ー手につかないー
あの事件以降表向きはいつも通りでも、王宮の中や貴族たちの間には言い知れぬ緊張感が漂っていた。
あれから1週間ほど経ったが、未だにラリマーとライラは見つからない。
レイルも眠ったままで、ラズが毎日顔を見に行っていると報告が上がっていた。
「ルス、少しは寝れているの?」
何かと理由をつけて城へ上がってくるリアは、その都度俺の体調を聞いてくる。
ラリマーたちのことは心配だし、レイルが抜けたことで業務も嵩んでいて寝る暇もないくらい忙しい。
目元を指先で押え、霞むのを誤魔化して再び書類に目をやる。
「根の詰めすぎもよくないわよ」
スっと手元から書類が抜き取られる。
今、俺がやれることなんてそれくらいなのだ。
仕事をしなくては自分から2人を探しに行ってしまいそうで、王子としてあるまじき行為をしてしまいそうで…。
「ルスこっちに来なさい」
「リア、だけど…」
「いいから来なさい」
ピシャリと言い放たれて、俺はしぶしぶ立ち上がる。
腕を引いて連れてこられたのは、執務室の横に設置された仮眠室だった。
寝室にある寝やすいベッドと違い、少し固くて狭いそのベッドにリアは腰掛ける。
そして自分の横にポンポンと手を置いて座りなさいと促された。
「リア、正直寝れるような気分じゃないんだ」
キッと軽く睨まれ、リアは口を開かない。
いつかラズが買ってきてくれたお土産のオルゴールのネジを巻いて、その蓋を開けた。
静かな音色が部屋を満たす。
ふぅ、とため息をついた。
こうなってしまっては何も聞いてくれない我が婚約者様だ、従うしかない。
そう思って俺はリアの横に腰を下ろした。
「わっ」
「目を閉じるだけでも構わないから」
横に座った途端、そっと頭に手があてられて柔らかな太ももへと沈められた。
恥ずかしかったのか目元の仮面を取るついでに、そのまま片手が目元に当てられる。
じんわりと暖かな手が目の疲れを癒し、優しく頭を撫でる手が眠気を誘う。
「王子として頑張らなきゃ行けないこと沢山あると思う。でも、倒れてしまっては元も子もないでしょう?」
いつもよりゆっくりとした調子で話すリアは、まるで子どもを寝かしつける母親のようだと思った。
読み聞かせをされるような立場ではないのだが、小さい頃はこうして母上や乳母にしてもらっていたと思う。
返事をしない俺が少し眠気に微睡んでいることを悟ったのか、リアはオルゴールに合わせて鼻歌を歌い出した。
「すこし、だけ…」
「はい。少しだけ、ね」
水の中に沈むように意識が沈んで、世界が暗転した。
ゆらゆらと、桃色の何かが揺れている。
リア?
いや、リアの髪よりもっと明るく薄い色だ。
誰だ?
《………明日、あの場所へ……》
誰なんだ?あの場所ってどこだ?
そう聞こうとして声が出ないことに気づく。
少しづつ鮮明になってきたその人は、やはりリアではない。
明るい桃色の髪が風になびいて、後ろには様々な色の花々が咲いている。
《…あの子たちを返します。どうか、迎えに来て…》
待ってくれ、貴女は誰だなんだ!?
世界は再びゆらゆらと揺らめいて、ぼやけていく。
淡い桃色の髪に女神のような美しい人。
儚げに悲しそうにしていた人。
何故だかとても懐かしい感じがした。
「ルス?起きたの?」
リアの声に目を開けると、そこは見慣れた仮眠室。
日の高さを見て、そこまで長いこと眠っていた訳ではないらしい。
リアの膝枕から少し名残惜しいと思いつつ体を起こすと、先程までの倦怠感が嘘のように軽くなっていた。
明日、2人が落ちたあの崖か?
「ルス?」
「おはよう、ありがとう。随分と楽になったよ」
リアの額に軽く口付けをして、俺は再び机に向かった。
思考がスッキリして、業務も捗る。
明日この場を開ける分、今日やらなくては。
「ふぅ、まったく仕事虫も大概ね」
呆れたように一息ついて、リアは応接用のソファーに腰掛けメイドに何かを頼んだようだった。
寝る前と違って、俺は明日に向けて頑張っているので少しだけ心持ちが違う。
ただの夢かもしれない。
けど2人が生きているという望みが持てただけ、気分はだいぶ違うように思える。
しばらくしてメイドが俺用に軽食と、リアに紅茶とお菓子を用意して去っていったのだった。
縁の下の力持ちタイプ。