表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/39

第三番歌:奥山寮に猫又あり(一)

     一

 やる気に燃えて臨んだ「図書館とメディアについての歴史」は、悲しくも眠気に敗れ、内容の大半は忘却の彼方へ。教室でただ一人、最後まで聞いていた夕陽ちゃんにノートを写させてもらいながら、こんな自堕落さで司書の資格がとれるのかと、行く末を案じていた。もしも、私だけ卒業式にお免状がもらえなかったら、どうしよう。一生の恥だろうね。だからといって、すぐに正せるものでもないけれども。眠いものは、眠い。欲望についつい従っているが、単位を落としたためしはない。やるべき時は、やっているのだ。

 さて、講義終わりの挨拶が済んだやいなやB号棟を早々にとびだし、研究棟の区画に渡された横断歩道をゆかずに西へと進んだ。左側には、運動場が目に入る。これから一回生対象の授業「基礎体育」が行われるのだろう、学生と先生が器具を運んだり、白線を引いたりしている。ここで私たちが『萬葉集』に詠まれていた「野守」に曲者だと間違えられて追いかけ回されていたなんて、あの人達は知らないだろうね。話したところで、信じてくれないと思う。万が一鵜呑みにされたならば、この世に常識が滅びたってことだ。まあ、わざわざ言いにいかないけれど。

 砂の味がした思い出を噛みしめながら、緩やかな勾配の坂を上る。大学の敷地を外れ、田んぼが広がり山がそびえる内嶺(ないれい)県空(そら)(みつ)市の風景が続く。内嶺に住む私にとっては、日頃見慣れたありふれたものだけれど、県外から通う夕陽ちゃんには、心ゆかしきものがあるらしい。生まれも育ちも都会なので、あまり自然とふれあう機会に恵まれていないとか。それで、夕陽ちゃんは毎日、大学とその周辺に、瞳をきらきらさせているのかな。逆に私は、夕陽ちゃんの住む泰盤(たいばん)に行ってみたい。大型の本屋さんで、欲しかった本を全部揃えるんだ。

 坂を上り終え、また道路。信号が取り付けられていないため、車が走っていない隙をねらって急いで反対側へ。間もなく、果たし合いの公園です。はい、お疲れ様。

 (ひよどり)公園に来るのは、今回で初めてじゃない。学科主催の新歓合宿のお花見で寄せてもらったことがある。晴れ空の下遅咲きの桜を眺め、先輩、同級生、先生達と食べて飲んで(一部、お酒をたしなむ人もいた)歌っていたものだ。普段、集まって騒ぐのは苦手だけれど、この日だけは楽しめた。人付き合いが不得意な私でも、友達の輪に入れたんだ。おかげで、学科で孤立することなく仲良くさせてもらっている。

 ちなみに、公園の由来だが、遙か昔、ちょうどこの辺りに恐ろしく高く、切り立った崖があったそうだ。その崖が、九郎義経が制した一ノ谷の鵯越に次ぐ難所だと言い伝えられてきたことから、(ひよどり)(ごえ)の名を拝借した云々。『平家物語』を語らせたら日文一と自他共に認める当時三回生だった先輩が、焼酎の瓶を清涼飲料水よろしく流し込みつつ講釈してくださった。実際に、空満の西部には高山が連なっていたと資料が残されている。公園のお隣に据えられた神社だって、元々はその山々で最も高い山の頂上にあったと謂れがあるのだから。

「あれ、唯音先輩は? ここで合流するはずじゃなかったっけ」

 砂場のそばまで歩いて、ふと気にかかったので訊ねてみたら、夕陽ちゃんは、かぶりを振った。

「先輩は実験講義のお手伝いやで。場合によったら行かれへんて言うてはったやんかぁ」

「そ、そうだったかな」

「ほんま、おとぼけさんやでぇ」

 しっかりしよなぁ、と夕陽ちゃんは言った。はあ、困った表情をされちゃったよ。

「ところでなんだけど、もう時間になったよね」

 通信機の文字盤から、斜め右後ろの時計台へと目を移す。どちらも十五時〇〇分、狂いは無い。

「約束、忘れてしもうたんやろか。そうやとええねんけど……」

「うーん」

 わざわざ爆弾もどきを作ってまで果たし状を突きつけた人が、容易くすっぽかすのだろうか。

「来ないのかなあ、夏祭さん」

「はーっはっはっはっはっはっ!」

 突然、溌剌とした声が降ってきた。

「白昼堂々っ、ビビらねえで来れたこったな。そんでこそ、宿敵ってもんよ」

 どこだ? 用心して辺りを見回す。

「ふみちゃん、こっちや」

 袖をつかまれ、正面へ向き直ると、ジャングルジムのてっぺんで少女が仁王立ちをしていた。

「よう、ザコ弱虫課外研究部隊」

 まず目に飛び込んだのは、頭から噴火したような、毛量の多いポニーテール。団栗のような瞳と野生動物を彷彿させる尖った歯。学校指定の物であろう、やけに蛍光色ぎみな緑のジャージをセーラー服に羽織っている。

 それにしても、文章を裏切らない荒々しいご挨拶だこと。ひとつ、もの申しておこう。

「あの、いちおう訂正しておくけど、ザコでも弱虫でもなくて、日本文学課外研究部隊だから」

 呼称や名前を正しく言えないなんて、非常識だ。わざとだとしても、謝るのが筋というものだけれどね。

「自己紹介してなかったな。あたしが夏祭(なつまつり)(はな)()様だっ! 誕生日は葉月朔(つい)(たち)、八朔生まれっ。性格は天真爛漫っ、快足急行っ! いざ尋常に勝負しやがれ!!」

 訂正とお詫びそっちのけかい。嫌な相手と相まみえたなあ……。

「おい、てめえら」

 はい、何でございましょうか。つい体がびくついていまうよ。

「決戦前に聞いとく。あたし、(そら)(ちゅう)生か(そら)(こう)生、どっちだと思うよ?」

 え、ええー。二択迫られたんですけど。空中というのは、(そら)(みつ)中学。空高は空満高校の略。どちらも空満大学付属の学校だ。たまに、登下校しているところを見かけるんだけれど、いずれも濃紺の襟とスカートと、似たような制服だもんなあ。さらに難しくさせているのは、容姿だ。正直いうと、小学生なんじゃないかと疑うぐらいに小柄で、幼い感じがするんだから。

「さっさと答えろってんだ、ばかやろう」

 舌打ちして、催促してくる少女。ぞんざいな口の利き方は、あんまり好きじゃない。

「あなたは……」

 どうしよう。中学生なのか高校生なのか本気で分からない。高一の頃、現代文で戦争の手記を習った。担当の先生が「軍人どうしで、相手の階級を知らなかったら、できるだけ上の階級で呼んでみると失礼ではない」と仰っていたような。そして、応用として「女の人に会って、お幾つか見当つかなければ、実年齢より若い方で呼んでみよ」とも教えてくださった。今こそ、蓄えられた知識を活かすべきだ。

「中学生だよね」

 勇気を出して、音量を大きくして言ってみた。うん、夏祭さんにちゃんと届いているみたい。うなずいて、顔を真っ赤にして、眉をぐんぐん上げて…………、

「はあ!?」

 夏祭さんが、激昂している。般若が取り憑いたかのような形相と、ドスの利いた声が証拠だ。

「ふええええ」

 おまけに、夕陽ちゃんが怯えて私の腕にしがみついている。

「あたしは高三、花の十八だっ。わざと言ってんじゃねえだろな? おちょくりやがって。チビだからつって決めつけんなっ!」

 吐き捨てるように言って、夏祭さんはスカートに手を突っこんだ。そして、引っこ抜きざまに掴んだ物を投げつけてきた。当たってはまずいと反射的にかわすと、さっき立っていた地点で何かが爆ぜ、緑色の火花が散らばった。

「うわあ!」

 おもちゃ改め、爆竹が繰り出されたのであった。私の親世代が中高生だった時分に流行っていた、危ない遊び道具。不良の真似でもやってみたつもりか。

「や、火傷するでしょうが!」

 ここは年上の貫禄で注意しなければ。しかし、叱られている本人は私を圧倒する大声で、

「しゃらくせえええええーいっ!!」

 と全身を震わせて対抗してきた。特に足を、がくがくさせている。

「怒髪衝天っ、こども扱いしやがってえらそーに。タダじゃ済まねえぞっ!」

 唇を噛んで、私たちをにらみつける夏祭さん。明らかに敵と認定されている!

「勝負しろいっ」

 わしづかみにした爆竹を、私の右側へと落とす。煙とともに、不愉快な爆発が起こる。挑発のつもりだろう。でも、そう簡単には乗らないよ。

「勝負しろいっ!」

 返事ぐらいよこせっ、と言う代わりに、次は私の左側へと爆竹を落とす。後ろで夕陽ちゃんが「ひやぁ」と小さな悲鳴をあげていた。平気、たぶん怖がらせたいだけなんだ。

「勝負しろいっ!!」

 喉をからして、夏祭さんは私の手前めがけて爆竹を投げた。細かい火花が、炭酸水の泡がはじけるみたいな音を立てて飛んでくる。まぶしい。きれいだけれど、直視し続けてはいけない類いのまぶしさだ。

「夕陽ちゃん」

 私は友人の手をつないで、まずはここから離れる事を決めた。

「ここは私が、なんとか止める」

 責任はとらなきゃ。私が彼女を怒らせてしまったんだ。「口は災いの元」が身につまされる。だから会話は苦手なんだよ。物語と違って、あらぬ方向へ運ばれていくから。

「姉ちゃん返せ、ボケーっ!!」

 逃げる背に、夏祭さんの罵声が覆いかぶさる。さらに爆発が、追い討ちをかけるように襲いかかってゆく。

「てめえらが、あたしの姉ちゃんをとっちまったんだっ!」

「姉ちゃん!?」

 果たし状を送ってきた理由は、お姉さんにあるとみた。だけれど、夏祭さん(姉)なんて知り合いはいない。日文にいたとしても、少人数だから、いちいち探す必要もなく特定できる。なのに、どうして、私たちを。

「返せ、返せ、返せよっ!!」

 振り返ると、ジャングルジムにはやはり夏祭さんが、頂点でひとり、がむしゃらに爆竹を投げ続けていた。数十メートルは遠ざかったはずなのに、爆発の範囲に届きかけている時がある。遠投力が優れているのだろうか。運動部の経験があるのかもしれない。

 とりあえず砂場へと避難したが。

「よけてばっかりじゃ、ダメか」

 高校生にやっつけられてしまうのは、どうも納得いかないんだよなあ。ひとつ、女子大生の腕をみせてみたい。

「ふみちゃん」

 肩を軽く叩かれ、隣へ向くと夕陽ちゃんが水風船をつまんでいた。その辺にぽつんと置いてけぼりにされていたらしい。

(すい)(こく)()や。ついでに、あの子の頭も冷やしたげて」

「ありがと」

 落とし主にも感謝して、このたっぷりと水を含んだゴム風船でお返しだ。

「コソコソかくれんぼしてんじゃねえぞっ、弱虫部隊!」

「火よ、止まれ!」

 爆竹攻撃に合わせて、水風船を思いっきり投げた。発火する筒に風船がぶつかり、割れて中身がこぼれてゆく。爆竹は、緑の輝きを放つことなく、先端を焦がしただけに留まった。日文の基礎知識といえる五行思想が役に立った瞬間だ。

「けっ、つまんね。もうちったあ遊んでくれてもいーだろが」

 両手を高々と上げて、その体勢で夏祭さんがジャングルジムより飛び降りた。それから着地して間もなく、こちらを狙って疾走してくるじゃないか。え、もう私のところまで来たの!? ぼんやりしていたわけじゃないのに、速すぎだよ!

 瞬発力にも長けていた空高生は、間合いをとって、私に手刀を振り下ろした。

「わっ、わわ」

 幸い、間一髪でよけたものの、手刀は途切れずに、頬、肩、脇腹などを無作為に差し込んでくる。ちょっとでも油断したら、まともに受けちゃうよ。

「こーいう素手ゲンカも、あたし、得意なんだよなっ」

 攻めに攻める夏祭さん。手刀だけじゃなく、拳、張り手と品を変えて追いつめる。夕陽ちゃんだったら残念だけれど、怖じ気づいてとっくに倒れちゃっているだろう。だからといって、私ならうまくできる保証は無いけれど。正直、爆竹をかわし続けて相当疲れている。たぶん、明日は筋肉痛で足を引きずりながら登校することになるだろう。

「降参してもいーんだぞっ!」

 夏祭さんが、私の息があがってきているのを悟ったのか、わざと緩やかに顔の前で拳をもっていく。降参? そう聞いて、胸にぐらりと熱がたぎるのを感じた。―手加減されて、たまるもんか。

「しないよ」

「っ!」

 へえ、肉弾戦が得意なわりには、焦った表情をするんだ。仕方ないよね、だって、あなたの拳が、片手でがっちり受け止められているんだもの。どうしてかって? 簡潔に答えてあげようか。

「私、負けるの好きじゃないんだよね」

 たいして地位や才能に恵まれていない私が、おはじき大会で無敗の名を冠したのは、負けたくない気持ちが人一倍強かったからだ。兼好法師も書いているよ、勝てる方法は、勝とうとすることじゃない、負けまいとすることだとね。

「空前絶後っ、とんでもねえやつとバトっちまったってか」

 捕らえられた右拳をふりほどき、夏祭さんは再び挑みかかるような目つきに戻り、その手をぴんと伸ばした。

「次で決めっぞ! 恨みっこ泣きっこ等々、誹謗中傷、受取不可の一本勝負だ! あたしはチョップでいくかんなっ!」

 敵にこれからの攻撃法を教えてくれる人って、小説にも出てきたことないよ。元気いっぱいで、すぐ血が上って、体力が自慢で、お姉さんに甘える女の子。現実は時として、本よりも不思議で日常を超える出会いをもたらしてくれる。

「じゃあ私は、デコピンでいくよ」

 勝つか、負けるか。曖昧な結果など通用しない、お昼間の決闘。打たれるか、弾かれるか。互いに全ての力をかけて、十八と二十の乙女が、公園で白黒はっきりつける!

『せえの!!』

 私は夏祭さんの額へ、夏祭さんは私の頭頂へ、双方譲らずデコピンとチョップの形を崩さぬまま、まっすぐ目標へ突き進む。先に攻撃をしかけられるのは、どちらか!? 握りきれそうにない汗と、勝負の行方をこの手に委ねたが、決着はあっけない形に収まってしまった。

 首だけの河童らしきものが、夏祭さんの上半身をすっぽり覆うように喰らいついたからだ。その河童は、妖怪特有のおどろおどろしさなど捨てられて、スーパーマーケットなどにある子ども向けの文房具コーナーに置いてありげな愛らしさを誇っていた。しかも、明らかに人工的に作られた、横文字の物質だらけの科学技術の塊。こんな奇天烈な物を生み出せるのは、信じたくはないけれど、生憎、私の交流の範囲は極端に狭い。だから知っているのは、たった一人だ。

「何て物発明したんですか、唯音先輩」

 正解だと答えるかのように、入り口すぐの滑り台の陰から、長身の理系女子が音を立てずに姿を現した。

「発明第八十九号、カッパっくん……です」

 あ、あの、別に発明品の名前を聞かせてくださらなくても良かったんですが。というか、「カッパっくん」て見た目と使い方そのままじゃないですか。お風呂場のお手入れ用品で似たような名称の物あったと思いますけど。いわゆるパクりですよね、これ!

「…………」

 えーと先輩、お得意の無口無表情で隠したつもりかもしれませんが、若干目が泳いでいますよ。「はて何のことやら、知りませんなあ」って台詞当てちゃいますよ。意外と正直すぎるなあ、んもう。

「ふみちゃん、ごめん。うちが呼んでん」

 おずおずと夕陽ちゃんが私のところへ出てきて、自分の右腕に装着した物を指さして言った。盗作疑惑が浮かび上がりつつある「カッパっくん」と同じ製造元の、通信機だ。

「あまりにも白熱してたもんやから、うちには止められへんて思て、つい先輩に助けを求めてしもうて。お忙しかったのに、大変申し訳ないですぅ」

「講義後、だから、心配、いらない……です」

 私が必死に武闘を繰り広げていた最中に、密かなやりとりがあったとは。おかげで、一息つけて安心したんだけれども……、

「先輩、そろそろ離してあげませんか? 華火ちゃん」

 傍らで半魚人ならぬ半河童人が、「おいコラ出せ」とか「ふざけんな、こんちくしょーっ!」とか喚いて、地を転がりのたうちまわっているのは、見るにも聞くにも耐えなくなる。

「いいの……?」

 唯音先輩の声に、戸惑いの色が微かに混じっていた。気がかりな事でもあるのだろうか。そういえば、ちらちら華火ちゃんの方に目がいっていたような。

「お願いします」

「……です」

 間はありながらも、先輩は聞き届けてくださり、持っていたリモコンのボタンを押されたのだった。停止の信号を受け取った「カッパっくん」は、口を百度以上に開き、咥えていた少女を造作なく解放した。

「ちょいとばかし痛かったぞ、ばかやろう」

 自由の身になっていきなり文句をつけた華火ちゃんは、飛び出た結び髪ごと大きく首を振って、私たちに顔を合わせた。

「げ、姉ちゃん」

『姉ちゃん?』

 顎が外れたんじゃないかと心配するぐらいに口を縦に極限まで広げて、うろたえている華火ちゃんに、私と夕陽ちゃんは、つい二重唱してしまった。華火ちゃんが見つめている先は、もちろん私でも夕陽ちゃんでもなく、参入したばかりの青白い肌をした中性的な顔立ちの三人目の隊員だった。

「悪ふざけ、いけない、華火さん……」

 唯音先輩が、華火ちゃんのお姉さん? でも、名字違うよね……?

「ふみちゃん」

 深入りするんやないで、と夕陽ちゃんが真剣な顔でこれ以上の発言を禁じさせた。しかし、唯音先輩は別に構わない様子で、さらりと華火ちゃんとの関係を表に出した。

「私の、母方のいとこ……です」

 なるほど、親戚だったのか。確かに、年上のいとこにもお兄さん、お姉さんと呼ぶものね。重いつながりだったら、どうやって接したらいいのかなと不安になっていた自分が、恥ずかしい。

 だけれど華火ちゃんは、お姉さんに会えたのに、不満みたいだ。

「ってか、あんでこいつらといんだよっ。あたしと遊んでもつまんねえってことかよっ! 姉ちゃんが放課後来なくなっちまったから、あたし、どんだけひとりぼっちで退屈してたかっ!」

 唇をとがらせる華火ちゃんに、先輩は顔色はひとつも変わっていないが、内心では、おろおろとしているのが読み取れた。

「華火さん、それは……」

 頭の中から整列された言葉を、どうにかして絞りだそうとしている先輩。日本文学課外研究部隊と、華火ちゃんへの想いをちゃんと伝えようとしているのは、つらいほど共感できる。私も、本当に思っていること、言いたいことを発するのに時間がかかって、後悔してきているから。

「もういい」

 華火ちゃんの乾いた声が、私たちにかすり傷をつけるように引っかかれる。

「姉ちゃんも、あたしとは、遊びたくないんだ。皆、皆、あたしから行っちまうんだ。あんで遊んでくれねえんだよ、あんであたしのこと置いてきぼりにしちまうんだよっ。あたしは、あたしは、こんなにも、皆と遊びたいのにっ!!」

 痛い。華火ちゃんの言葉が、棘となって突き刺さる。縒られ、細められた小さな棘が、次々と胸に飛び込んでくる。私たちが、華火ちゃんから唯音先輩を奪ったんだ。ただ、日本文学を好きになってほしくて、仲間になってもらったのが、華火ちゃんに寂しさを植えつけていたのかもしれない。

「……いらねえ。姉ちゃんも、てめえらも、皆、いらねえ。こーなりゃ、乱れ()ちしてやる」

 歯を食いしばり、華火ちゃんはスカートにジャージの上着と、自身のありとあらゆるポケットをかき回してゆく。取り出した物は、ピンポン球もしくは、お祭りの出店で水槽に浮かべられているゴム玉かと思われた。

「アヤシいやつを撃退する用に、姉ちゃんがあたしのために作ってくれた特製花火だっ。こいつで、火炎地獄に連れてってやらあ……!!」

 指の間に、花火玉をひとつ、ひとつとはめてゆく華火ちゃん。その作業は、藁人形に恨みを込めて釘を打ち付けるのと変わらない恐ろしさが漂っていた。血迷っている? 違う、迷いなんて始めから除けられている。華火ちゃんにあるのは、お姉さん―唯音先輩がそばにいてほしいという望みだけだ。

「華火さん、やめて……!」

 先輩が、止めさせようといとこへ駆け寄る。平坦に発せられた呼びかけには、大切な存在に対する切なる願いが包まれていた。私が二人の想いを読めたところで、それをつなぎ合わせることはできないんだ。想いを結ぶものは、言葉じゃないとだめなの? 器用に操れない人に対しては、言葉は無力で、意地悪だ。

「一切合切っ、ぶっ飛んじまえっ!!」

 唯音先輩の言葉は届かず、華火ちゃんは、両の手にはさんだ花火を私たちへ放たんとする。瞳を涙でにじませながら。誰か、先輩と華火ちゃんとの隙間を埋めて。私と夕陽ちゃんは攻められて当然だから、せめて、あの二人の仲を戻してください。人でも、神様でも、誰だっていいから―!

「いてえっ!」

 華火ちゃんが、右手の甲を押さえてうずくまった。花火玉が、次々と軽やかに地面を転がってゆく。いったい、どうなったのだろうか。

「会議のお開きにぶらり歩きをしていたら、公園に戦の花が散らされているじゃないの」

 聞きなじみのある声が、鵯公園に響きわたる。痛がっていた華火ちゃんが、それを耳に入れた途端に時計台をにらみ、こう吠えた。

「てめえが、あらかたまゆみかっ!」

 時計台の頂に姿勢良く立つ白いスーツを召した女性は、華火ちゃんに、真昼の太陽をもしのぐ笑みを送った。

「ふふっ、空高にまで名が轟いているのね。出前授業に赴いていたせいかしら。確かに私は完全とはいかないけど、そこまで曖昧な存在じゃないわよ」

 女性はそう言い終えて、飛び込み競技さながら身を投げだした。曲芸を披露するみたいに宙返りして、細く高い踵をカツン、コツンと鳴らして降り立つ様は、あまりにも人間離れしていた。

「覚えておきなさい。私の名前は、安達(あだ)太良(たら)まゆみ!」

 白チョーク片手に、「あ」・「だ」・「た」・「ら」に合わせて種類の異なる決めポーズをこれまた異なる方向に披露し、おしまいに華火ちゃんへ「じゃじゃん!」と見得を切ったのは、日本文学国語学科二回生の担任にして、我らが日本文学課外研究部隊の顧問であることは火を見るよりも明らかでして。というかまゆみ先生、いつからいらっしゃったんですか。あと、足場のよろしくない時計台に立たれていては、子どもが真似したら大変なことになりますよ!

「いつからいたの? 今でしょ! は冗談として、カッパさんから女の子が生まれたところあたりよ。時計台については、良い子が真似しようとするなら、千年早いと断言できるわ。安心しなさい、五十年のうちに習得できるのは私だけよ」

 凡人(ただびと)を比ぶれば、夢幻のごとくなり。ということですか。気配すら感じさせなかったなんて、びっくりしちゃうよ。

「ところであなた、いみじく機敏な動きをしているわね」

「へ?」

 間の抜けた反応をする華火ちゃん。敵方の親玉に褒められて、調子が狂わされているらしい。

「だけど、花火を人に投げつけては、いけないわ。お家の人に教えてもらっているはずよ」

 真珠のような歯と銀色の弓を象ったペンダントをきらりと輝かせて、先生はどうやってかき集めたのか、手のひらに花火玉を盛っていた。

「あっ、あたしの花火! マジかよ!?」

「ふうん、衝撃を加えたら、爆発する仕組みなんだ。もっと安全なやり方に改良すれば、華々しい文学PRにできそうねー」

 小型花火をひとつひょいとつまみあげて、分析されるまゆみ先生。好奇心が揺さぶられているご様子でいらっしゃる。そうだった、先生の本業は研究者だった、なんて今さらな事実に気づく。

「夏祭さん、だったわね。私の大切な隊員を傷つけようとした過ち、いかに沙汰しようものかしら」

「ふ、ふげ……」

 まゆみ先生に真剣な表情で見すえられ、華火ちゃんは亡霊に追い詰められたかのように後ずさりする。

「成敗!」

 チョークを指示棒に持ち替え、鞭よろしく華火ちゃんの額をはたいた。

「いてっ、あにすんだてめえっ!」

「レディは『何するの、あなた』と言うものよ。乱暴な言葉ばかり使っていると、いつか信用されなくなって、孤立して、苦しい思いをするわ」

 あんまり想像がつかないというと失礼かもしれないが、まゆみ先生が人生の師として若者を諭されている。師匠としてじゃなくて、親として話しているみたいにもみえる。先生の年齢は不詳だけれど、この組み合わせだと、親子だと勘違いされてもおかしくない。

「えらっそうに説教すんじゃねえよばかやろう。さっさと姉ちゃん返しやがれってんだっ、てやんでえ」

「返すも返さないも、姉ちゃんと一緒にいられる方法ならあるじゃないの」

 反発する一方の女子高生に、大学教員は登場した時と同じ明るいスマイルに戻って、

「あなたも、日本文学課外研究部隊に入りなさいな!」

 ファンファーレを鳴らすらっぱのように高らかにのたまわれた。

「はあ!?」

 突然の勧誘に、華火ちゃんが顔を曲がらせた。そうなりますよね、あなたの反応は間違ってませんよ。私も似た状況だったら、同じ行動をとるもの。でも、まゆみ先生のお誘いには、「はい」か「いいよ」の二択なんだよなあ。

「決定、あなたを四人目のヒロインとして任命するわ。私達と、楽しく文学を広めましょ」

 ほらね、強制的に入隊が決まっちゃった。ご愁傷様は気の毒なので、代わりに、お、おめでとうございます。

「おい、勝手に決めんじゃねえよっ。こいつらと和気藹々で文学広めるだあ? ふざけんなっ! 第一、あたしは古典とか現代文とか大の苦手なんだぞ。そんなのやったら阿鼻叫喚するに決まってら」

「一二の目 のみにはあらず 五六三 四さえありけり 双六の(さえ)!」

 まゆみ先生が朗々と詠みあげると、華火ちゃんの頭へある物が落ちてきた。

「いててっ! なんだよコレ」

 角を丁寧にやすりがけされている小さな立方体。象牙か、大理石で形作られたのだろうか。いずれにしても、量産された物じゃないということが分かる。立方体の面それぞれには、数と並びが異なる丸が彫られており、黒や赤で彫った跡が塗られていた。

「夏祭さん、問題よ。さっき私が詠んだ和歌は、何のことをいっているでしょうか。ヒントは、今あなたのところにある物よ」

 きらびやかな笑顔で屈み込まれ、華火ちゃんは答えればいいんだろとあきれた感じで息をはいた。

「サイコロだろ。一、二、五、六、三、四の目つったらソレしかねえだろが。ってか、そのままじゃねえか。こんなのサルでも作れっぞ。マジで和歌なのかよ」

「ええ、マジで和歌よ。ちゃんとした和歌。『萬葉集』という昔の歌集に載っています」

「うげ、まんようしゅう……」

 まるで苦い薬でも飲んでしまったかのようにしかめっ面をした華火ちゃん。唯音先輩とは対照的で、気持ちがすぐ表に出るみたい。

「ウソだっ。アレって、古典だろ。古典なんざ難しくて、イミ不明で、あたしニガテだっ。あんなの、勉強デキるやつらしかわかんねえよ」

「古典は、どんな人でも楽しめる」

 先生のお言葉には、これまで以上に真剣味を帯びていた。

「このサイコロの歌は、遊びの中でふとひらめいて作ったものなの。宴会を開いて、わいわいした場をさらに盛り上げるために詠んだ。当たり前のことをいっているけれど、周りにとっては面白かったの。現代でいう一発芸よ。難しくなんて、無い。遠い昔の人も、私達と同じように恋をして、涙を流して、旅をした。愚痴をこぼしたり、からかいあったりもした。それは、頭のいい、悪いは関係ないでしょ。誰もが経験していることを三十一(みそひと)文字(もじ)にまとめてみた、それだけよ。でも、調べれば調べるほど新しい読み方が見つかる。私は、多くの人に、いろんな読みを見つけて、深めて、楽しんでもらいたいの。古典を楽しむことに、門戸は無い」

 同感だ。古典が難しい、訳ができる人だけが楽しめるなんて、まったくもって誤解だよ。生きた時代は違っても、私たちとは変わらない「人」なんだもの。思っていること、言いたいことに、大きな差があると思う? 内緒にしているけれど、私は、まゆみ先生を慕っている。准教授の肩書きを持つ、大学で日本文学を教えている偉い人だけれども、私たちには易しい表現で説明してくださるから。いつだって、学生の立場に寄り添っている。決して甘やかしているわけじゃなく、ひとりの人として見ている。

「古典って、思ってるより難しくねえのか……? あたしにもできっかな」

 うつむく華火ちゃんの背を、まゆみ先生はゆっくりと叩かれた。

「出来るわよ。皆とひとつずつ頑張れば、ね」

 華火ちゃんが顔を上げると、先生が親指を立てて「良し!」とにっこり笑いを向けていた。

「そーかっ……」

 しばらく空を仰いだあと、華火ちゃんは澄んだ目で、こう宣言した。

「一念発起っ。あたし、ヒロインになる」

 少女の決意には、筆蹟どおりの揺るがぬ心が示されていた。

「あの姉ちゃんがハマっちまったんだ。すっげー面白えもんなんだろっ? はなび様もまぜやがれってんだっ!」

「華火さん……」

 ようやく安堵した、姉ちゃんこと唯音先輩。いざこざが起きたけれど、なんとか元通りになれたね。

「ふふっ、いい顔つきになったわ。ヒロインはもちろん、最高のレディにもなれそうね。いえ、ならせてあげるわよ」

「おうよっ!」

 と、まゆみ先生に元気良く返事して、華火ちゃんは無邪気に笑った。これまで怒ってばっかりできつい印象だったけれど、なんだ、かわいい女の子だったんだ。そっちの方が、私としては親しみやすいなと思う。

「なあ、まゆみ」

 ちょっと、いくら愛称であっても、先生に対して敬称を付けないのは、くだけすぎじゃないかな。あの礼儀正しい夕陽ちゃんが「はわわわ」とうろたえているし。失礼ですよね、まゆみ先生。

「なあに?」

 あれ、注意しないんですか。先ほど仰ってましたよね、乱暴な言葉遣いはやめなさいって。まさか、呼び捨ては、許せる範囲に入っているんですか。

「ヒロインになったらよ、なんか違う名前になんのかっ? 姉ちゃんが言ってた。すげえかっこいーあだ名付けてくれんだろ? なあ、あたしは何てあだ名になんだ? 命名してくれっ」

「そうねえ……、夏祭さんは緑な感じだから、はなび・アニマート・フレッシュ・グリーンでどう? いみじくぴったりでしょ」

 呼び捨てなど気にしないで、話が変な方向に進んでるんですけど。あの、やっと傾向がつかめたんですが、「名前・音楽用語・英語の形容詞と色」で名付けてますよね。音楽用語は、夕陽ちゃんが発見してくれたから分かったんだけれど。よ、横文字にはだまされないぞ!

「あらー、大和さんたら不服そうね。言いたいこと、しかと伝わっているわよ。はなびグリーンがご希望なのね。いいわ、採用しましょ」

 どうやら、心の声はお見通し(お聞き通し、が正しいのかもしれない)だったようだ。その切れ長の目で、私の胸の奥を射抜いたんですね。さらにお化粧で目力を強調されているものだから、恐ろしい。先生の前では悪いことできないなあ。

「す、すみません」

「狂喜乱舞っ。はなびグリーン、いーじゃねえか。あたしの新しい別名だっ!」

 ポニーテールを触覚さながらピクピクと動かして、華火ちゃんは喜びを素直に表した。まあ、満足してくれるなら幸いだよ。

「よろしくなっ、まゆみ、ふみか、ゆうひ! あと、姉ちゃんも!」

 活動開始三日目にして、隊員が四人集まった。きっかけは刺激強めだったけれど、おめでたいこととして受け止めておこう。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ