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第六番歌:アダタラマユミの白猪征伐(四-二)










 どこに来たんだろう。氷の雨が止んでいる。空だって、濁った白から、澄みきった白に変わっている。

「私……は」

 あんまり考えたくもなかったけれど、私、生涯を終えてしまったのかな。だって、さっきまで屋上で戦っていたんだよ。激しい攻撃に傷ついて、目覚めたらいきなりこんな所にひとりだなんて。

 天から、ひらりひらりと何かが降ってくる。手を伸ばし、そのうちのひとひらをつかまえる。丸みを帯びたやや大きめの花びらだ。派手じゃなく、だからといって存在感が薄いわけじゃない赤。控えめに美しいその花の名前は、私の好きなものだった。

「椿」

 花が落ちる様子を、首が取れるのを連想するので士族や病気の人には忌み嫌われているが、私はそれでもこの花を気に入っていた。母方の祖母が、ちりめん生地で作ってくれたお手玉が、椿をかたどっていて、かわいらしかったからだ。

「まったくもって、ニクい演出してくれるよね」

 仏様か神様か存じ上げませんけど、あの世への旅立ちを飾る花に、好きな花を選んでくれてありがとうございます。……いやいやいや、えっ、私、本当に人生終わっちゃったの? う、嘘だよ。冗談やめてってば。終わるには早すぎる。せめて、おばさんになってからお迎えに来てほしかったよ、うん。そんな、あほなこと―。

「そんな、あほなことないよ」

「!」

 突然、目の前に人が現れた。ううん、人というのはよそよそしい。私がいやというほどよく知っている、存在。だけれど、確かめようとしてしまう。こんな対面、ありえないもの。

「あなたは……?」

「私は、あなた。そして、あなたは、私」

 赤いヒロイン服を着た「あなた」は、堂々と笑って答えた。

「な、なんなのその言い方。禅問答じゃあるまいし」

「だって、本当のことだもの」

 違うよ。あなたは、ふみかレッドであって、ここに来た私は…………ただの大学生、大和ふみかなんだから。

「どこに違いがあるっていうの? 変身したって、中身は同じ大和ふみかでしょ」

「だから」

「だから、何なの? 続き言えないくせに」

「う」

 に、憎たらしい。本物の大和ふみかならね、こんな時は、遠慮して思うだけに留めておくんだよ。ずけずけと物を言う女子は、悪目立ちすることを知らないのか。

「心の中で言うだけ言うのって、卑怯だと思うけれど。まあ、それも『私』だからしかたないよね」

 うんうん、と満足した様子で、頭を縦振りするふみかレッド。次いで、右手を胸の前にあてて、こう言った。

「私もあなたも、大和ふみかなんだ。立ち居振る舞いが異なっていても、『私』なんだよ。他の人に誤解されて見られている私も、『私』だし」

「哲学を語る趣味なんて、なかったんだけれどもなあ」

「あれ? 私、哲学興味あるよ。そんなことより」

 ふみかレッドは、姿勢を正してまっすぐな目で私を見つめた。

「このまま終わっていいの? 負けたくないんだよね」

 変身前の格好に戻されていた私は、首元から下がったパーカーの紐を握りしめて、今の素直な気持ちを示した。

「うん。負けたくない。まゆみ先生を助けたいから」

「猪に勝つよりも、まゆみ先生を救うことが大事なんだよね」

「そうだよ。でも……全然、かなわなかった。私が、弱いから。ヒロインになれていないから」

「これから、なればいいんだ!」

 私の両肩をぐっとつかんで、ふみかレッドはまた堂々とした笑いをした。もうひとりの私には、絶望なんかひとかけらも持っていない。危機だなんてまったくもって思っていない。無謀を通り越した希望に満ち満ちている。

「あなたは、ううん、私は強い。まゆみ先生を助けたい気持ちと、負けたくない思いが何よりの証。地味で目立たず生きたい、雑草ヒロイン! そんなんでもいいじゃない。なろうよ、ヒロインに。勝負は、これからなんだから!」

 どうして、私はこんなにも力がわいてくるんだろう。活気があふれてくるんだろう。赤いヒロインのくれる励ましが、私をもう一度立ち上がらせる。立ち上がらずにはいられなくなるんだ。

「ありがと、ふみかレッド、いや私」

 勇敢なる雑草ヒロインを抱きしめて、大和ふみかは戦場に返り咲くための一節を口ずさんだ。

「さあ、ヒロインになろう!」

 椿の花弁が大和ふみかの周囲を激しく回り、赤い嵐と化す。気取らない情熱の色が吹き止むと、中からひとりの戦士が生まれていた。

 赤―正確には緋色の衣をその身にまといしヒロインは、手を高くかかげて、空を破り、差してきた光に吸い込まれて、白き空間から姿を消した。






 横たわる五人の戦士に、解かされた雨が(したた)る。白猪の水晶のような目が、娘子の寝顔を閉じ込めていた。

【他者のために、戦う者よ】

 いつの世も人間(ひと)は、他者との関わりで生き(ながら)えてきた。自ら立ちて歩くことも、考えることも知らなき無の状態に、人と人とのつながりを通じ「我」が芽生える。「我」を持つと、他者の中に自身が在ることを示し、他者と遊び、学び、競い、想いあう。「我」があるゆえに、他者を顧みず、自身のみの利を求め、争い、貶めあう。

 或る神が、人間(ひと)に見切りをつけ「我」を抜きとらんと息巻いた。其れに対し「待て」と請うた神が在った。この地……空満に()す、弓と文学を司るアヅサユミであった。

  信じやう、人を、人の「我」すなはち「心」を

 アヅサユミの詠唱により、憤る神は鎮まり、人間(ひと)の世は続けられた。アヅサユミは、人と共に生き、アダタラの家を築く。現代にも名は残り、遂に祖と語らへる子孫マユミが現れた。マユミの行いは、人間(ひと)がすまじきこと。アヅサユミは人を信じ過ぎた。ゆえに、マユミは「引く」力を手にしてしまった。此処(ここ)に集ひし娘子(むすめご)は、アダタラマユミが引いた人間(ひと)。アヅサユミの子孫が選んだ人間(ひと)は、今の世には少なき、他者のために身を(ささ)げ、他者のためなら吾との戦にも怖じぬ「我」を持つ者であった。久しく、戦いの日をゆかしく思えたものだ。だが、吾が雨を受けて、心身がすり減ったらしい。潮時来たれり、か。

【娘子の物語は、終わりける】

 アヅサユミよ、恨むな、末裔の過ちを沙汰せん。娘子よ、怨むな、勝負のけりはつい―

「やまとは国のまほろば」

 うつぶしていた緋色の装束の娘が、ずぶ濡れの頭をがくがくさせつつも上げていた。

「たたなづくううう、青垣いいい、(やま)(ごも)れるううう」

 歯を食いしばり、両の肘を浮かせ、手を、膝を、順に床につけて、

「やまとしいいいい、うるはし!!」

 しゃがんだ体勢を、地から引き剥がすように、緋色の娘は起き上がった。

「……まだ、終わってなんかいない!」

【ふみかレッド】

「このけりは、私たちが…………つける!」

 呼吸が荒い。立っているのでやっと。なにゆえ、そこまでして戦おうとする。

(なんじ)のみで、何ができよう】

「…………源氏見ざる歌詠みは、遺恨の事なり……です」

「花は盛りに……、月は隈なきをのみ見るものかは……っ!」

 露草色の装束を召した背が高い娘と、小さく(いは)けない常磐色の装束の娘が、肩を組み互いを支えながら身を起こしていた。

【いおんブルー、はなびグリーン】

「……言草の すずろにたまる 玉勝間 つみてこころを 野べのすさびに」

「清水ヘ祇園ヲヨギル桜月夜…………今宵逢ウ人ミナ美シキっス……」

 ややふくよかな蒲公英色の装束の眼鏡娘、撫子色の装束を召す整った体型の黒髪娘も、怪我をこらえながら立て直していた。

【ゆうひイエロー、もえこピンク】

 なにゆえ、弱った姿でも吾に挑みにかかるのか。娘子の心が折れておらぬといふのか。

「まゆみ先生のために、負けていられないから」

「まゆみさんに、助けられた、だから、お返しする……です」

「罪があるっつっても、一切衆生、救ってやるのがヒロインってもんよ!」

「今日までの努力を、明日へ実らせるんや」

「愛シの司令官(コマンダー)アッてこソノ『スーパーヒロインズ!』デスからネ☆」

 みすぼらしくとも、心は錦を凌駕する(たふと)さよ。誉めるには惜しき、五色五人の娘子。山神は、えも言われぬ昂ぶりに躍らされた。

【ならば応えむ、最後の一撃にて!】

 後ろ足を蹴り蹴り、助走をつける白き猪。ヒロインズは当然、全ての力を込めて一撃には一撃で対抗する。

「おい、どーすんだ。あたしらの必殺技を一斉にかますかっ?」

「ソレだト、五撃デスよみどりん。ヤっぱコラボ技っスな、全員コラボ」

「考える時間、足りない……」

「レッド、結末のアイデアを!」

 猪は助走で飛沫をあげ続ける。あちらも手抜きは一切なしだ。(ヤマト)(タケルノ)(ミコト)の英雄譚は、白猪を山神の使いだと勘違いして威嚇をしたため、終幕の道をたどることとなってしまった。神様だもの、人間ではどうにもならない強さだって分かっている。だけれど、この相手を越えていかなければ、私たちはすさまじく後悔する。倭建命は勝てなかったが、私たちは負けない。この物語の結末は、日本文学課外研究部隊が作るんだ!

「皆で、けりつけるよ!」

 円く陣を作り、レッドはたったひと言だけ、作戦を伝えた。四人は、得心して隊列を組む。中央は隊長のレッド、レッドから見て左隣はイエロー、右隣はブルー、左端はピンク、右端はグリーンの横並びだ。各自の武器、小型花火「時分(じぶん)の花」を持ち、「麗しのカムパネルラ」を握り、空気弾ピストル「(おき)青波(あおなみ)」を構え、「結び玉の緒」をたなびかせ、「ことのはじき」を手のひらに乗せる。

【来い!】

 巨体を前へ傾け、信じられない速さで駆ける白猪に、ヒロインズは結末に相応しいとどめを放ちにゆく。

「やまと歌は天地を」「世の中を」「秘めた花を」「疑いを」「アツき血潮ヲ」

『何だって動かせる!』

「ふみか!」「いおん……!」「はなびっ!」「ゆうひ!」「もえこ☆」

『まほろばコンクルージオン!!』

 赤い閃撃(シュート)が直線を書き、青い砲撃(キャノン)が気流を発生させ、緑の爆撃(ボンバー)が炎の翼を広げ、黄色い(ジャッジ)(メント)が確かな骨組みを作り、桃色の装撃(チェンジ)が輝きの飾りを施し、五色の光が集って完成したのは、無垢なる色の大きな鳥であった。

【見事なり、娘子よ、吾はいと嬉し】

 山の神の突進と、ヒロインズの飛翔が()り合い、他の彩りを排した、真っ白な光が空と研究棟に満ちて、陰影はおろか、輪郭までも除いていた。




 暗かった曇天(くもりぞら)も、厳しき雨水(あまみず)も、過ぎ去った。午後の蒼々とした空が、大学構内をはじめとした空満一帯に展開されている。

「た、倒せたの……? 倒せたんだよね……?」

「せやんな、山の神様くたくたになってはるもん」

 微動だにしなかった大物の白猪が、横になって転んでいた。聖なる牙には、若干の欠けや焦げ跡がみられ、四つある足は、しどけなくぶら下がっている。

「まゆみ、意識回復すんだよなっ!? 往生しねえんだよなっ!?」

 ブルーにかつがれたグリーンが、落ち着きなさげに訊ねた。動きやすさを重視した格好のため最も損傷が激しかったが、気合いで持ちこたえていたらしい。

【―左様(さよう)、約束は(たが)はぬ】

 聞く側が望む声に語らせる音が、猪より流れる。永久に解けることのない氷のような目玉だけが、ぎょろりと動き、ヒロインズを見据えていた。

「生きていた……ですか」

「神サマは、朽チヌ滅ビヌ衰エヌなんスよ、青センパイ」

 豚の典型的な鳴き声がした。豚、はいささか語弊が有るか。人間に討たれても、家畜に成り下がったわけではないのだから。神様も娯楽をたしなんでいるし、もじりにおかしさを感じてしまうところだってあるのだ。

【じきに眠りが覚める、行け、娘子よ】

 あくびをして、そこから漂った靄がヒロインズをくるんだ。戦闘でついた傷が癒え、衣服が洗われたように清められ、擦り切れやほころびが繕われていった。

【せめてもの寿(ことほ)ぎ、乙女に(けが)れは似合はぬ―】

 音声はぼんやりした調子になり、受信が外れたみたいにかすれ、途切れた。陽射しがかかったのを合図に、白猪は形と色を限りなく薄くして、何も残さず人の世を離れた。

 ふみかレッドは、手強かった相手に敬いとありがとうの思いを、いつも読み終えた本にかけている言葉にして伝えた。

「また、会おうね」














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