第一番歌:野守は見ずや ふみか手を振る(一)
一
たったひとりの少女が、砂漠をさまよい歩いている。
少女はすべてが真っ白だった。長い髪、瞳や肌、着ている物まで、白。そして、少女がいる世界も、同じだった。細い足首にまとわりつく砂も、無限に広がっている空も、白。けがれの無いその色は、何にも染まることが無く、変わることも無かった。色の無い、色。個性など、もうどこにも存在しない。
「モウダレモ ワタシヲスクッテクレナイ……スクイハシナイ」
乾ききった声が、少女からしぼり出される。希望に満ちあふれた若者とはいえない、悲しみ、嘆き、諦めの言葉だった。
「ワタシハ ココデヒトリ イノチハテルトキヲマツノヨ」
少女は虚空を見上げ、目を閉じた。心にあらゆる痛みを受けた彼女に、涙を流す余裕も与えられていなかった。そのまま力を抜いて、砂に身をゆだねようとした―。
『諦めてはいけないわ!』
突然、天から叫びがした。驚いてまぶたを開くと、白かった空に、五つの星が現れた。赤・青・緑・黄色・桃色の輝きが、だんだん大きくなり、少女の元へ降ってきた。砂漠に落ちた星は、なんと五人の女の子だった。それぞれの輝きと同じ衣をまとい、倒れそうになった少女を抱きとめた。
「あなたを助けにきたよ」
赤の乙女がそう言って、少女の名を優しく呼ぶ。白い瞳から、温かいものがにじみ出た。永い間抱えていた苦しみが、一気にあふれていく。本当はずっと、待っていたのだ。白の世界から救い出してくれる、誰かを。
「アナタタチハ ダレ……?」
涙にむせびながら、少女が訊ねる。すると、五人の戦士がにこっと笑って、声を揃えた。
『私たちは、五色五人女!!』
「ふう、やっとヒロインの登場だよ」
文庫本を開いたまま、ついひとりごとを言ってしまった。物語の世界に入り込むあまり、周りを気にしなくなるんだよね。昼休みは、特に静かだから……。
「ふみちゃん」
頁をめくる手が止まる。あ、もうこんな時間かあ。しおりをはさんで、声のする方へ顔を上げた。
「こんにちはぁ」
「あ、こんにちは」
夕陽ちゃんだ。手を小さく振って、左へ回りこんだ。
「今なに読んでたん?」
席について、私に身をのりだす。じーっとのぞくものだから、題名が書かれた頁を開いて、見せてあげた。
「へぇ、『五色五人女』……めずらしいなぁ、アクションものやんか」
落ちかけた黒ぶちメガネをくい、と上げて夕陽ちゃんは本を手にとった。適当な頁を見ては「せや、こんなんやったわ」と内容を振り返っていた。
「うん。たまには、こういうのもいいかな、って」
地元の図書館で借りたんだ。近世文学で似たようなタイトルあったなあ、なんて思ったら気になっちゃって。
「ふみちゃん、ぎょうさん本読んでるねぇ。尊敬するわぁ」
笑いながら、夕陽ちゃんが本を両手で返してくれた。赤いチェックのカバーが、夕陽ちゃんの白く細い指を引き立たせる。
「い、いや、夕陽ちゃんの方が……」
ちょっと口ごもって、目をそらしてしまう。頭の横に結んだ、黄色のリボンがちらついた。夕陽ちゃんといえば、これなんだよね。しかも、とっても似合っているからすごい。
「今日の授業、楽しみやね」
「うん」
「上代文学研究D」、今年から履修できる専攻科目だ。私の中で大好きになりそうな講義だったりする。
「うち達、去年からずっと安達太良先生の受けてたなぁ」
「『萬葉集』、読んでて面白かったよ」
高校でもやったけれど、たった二、三首しか習わなかったからね。
「そやな。二回からもっと専門的になる思うたら、頑張って勉強せな! てなるわぁ」
両手にこぶしを作る夕陽ちゃん。
「夕陽ちゃんなら、余裕だよ」
「あはは、そんなことないでぇ。うち、全然あかんもん。努力、できてへん……」
夕陽ちゃんの表情に翳りが見えた。なんだか自信が無さそう。本当のことなのにな……。なにか温かい言葉をかけなきゃ、と語彙の引き出しを探っていたらチャイムが鳴ってしまった。
最後の音が消えてすぐに、扉が勢いよく開いた。姿勢正しく、ハイヒールを鳴らして入ってきた人こそ、これから始まる講義の担当教員だ。
教壇へ堂々と上がり、机に両の手をついて身を乗り出さんばかりに全体を見渡した。ひとりひとりの顔を確かめながら、場のざわめきを鎮めてゆく。最後には、自分の間近に座る私と夕陽ちゃんへにっこりスマイル。弓を象った首飾りと、純白のスーツがさらに先生の魅力を引き出している。
落ち着いたところで、先生がひと呼吸して、
「改めまして、こんにちは!」
気持ちの良い挨拶で始まった。先生の周りでちらほらと「こんにちは」が返ってくる。
「私の名前は……」
すばやく左手を前に向け、切れ長の目に力を込める!
「安達太良まゆみ!!」
言いきった後に、小さく(これがポイント)ガッツポーズ。先生の講義は、この流れを抜きにして始まらない。
「春から取っていた人も、秋ではじめての人も、私のこともう覚えてくれたかしら? 今日は二回目、これから本格的に講義へ入っていくわよ」
ポケットから、銀色のペンをさっと出す。ペン先をつまみ、引き伸ばすと……指示棒になった。それをバトンのように一回転させ、皆にウインクをひとつ。
「さあ、楽しく萬葉、学びましょ!」