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プロローグ

 月の綺麗な夜だった。


 俺は行きつけの酒場で安い酒をたらふく飲み、ご機嫌で王都の裏路地をふらふらと歩いていた。どれぐらいご機嫌かって? バニーガールの姉ちゃんが、気まぐれに卑猥なサービスをしてくれた。それぐらいにはご機嫌だ。


 なんたって、勇者サマが魔王を倒したんだそうだ。俺はちんけな盗人だが、それでも魔王軍やら魔物やらの存在には多少なりとも煮え湯を飲まされたりもした。そんないけ好かない連中が、どこの馬の骨とも知らない「勇者」とやらに、やっつけられてしまったんだそうだ。


 誰しもがご機嫌だろう。誰だってそうだ。例に漏れず俺だってそうだ。世界が平和になった。ちょっとばかし羽目を外して、酒をかっ喰らおうが誰にも文句は言わせない。誰しもが、得体のしれない「魔王」とやらに怯え、何時来るかわからない襲撃を心配して、夜も眠れない生活を送っていたものだ。


 その未曾有の脅威が昨日、取り除かれた。そう、世界中にとって大ニュース以外の何ものでもない。その知らせは昨日の内に全世界に届けられ、世界中の人間が歓声を上げた。何度だって言うが、俺だって歓声までは上げやしねぇが、それなりに喜んだ。んで、景気づけに一杯やり始めて、美味くもない料理とクソまずい酒に舌鼓を打ってこの状態だ。


 そんな状態だったからだろうか。普段ならちんけな盗人ではあるものの、それを生業にして生きてる身だ。近づいてくる人間の気配ぐらいすぐに感じ取れる。だが、そんな俺のセンサーも、今日に限ってはその働きを停止させていた。


 裏路地の曲がり角に差し掛かろうとしたその時だった。鼻歌でも出そうなくらい上機嫌な俺の胴体に、何やら小さな物体がぶつかってきた。


 どすん。そんな音を響かせて小さな衝撃が俺の身体を揺さぶる。いかにも十代半ばぐらいの軽めの体重。「おっと」、と思わず声を上げて、その子供らしい華奢な身体を抱きとめた。


「おい、ガキ。よそ見しながら歩いてんじゃねぇよ」


 とっさに出たのは、小さな抗議だった。そりゃそうだ。いきなりぶつかられたんだ。文句を言う権利ぐらい俺にだってあるだろ? それにあれだ。こっちは上機嫌でふらふら歩いてる酔っぱらいとくりゃ、そんな気分に水を差されて少しばかり不機嫌にもなる。


 だが、抱きとめたガキの格好をよくよく見て、俺は何やら妙な気分になった。


 まずはこいつの格好だ。木綿のマントを羽織り、フードを目深に被って、目元を隠している。いかにも顔を見られたくない、そんな意思を感じさせる風貌だ。この国じゃそんな格好をするのは、俺みたいな叩けば埃の出る奴の中でも、実際に叩かれて埃が出きった後にとんずらここうとする奴だけだ。


 ははぁん、と俺は得心する。訳ありだな、と。少しばかりどういった「訳あり」なのか気になりもしたが、こっちだって叩けば埃の出る身だ。関わらないのが正解。


 見なかった。俺は何も見なかったのだ。


「じゃあな。ガキ。よく前見て走れよ」


 そう吐き捨てて、俺はそいつの身体をパッと離し、自分のねぐらへ戻ることに決めた。人様からものをかっぱらって生きている人生だ。慎重で小心者なぐらいがちょうど良い。そのことは、今までの三十年弱ぐらいの人生でよぉくわかっていた。


 そうして、数歩ぐらい歩いた時だろうか。不意に俺の盗人特有の対人レーダーが俄に動き出した。酒でぼんやりしていた頭が急速に素面みたいな回転を始める。世界中で誰しもが喜んでるこんな日に、俺だけ厄日かっての。クソッタレが。


 気配を探る。一人、二人、三人……。やべぇな。十人そこらじゃねぇ。あちらこちらから、結構な速度でこっちに近づいてくる。盗みがバレたか? と、一瞬だけ嫌な予感が頭をもたげる。だが、それにしちゃ様子がおかしい。近づいてくる気配は、どうも俺を目標としている訳ではないようだ。


 奴らの目標。つまりのその中心点は……。


「おい! ガキ!」


 さっき俺にぶつかってきやがったガキだ。


「お前! 何しやがった!? この人数! 正気の沙汰じゃねぇぞ!」


 巻き添えを食らうのは御免被る、とは思ったが、次の瞬間には既に巻き込まれ済みであることに思い立って、小さく舌打ちする。ガキはどうやら、自分の状況すら把握できていないらしい。ボケッと突っ立っているようにしか見えないその様子に、俺は二度目の舌打ちをする。


「クソッタレが!」


 俺はガキの腕を掴んで走り出した。フードのせいでその表情をうかがい知ることはできないが、どうせ目を白黒させているんだろう。というか、今日の俺も変だ。いつもだったら、一人でとんずらこいて、それで記憶の中から抹消していただろう。


 単なる気まぐれ。こんな見も知らないガキ、どうなろうが知ったこっちゃない。


 それでも俺は、ガキの腕を引っ張って全力疾走している。近づいてくる数多の気配に焦りに焦りながらも、心のどっかにいる冷静な自分が「あーあ、俺もヤキがまわったな」とかほざきやがる。うるせぇ。俺だってなんでこんなことしてんのかわかんねぇんだよ。


 こちとら、腐ってもこの街を根城にする盗人だ。万が一見つかったときのために、逃げ道ぐらいはいくらでも用意してある。


「おい、ガキ」


「は、はい」


 そーいや、このガキの声、今初めて聞いたな。ぶつかった時に小さく悲鳴を上げていた気もするが、ベロベロに酔っ払ってた俺だ。記憶のカケラにも残っちゃいねぇ。えらく中性的な声に、声変わりもまだなのか、と益体もないことを考える。


「跳ぶぞ! 歯ァ、食いしばれ!」


「え?」


 ガキがキョトンとしたような声を上げる。文句は聞かねぇ。跳ぶったら、跳ぶんだ。


 俺は引っ張っていたガキの腕をぐいと引っ張ると、その小さな身体をすくい上げる。


「ひゃっ」


 ガキが何やら悲鳴を上げているが無視だ、無視。そのままガキの身体を肩に担いで、両脚を深く曲げた。


 音にするなら「ぴょーん」だろうか。「びゅん」だろうか。まぁどっちでも良い。身の軽さには自信がある。それでも流石にこの歳で酒かっくらった後にこんな運動をすることになろうとは思っちゃいなかったがな。裏路地を取り囲む民家の数々、その屋根よりも高く、そう遥か高く俺は跳躍した。


 だん、っと音を立てて誰のもんか知らない家の屋根に着地する。中の住人は何事かと思っちゃいるだろうが、んなもんは俺の知ったこっちゃねぇ。着地の勢いはそのままに、全力疾走を決め込む。


 ガキを中心に近づいてきていた不審な野郎どもも、いきなり奴ら以上のスピードで遠ざかっていく目標に、あたふたしている頃だろう。はん、ざまぁみさらせ。バーカバーカ。


 脚の速さ、バネの強さ。それに併せて生来持っている風の加護とやらのおかげで、俺は生まれてきてこの方、一度も捕まったことがない。いや、すまん嘘だ。見栄張ったわ。数え切れないぐらい捕まった。あの時は痛かった。


 兎にも角にも、常人とは思えない速度で走る。途中、屋根から屋根に、壁から壁にぴょんぴょんと飛び跳ねて、道なき道を進んでいく。肩に担いだガキのせいで受け身がとれなくて辛いところだが、そこはそれ、長年の経験が活きるってもんだ。


 追手を巻くために、ぐねぐねと曲がり、行ったり来たりを繰り返す。どうだ、このスピードにゃ着いてこれまい。着いてこれるとしたら、そうだな。魔王とやらを倒した勇者サマぐらいだろう。常人じゃ俺の脚には到底及ばない。その程度には自分の脚に絶対の自信を持っている。


 周囲から怪しげな人間の気配が遠ざかり、そして消えたことを確認してから、俺はその足で自身のねぐらに向かう。もう屋根の上を走る必要もない。きりの良いところで降りて、大通りの群衆に紛れる。勿論、ガキを肩に担いだままだと目立ってしゃあない。ガキはそのタイミングで降ろして、最初みたいに腕を引っ張って走る。


 人混みを掻き分け掻き分け、そしていつもの裏路地にひらりと身を隠すと、何度か曲がり角を通り過ぎて数十歩ほど歩いたところにある隠し扉を乱暴に開ける。開いた狭い入り口――人間一人分が入れるぐらいの隙間だ――にガキを放り込む。右を確認、左を確認、ついでに上も確認。よし、追手は撒いた。俺も中に入り込む。ふーっ、と一息ついて俺はなんとか危機っぽいものを脱したことを実感した。


 いや、しかし俺も耄碌してないもんだ。こんだけ走り回って、息一つあがっちゃいない。生まれ持った特殊能力に感謝、ってところだ。ともかくひと仕事――仕事なんかじゃねぇが――終えた後は一服だ。懐から煙草を取り出して咥える。煙草に火をつけるためだけに覚えた簡易魔法を使って、指先に火の玉を出すと、煙草の先っちょにそれを当ててから、深く息を吸い込んだ。紫煙を肺いっぱいに取り込み、異常事態に沸騰していた脳味噌に冷水をかける。


「ふーっ」


 紫煙が口から吐き出され、大人二人ぐらいがギリギリ横になれるサイズのねぐらが煙る。ガキがいっちょ前に、「ゴホ、ゴホ」とか、咳き込みやがるもんで、ちょっとばかし癇に障ったが、それに目くじらを立てるほど俺も大人気なくはない。


「で?」


「……はい」


「何しやがったんだ?」


 あの追手の数は尋常じゃない。異常だ。どんな悪事を犯せばあれだけの人間に付け狙われることになるのか、想像もつかない。


「……何も」


「何もだぁ? こちとらお前に付き合わされて、一歩間違えりゃゲームオーバーだったんだぞ? 本当のことを喋れ」


「なにもやってない!」


 思わず大声になるガキに、俺は本日三度目の舌打ちをかます。


「静かにしやがれ。防音までは気を使ってねぇんだ」


「あ、ご、ごめんなさい」


 もういっちょ煙草を咥えて、ひと吸い。ふぅ、美味い。ひと仕事終えた後の一服はやっぱり美味い。ってもただ巻き込まれただけってのが癪なところではあるが。


 俺は険のある目つきを心がけて、ガキを睨みつける。こういうモノをわかってねぇガキには、大人がちゃんと教えてやらにゃいかんのだ。その大人ってのがチンケな盗人だってのが、笑い話にもなりゃしねぇがな。はっはっは。


「とにかく。そのフード、取れ」


「え?」


「聞こえなかったのか? 顔見せろって言ってんだよ」


「ちょっとそれは……」


 煮え切らないガキの様子に、俺は業を煮やして、無理やりフードを剥ぎ取った。


「……は?」


 驚いた。あぁ驚いたさ。


 既に吟遊詩人が詩にして、芸術人が肖像画まで書いてる、そんな人物。今、このタイミングでそんな存在なんて一人しかいねぇ。


「他人の空似ってわけじゃねぇよな……。何やってんだよ……勇者サマよぉ」


 黒い髪の毛を短めに切りそろえて、額に何やらご利益のありそうなサークレットを着けた「勇者」、今話題沸騰中の人物が目の前にいた。


「私にも……何がなんだか」


 「私」なんて高尚な一人称を使い始めた勇者サマに、眉をひそめる。ご立派な人間は自分のこともご立派に呼ぶもんか、と思った。勿論口にゃださないが。


「……一晩だ。面倒ごとは御免だ。明日の朝には出ていけ」


「はい……」


「その格好は目立つ。俺のボロをやるから、それを着て出ていけ。顔が小綺麗なのが不審に思われるが、それでもその『怪しんでください』って喧伝して回ってるような格好よりゃましだ」


 割りに合わない。心の底からガラじゃないことをしている自覚はあった。


 だけどな、それでもここまでしてやったんだ。もらうものはもらわにゃいかん。こちとら日銭を稼ぐのにどれだけ苦労してると思ってんだ。


「そのマントの下の服と鎧。あとサークレット。それで勘弁してやる」


 背中に背負ったいかにも名剣丸出しの長物については勘弁してやった。それがなきゃ、これから一人で逃げるなんてできねぇだろうからな。


「え?」


 勇者サマが「何を言われているのか分からない」、そんな顔で俺を不思議そうに見つめる。なんなら小首まで傾げている。こいつにはどうやら直接、はっきりきっぱり言わなきゃ伝わらないらしい。


「い、い、か、ら、脱げってんだよ」


 我慢の限界に達した俺は、力任せにマントを剥ぎ取ると、その下の薄い鎧やら、服やらを無理やり脱がせようと引っ張り始めた。


「や、やめ」


 ガキが抗議の声を上げるが知ったことか。これを売ればいくらになるか。どうせ足元見られて二束三文にしかなりゃしないが、ないよりあったほうがマシだ。


 何やら抵抗しているが、そんなことは知ったこっちゃない。明日生きていくにもやっとなんだ。因果応報。俺に助けてもらった自分の不運を恨むんだな。


「わ、わかった。自分でする、だから……」


「お、話がわかるじゃねぇか。さっさと脱げ」


 俺のその言葉に、なにやら顔を真っ赤にし始める勇者サマ。男のくせに服一つも脱げねぇとはいい根性してやがる。


「ほれ、さっさと」


「こ、心の準備が」


 なにやらボソボソと呟いているが、俺の耳には何も届かなかった。


「はぁ?」


 どうあっても逃がす気はない。そんな俺の表情を見て、ようやく諦めがついたのか、ガキが鎧をゆっくりと取り外していく。カチャリ、カチャリ、と狭い部屋に鎧が外される音が響き渡る。


 しかし、こんなうっすい鎧で、どうやって魔王とやらを倒したんだか。売っても二束三文にすらならねぇだろうな、とぼんやりと見つめる。


 鎧を脱ぎ終わると、いかにも上等そうな生地の服がその中から姿を表した。こっちはちょっとばかし高く売れそうだな。ゲン爺の野郎が足元見てこなきゃいいが。


「そ、そっち向いてて」


「あ? 馬鹿じゃねぇのか? その間に逃げられたら、こっちも商売上がったりなんだよ。いいから脱げ」


「で、でも」


 ぷつり、と音が聞こえた、気がした。俺の堪忍袋の緒が切れる音だ。


「いいから、脱げ」


 すぽーんと、その上等そうな服を勇者サマから剥ぎ取る。


 そこで、俺は本日二度目の驚愕に目を見開くことになるのだった。


「お前……」


 女だったのか。そのセリフは言葉にならなかった。顔を真っ赤にした勇者サマが胸を両腕で隠しながら涙目で俺をじとりと睨みつけていたからだ。


 仕方ねぇだろ。胸もねぇ、髪も中性的、身長は少し小さいかなとは感じるが、女としては比較的高め。勘違いしてもしょうがねぇじゃねぇか。


 そう、魔王を単身で打倒した、「勇者サマ」は、まだ十代半ばの少女だった。それだけだ。たったそれだけの話だ。


 だが、俺の人生の転機がこの瞬間だったことがわかるのは、今じゃなく随分と先のことだった。

おっさんミーツガール(貧乳美少女勇者)。

始まり始まりです。


例によって、よわよわ主人公とつよつよヒロインの物語です。


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[良い点] たまらなく読みやすい。たまらなく好きです! そっか、女の子だったのか勇者ちゃん……! 主人公の驚いた顔が目に浮かびます……(*'▽'*)
[良い点] 第一話が面白いのはだいたい面白いです 期待してます!
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