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第一番歌:野守は見ずや ふみか手を振る(二)

    二

「今日はここまで。来週は引き続き、巻八を読むわよ。次までに一六〇六番歌と一六〇七番歌を確認してね。以上!」

 九十分より少しだけ早く、「上代文学研究D」が終わった。こんなこと、今日の大学ではめずらしいみたい。私が受けた講義の中で、最短は十五分。最長でも終了五分前には帰れたね。

「お疲れ様ぁー」

 夕陽ちゃんが歌うように声をかける。表情に暗さが消えていて、良かった。

山上憶良(やまのうえのおくら)の七夕詠んだ歌、うち好きになってもうたわ」

「うん、まゆみ先生が詠むとなおさら、だよね」

「そうなんやよ。歌に命を吹き込んでるように丁寧に詠んではるもんな」

 並んで階段を下りる。三限終わりのチャイムを皮切りに、だんだん人が増えてゆく。

「とてもきれいな声だから、寝そうになるんだ」

「わかるわぁ。ついうつむいて意識飛ぶんや」

「えー、夕陽ちゃんずっと起きてるよ」

「そんなことないで。うちもたまに寝てるんやよ」

「うそだあ」

 あれこれ喋っているうちに、二階と一階間の踊り場まできた。

「あ、ふみちゃん。今日はもう帰る?」

「うーん」

 どうしようかな。まっすぐ帰るか、大学図書館の別館で新着本を確認するか……。足を止めて、じっくり考えていると、

「あー、大和(やまと)さん、本居(もとおり)さん!!」

 後ろから、明るい声に呼び止められた。

「な、何ですか?」

 あわてて振り向くと、まゆみ先生が息を荒くして立っていた。

「よかったー、間にあって。終わったらすぐ声かけたかったのよ」

 袖をまくり、膝を押さえる先生。

「どないしはったんですかぁ?」

 夕陽ちゃんが、心配そうに訊ねた。さっさと教室を出た私たちを追ってまで、何の用があるのだろうか。

「あなた達、この後、空いてるかしら?」

「はあ……、もう帰るだけですけど」

 意外な質問をされて、拍子抜けしちゃったよ。でも、ふざけているわけではなさそうで…………。

「ねえ、今から研究棟の二〇三教室へ来てくれない?」

「は、はあ」

「大丈夫ですよぉ」

 先生に手を合わせてお願いされたら、断るにも断れなかった。

「ふふっ、ありがとう。ちょうど二人に協力してほしかったのよ」

 太陽のごときまぶしい笑顔で、私たちを先導した。


―この時点で、地味で目立たない生活から遠ざかっていたなんて、私は知る由もなかったのだった。


  

 研究棟とは、A・B号棟より北へ進み、道路を渡って左手に見える、直方体の建物。屋上を含めた五フロアの中に、先生の個人研究室や、文系学科の各共同研究室、学長室、会議室、事務局など(そら)(みつ)大学の主要な機関がおかれている。ちなみに、私たちが所属する日本文学国語学科は、二階を拠点としている。

 まゆみ先生の後について、二階をぐるぐるとめぐってゆく。研究棟に何度か行ったことはあるが、なぜか迷いそうになる。まっすぐ進むか、角を曲がるかの単純な構造と同じ部屋が延々と並ぶ空間が、かえって混乱させるんだ。

「はじめに、学科主任の先生にごあいさつしないとねー」

 早足で進みながら、まゆみ先生がつぶやいた。主任が出てくるとは、よほど重大な手伝いなのだろうか。

「主任て確か、(とき)(すすみ)先生ですよねぇ」

「そうよ」

 あわててカバンから学生手帳を出し、「学部長・学科主任・クラス担任表」の欄を開く……確かに、時進先生の名前が主任の一覧に載っている。

「あんまり、見た目と合ってないかも」

「なあに?」

「ふみちゃん、どないしたん?」

「あ、ううん、なんでもないよ」

 まゆみ先生と夕陽ちゃんが首をかしげる。ごめん、ただの独り言だよ。左より「日文共同研究室はこちら!」と書かれた看板が現れた。目指すべき教室は、その向かいだ。

 共同研究室と二〇三教室の間を、辞書を抱えてよろよろ行ったり来たりしている人が見えた。老眼鏡をかけた、小太りの男性。その人が誰なのか、私たちには言わずもがなだった。

「ごめんくださいませ、(とき)(すすみ)先生」 

「ああ、安達太良先生。戻ってこられましたか」

 まゆみ先生の話し方が変わった。でも、時進先生は気にせず穏やかな笑みを保ったまま、こちらへ歩み寄った。

「たいへんお待たせしましたわね」

「いえいえ、構いません。それで、このお二人が例の……?」

 かかとを上げて、時進先生が私たちを交互にながめる。

「ええ。本日より活動させていただきます『日本文学課外研究部隊』の隊員ですわ」

「そうですか。初めての活動、頑張ってくださいね。大和(やまと)ふみかさん、本居(もとおり)夕陽(ゆうひ)さん」

「あ、え…………は、はい」

「ありがとうございますぅ……」

 フルネームで呼ばれると、照れくさいです。もしかして、学科全員の顔と名前を覚えているのかな。恐るべし、主任。

「安達太良先生も、応援していますよ」

 優しげな視線が、まゆみ先生にも注がれた。

「身に余るお言葉、感謝いたしますわ。時進先生」

 花の色がかすんでしまうような笑みを浮かべて、深々とおじぎをした。

「さあ、始めるとしましょ」

 私たちに目配せして、まゆみ先生は二〇三教室のドアノブに手をかけたのだった。

 活動場所・二〇三教室は、なんの変哲もない小さな教室だった。長机が四台くっつけられて、その周りにパイプ椅子が適当に置かれている。壁に本棚がいくつか並び、片隅に流し台があるから、元は個人研究室だったと思われる。

「あの……、どういうことなんですか?」

 主任との挨拶を終えたところで、胸の内にためこんでいたものを一気に出した。

「課外活動なんて聞いてませんよ。というか、私たち隊員になった覚え、無いんですけど……」

 勝手に話を進められて、正直わけが分からない。最初からちゃんと話してくれたら、戸惑わずにすんだというのに。

「ごめんね。強引だったかもしれないけど、どうしても入ってほしかったのよ」

 落ち着きのある声色で、まゆみ先生がゆっくりと諭す。

「私のクラスであなた達だけが、課外活動に入っていなかったから」

 講義の時とはまた違った真剣な面持ちで、私と夕陽ちゃんを見すえた。いつか先生から声をかけられるんじゃないかと、びくびくしていた時期があったっけ。

 まゆみ先生が自分の担当学年だけでも、皆が課外活動に参加するよう力を尽くされていたことは学内で知られていた。人生で最後ともいえる学生生活を、悔いなく楽しく過ごしてほしい、と各学生の個性や能力に合った活動を斡旋していたらしい。勧められた学生は、参加してすぐに活躍しているようだ。

「二人の実力なら、隊員にふさわしいと思ったの」

「うち、そんな実力、ありませんよぉ……」

 おろおろするばかりだった夕陽ちゃんが、やっと口をきいた。夕陽ちゃんはともかく、私が隊員なんて、なれるわけない。

「あらー、自分の可能性を狭めてはもったいないわね」

 またいつもの調子に戻って、先生はビシッと指をさした。

「いい? よく聞きなさい。『日本文学課外研究部隊』には、大切な使命があるの。世界に誇れる日本文学を、講義以外でも読みとき、多くの人に広める! 簡単なようで、とても難しいわ。だからこそ、あなた達が必要なのよ」

 先生の力説に、黙って立ちつくすしかなかった。私たちに、使命を果たすことができるというの……?

「言ったところで、何をすべきかピンとこないわよね。だから」

 流し台横のロッカーより、ごそごそ何やら取り出した。

「まずは、これを」

『……!?』

 半ば押し付けるように渡された物は、目を覆いたくなるほど可愛らしい衣装だった。今から仮装大会でもするおつもりですか、先生。

「大和さん、本居さん、今からヒロインに変身しなさい」

 二人して目が点になった。ヒロインに変身? 新手の冗談にしては、きつすぎるんですけど……。

「ふふっ。『日本文学課外研究部隊』は表向きの名前に過ぎないわ。もうひとつの名は、『スーパーヒロインズ!』。日本文学を広める強い意志を持つ戦士なのよ!」

 興奮気味のようですが、えらく話が飛躍してませんか?

「そんな冷めた顔しないの。普通に、日本文学はいいですよ、て言っても影響が出ないものよ。何か異なる要素を持ち合わせていなきゃダメ。そ・こ・で、戦隊ものを取り入れてみたわけなのよ!!」

 さらに、拳を突き出して意気込んでいる。こんなに突っ走る人柄だったかなあ。誰でもいいから、まゆみ先生の傾向と対策を教えてください!

「そうなんですかぁ」

 夕陽ちゃん、そこでうっとりしないでよ。んもう、困った人たちだなあ。ため息をついて、いただいた服に目を落とすと、偶然にも私の好きな赤色だった。ついでに夕陽ちゃんの方もちらりと見た。……あれ?デザインは似ているが、あちらは黄色だ。

「色、決まっているんですか?」

 突然の質問に、先生は一瞬きょとんとした。

「ええ。普段身に着けている色に合わせてみたの。雰囲気も考えてね」

「スカートの丈も違うてますね。あらま、襟に結ぶリボンも」

「ふふっ、いい所に気づいてくれたわねー。個性が出ているでしょ」

 夕陽ちゃんが、衣装を広げてにこにこしながら眺めている。本当だ、私は蝶ネクタイで、夕陽ちゃんが黒紐のリボン。スカート丈は……私のがすごく短い。二十歳でミニスカートって、おかしくないですか?

「それじゃあ、変身してちょうだい」

 せめて丈だけを夕陽ちゃんと同じにしてほしい、など言う隙も与えず、命令が下った。

「わかりましたぁ」「は、はい」

「活動する時の返事は『ラジャー』でお願いね」

「ラジャー」「ラ、ラジャー」

 早速、制服に着替える……変身することになってしまった。今日は、分からないことだらけだよ。まあ、文句を言うよりやってみるしか、ないよね。


 まゆみ先生が用意してくださった衣装は、着心地が良く、適度なサイズだった。採寸された覚えはないのに、私たちのために作られたように思える。

「ふみちゃん、よう似合てるなぁ」

「え、そう? でも、夕陽ちゃんの方が」

 改めて、変身後の姿で対面した。ヒロインというか、流行りの、放課後に会えるアイドル集団を彷彿させるよね。足の露出への抵抗や、袖が無いことに対する不安は、この際は忘れてしまおう。

「あなた達!」

 まゆみ先生が、教室を破壊できそうな大音声をあげた。

「変身したのだから、別の名前で呼びあいなさい。そうねえ……、簡単にふみかレッド、ゆうひイエローがいいわ」

「そのまんまじゃないですか」

「あらー、ふみかレッド、もっと手の込んだ名前がいいの?」

 ふみか・アパッショナート・バーニングレッド、ゆうひ・ブリッランテ・ファインイエローという、横文字が盛りに盛られた候補が挙げられた。あのー、先生、いつもこんなあほな……いや、奇抜なことを考えているんですか?

「…………やっぱり前の方がいいです」

「あらー、もういいの?」

 あしびきの長々し呼び名を他にも考えようとしたご様子だったけれど、すんなり止めてくださいました。

「ゆうひイエローはどうかしら?」

「構いませんよぉ。頑張ろうな、レッド」

 衣装と一緒の色のリボンを揺らして、友人は、やる気に満ちた顔を見せた。

「う、うん。頑張ろ。……イエロー」

 はあ……。とんでもない課外活動に入ってしまったなあ。

「さあて、これより出陣するわよ!」

 私たちの背を叩き、顧問・まゆみ先生が勇ましく扉をこじ開けた。

「初日から文学PRしたいものだけど、飛ばしすぎは負担をかけるでしょ。ゆっくり慣れてもらわないとね」

 薄暗い廊下でも映えるまゆみスマイルに誘われ、私たちも二〇三教室を出た。

「私についてきなさい。初陣にぴったりな所があるの!」

  

  


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