表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/39

第一番歌:野守は見ずや ふみか手を振る(三)

     三

 先生に連れられ、道路をA・B号棟側へ渡ってすぐの場所まで来た。そこは、網で囲まれた運動場。使われるのは、体育系科目か、昼休みぐらいだけれど、三人で貸し切るには、とても広すぎた。

「ふみかレッド、ゆうひイエロー、位置につきなさい」

 まゆみ先生が手を振って、決まった地点へ移動させた。

「日本文学をよおく知ってもらうには、私たちが正しく、心こめて読みあげなければいけません。今からその練習をしてもらうわよ」

 ゆうひイエローと目を合わせて、今の言葉を反芻する。日本文学を読む練習かあ。ですが、なぜに運動場の中心で行うんですか?

「本番に近い状況がいいと思って。文学PRは原則、外で行うの。教室に閉じこもって読んでいたって、勉強会と変わりないでしょ。だだっ広い所で、思いっきり文学を声に出す! それが基本よ」

 左様でございますか。まゆみ先生の目に、炎が燃えさかっている。もう止められないみたいだね……。

「今回、声に出してもらう日本文学は『(まん)葉集(ようしゅう)』巻一、二十・二十一番歌。去年の講義でやったけど、覚えてるかしら?」

「え、えーと」

 いけない。番号で言われて頭の中が「?」だらけになった。上の句を聞けば思い出せるんだけれど……。

 去年の記憶を急いで巻き戻しはじめた時、傍らの友人がメガネを軽く上げながら、「『天皇(すめらみこと)()生野(まふの)遊猟(みかり)(たま)ひし時額田王(ぬかたのおおきみ)の作れる歌』と『皇太子(ひつぎのみこ)の答へませる歌』ですね。あかねさす、とむらさきの、でそれぞれ始まる」

 あー、そう、それだ!イエローの確かな記憶力のおかげで、やっと思い出せたよ。額田王と大海人(おほあまの)皇子(わうじ)の、紫を詠んだ歌だ。

「正解! じゃあ、二十番をふみかレッド、二十一番をゆうひイエローに詠んでもらうわね。では、始めましょ!」

 まゆみ先生の弾んだ声で、日本文学課外研究部隊の活動が幕を開けたのだった。



「あかねさす (むらさき)()行き (しめ)()行き ()(もり)は見ずや 君が袖振るー!」

「紫の にほへる(いも)を にくくあらば 人妻ゆえに あれ恋ひめやもぉ!」

 さびしいくらい広々とした運動場で、一斉に朗詠した。中学校の体育でも、似たことさせられたっけ。のどがかれるまで校歌を歌ったり、好きな人の名前を叫んだり。大声を出すって、かなりエネルギーがいるんだよなあ。さて、いかがでしょうか。

「こらあー、ぜんっぜん届いてないわよ! おなかから声出してる? 情景もうかべてないでしょ、やり直し!!」

 運動場の端から、鼓膜が破れそうなほどのダメ出しが返ってきた。あの細い体のどこから出ているのだろうか。ええい、次こそは!

「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振るー!!」

「紫の にほへる妹を にくくあらば 人妻ゆえに あれ恋ひめやもぉー!!」

 先ほどの指摘を参考にやってみた。イエローの顔がもう真っ赤になっている。お互いに普段、声を張り上げないから、遠くへ飛ばすのは正直、とてもしんどい。

 しびれる頬をおさえて、相手の気色をうかがった。顧問は腕を組み、ゆっくりうなずいて、

「まともに聞こえるようになったわね。だけど、大声ばっかり出しても、誰かの心に届かないとダメなの! もう一度!」

 人差し指で「一」のサインを送るまゆみ先生。講義の時よりいみじく厳しいんですけど……。

「声が落ちている、やり直し!」

「うそくさい言葉はいらないわ、はい次!」

「私にだけ届いても意味ないでしょ、出直しなさい」

「惜しいわねー、標野がまだぼんやりしている。もっと額田王と大海人皇子の世界に入り込んでみて」

 詠むたびに顧問の厳しい評価が返ってくる。初めは「どうせ素人ですよ」と卑屈な態度を見せていたが、数を重ねると、顧問に応えてみせたい、負けたくない気持ちに変わりつつあった。

 日がすっかり西へ大きく傾き、学内から人気が無くなってゆく。それでも、私たちは構わずに朗詠を続けていた。

「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る!!」

「紫の にほへる妹を にくくあらば 人妻ゆえに あれ恋ひめやも!!」

 何回詠んだのか全然覚えていない。のどや腹筋の痛みなど、もう忘れてしまった。ただ歌に込められた思い、詠まれた景色を声と共にどこかへ飛ばすことだけを考えていた。まだ日本文学を読んだことのない人のため、日本文学の素敵なところを知らない人のために。

「あなた達…………」

 まゆみ先生が、驚いて二の句がつげなくなっている。腕をわなわな震わせて、そのまま、私たちへと爆走しはじめた!

「え、え、え」

「はわわわわ、安達太良先生!?」

 逆鱗にふれちゃった!?砂煙をあげてやって来た先生を前に、思わず目をつぶりそうになると……。

「良し!!」

 予想外にも親指を立てて、太陽のごとき笑みをくださった。

「やっぱり、あなた達を選んで大正解だったわ! 最初は声を張り上げてやっとだったのに、心にじんじんくるまでに進歩して。私、『優』付けてあげたい!」

 ハイタッチを求められ、流れのままに手を挙げる。ふれた先生の指先が、ほんのり温かかった。

「そんなぁ、まだまだですよぉ」

 恥ずかしそうにメガネを上げ下ろしするイエロー。その隣でうなずいてみたけれど、先生はかなり上機嫌なようで……。

「いいスタートを切れて、嬉しい限りよ。第二十、二十一番歌も喜んでいるわ! 若くて才能あるあなた達の声が、萬葉の魂を呼び覚ましてくれた!!」

 感極まったか、あちらこちらへ舞い踊りはじめた。そんなに素晴らしかったんですか。

「景色がここまで現れてくるのよ。標野で袖をふるいけない君に、恋に落とさせるあぶない人妻の妹、そして紫……。古の歌が今ここでよみがえっている、最高じゃない!!」

 最高じゃない、の「い」の響きがちょうど止んだ頃、地面が小刻みに揺れ動いた!

「な、何!?」

「ふええええええ!」

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!低いうなりをあげて、運動場が上下に震える。立っていられないわけでもないが、振動が足から膝へ伝わって気持ちが悪い。

「ごめん、レッド。うちの記憶違いかもしれへんけど」

 がたつくメガネを必死におさえながら、私に訊ねた。

「今日て、雲の量あんなに多なかったやんなぁ?」

 え、雲? イエローに促され、空を見上げる。なんと驚くことに、私たちがいる場所に雲が集まっていた。

「色もおかしいんやわ。白だけやねん。ほんまやともう少し黒っぽいやろ」

 そうだなあ、どこをとっても白だね。もはや光の加減を無視しているとしか言えない。奇妙な雲はますます増えて空を占拠し、他の色を寄せ付けなくした。同時に、運動場の揺れがおさまってくれて良かったのだけれど、

「あれま、グラウンドが標野(しめの)になってるわぁ……!」

 殺風景から打って変わって、見渡す限り緑にあふれていた。

「先生の仰る通り、情景が見えてくるんやねぇ」

「いやいやいや、ありえないよ」

 思わずツッコんでしまった。和歌を詠んだだけで運動場があっという間に野原になるなんて、おかしいよ。手品でも大がかりすぎる。

「やけど、現に草生えてるやんかぁ!」

 イエローが飛びはねながら叫ぶ。

「普通こんなところに生えたりしないよ」

「じゃあレッドは嘘や思てるん? ほんまやのに」

「嘘というか、悪い夢だと思う」

「夢なら、つねってみ。絶対痛なるわぁ」

 ほら、と頬をさしだしてきた。頑固だなあ、もう。

「わかった、やるよやりますから。はい」

 白くて柔らかいイエローの頬をつまみかけた寸前、

「そこで何をしている!」

『!?』

 どこからともなく、古風な恰好をしたおじさんが現れた。襟、帯の結び方からして、飛鳥・奈良時代か。まゆみ先生の講義で使った資料で見たものと一緒だ。

「ここは許された者だけが入れる場だ。見知らぬ女どもよ、いづくより来たのだ」

装束だけでなく、言葉づかいまで古めかしい。胸当てを付けて、槍まで持っている。しかも、ごつごつした体つき。…………ということは、

「レッド、この人てまさか」

()(もり)だ」

「歌から飛びだしたんやろか」

「う、うーん…………」

「余計な話をするな!」

 小声でひっそり話したつもりが、丸聞こえだったらしい。うう、ものすごい剣幕でにらみつけている。

「お前たち、いづくより来たのか答えよ! 答えねば……」

 手にしている槍で、自身の周りに生えている草を薙ぎ払った。その切っ先に触れた草は、やすやすと四分、八分に裂かれてしまった。

「ひええええええ」

 無残に切り刻まれた草を見て、イエローがひどくおびえた。

「怖くない、怖くないよ」

 びくびくするイエローを撫でて、黙って野守をにらみ返す。引っかかってはいけない。単なる脅しだ。

「言わぬのなら、捕えて吐かせるまで」

 槍を構えて、少しずつこちらへ近づいてくる。完全に侵入者扱いみたいだね。

「ふえええ、ええと、逃げず・逃げて・逃ぐ・逃ぐるとき・逃ぐればぁ……」

「逃げよう!」

 活用変化させている場合じゃない。とにかく足を動かさなきゃ! 私はイエローの手を引き、野守に背を向けて駆け出した。

     

    






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ