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第六番歌:アダタラマユミの白猪征伐(序)

     序

 その屋敷は、(そら)(みつ)市でもっとも古く、とてつもなく大きくて広かった。そこで暮らしている一族は、かつて神に仕え、(まじな)いをもってこの地を支えることを生業としていた。家紋は、藤の花と弓矢。始祖は、弓と文学の神だといわれているが、一族の者は笑って「先祖が神様とは畏れ多い。我々は、至って普通の人間の家ですよ」と返すのが常だとか。

 屋敷の最奥部は、長らく当主の部屋とされてきたが、生き方を自由に選べる現代に、当主の名のもとに家の者が従う方式はあまりにも時流に遅れているということで、居間として扱うようになった。

 家族がくつろぐ温かな空間のはずが、この日は冷たく、雑談は許されぬ場と化していた。弓矢の一族の父が、蒼白な顔で床に伏せっている。傍らには、とうに成人した娘がひとり、正座をして涙をこらえていた。

「……おまえは、人として行ってはならぬことをした」

 父が娘に説教を始める。ありし日の熱気ある声音が、これほどまでに弱々しくなっていようとは。

「一度、黄泉に旅立った者を、現世に引き戻してはならぬ……。命には遅かれ早かれ、終わりがあり、それにはいかに力を尽くしても逆らえぬこと、おまえには度々教えてきたものだ。分かるな」

「はい……」

 娘がやっと、口を開いた。先ほどまで、決して(むせ)ばないようひたすら黙って耐えてきた。しかし、親の言葉に対して沈黙を貫くのは、子にあるまじきことだと彼女は、自身の根っこの部分にある信念にしたがったのである。

「そうならば、なぜ」

「お父様がいなくなると、皆が寂しく、この家が真っ暗になるからですわ!」

 泣きそうになるのを、己の膝を叩いて留め娘は叫んだ。

「私は、お母様達の笑顔が続くように、お父様を蘇らせたのです! お父様だって、まだまだ長生きされるのを望まれていますわ。研究の道を、これからも進んでゆきたいと仰っていたではありませんの!?」

 命の灯火を無理やりつけられた父は、娘の言い分を切なそうに聞いていた。この子は、優しい。親として喜ばしいものだったが、優しいがゆえに暴走させてしまったことに、早く止めてやれば良かったと悔いてもいた。

「私は、私は、皆が幸せになれると思って…………!」

「……もう良い」

「お父様」

「おまえの気持ちは、ありがたかった。誇りに思う……。だが、いかねばならぬ。黄泉へ帰ろう」

 まぶたを閉じゆく父に、素早く娘は立ち上がり、親の手をかたく握った。

「お父様! おやめください! いや、行かないで!」

 彼女の願いは、届くことはなかった。父の手は、また冷たく、拍動もせず…………。

【黄泉へ、旅立ちき。口惜しきことなり】

 何もなきところに、深く実りある声が響いた。娘は、なんだ近くにいたのか、というような風にそれに応じた。

「そうね……。いみじく口惜しいわ…………」

(なんじ)、胸痛しや】

「ええ、できるなら、この咎を忘れてしまいたい。咎に至ったいきさつまでも」

【さやうか。いざ、汝がおもひで、うち払はむ】

 天井より、細長い布が垂らされる。この世のものではない糸で、この世のものではない方法で織られた、白き布。娘を暗く重い部屋から雲の上へ解き放とうとするかのように、彼女の手元まで降りてきた。

「ありがとう、アヅサユミ」

 娘は、白妙をがしっとつかみ、身も心も「アヅサユミ」に委ねた―。







「あんたどうしたの? 目赤くして」

 神無月も終わりを迎えつつある、ちょっと肌寒い朝。昨日の夕食で主役を飾った、豚汁の残りをすすっていたところに、母がしゃべりかけてきた。

「べ、別に、何にもないんですけど」

 向かいで身を乗り出す母そっちのけで、私は朝ごはんに専念した。

 二日目の豚汁は、ねぎ抜きに限る。朝からにおいのきつい物を口にするのは、嫁入り前(うーん、そもそも嫁に行けるのかな私。異性との付き合い皆無だし)の乙女として許すわけにはいかない。ああ、おいしい。こんにゃくの表面につけられた網目の切り込みが、かつおだしのきいたお味噌汁に絶妙にしみて、舌を楽しませてくれる。

「へえー。何にもない、ね」

 やけに大きな音量で言ってきたので、母を見てやると、すさまじくいぶかしげな顔をしていて、噴き出しそうになった。う、諦めていなかったか。主婦の執念って、怖いよなあ。

「ふみかの『別に、何にもないんですけど』は、『何かあるんですよ』なの。二十年親やってるんだ、なめんじゃないわよ」

 さ、吐いた吐いた、と手をぱたぱた振る母。ちょっと、今吐いたらごぼうまで「おはよう」してくるから、熱いのを我慢していったん豚汁を飲み込んでから白状した。

「変な夢、見たの」

 チン! トースターが頃合いを見計らっていたかのように鳴る。食パンが焼けたのを知らせるだけの音に、ニクいやつだなあと思える日が来るなんてね。

 待った、豚汁には米飯だろう。って突っ込みたくなるだろうが、そこは弁明させてください。我が家は、父が「朝食は必ずパンを食べる」主義でして、それを律儀に家族が合わせている(父の威厳を保つために内緒にしているけれど、実のところ、朝っぱらからご飯を炊くのが面倒だから、たまたまパンを主食にしているだけなんだ)ため、本日みたいに和洋折衷な献立になってしまうのだ。

「変な夢にしちゃあ、全米が泣いたような有様じゃないの。超感動スペクタクルってところ?」

 きつね色に焼き上がったマーガリントーストを受け取り、私は、「う」と「え」が混ざった発音でうなった。

「い、いや……起きたらこうなってたの。全部覚えてたら、どこが落としどころだったか分かるけれど」

「じゃ、断片を教えなさいよ。大事な娘を泣かせたんだから、母が聞かないわけにはいかんでしょ」

「ええー」

 変な夢を見た→ああそうだったの、で完結できるほど、母・大和歌子は甘っちょろい人物ではない。なんてすさまじい好奇心だよ。私には受け継がれなかったのは、残念だったけれどもね。はあ、教えますよ教えればいいんでしょ、教えるよ。


 トーストと豚汁を余さず残さずきれいにいただくのと並行しながら、夢の内容を話した。夢というのは、見ている人が主人公じゃありませんか。特別な能力を使えたり、自分じゃないものになっていたり。でも、あの夢での私は、観客だった。誰かの夢に迷いこんじゃったのかなって。

 昔の話……とでもいおうか。十二単とかちょんまげとかそこまで離れてはいない。母が青春を謳っていたであろう時代だと思う。日本家屋が舞台だったんだ。立派なお家、たまに一般公開される、なんとか家住宅みたいな格式ある後世に残すべきお宅だった。そこに、布団で眠る人と、礼儀正しく座っている若い女の人がいた。

「おまえは……をした」「いや、行かないで!」「お父様ー!!」「汝がおもひで、うち払はむ」

は印象に残っている。これで、お昼寝をしている家族を見守っている風景だと受け取れたら、どれだけ幸せだろう。どう考えても「悲劇」にしか読めないよ。

 若い女の人の、泣きたいけれど泣くものかという強くてもろそうな面差し、全ての色を否定したような真っ黒なワンピース。それは、はっきり覚えている。あと、合間に差し込まれる、白い猪の顔。私をじっと見ていた、大写しの獣の顔。私を試しているかのようだった。

 女の人は、初めて会ったはずだけれど、もう何度も会っている感じがして、すっきりしなかった。猪は……いつか遭遇するんじゃないだろうか、という説明しがたい予感を抱いた。


「なかなかドラマチックじゃんか。うまくつなぎ合わせて適当に話練っとけば、年末特番で高視聴率取れそうだわ」

「私に文才があればね」

 親子揃って、沸いたばかりのほうじ茶に口を付ける。

「ごちそうさまでした」

「おそまつさまでした」

 大和家は、家事は持ち回りの当番制をしいている。今週の食器洗いは私なのだが、朝ごはんの時のみ、母が代わってくれるんだ。登校の身支度があるため、免除されているというわけ。なので、今は食器を台所に運ぶだけでいい。あ、すみませんがお洗濯は枕カバー追加でお願いします。びっしょびしょで自然乾燥でどうにかできないんですよ。

「そのお嬢さん、助けてあげられるといいわねえ」

「ちょっ……」

 母は、困ったような、笑ったような、悲しいような、なんだか複雑な表情を向けていた。児童文学担当の編集者の妻だけあって、想像力と感受性がたいそう豊かなのは二十年娘をやっていて充分知っている。でも、そんな顔されたら「あくまで夢の中での出来事なんだから勘弁してよ」と軽く流せないじゃないか。

「ほら、あんた前に読んでいた『五色五人女(ごしょくごにんおんな)』みたいにさ、困っている人に手を差しのべるヒロインになって、ふみかが助けてあげればいいんだよ。最近入ったサークルの服着たら、あんたもいっぱしのスーパーヒロイン!」

「ヒロイン…………ね」

 私は、ヒロインになれているんだろうか。ふと、自分に問いかけていた。舌にトーストの焦げの部分が残っていて、ざらつく。そして、ほろ苦かった。

「ふみか」

 洗面所へ行こうとしたのを止められ、振り返る。今にもうれし涙を流すんじゃないかという母の顔があった。母君というのは、感情を表現するのも忙しいらしい。

「あんたは、元気な上に負けず嫌いで、人の痛みをわかる女性に育ってくれた。世界一のスーパーヒロインよ。誰かを思いやれる心、いつまでも忘れないでいてね」

「……ありがと、お母さん」

 胸の奥が、柔らかい紙ごしにきゅっとつままれたような感じがした。日頃お小言ばっかりしといて、時に不意打ちするなんて、ずるいよ。

 さあ、いい加減に出る準備しなくちゃ。一限から遅刻だと、格好がつかないからね。




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