第三番歌:奥山寮に猫又あり(三)
三
まゆみ先生には、人を引き寄せる力が具わっているのだろうか。私とイエローが入学したのと同時に、担任として来られてほんのわずかの期間で日文の学生ほぼ全員に頼られるまでになった。学術的な質問をはじめ、生活の知恵を仰がれたり、個人的な悩みを打ち明けられたり、普通の教員よりも距離が近くて何でも話しやすいと評判だ。
奥山寮への道中でも、走り込み練習中の陸上部がまゆみ先生を見かけては、代わる代わる「こんにちは」を連呼し、蹴球部にいたっては、誤って場外に出してしまった球を先生が返してあげると、踊り狂いながら球をかついで(は、反則だ)練習に戻っていった。華道部一同には、通りがかりに神無月の風情に合う花について相談され、茶道部には野点に誘われていた。部活の斡旋をされているからというのもあるが、まゆみ先生には、人が自然と集まるんだ。生き物がお日様のぬくもりを求めるように。私も、そういう風になれるかな。
「あらー、いみじく綺麗になって!」
ほんのり杏色がかった明かりと百人来ても大丈夫な広い玄関に、ほれぼれされるまゆみ先生。男子寮のことは、「汚い、おんぼろ、寮生のほとんどは心身共に腐りかけている」と講義でもいじられていたけれども、女子寮は入り口を見た限り問題無さそうだね。
「改装はされていても、昔とさほど変わってはいないわねー」
「安達太良先生、いらしたことあったんですかぁ?」
来客用スリッパを皆に配りながら、イエローが訊ねた。
「寮生の友達がいてね、休講の折にはお邪魔させてもらったわ」
「っつーことは、まゆみは空大にいたのか」
「OG、母校に帰った……ですね」
気づかないうちに、グリーンがブルーにおぶってもらっていたのはさておき、まゆみ先生、空大卒だったんだ。衝撃の新事実です。
「言ってなかったかしら。私、日文だったのよ」
「ひやぁ、うち達の先輩やないですか!」
畏れ多そうに、メガネを両手で定位置まで上げるイエロー。私は、へえ、そうだったんですかと流してはみたものの、半分受け入れかねていた。あんまり知りすぎるのも、どうなんだろうね。
「あ、ふみかっちとモトちゃんだー」
「いらっしゃーい」
一足遅くお出迎えしてくれたのは、同じくまゆみ学級の曾我さんと和泉さんだった。
『おつかれー』
「おつかれぇ」「お、おつかれ」
日文だけの慣わし、「おつかれ」。別にしんどくなくても、日文の人と会ったら、とりあえずそう交わしておくんだ。いつどこで誰に教わったのかは忘れたが、とにかくそういう状況になれば口からぽんと出てくるんだ。慣れって、怖いよね。
「みんなカワイイの着てる。ユニフォーム?」
おしゃれ関係に敏感な和泉さん、来訪者ご一行の装いにもいち早く目を着けていた。いや、カワイイなんてとんでもない。和泉さんの方が相応しいよ。流行りを先取りかつ自分に合っている普段の身なりは、学内で際立っているし、今の部屋着だって、綿菓子みたいにふわふわで、西洋のおとぎ話に登場する、いつき育てられたお姫様だ。
「めっさ似合ってるよー。いいな、私んとこは地味なTシャツ、ジャージだもん」
「るりちゃんとこて、演劇部やったね」
「そうっす。ま、下っ端なんで裏方いかされてるんだ。役ほしいなー」
「もらえるとええねぇ。今年は学祭の舞台、見にいくわぁ」
来たる学祭話で盛り上がっているイエロー。曾我さんを「るりちゃん」と名前で呼べるんだ。いろんな人と気軽につきあえたら、きっと、実のある日常になるんだろうなあ。
「あとの人達は? 他学科?」
見ない顔だね、と和泉さんがつま先立ちして、私とイエローの後ろを望む。
「化学科と空高の子だよ」
「ふーん……」
この場で一番上背のあるブルーと、彼女に負ぶさって頬や耳や髪を引っぱってはいじくり回すのに夢中のグリーンを見比べて、和泉さんは妙に合点していた。あえてツッコむのは遠慮しておきますが、見た感じをあるがままに受け止めてもらってるみたいで助かったよ。
このまま穏やかにやりすごせたはずだったのに、
「スレンダーなリケジョさんと、ロリっ娘のJKちゃんだねー!」
同い年の中では落ち着いている部類に当てはまる和泉さんとは対極にいる、にぎやかしの曾我さんがやらかしてくれた。包み隠さず現物をわしづかみにして発言するきらいがあるものなあ。それが曾我さんの曾我さんたる証なんだけれどもね。ただ、気がかりなのは、
「誰がチビだって!? ばかにすんなっ!」
……言われた方も似ている質だってこと。おんぶしてもらっている身ながら、ブルーの首をしめつけてわめいていた。怒っているよりも、初めて会っておびえているのが強かった。
「代々ひいきにしてる占い師が、生まれたばっかのあたしに、大器晩成の相だっつってたって、あたしのじいちゃんが口酸っぱくして言ってたかんなっ。いつかでかい女になってやっから、チビつったこと後悔させてやっから重々承知しとけっ!」
かしこき相人、って、桐壺巻じゃあるまいし。ひょっとして、グリーンはお屋敷住まいか華族なのだろうか。ううん、考えすぎかもしれないな。爆発大好きお嬢様なんて、めちゃくちゃ想像しにくい。雀とか虫を愛しているんだったらまだしも。
「そんじゃ大物JKちゃん、今度日文に遊びにおいでよ、お菓子どっさりあるから、ねー?」
グリーンの憎まれ口もどきは、曾我さんには効かなかったようだ。かえって、かまってあげたい欲を促進させてしまっている。オープンキャンパスぐらいだからね、いたいけな高校生が訪ねてきてくれるのって。
「ふぎいー」
「猫ちゃんっぽく、結った髪逆立ててる。すごー!」
「いじんじゃねえよっ、んにゃろう」
「ノドなでたら、ゴロゴロゆうかな?」
うん、完全に曾我さんの調子に合わされているね。嫌がっている風にみえて、グリーンは未来の先輩候補(かな?)に遊んでもらえて嬉しそうでもあるし。こうなったら奥山寮に預けてきても、やっていけそうな気がするよ。
「緑さん、曾我さん、痛い……です」
戯れに戯れているお二人に、おしくらまんじゅうみたいにつぶされていたブルー。暖まるどころか血が通わずに冷えて肌がいっそう白々としている。すみません、遊びもそこそこにして理系女子さんを解放させてください。
「こら、いつまで立ち往生させているのさ!」
低いけれども明るいからっとした声を聞いて、曾我さんと和泉さんが身をわずかに震わせた。
「お客様だよ。ちゃっちゃと応接間にお通しして、お茶を淹れてさしあげるさね」
ややあり余る肉をはみ出させた割烹着のおばさんが、顔から下を汗ばませながら走って出てきた。
「寮母の卜部です。ぼーっとさせてごめんなさいね。ささ、どうぞ」
割烹着の裾で濡れた手を強めに拭い、寮母さんはその手で寮生達をまとめて押した。
「お客様をそちらへご案内するんだ。粗相するんじゃあないよ!」
『はーい』
「まったく、返事だけは一級品さね……」
枯れ葉をいくつか楽に飛ばせそうなため息をつく寮母さんに、和泉さんと曾我さんは愉快そうにしていた。叱られているのに笑えるのは、きっと親のように心から言ってくれるからだと思った。寮生にとっては、頼もしくて敬える人なんだろうね。
「先生?」
イエローが、動こうとしない顧問を不安になって訊ねた。玄関に入ってしばらく、物静かにされていましたが、いかがしたんだろうか。
「……………………だめだわ」
うつむき加減でまゆみ先生は、神妙な面持ちで仰った。具合を悪くされたんですか。い、一大事だあ!
「ひもじくなっちゃった」
皆仲良く、大こけした。んもう、てっきり重大な事でも起きてしまったのかと冷や冷やしましたよ。紛らわしいことこの上ない。
「お茶の前に、早めのお夕食召し上がっていただこうか。できたてだからさ」
遅れて丸い体をやっとこさ起こした寮母さんに、まゆみ先生は涙とよだれをしたたらせて額づいたのだった。
=^_^= =^_^= =^_^=
「ラーメン、美味しゅうございましたわー」
最後のどんぶり鉢を飲みほして、まゆみ先生が百万両の笑顔で餓鬼道より輪廻して舞い戻った。
韮と胡麻油の薫りが充満しているせいか、屋台にいるかのような雰囲気がする。精の付きそうな匂いが強くて、緑茶をいただいているのに、ラーメンのおだしを飲んだんじゃないかという錯覚まで起きていた。たぶん、私だけじゃないと思う。
「あまりにも美味しかったものですので、お代わりをいただき過ぎてしまいましたわ」
何回お代わりされたか覚えていらっしゃらないんですか、先生。鍋ひとつぺろりと食してしまうなんて、人を超えている。胃袋が異次元とつながっているんじゃあないかと疑っちゃうよ。イエローは忙しそうにまばたきしているわ、グリーンは「あたしにも残しといてくれよー」とねだっているわ、あ、ブルーに関しては、変わったところは特に。湯呑みを両手に持って静止しているぐらいかな。
「なんの。今日はなんだかやる気倍増でね、寸胴二台分作っちまったんだわさ。さすがにあの娘らがスタミナラーメン好きっていっても、そこまで平らげられんからさ、先生に空けてくださって助かったよ」
スタミナラーメンって、あの空満スタミナラーメンのことか。登下校で歩く商店街に、そんな名前がでかでかと書かれたのれんがかかっていたなあ。存在感のある巨大な熊猫のぬいぐるみが表で魔除けやら招きやらしているお店だった。まだ食べたことないけれど、名物なんだよね。地域密着の情報雑誌に「うま辛ラーメン特集」として取り上げられていたし。あれって、普通に手作りできるんだ。
「寮母さんの腕がよろしいんですわ。おだしは煮干し、スープは牡蠣醤油、隠し味に昆布茶を使ってらっしゃるのね。たらふくいただけて、栄養も考えられている。まさに寮生想いの逸品ですわ!」
まゆみ先生の舌をうならせたご本人は、あらいやだ! と丸々とふくらんだ手をぶんぶん振った。
「そんな褒めるもんじゃあないさね。材料は、全部特売品の安物なんだからさ」
「いえ、お財布に優しいというのも、料理の決め手ですわよ。どちらのスーパーですの? ぜひとも知りたいですわ」
昼下がりの奥様方による会話か。って突っ込みを入れたい。安売りのお店なら、大学へとつながる空満商店街の外れにあったはずですけど。バスで下校している時に通り過ぎる所で、付近にお住まいであろう先生や、一人暮らししていそうな学生が寄っているのを何度か見ている。
「ん? スーパー万歳のこと? あそこは洗剤と消耗品には強いのよね」
既に調査済みですか。出過ぎた真似して、すみません。
「出過ぎていないわよ、ふみかレッド。知らせてくれようとした気持ちが有り難いわ。住民だから、大半は行ったことがあるの。だけど、最近のお店事情はさっぱりなのよねー」
忙しくって、と仰って、先生はウインクをひとつされた。
「ところでまゆみ先生、今日は何の出し物するんですか?」
寮母さんに寄り添って座っていた曾我さんが、よだれを花紙で必死でこすり取りながら訊いてきた。明らかに視線は今は虚ろなどんぶり鉢に注がれているね。
「ふふっ、よくぞ質問してくれました。それはね」
先生は玉手箱を開ける直前のように、胸を躍らせて答えようとしたところを、
「『徒然草』の寸劇だっ!」
部隊最年少・現役女子高生が先取りしたのだった。
「なかなかやるわね、はなびグリーン。めづらしき原石を掘り当てたわ」
「そーだろ、あたしは見込みありなレディだからなっ」
ご自分で褒めますか。でも、尊大に振る舞っていても、嫌な感じはしないんだよね。かわいげがあるというか、それが彼女の持ち味というか。おそらく、人となりによるんだよ。
「メジャーなところいったね。二百何段あるけど、どの話をするの?」
と、新しくお茶を注いでくれた和泉さんに、グリーンは「ありがとな!」とどこぞの小さな企業の社長さんよろしく礼をひとつして、気前よく言った。
「第八十九段、猫又と連歌法師のお話だっ!」
「黄色さんの、引用した……ですね」
「だーっ! 青姉、ネタばらしすんなってのっ!」
実は寮を訪ねる前に、短い打ち合わせをしていた。まゆみ先生が演じる段数を仰っただけで、ゆうひイエローは内容をひとことでまとめたんだ。本文の暗誦と訳もつけてね。私とブルーとグリーンは、驚くばかりでして。『徒然草』は、高二に読んだことあったけれど、読みが全然足りていないなと感じたよ。どの段がどんな話で、何が主題なのかをすべて知っていて、全文を覚えているなんて、並大抵の読書ではできないよね。
奥山寮で猫又の寸劇をするんだと聞いて、話に花が咲くのではと日本文学課外研究部隊一同は信じていたのだが、応接間には笑い声は無く、逆に活気が失われていた。
「あのね、その、猫又なんだけど……」
眉を寄せて、ためらうような口つきをする曾我さん。続けるのが、つらそうだ。
「るりこ、もういいよ、後は私が」
「……ごめん、いずっち」
下を向いてしまった曾我さんをなだめて、和泉さんは私たちをまっすぐ見つめた。
「猫又は、奥山寮にいません。でも、化け物はいました。まゆみ先生たちなら、わかってくれますよね」
伝説なんて賢しらな呼び方をしたことに、私は、私を叱りたくなった。
=^_^= =^_^= =^_^=
和泉さんは、化け物の正体について気丈に話してくれた。彼女だって、曾我さんのように心を痛めていたはずだ。それでも、私たちに知ってほしかったんだ。
「わざとじゃないのは、わかってます。知らなかったもんね。演目を当日までのサプライズにしてたのも、ですよね。劇、してくれるのは、嬉しいけど、第八十九段は、ちょっと……。すいません」
「そないなこと、せんでええ」
席を退いて、イエローが和泉さんの頭を上げさせる。確かに、彼女に非は無いよ。
「ごめんなさい」
私よりも先に立ち、腰を折ったのは、まゆみ先生だった。講義中や教室の外での、朗らかで愉快ないでたちとは別物の、慎み深いふるまいをされていた。
「身勝手なことを考えたものだわ。重ねて申し訳ないけど、今日のところは、出直します」
顔を曇らせて、もう一度お辞儀をされる先生。その様子に曾我さんと和泉さん、寮母さんが、どうか気を落とさないでほしいとなぐさめてくれたが、先生に笑みは戻らなかった。
窓に差す光が、人工の物に取って代わられてゆく。暗くなるのが早いのは、秋が深まってゆくからなのだろうか。
「あなた達にも、ひどい思いをさせたわね。ふみかレッド、ゆうひイエロー、いおんブルー、はなびグリーン」
やめて、まゆみ先生には、悲しみなんて似合わないよ。皆も、重い気持ちになってます。だから……!
「司令官として、恥づべき行いだったわ。本当に―」
と、言いかけたところで、先生は吊り糸を切られた操り人形のように倒れこんでしまった。
「まゆみ!」
グリーンが、鋭い反射神経で一番に駆けつけた。
「まゆみ! しっかりしろっ! まゆみ、まゆみ!」
細い腕で先生を抱き起こし、叩いたり、揺さぶったりするも、グリーンの呼びかけが一方通行するだけだった。
「まゆみ、まゆみ、まゆみっ!」
「冷静に、なる……です」
落ち着かせようと肩にふれようとしたブルーの手を、グリーンは乱暴にはらった。
「んなもん、できるかってんだっ! 人倒れちまったんだぞっ!!」
「緑さん……」
よろめきかけたブルーを、イエローが懸命に支える。
「心配なんは、よう分かるで。うちかて、あたふたしてる。せやけど」
メガネのつるを片手で押さえて、イエローは諭すように声を低めた。
「周りをちゃんと見てみ」
しぶしぶグリーンは、あたりへ目を向けてみた。言われた意味を理解するのに、長くはかからなかった。
「なんだよ……四方八方、真っ白けじゃねえか……っ!」
今までずっと居座っていた部屋が、幻想だったかのように、濃い雲に消されていたのだった。白一色と片付けるにはもの足りなく、金、銀の線が糸のようにうっすらと引いてあったり、くすんでねずみ色がかった部分があったりした。それと近いものを挙げるなら、和紙、だろうか。
「曾我さんと和泉さん、寮母さんまでいなくなっているよ」
昨日のかるた大会で起こった不思議な現象に似ている、とレッドは思った。気味が悪いぐらいにしんとして、人の気配が無くなる。日本文学課外研究部隊だけを残して。
「レッド、うち達、祟られてんのぉ……?」
「やめてよ、冗談きつすぎるから」
「せやかて、これで三度目やでぇ。運動場で野守さん、和室でお坊さんが出てきたやんか。今度はぁ」
「三度目の、掃除機……ですか」
「あ、あのですね、ブルー、この空気で珍回答されても困りますから」
「ふにゃあーご!」
「グリーンも、ふざけないでってば」
憤りかけたレッドだったが、ふとある物が見えた瞬間に、グリーンを責めたことを悔やむこととなった。
「うそでしょう……」
二又の尾をくねらせる、神々しくも禍々しい獣が現れた。連歌しける法師が人づてに聞き、恐れたというかの猫又は、徒にあくびまじりに鳴いている。
「なあ、赤。こいつをやっつければフツーに戻るのか?」
「え」
グリーンのまなざしには、偽りなどひとかけらも混じっていなかった。
「あたし、見たんだ。秋津館で坊主とバトってたとこ。あん時みたいにやっつけたら、赤と黄色の知り合いに、また会えるんじゃねえか?」
「そ、それは、偶然というか、えっと」
戸惑うレッドに、グリーンがお得意のチョップをお見舞いした。
「やってみねえと分からんだろっ! 右往左往するとか、助けを待つとかより、あたしは、この手で状況打破したいんだっ!」
まゆみ先生が、グリーンを隊員に誘ったわけが分かったよ。彼女の考えは、筋が通っている。荒削りだとしても、何とは無しに流されている人なんかに比べたら、彼女は強く生きている。仲間になってくれて、嬉しいし、頼もしい。
「やってみよう。ダメだったら、また別の方法をやろう」
「おうよ」
にっ、と笑ってグリーンは親指を立てて先生の「良し!」を真似してみせた。そして、
「やいやいやい、そこの化け猫っ!」
「ふなあー?」
ふかふかな顔を、同じくふかふかしい手であらい、ふてぶてしく居座る猫又に、はなびグリーンは勇猛果敢に、啖呵をきったのだった。
「生き物傷つけっとバチ当たるっつー教えでも、バケモンなら別だっ。寮のやつらまで巻き込んで、おまけにわざわざご登場するたあ、極悪非道、迷惑千万っ! たとえ仏様が許せたとしても、緑様は甘くないぞっ。正々堂々っ、勝負しろい!!」
化け物にひかれやってきたのか、おぞましく鳴く猫のあやかし。それに挑むは、うら若き緑の乙女をはじめとする四人。人を隠した白雲と、師の胸の暗雲は、果たして晴れるやいなや。
―いざ、戦闘開始。
「いくぞっ!」
新米隊員のグリーン、勢いある先駆け。持ち前の俊足で、猫又の元へと楽々と飛んでゆく。
「は、速い」
「じいちゃんの山で、熊と鬼ごっこしてっかんな。トロいと死活問題だろっ!」
背筋がぞくりとすることを、快活に言ってのけるグリーン。荒行はこの際抜きにしても、速く走れるってかっこいいなあと思う。誰の背中も足跡も無い、まっさらな路を駈けぬけられるなんて、とても気持ち良いことだよ。かけっこや徒競走で一番になる人を見ているといつも、その時だけ入れ替わってみたかった。先を行くって、どんな感じなのかな。グリーンは、何を思って走っているのかな。
「青姉即興改造版、緑様専用花火の威力を試すにゃもってこいだっ!!」
猫又を逃がさないよう、前で仁王立ちするグリーン。腰のあたりから何かをいくつか抜き出し、左、右手とも親指を除いた四本の指を使って、それぞれの間にひとつずつ物を挟んでいった。お昼の公園でひと騒ぎを起こした、花火玉だ。
「あたしの必殺技、もらすな余すな、御覧じろいっ!」
え、早々に必殺技使っちゃうの? 弱点を見破ったり、倒し方の手がかりを探したりするのを飛ばしちゃっていいの? ちょっと、グリーンてば!
「火すれば、花だっ! はなびボンバー!!」
常磐色のスーパーボールが、猫又へ三つ、さらに三つと放たれて全て一切の遠慮をせず大胆に爆ぜてゆく。周りに鮮やかな緑の火花が散らされ、同じくきれいに彩られた煙が、大輪の花を咲かせて終焉を飾った。
「えぇ味方が、ついてくれたわぁ……」
平和な世に余りにも不似合いな爆発に、イエローが呆けてしまっていた。うん、寝返られたら確実にこてんぱんにされるよ。この中で戦闘力高そうだし。それと……、
「ゴホ、ゴホ。グリーン、悪いけど」
「んだよ」
目にしみるのをこらえつつ、大事なことを教えた。
「寮含めて学内は、火は禁止なんだ」
それを耳にしたグリーンは、口をこれでもかと大きく開けて、次のように一蹴した。
「しゃらくせいっ!」
どうして怒られなきゃいけないのだろうか? 空高でも同じ決まりじゃありませんか? 私が、おかしかったのかな? 疑問符でもつれていた私を、
「火気厳禁こそ、厳禁してやれ!!」
火薬爆発大好き少女が、ばっさりと切ったのだった。む、無茶なことを言い張っちゃいましたよお。
「へっ、まゆみが初歩から教えてくれたぞっ。『係り結び』ってやつだ。『ぞ・なむ・や・か』がきたら連体形、『こそ』がな、えーっと、何形つってたっけな、命令形か? あ、仮定形かっ!」
うわあ、重傷だ。第一歩にして間違えている。さては古典の授業中に他の科目の宿題だとか切れたら願いが叶う腕輪でも編むだとかの内職でもしてきたな? 万が一燃えても、一一九番は自分でかけてよね。私は責任とらないからー!
「イエロー、正しい文法を叩き込んであげて。すさまじく丁寧にお願い」
専門科目、一般教養、司書課程すべて「優」の先輩隊員によるご指導を謹聴してよね。
「『こそ』が係ったときの結びは、已然形や。仮定形は、『もしも~やったら』ゆう現代語の文法での活用やで。已然とは、『已に然り』という意味で、物事が起こっている、確定してる状態をゆうんやよ」
メガネをゆっくり押し上げて説くイエローに、グリーンは「はー」「へー」「ほー」と相づちしている。聞こうとする態度は認めようか。点数を稼ぐのが不得手なだけなのかもしれないし。うん、そう思っておこう。
しかし、秀ですぎるのも害が生じるのか、ちょっとした解説が、講義の域に及ぼうとしていた。
「『こそ』いう助詞は、係助詞の中でも攻撃的な性格を持ってて、いいたいもの以外の邪魔者を消さへんとおさまらへんねんやわ。『かの男こそ清らなれ』やったら、『清らなり』といえるんは、『かの男』だけ、他の男の人は違う! て表現したいんやよ。うちにとって『~こそ清らなれ』に入るんは、当たり前やけど真淵せ」
「ぎにゃあー!!」
はなびボンバーを直撃させられていたはずの猫又の乱入で、佳境(なのかな?)に入りつつあった古典文法のお話が打ち切られた。くつろいでいたのが一変し、毛を逆立てて今にもイエローに噛みつかんとしていた。
「ふえええええ!」
「イエロー!!」
友人の危機だ、私も必殺技を! 髪に留めている円い飾りへ手を伸ばしたとき、青みがかった空気の弾が、猫又を集中砲撃した。
「私も、いる……です」
発明品である銃を携えて、イエローの後方からブルーが夕月夜のようにそっと顔をのぞかせた。
「ありがとうございますぅ」
「……」
黙って礼をし、ブルーは退けたばかりの妖怪を攻めにかかった。
「素早い……ですね」
寝ぼけまなこといえども、侮ることなかれ。猫又はしなやかな跳躍で、空気砲をことごとくかわしてゆく。こちらの手をあらかじめ知り得ているかのようだ。命永らえ怪異に経あがれば、千里眼をも宿すのか。
外し続ける親戚に、グリーンはやきもきし、
「こーなりゃもう一回ぶつけてやるっ! 火すれば花だっ! はなびボンバー!!」
必殺技を再び繰り出すが、猫又にはかすりもせず、やけにうるさい爆発が虚しくはじけるのみ。
「卑怯千万っ、かかってくる気もねえ腰抜けがっ!」
グリーンの言葉に、猫又のとろんとしていた目が、たちまち研ぎ澄まされた刃のように光を放った。
「にゃごろごろ!」
安眠を妨げられたうえに、罵られたせいか、鳴きをますます毛羽立たせてレッドとグリーンへ疾風のごとき体当たりをかました。
「うわあ!」「どわっ!」
重みを持った毛の塊に、レッドとグリーンは思わず手足を地になげうってしまった。
「グリーン、けがしてない?」
起こすのを手伝おうとしたレッドを、いらねえっ、と止めて、グリーンはふらつきながら自力で体勢を立て直した。
「無事息災っ、あんなバケモンに負けてたまるかよ……っ! 火すれば……」
「だめ!」
レッドが後ろからかぶさるようにグリーンを抱きしめた。
「あにすんだよっ、どきやがれっ!!」
「むやみやたらにやっても意味ないってば!」
「数撃ちゃ当たるっ」
「皆に当たったらどうするの!?」
「っ!」
グリーンの指と指から衣装と似た色の玉が、かさついた音をたててすべり落ちてゆく。
「それに、隠しているみたいだけれど、怖いんでしょう?」
「あんでソレを」
「震えていたから」
レッドは、彼女の恐れを示していた部分を撫でてあげた。
「足、くせなんでしょう? 怖くても、戦っていたんだよね。ありがとう」
「えっ」
「実はね、私も怖いんだ。たぶん、イエローも、ブルーもそうだと思う。いきなりありえないことになっているのに、平然としているのがおかしいよ。それでも、なんとかしたい、しなきゃ、するんだ」
撫でていた手を頭へと移し、レッドは微笑んた。
「皆で、なんとかしよう」
開けていく、グリーンはそう感じた。あたしの見ている世界が、広がっていっている。閉じこもっていた殻に、ひびが入って、壊れていく。そこからは、あったかい光と、でっかい空と、涼しい風と、あたしとおんなじ戦っているやつら。
「へっ、こーいうのが、合縁奇縁っつーのかよ」
足の震えなんざ、忘れちまった。あたしは今、気炎万丈っ、水をぶっかけられても消えねえっ!
「挽回すっぞ、あたしらで猫又にひと泡吹かせてやらあっ!!」




