃない! ここまで言うつもりなかったのに!」
はぁ? 予想外すぎる答えに俺の目は点になっていただろう。普通女は男とくっつくもんだろ? それがなんだ? 同じ女のアスナが好き? 恋愛対象として?
「……えっと、なんっつーか」
「……いいから。何も言わないで」
つまりあれか。王女サマは男じゃなくて女が好きってことか?
「……あの、もっと生産的な恋愛をしたほうが良いのでは?」
「知ってるわよ! そのくらい! でも嫌なの! 男の私を見てくるあのいやらしい視線! 反吐が出そう! 鳥肌が立つのよ! 気持ち悪いったらありゃしないわ!」
「そ、そうか」
ミリアにさんざっぱらやらしい視線を送り続けてきた俺は何も言えねぇ。
「それに比べて、アスナのなんて純粋無垢なこと。あんな綺麗な心の持ち主、なかなかいないわ。私達、将来小さな一軒家に住んで愛を育むのよ。私が魔法を使って魔物を倒して日銭を稼ぐ。アスナがそれを出迎えてくれる。あぁっ、なんて素晴らしいのかしら!」
なにやら陶酔している王女サマだが、多分アスナはそんな妄想知らねぇと思うぞ。
「『エリナ、ご飯できてるよ。お風呂も沸いてる。それとも私?』。あぁっ、アスナ! そんな三択、選択するべきは一つに決まってるじゃない!」
なにやら身体をくねくねさせながら公の場では決して喧伝できそうもない妄想をぶつぶつ垂れ流し始めた。忌憚なく言うと気持ち悪い。王女サマも美人は美人だ。出るところは出て引っ込むところは引っ込んでる。んでもって、母親ゆずりなのか綺麗な金髪のロングヘアー。男が放っておかないだろう。だがそれを差し引いても、今の王女サマは気持ち悪い。気持ち悪すぎた。
「だから! アンタは! 敵なの!」
身体をひたすらくねくねさせてた王女サマが、唐突に正気に戻り、俺をビシッと指差す。酷い論理の飛躍があった気がするが、気のせいか? いや気のせいではねぇな。
「なんで俺が敵になるんだよ?」
「いーっだ! そんなことアンタみたいな下水を煮込んだようなクソ小悪党に教えてあげるはずないでしょ! このド低脳が!」
ド低脳……。また言われた。まぁ、いい。さっきは状況も相まって頭に血が昇っていたが、いちいち十八歳のガキの悪口に目くじらを立てる俺じゃない。ないったらない。
「だから! とにかく! アンタの同行はナシ! 絶対拒否! アンタは敵だから!」
「……だから、どこをどうとれば俺がお前さんの敵になるんだ……。待て。なんか聞こえねぇか?」
村の方がなにやら騒々しい。嫌な予感がする。というか嫌な予感しかしない。俺は踵を返して村の方へ駆け出した。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! まだ話は終わって……」
「いいから! アスナ達がやばい!」
俺のレーダーにビンビン反応している。グラマンの屋敷を取り囲む複数人の気配。村人に手配の知らせが行き届いたか、はたまた追手がやってきたか。兎にも角にも、あいつらが危ない。
「っ! そういうこと!? さっさと言いなさいよ! このクソ小悪党!」
「クソ小悪党は余計だ! いいから! 急ぐぞ!」
俺と王女サマは林の中を全速力で駆けていく。
グラマンの屋敷を取り囲んでいたのは王国の兵士どもだった。数にして凡そ五十人程度。村人達が何事かと遠巻きにそれを見ている。不殺を決め込んでいるアスナにとっちゃ、この人数はかなり厄介だ。キースも元同僚かもしれない相手を簡単に殺せるはずがない。ミリアはそもそも攻撃担当じゃない。面倒だな。俺は小さく舌打ちした。
「アリスタードの兵じゃない! こんなの私が行って、むぐもぐっ!」
「黙ってろ。お前さんがいくと余計ややこしくなる」
俺は息巻いて出ていこうとする王女サマをとっさに羽交い締めにして、引っ込める。口を手で塞いだもんで、「むぐもぐ」言ってやがるが、今はそんなことを気にしてる場合じゃねぇ。
グラマンの屋敷に一番近い草むら。俺は王女サマを引きずりながらそこに身を潜めた。「むぐもぐ」言うのを諦め、すっかりおとなしくなった王女サマの口から手を離す。「ぷはっ」っと王女サマが、息を吸って俺をじとりと睨みつけた。
「私が行けば万事解決でしょ?」
ヒソヒソ声を出しながら王女サマが俺に抗議の視線を送る。
「バカ言え。お前さんが連れ戻されて、一網打尽にされるのがオチだ」
「そうなったら私の魔法で全員ぶち殺してあげるわよ」
「……それ、多分アスナに嫌われるぞ?」
「……確かに」
さて、どうするべきか。兵士どもは、まだグラマンの屋敷に押し入る気にはなっていないらしい。どうせ、事態に気づいたグラマン当たりがちゃんと扉に鍵をかけて籠城してるだろう。隊長っぽい兵士が、しきりに投降を促す決り文句を叫び続けている。時間にも猶予がない。しばらくすれば業を煮やした兵士共が、無理やり屋敷に押し入り始めるだろう。
しかし、仕事道具を持ってきていてよかった。これがなけりゃ手も足も出ないところだった。俺は木綿で出来たカバンの中をゴソゴソと漁る。勿論目は兵士どもから離さない。
「どうするつもりよ?」
「そりゃな。こうするんだよ」
俺の仕事道具の一つ。煙玉だ。導火線に火をつけて、兵士どものど真ん中にぶん投げる。これでも肩には自信がある。コントロールも完璧だ。
「うわっ! なんだ!」
「爆弾か!? 散れ! 散れ!」
兵士どもが投げ込まれたそれに俄に騒ぎ始める。バーカ。爆弾なんて物騒なモン持ってるわけねぇだろ。いや、嘘だ。持ってたわ。とっておきのやつ。でも、お前らみたいな木っ端な兵士に使うわきゃねぇだろ。
兵士どもがあたふたしている間に、大量の煙がみるみるうちに辺り一面を覆い隠した。目論見通り。作戦通りだ。
「行くぞ! 舌、噛むなよ!」
「えっ!? きゃっ!」
可愛らしい悲鳴あげるじゃねぇか。グラマンの屋敷で口からクソを垂れ流してた女とは思えねぇ。俺は王女サマをお姫様抱っこ、別名半魚人抱っこをし、風の加護を最大にして駆け抜けた。
「王女サマ! 解錠魔法使えるか!?」
「え!? ……っ! 使えるわ!」
「詠唱! よろしく!」
「財の精霊、メルクリウスに乞い願わん……」
王女サマが詠唱を始める。普通の人間なら走って二十秒。だが俺にかかればこんな距離五秒もかからない。大量の煙に咳き込む兵士達を尻目に屋敷の玄関に駆け込む。それと同時に、王女サマの詠唱も完成する。
「解錠!」
屋敷の扉の鍵がガチャリと音を立て、魔力によって強制的に解錠される。それと同時に扉を乱暴に音を立てて開け、そして閉める。勿論すぐに鍵をかけ直すことは忘れない。
「ゲルグ! エリナ!」
アスナがちょっとばかし危険な賭けをして冷や汗をかいている俺と、一仕事終えてふーっと息を吐く王女サマにホッとしたように笑いかける。
「さぁ。とんずらこくぞ」
なんと、王女サマはアスナのことが大好きだったようです。
恋愛感情として。
そんでもって、まぁ当然というか、予想通りというか、兵士に囲まれてしまいました。
でも大丈夫。主人公補正がちゃーんと効いてます。主にアスナに。(毎話恒例)
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