第五番歌:檸檬ト絶対天使(一)
一
内嶺県の南部に位置する宗教都市、空満市。空満神道の教えに基づき、「明るきくらし」の世界を築く人材を養成することを使命として、この地に開かれたのが、空満大学だ。
空満大学には、宗教学部・文学部・外国語学部・理学部・芸術学部・体育学部と文系・理系・体育会系等々大歓迎の多様な学部が設けられており、少人数制によるきめ細やかな指導が行われているという学習環境のよろしい大学だというのに、第一志望→第二志望→滑り止め→滑り止めの滑り止めも落ちてしまってどうしようもなくなった場合の最後の救い、一縷の望み、駆け込み寺のような扱いを受けている。入試の際、答案用紙に名前と受験番号さえ間違えずに書いておけば、合格させてもらえるのだとか。
まあ、入学式では決まって学長が「なにがしか事情があって、この大学を選ばれたことでしょう」と話しているのだから。空満大学じゃなければダメだ! という受験生は奇特中の奇特といってもいいだろう。
そういう訳あり学生だらけの大学だけれども、息が詰まるような感じもなく、のびのびと学びたいこと、やりたいことができるから、皆なんだかんだいって楽しそうに通学しているよ。講義は指定の九十分よりも早く終わるし、出席さえすれば単位をもらえるものもあるし、小テストの予定だったはずが、近くの公園で酒盛りに変更もよくあることだ。もちろん、課外活動も自由に行われている。毎年全国大会で優勝している柔道部に隠れて、寝技のみを極める「寝・柔道部」や、楽器の大きさと密度にこだわり運搬に日夜苦しんでいる軽音楽サークルならぬ「重音楽サークル」、不定期発行「壁新聞の会」、美男美女しか描かない「究極超美術サークル」など、枚挙にいとまがないほどある課外活動の中で、最近出来たのが「日本文学課外研究部隊」というわけ。日本文学国語学科(略して日文)公認の文学布教サークルなのだが、どういう活動をしているのかっていうとね……。
空満大学に二か所配置されている図書館のうち、学生の調べ物または娯楽を求めて気軽に利用できる「図書室」が、いつもより多くの人でにぎわっていた。敷居の高くない場所といえども、ここは図書室。騒音は禁じられているはずなのに、ある箇所に人が集中してそれぞれなにやらしゃべっている。貸出・返却カウンター付近に、いやでも二度見してしまう本の城が建っていたのだ。それなりに厚みのある大型の本が、手当たりしだいに積み上げられて、様々な色彩の壁ができあがっていた。
「芸術学部のアート作品か?」
「画集を積んでるみたいだけど、コレって借りてもいいやつだよね?」
「元に戻すの大変そう……」
「でも、なんでてっぺんにレモンがあるわけ?」
「さあ? 元ネタでもあるんじゃないの?」
そんな騒々しい来室者を、係員は追い出すこともなく見守っていた。むしろ、もっと感想を聞かせてほしいと言わんばかりに、微笑ましそうにしていた。係員が嬉しそうな理由は、もうひとつ。レモンを乗せた画集の城のふもとに、きれいに陳列された同じ題名の文庫本が、次々と借りられてゆくからだった。どちらかといえばこのことが、図書室側にとっての悲願だったのである。
願いを成就させたのは、空満神道の一柱の神・空満王命……ではなく、生駒におはす聖天さまでもない。ならば誰なのか? 真相は、図書室の真向かいにある研究棟二階の一室をのぞけば知ることになろう。
二〇三教室、元は空き教室兼物置きだったが、現在は「日本文学課外研究部隊」の活動拠点となっている。
「うう、つらい、しんどい、恥ずかしい…………」
と、ふみかレッドこと大和ふみかは、長机に両手を伸ばして突っ伏した。
「まぁまぁ、ふみちゃん。常連さんとして恩返しできたんやから、ええやんかぁ」
黄色いリボンと黒縁メガネがトレードマークの、ゆうひイエローこと本居夕陽が、急須のお茶を注ぎ、ふみかにそっと出してあげた。家でおもてなしする機会が多いのだろうか、所作が手慣れたものだった。ふみかは、湯呑みを茶托ごと寄せて、ありがと、とひと口いただいた。
「今日やったの、『檸檬』っつったな。現文で習ったことあったけど、再現してみるのも面白えよなっ。文学って、読まねえとわからんもんだと思ってた。だけどよ、つくってみんのも、アリなんだよなっ!」
一束に結った髪を犬のしっぽのように振って、息継ぎもせず話したのは、はなびグリーンこと夏祭華火だ。口調に似合わず(?)足を揃えてパイプ椅子に座り、湯呑みを両手で持って一服していた。
「にしても、ヌケてるよなっ。十冊だったのに百冊頼んじまうってよ。司書って、図書委員とあんまし変わんないんじゃないのか? そんなにムズい仕事なのかよ?」
「あはは。華ちゃんは、まだまだ将来のこと考えんでもええもんねぇ。せやけど、どんなお仕事も簡単やないでぇ。やりがいはきっとあるんやけど、はじめはうまくいかへんし失敗ばかりするんちがうかなぁ。失敗せぇへん人なんて、おらへんねんで。うちかて、失敗続きなんやから」
お茶のおかわりを注いでくれた夕陽を、華火はじーっと見つめていた。あたしとは比べもんになんないくらい賢いのに、ミスることなんであんのかよ? 変なことをいうよな、と思いつつ、紙皿にあけた金平糖をつまんだ。
「お皿がないと食べられないんだね、華火ちゃん。きれい好きなの?」
金平糖を袋から手で受けて、ふみかが訊ねた。自宅にあった適当なお茶請けを持ってきたものの、華火が「お皿がないと、だめなんだ」としょんぼりしてしまったから、急いで購買部で紙皿を買ってきたのだった。てっきり、袋ごと一気に口へ流し込むような子だと想像していたので、意外だったのだ。
「食べ物はお皿に受けて食べるもんだって、母ちゃんに言われてんだ」
「そうなんだ」
二人して、かりっと音をたてて金平糖を噛んだ。素朴な甘みとお茶のほろ苦さが舌を喜ばせる。いくらでも食べられそう。
「華火さんは、竹入り娘……です」
本日初めて口を開いたのではないだろうか。文章をぶつ切りにして、最後に丁寧な助動詞をつけるのが、華火のいとこ、いおんブルーこと仁科唯音だ。
「先輩、箱入り娘、ですよぉ。竹やとかぐや姫やないですかぁ」
「すみません、間違えた……」
唯音の誤用を正すのは、すっかり夕陽のお役目になってしまった。
「今回も、文学PR大成功やなぁ。図書室のピンチも切り抜けられたし。うち達、役に立ったわぁ」
「役に立ったのは、嬉しいよ。嬉しかったですけど」
ぬるくなったお茶を飲み終えてから、ふみかは言葉の続きを心の声で話した。
本を読みすぎると、思考を内に、内に、吐き出しがちになってしまう。悪い癖だと分かりつつも、いっこうに改められない自分が嫌いだ。いや、読んでいて、やってみたいな、とか、見てみたいな、とか思っていたよ。思っていたけれど、小説での出来事は小説の中だけで楽しむものであって、現実にするととかく面倒ごとがつきまとってしまうから、やらないほうが無難なんだってば。檸檬を爆弾に見立てておいてみたら、すっきりした気分になるのは同感だよ。檸檬さえあれば学級の人達を爆発させてしまえるのになあとか、我ながら鬱屈したこと考えてましたけれど。二十歳になって、本の城を作るって、幼稚園児の積み木遊びじゃないんだから。でも、皆楽しそうだったから、ついつい気になった画集を積んじゃったよ。人前で見るのは恥ずかしいけれど、裸婦の画って、いやらしい気が無くても眺めたくなるじゃないの。たまに、夕陽ちゃん見ていると、絵のモデルになるんじゃないかなって、発育いいよねって思っちゃう。だって、私、あんまり女の子らしくない体つきだもの。寸胴だし、無いわけじゃないけれど、膨らみに乏しいし。そもそも別に女性らしくしようって思ってないから。スカートいやだったもの。いやいや、反れている。とにかく、本を積み過ぎると傷んでしまうから、二冊まで、って私の中では決めているんだ。耐えていたけれど、本が泣いているような気がして最後のあたりは罪悪感でいっぱいだったんだよ。あと、どうして開館中に作業しなければならなかったの? しかも、わざわざ変身してきて。周囲の好奇の目が、つらかったんですけど。フラッシュたいた音がして、ああ、絶対撮っているよ。知り合いに画像送って面白おかしいひと言でも付けられるんだろうなあ、って。だったら、あなたが私の代わりに作業してくださいよ。んもう、どうして、どうして、
「どうして私が、こんなことに、ってつぶやきたいようね」
「えっ」
横を向くと、にっ、と歯を見せて笑うご婦人のお顔が、すぐそこにあった。お化粧ばっちり。特に、睫毛と目の上に気合いを入れたとみえる。こちらの母親は常にすっぴんですけれどもね。
度肝を抜かれたのは私だけではなかったようで、
「急に出てくるんじゃねえよ、瞬間移動でも使ったのか、アブラカタブラまゆみっ!」
椅子を飛び退けて、華火ちゃんが、怪盗の犯行現場をいの一番に発見した探偵みたいに指を差した。ご婦人は不敵な笑みを浮かべて、氷柱のように細い踵を鳴らして窓際に下がった。
「いかにも、自称・現代の魔術師よ。個人的には、スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャスが好きな呪文だけどね。芸名にするならば、ガダルカナルが望ましいわー。はてさて、種明かしといきましょう。鶯の かひごの中に 霍公鳥 独り生まれて 己が父に 似ては鳴かず 己が母に似ては鳴かず……」
杖の代わりにご愛用の指示棒で、新体操選手と張り合えるであろう腕さばきを披露し、ご婦人は毎度の台詞をのたまうた。
「私の名前は、安達太良まゆみ!」
技術点は確実に満点ですね。とりあえず、拍手するか。
「妙に冷めているわね、大和さん。若人は情熱に燃えないと、後悔だらけの生涯で終わってしまうわよ」
運動部ならばありがたいお言葉なのかもしれませんが、文化系ですからね、先生。
「そう、燃えるといえば、もえる客人を連れてきたのよ。いらっしゃいな」
うう、掛詞を使うとはこしゃくな。今度は誰を連れてきたんですか。
「失礼しマース☆」
外国人!? 海を渡ってはるばる本朝の、しかもド田舎へ? この顧問、日本文学の魅力を広めるためならば、どんな外交手段だってとるというんですか。契約金とか積んでいないでしょうね。活動を開始して始まって五日しか経っていないのに、赤字を出すおつもりですか。
「あ、あれ……?」
つやの良い長からむ黒髪、茹でたてむきたての卵みたいな綺麗なお肌、猫のようにまん丸な瞳。典型的な和風美女ではありませんか。唯音先輩ほどではないが、背もそれなりに高く、夕陽ちゃんとはまた違った恵まれた体型の持ち主だ。アルバイト先でよく運んでいる女子向けおしゃれ雑誌に紹介されていそう。ただ、格好が奇抜なのが残念なところかな。
「日本文学課外研究部隊のファン倶楽部会員・第一号、与謝野・コスフィオレ・萌子デス☆」
ん? ファン倶楽部、ですと?
「まゆみ先生、ここって学科サークルでしたよね」
「ええ、むべなりよ」
「この子、アイドルユニットと勘違いしているんじゃないですか?」
「SRM38というアイドルサークルならうちにあるけど、日本文学課外研究部隊のファンだって言っているのよ? 勘違いじゃないわよ」
「個人で非公式に作った、というわけですか」
「そうなんじゃない?」
「いや、そうなんじゃない? じゃないでしょう」
私と先生との密かなやりとりを、ファン第一号さんが興味深そうに見ていた。
「ホホウ、司令官のまゆみセンセと赤のふみセンパイとのカップリング、拝まセテいたダケテ恐縮っス。まゆ×ふみとシテ、薄い本ガ描けるコト、間違いナッシングっスね☆」
薄い本、と聞いて、夕陽ちゃんが顔を赤らめてしまった。
「夕陽さん、どうした……ですか」
具合でも悪くなったのかと心配して、唯音先輩が自前らしき救急箱をか細い腕で抱えてきたが、夕陽ちゃんはいりませんよと、直させた。
「うち、百合趣味やないんやけどなぁ。あかんわぁ」
メガネをやたらと上げ下げしているあたり、本の内容が俗っぽいものであることがうかがえた。
「あれま、与謝野・コスフィオレ・萌子さんて……」
夕陽ちゃんが手を止めて、与謝野さんの方へ振り向いて名前を反芻した。
「この間の新入生歓迎合宿で、『絶対天使 ☆ マキシマムザハート』のコスプレしてた一回生さんやんなぁ。えらい完成度高くて、皆盛り上がってたわぁ」
おお、そういえば。いたなあ、大好きなアニメの主人公になりきっていたような。夕陽ちゃんが合宿の思い出で何度か話していたのは、この人だったのか。
「エヘ、褒メテくれルト嬉シイっス☆ エヘエヘ☆」
「これは、『プリン探偵 ア・ラ・モード』のヒロイン、ア・ラ・モードの探偵服やね?」
「イエス☆」
これも、コスプレだったんだ。子ども番組で歌うお姉さんの服装に似ているなあと思っていたけれど。よく見ると、プリンを模している帽子だね。短いズボンは、カラメルを意識した色だ。小物は、果物か。
「ポイントは、プリン帽のアクセっス。生クリームとサクランボが決め手デス☆」
くるりと回って全体を見せてくれた与謝野さん。全部、自分で縫ったのだろうか。既製品と全然変わらないよ。
「ゆうセンパイ、サスガ部隊のブレーンっスな。アニメにも精通シテいるトハ。プリ探ハ、知ル人ゾ知ル、カオスな問題作デ、当時ノ王道を覆シタ、超アバンギャルドな作品デスよ。全三十九話、四篇カラ成る探偵メルヘン、原作ガ少女漫画ニしてハ、ギリギリサスペンスあり、過激なセクシャルシーンありノ大作っス」
「せやせや。メインキャストが次々と謎の死を遂げ、孤独に苦しみながら、自らの出生の秘密も明らかになり精神的に追い詰められながらも真犯人に迫るア・ラ・モードを応援してたわぁ」
「最終回は、ハンカチじゃ間に合ワズ、バスタオルでギリギリセーフな中身デス。キャストのオ葬式マデ行わレ、各話デ挿入サレたキャラクターレクイエムが、期間限定デCDアルバム化の熱狂ブリ。萌子のオススメレクイエムは、十二話ノ『来世では妻にして』デス」
「覚えてるわぁ。クレェム姫とシュー子爵のレクイエムやんねぇ。喧嘩別れした元許嫁で、やっと分かり合えたのに、犯人の罠によって二人が処刑されてしまうんやよぉ。しかも、卑劣にも、民衆の前でクレェム姫が子爵を処刑せなあかんくて、子爵が入れられた棘のついた箱の蓋を閉じるシーンで流れるんやよ。もう、うち、ぼろぼろ泣いてしもうたんや。ずっと音源探してて」
「ひとり寂シク、断頭台ニゆくクレェムと、棘ノ箱デ絶命するシューのシーン、交互ニ出ルんスよ。ラストの歌詞『僕たちは お近づきになれなかった だけど きっと 来世ではずっと 一緒にいよう』ガ涙誘っテ、シクシク」
「動画サイトで見てまうけど、名ゼリフやなぁ。『クレェム、謝らなくていい。天国で待っている。僕たち、この国では、みなに疎まれる大罪人だった。だけど、あすこでは、みなに祝福される夫婦だよ。今まで、君をひとりにして、すまなかった。これが、僕の犯した本当の罪だ』」
「『いいえ、大罪人は私ひとりです。私は、あなたの愛を疑って、あなたの愛を毒だと言ってしまった。それでも、シュー、あなたは私を愛し続けた。ありがとう。もう、あなたをひとりにはしません。さあ、天国で会えるまで、お休みください』っスな。コレは、ブルーレイ観賞会デスな」
あの、もしもし。プリン探偵の沼にはまって、さあ大変になっていませんか。合宿ぶりに会えて、仲良くなれたのは構わないんだけれど、白熱しすぎて、私たちついていけないんですけど。き、聞こえてます?
「ファンヒーターか、婦人会で洗い物かなんかわからんが」
お皿の金平糖を食べきった華火ちゃんが、与謝野さんへ苦そうな顔を浮かべた。
「何の因果で来たんだっての、よさのあきこ」
与謝野さんが、目を大きく開いたまま、氷付けになったように動きを止めた。
「すっとぼけてんじゃねえぞっ。いっつも廊下に立たされてた、あのあきこだろっ。三つ編みビン底メガネの与謝野明子っ。あたしはてめえの一年後に入ってきたけど、まさかてめえと幼稚園からずっと空満にいるたあ、合縁奇縁っ! 腐りまくりの縁だぞっ!」
割ってしまうんじゃないかと不安になるくらいに、湯呑みを握りしめる華火ちゃん。過去に、何があったのだろうか。
「華ちゃんと萌ちゃんて、空満貴族やったんかぁ」
「夕陽ちゃん、空満貴族って?」
「幼稚園、小学校、中学校、高校、大学とすべて空満に通てる人たちのことや。費用は私立にしてはかなり安いみたいやけど、そんなんできるんは、たいそう熱心な空満神道の信者さんか、地元の名士のお家くらいやで」
はあ。どちらも、とても心身共に裕福な暮らしをしている人だと思えないけれどなあ。私には、豊かさを見抜く感覚が、あいにく備わっていないものだからね。とりあえず、因縁ありのふたりってことか。
「ホ……ほ……」
急にうつむき、与謝野さんが肩を震わせていた。長い髪が垂れて、表現がよろしくないが、古典的な幽霊を彷彿させる。ファンであろうがなかろうが、こんな風になっているのを放っておくわけにはいかないと思い、なにか声をかけようとしたら、
「本名で呼ぶな、バカタレドンスカポンタンがああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああー!!」
と天に向かって、与謝野さんがどでかく叫んだのであった。おまけに火炎か、怪光線かを放ちそうな迫力だ。
憤りが冷めやらぬ面持ちで、華火ちゃんのところへ荒々しく進む。
「呼ぶな、その名前で呼ぶな、本名で呼ぶな、わたしは『よさのあきこ』なんかじゃない、アホ、アホ、ドアホ!」
「てっ、いててっ! ガチで殴ってくんじゃねえよ、いててててっ!」
傍からだと、じゃれつくようにポコポコ叩いているようにみえるが、華火ちゃんが防いでいる様子からして、相当痛いんだろうなと思う。
よさのあきこ……与謝野晶子? 近代短歌の代表的な歌人と名前がかぶっているのが、いやだってこと?
「わたしの黒歴史をほじくり返すな、アホ、バカ、ボケ、カス!」
髪を振り乱して、我を忘れて華火ちゃんに殴り続ける与謝野さん。たぶん、名前であんまりいい思いをしてこなかったのだろう。素敵な名前なのに……。
「やられっぱなしですませっかよ、こんのやろっ!」
羽織っていた体育用ジャージを盾にしつつ脱ぎ捨てて、華火ちゃんがつかみかかろうとしたが、それよりも速く、細長い棒が二人の間に入った。
「そこまでになさい」
まゆみ先生が、指示棒で与謝野さんと華火ちゃんを止めてくださった。伸びた指示棒の銀光りが、双方の熱された怒りを冷ましてゆく。
「アニメ談義は良しとしても、諍いは無用よ」
空いた方の手で、与謝野さんと華火ちゃんの額をちょんと小突き、先生は笑ってみせた。
「与謝野さんは、見学に来てくれたのよね。そうでしょ?」
「フニャ、ソ……そうデシた」
プリン帽子をかぶり直して、与謝野さんはごめんね、とちょっと舌を出した。
「さて、あなた達には、もうひと頑張りしてもらいましょう」
まゆみ先生は窓際へと戻り、左側に置かれていた白板にサインペンを走らせた。早技でもお見事な達筆だ。
「日本文学課外研究部隊、本日の活動その二、名付けて……」
白板に書かれたものを、先生が朗々と読み上げた。
「空大亡霊バスターズ!」
やまと歌は、天地だって動かせる! ふみかシュート!! って、ここでぶつけてやれたら、すっきりするのになあ。ふ、ふざけないでくださいよ。
「ふざけていないわよ。空満大学にはびこる亡霊を退治する、これのどこにおふざけが入っているの。いや、ないわね」
反語表現を使うでない。認めん、認めるものか。
「ご覧なさい、皆、真剣よ」
完全なもじりに、何を……。そんなわけないよね、夕陽ちゃん、唯音先輩、華火ちゃん、与謝野さん。タッタラタラタタ、タッタラタラタタ、ん? あれ、なぜに音楽が流れているんだ。
『亡霊バスターズ!』
そんな、あほな。皆、どうかしている、どうかしていますよ。
「いやぁ、着信メロディに入ってたんやわぁ。亡霊バスターズ!」
音楽は、携帯電話からだったのね、じゃないよ。まさか夕陽ちゃんが仕掛けていたなんて。のりのりで歌っていますね、普段の着メロは交響曲第5番だったよね、ジャジャジャジャーンだったよね。
「マシュマロ、食べたい……です」
唯音先輩、あなたが抱きかかえているのは、徳用黒糖かりんとう(特大)ですよ。バスターズにマシュマロは禁句だってば。後で食べようととっておいたごませんべい、すっからかんにしておいてよく仰いますよね。まゆみ先生に次いで、やせの大食い第二号と呼びますよ。
「亡霊バスターズつったら、掃除機だろうがよ、掃除機っ」
どこから出してきたんだ、掃除機を。音楽にのって吸い込み口を振らないの。というか、華火ちゃんの世代で亡霊バスターズわかる人いるの? 親に訊いてみたのかな。あれ、掃除機じゃなくて、原子炉らしいからね。
「萌子ハ、亡霊禁止のロゴがオ気ニ入りっスな」
ななな、けったいな。や、やめなさい、ものまねだけにして。著作権がどうのこうのってうるさいご時世だから。ああ、白板に描かないで。なかなか特徴をとらえているけれど、すぐに消しなさい。タッタラタラタタ、タッタラタラタタ、
『亡霊バスターズ!』
ぼ、亡霊バスターズ。うう、一緒に歌ってしまった……。
「どうして私が、こんなことに」
一日というパレードは、そうは簡単に終わらない。




