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第三番歌:奥山寮に猫又あり(二)

     二

 午後の決闘は丸く収まり、仲良く皆で大学へ戻ることになった。

「私は、夏祭さんと個人研究室へ帰るわ」

 まゆみ先生が華火ちゃんの両肩に手をおいて、電車ごっこのように研究棟の方角へ歩かせた。

「早速変身してもらうわよー。ヒロイン服は仕立ててあるの。ふふっ、楽しみねー」

「準備万端っ、迎えは整ってるってか。やるじゃねえか、あたたたまゆみっ」

「汝は既に身罷りたり! じゃなくて、私の名前は安達(あだ)太良(たら)まゆみ。殺人拳法の伝承者ではありません。私の流派は、陸奥(みちのく)流よ」

「ソレ知ってるぞ。ここいらで有名な弓道の道場でやってるやつだろ」

「あらー、ドキッ弱小だらけのぼろ道場よ。空満の(くた)れ弓なんて言われているんだからー……」

 けっこう、仲がよろしいようで。会話が途切れないって、いいよなあ。しなやかな背中を眺めていたら、まゆみ先生が振り返ってウインクをしてくださった。そして、唇を開いたり閉じたりして「ま・か・せ・て」と空の言葉を私たちに伝えた。

「華火さん、心配……」

「大丈夫ですよぉ。安達(あだ)太良(たら)先生がついてはるんですから、うち達は見守ってたらええんですぅ」

 夕陽ちゃんは、青白い顔をさらに蒼白にする唯音先輩を励ましていた。

「ふみちゃん、四限終わりまで時間まだ余ってるんやけど、図書室おる?」

「うーん、教科書買い忘れたのあったから、購買行ってくる。後で合流するね」

 民法の講義で、副読本もいったなんて気づかなかったもんなあ。ほとんどの人が持ってなかったから、恥ずかしくはなかったんだけれど。

「そうなんや。ほな、先輩とおるわぁ」

「うん。ごめんね」

 本当は私も図書室にいたかった。「元素くんシリーズ」の続編か、『五色(ごしょく)五人女(ごにんおんな)』の作者が書いた他の作品を探したかったんだよね。夕陽ちゃんと唯音先輩も、すっかり打ち解けているなあ。もっと、社交的な、人付き合いが上手な人になれたら……。

「暗くなっちゃ、ダメだ」

 用事を済ませなくちゃね。さあ、気持ちを切り替えて教科書買いにいこう。


 =^_^= =^_^= =^_^= 


 買い求めていた教本は、売り切れる心配すら微塵もないほどに山積みされていたので、いとも容易く手に入れられた。この感じだと、他の受講している人達は、まだ用意していないと思われる。法律系は、堅苦しい言い回しが多くて、意味を咀嚼するのにこんがらがってしまうんだよなあ。とりあえず覚えているのは、「土地は登記した者勝ち」だということだ。あとは試験近くなったら、夕陽ちゃんに傾向と対策を授かろう。講義を取っていないけれど、配布資料を隅から隅まで記憶しているんだ。直前に替え玉を頼んでも八割は楽々だろう。いや、冗談だけれどね。するとなれば、担任まゆみ先生より天竺のお経並みにありがたい愛の鉄拳を賜わることになるし。

 まゆみ先生といえば、文学PR。二〇三教室に集合がかかっているんだった。まあ、あわてなくても定刻には間に合うだろう。ふくろうの絵が描かれた薄いビニールの書店袋を提げて、普段の歩みで研究棟を目指した。

「ねえ、聞いた? 女子寮のウ・ワ・サ!」

 背後で女子学生が話をしている。いかにもおしゃべり好きといった、明朗で早口な話し方だ。

「女子寮って、あの『奥山(おくやま)寮』の?」

 会話を切り出した学生とは別の女子が、興味ありそうに訊ねている。奥山寮か。たまに司書課程の授業で顔を合わせる日文の同級生も入っているよね。研究棟や図書館よりもっとむこうにあるという、もはや秘境みたいな所だ。生まれて成人に至るまで実家暮らしの私には、寮生活は、縁遠くも憧れるものでありまして。

「そうそう、奥山寮! あそこ、出るんだって」

「出る? えっ、まじ? 心霊バナシ?」

 友人さんが、ちょっと引き気味で反応する。歴史ある建物だと必ずついてまわる話だ。開かずの間にいわくつきの霊が、とか、お手洗いの一番奥におばけの○○子さんが、とかでしょう。失礼だけれど、ありふれていてあくびが出るね。

 ところが、話好きな学生は、違うんだよなーと展開を始めた。

「心霊じゃなくって、化け猫」

「あーね。地縛霊になった猫妖怪。肉球百烈パンチするにゃんこ」

 それ、私も知ってます。腹巻きをした赤い猫だね。でも、地縛霊ということは、心霊の類いじゃありませんか。いや、あくまで私は聞こえている側だから、とやかく言わないけれど。

「そっちじゃない、そっちじゃなくって、昔っぽい化け猫。しっぽが分かれているの。あれ、なんていうのかな。猫ほにゃららーって」

「猫ほにゃらら~?」

「え、ほら、あれだよ。猫、猫、猫」

 指示語を繰り返しながら、「猫」の下に来る文字を探り合う学生達へ、

「猫又ですね!」

 と、新たな人物が加わってきた。二人よりもうんと落ち着いて、厚みのある声だ。そうだ、この人は―、

『宇治先生』

 私が当てるまでもなく、学生達が揃えてその人を呼んでくれた。ちらりと見返ってみたら、大柄な女性が、女子二人の間に入りこんでいた。

 宇治(うじ)紘子(ひろこ)先生、まゆみ先生と同じく日本文学国語学科の専任教員を務めている。先生とは、去年取った、「大学生の学びにおける基本を養うため(とシラバスに書いてあった)」の必修科目で指導を受けたのと、この秋学期に「中世文学研究D」と「日本文学史B」でお世話になっている。印象としては、すさまじく真面目で、皆がついてこられるようにとにかく頑張っていらっしゃる、かな。

「猫又がどうかしたのですか? よろしければ私にも聞かせてください!」

「あ、はい……」「え、んーと……」

 急に口ごもる日文であろう二人組。別に話したくないわけじゃないんだけれど、言いづらい雰囲気になっている、という感じだろうか。それは、先生が相手だから、と簡単に片付けられるものなら助かる。ところが、むなしくも気まずくさせている原因は、宇治先生にあるんだよね。恵まれすぎた体格を鎧う漆黒のスーツに、左腕に付けた「文学部日本文学国語学科」と縫い現された腕章、歪み・曲がりは寸分たりとも許さないと主張しているような古体な眼鏡が、本人の意思に反して威圧感を漂わせているんだもの。まゆみ先生と対をなして、現れたら威儀を正さなくちゃと思わせてしまう人なんだ。

「授業の後、楽しそうにお話していたから、気になっていたのですよ! 猫又といえば、来月に読む予定なのですけど、『徒然草』に出てくるのです! 『奥山に猫またといふ物、人を食らふなり』が冒頭でして、このごろ高校の古典で扱っているそうなのですが、どうでしたか?」

 懐かしさを誘う話題だったのか、女子達は「そうですね、やってました」と再びしゃべりだした。また、緊張が和らいだようで、猫又のいきさつまで語っていた。

「おおおお、奥山寮に、そんな噂が広まっていたのですか!!」

「先生、こういう系の話好きだったんですか?」

 意外ですね、と、奥山寮の話を聞いていた方の学生がやや上ずらせて訊ねる。だって、宇治先生の目が、文字通り点になっていたのだから。今にでも胸をつかみかかってきそうな勢いだった。誇張なんか一切されていない純粋にして大げさな返しをされると、私でも度肝を抜かれちゃうよ。

 「ド」とか「生」とかを付けても全然足りない真面目さを有する宇治先生は、授業以外での質問に対しても、真摯に答え……、

「大好きなのですよ!! 噂・伝説・伝承・言い伝えには、私、とても関心があります! だって、ロマンがあるじゃないですか!! この世にはまだ、私達には解明できない不思議が存在しているのですよ!? 見過ごしていられますか? いいえ、いられるわけないじゃないですか!!」

 ……るどころか、気分を高揚させて体を伸ばせるところまで伸ばして、立派な翼を作っていらっしゃる! このまま宇宙に旅立ってゆきそうじゃありませんか。日文の先生一まともで安全だと信じていたのになあ。

「専門、説話文学ですもんね……」

 かわいそうに、猫又伝説を持ってきた方の学生が、たじろいでしまっている。まだ「こういう系の『系』とは何なのですか! 日本語は正しく使うべきです! ぷんすか!!」て指導された方がほっとするよね。あ、語尾は私が独断でつけましたけれど。

「はい! 語り継がれて残されるということには、愛があるのだと考えています! 研究では切り離さないといけないのかもしれません。ですけどけど、愛が込められての作品じゃないですか!! 乱世の荒波に呑まれながらも、救いや奇譚や生きた証が未来へと遺されていることは、奇跡といっても過言じゃありません!」

 ご通行中の皆さんが、宇治先生の熱弁を面白そうに、または、冷ややかに傍観していた。学生自治会の演説だったならば、涙をたたえて、拍手とともに清き票を雨あられのごとく入れてくれただろうに。はあ、まゆみ先生に宇治先生に、あと昨日会った土御門先生も、どうして日文の教員は風変わりな人ばっかりなんだろう。あ、時進先生は……普通じゃなかったか。辞書を持ち歩いているおじいさんも、充分に変だ。

 拝聴するのは、ほどほどにして。例の教室へ行きますか。その前にひとつ、願掛けでも。たまには空満神道の教えに基づいた大学の学生らしく、えーと、(そら)満王命(みつおうのみこと)様、教祖様、()(たま)様、なにとぞ猫又伝説がらみの面倒な出来事が起こりませんように。特に、課外活動では、絶対に。あと、顧問がその話に食いつきませんように。なにとぞ、よろしく。


 =^_^= =^_^= =^_^=


「おせえぞ、ふみか!」

 二〇三教室に入るなり、怒声を浴びせられた。新入隊員さんは、沸騰しやすいお心の持ち主らしいね。

「は、はい」

 謝ってはみたけれど、私、遅刻してないのにな。通信機の文字盤と奥の電波時計は、集まる刻限より二分ほど前を表しているし。でも、余計なことを言えば、また沸いてしまうんだろうな。触らぬ華火様に祟りなし。

「四六時中待ちぼうけくらってたんだからなっ。だってよ」

 途端に恥ずかしがりはじめた華火ちゃん。続きを言おうとしたところでやっぱり無理だったのか、先に着いていた夕陽ちゃんの陰に逃げてしまった。

「華ちゃんは、皆に変身したんを見てもらいたかったんやよぉ」

 あはは、と笑い、夕陽ちゃんは後ろで腰にしがみついている少女に、出てくるよう呼びかけていた。

「お披露目するんやろぉ? これで会うたん二回目なんやから、遠慮せえへんで、なぁ」

「……おうよ」

 夕陽ちゃんからはみ出したポニーテールが、上下にちょっと動いていた。触角かしっぽの役割を果たしているのかな。小動物みたいな後輩だなあ。

「どっかーん!」

 打ち上げ花火が発射されたみたいに、大の字で跳んで再登場。でうわあ、びっくりした。出てくるのをずいぶん溜めていたんだもの。あと少ししても隠れたままだったら、大丈夫? って訊きたくなるところだった。

「どーだっ、似合ってんだろっ!」

 両手を広げ、華火ちゃんは、全身をくまなく、穴が空くまで見るがいいと発している。これまでと違うのは、下がスパッツであること。動きやすさを重視したんだろう、靴が競技用の物になっている。華火ちゃんの活発さを表しながら、上着の裾にはレタスのようなフリル(背面からだと、スカートをはいているように見える)、胸元には大きなリボン(自分で結んだのか、形がいびつだけれどね)、と、少女らしい可憐さも併せ持っているのが、お見事だ。

「一騎当千っ、天下無敵のはなびグリーンだっ、よろしくな!」

 犬歯を光らせて、無垢な笑顔をふりまくはなびグリーン。四色になったから、これでもう、信号機とからかわれることはあるまい。

「うちも変身せななぁ」

 わ、私もだ。活動中は、専用の衣装と別名でいかなきゃならないからね。特殊なサークルに入れられて、大変。

「唯音先輩は?」

「今は、いおんブルー……です」

 すみません。既に着替え、訂正、変身していらっしゃいましたか。窓際にくっついて立っていたの、声を聞くまで分かりませんでしたよ。PRより隠密活動が向いているのでは。グリーンとは性格・身長・その他諸々正反対ですが、いとこなんですよね。

 衣装に頭を通している最中に私は、まゆみ先生が仰っていたことを思い出していた。華火ちゃんの分、とっくに出来ているって。初めから華火ちゃんが入ることを想定していたのだろうか。服って、完成するのに膨大な時間が要るでしょう。うーん、謎すぎる。

「あなた達、変身できたかしら?」

 変身の途中で、扉を叩きもしないで入ってこられるのはいただけませんよ、まゆみ先生。同性だといっても、わきまえてほしい部分があるんですけど。純白のスーツと靴が、直射日光よろしくきらめいている。

 蝶ネクタイの位置を整え、ボタン型の飾りを髪に留めて、支度を終える。次に、点呼をとるため右から私ふみかレッド、いおんブルー、はなびグリーン、ゆうひイエロー、と横一列に並んだ。

「全員、元気そうね。いおんブルーに引き続き、今日も新入りさんが加わったし、運びは順調!」

 ご満悦の我らが顧問。その携えていらっしゃる書類は、本日の活動に関わる物なんでしょうか。

「ふふっ。察しがいいわね、ふみかレッド。本日の文学PRのために、昼休みを大幅に削って書き上げました」

 はい注目! とまゆみ先生は書類を顔の前に出して、表紙を私たちに見せられた。

「寸劇『徒然草』? 『徒然草』って、川の流れがどーとかちんたら書いてたやつか?」

 グリーンが書類の題名を慣れない口ぶりで音読して、首を傾げていたところに、

「それは『方丈記』やよ、グリーン。おんなじ三大随筆やけれど、『徒然草』は『つれづれなるままに、日暮らし硯に向かひて』て始まるんやで」

 すかさずイエローが誤りを正してあげていた。古典、相当苦手なんだね。でも、これから覚えてゆけるよ。

「四人で、演劇する……ですか」

 穏やかな雨だれのようなブルーの問いを、先生は漏らさず掬んでおなじみのスマイルを送った。

「そうよ。朗読も捨てがたいけれど、趣向を変えてみたの。寸劇は、四人以上に限るわ。二人では漫才、三人だとコントになってしまうじゃないの」

 それは先生の筆の問題じゃ……いや、黙っておこう。とりあえずお笑い路線にもっていかれなかったことを喜ぶか。『徒然草』には笑える章段もあるけれど、実演させるのはやめてくださいよ。は、恥ずかしいから。

「恥を捨てなさいな。日本文学の魅力は、体を張ってこそ伝えられるものよ! 熱湯風呂におでんにゴムパッチン、ノニもセンブリもお茶の子さいさい!」

 いつ私たちは、芸人さんの卵になったんだ。年末の漫才頂上決戦に応募するつもりですか、嫌ですよ。借りだめした本の塔を崩しながら、こたつで年を越すと決めているんです。

「若人は、どんどん外に出て経験を積んでいきなさい。今回の寸劇に、うってつけの場所があるの。許可はいただいているわ。乙女の花園、そして、今をときめく猫又出現の地、その素敵な名所(などころ)とは―」

 う、とてつもなくまずい予感。や、やめてください。どうか、冗談だと仰ってくださいませんか。

 しかし、先生はよく通る声で笑い、おおっぴらにPR場所を告げるのだった。

「空満大学女子寮、『奥山寮』!」

 私の信心が浅かったみたいで、願いは真逆の方へと叶えられてしまった。一日は、のべつまくなし走らされる。






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