望んだ休み
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
どうして学校にいかなくてはいけないのか?
学校で嫌な思いをした人なら、一度は考えたことがあると思う。つぶらやくんなら、これについて、どう答えていく?
――夢をかなえるのに、必要なことを身に着けるため?
ははは、キミらしいそつのない解答だ。
実際、そこまで間違いじゃないと思うよ。夢ってかなえるためには実力はもちろん、周りとの和や、課題を乗り越える辛抱も求められるからね。
これは身内だけのかかわりでは、なかなか身に着けられない。いくら厳しく接していても、どこかに手心がにじみがち。鍛えたくはあっても、つぶしたくはないからな。
でも、これがアカの他人だとすると大変だ。
美しいものは美しい。醜いものは醜いということに遠慮はない。たとえそれが先生だろうと、「サイアク」「サイテイ」「キモイ」「クサイ」に始まって、ややもすれば蛇蝎のごとく嫌って陰口をささやく。
いわんや、よくそばにいるクラスメートをや。陰どころか、日なたにおいても「いじり」と称して、心と体をボロボロにされることさえある。
だが人生全体でみると序の口で、大人になると金に名誉に異性に……いや、それはひとまず置いておくか。
こうアカの他人と一緒に過ごす、最初のコミュニティたる学校。いろいろな怪談がささやかれるのも、おかしい話じゃないだろう。
実はぼくも、はっきりとじゃないが、やっかいな目に巻き込まれそうになってね。そのときの話、聞いてみてくれないか?
学校に通う日と休みの日。たとえ夏休みなどの長期休暇があったとしても、まだ一年を通して通う日の数の方が多いはずだ。
多くの人は、たくさんあるものより、少ないものの方に気をとられる。学校へ行くのを苦としていないぼくでも、休みと聞けば内心で小躍りせんばかりさ。
特に開校記念日とか、他のみんなが動いている中、自分だけが休みを味わえるという時間が、たまらなくうれしい。特別感を覚えられる時間だからね。
だから「学級閉鎖」というものの存在を知った時には、ついわくわくしてしまったね。
インフルエンザなど、感染力の強い病気にかかった際の出席停止。それがクラス内で基準以上の人数に達すれば、たとえ健康な生徒がいたとしても登校しなくてもよくなり、その間は欠席として扱われないと。
チャンスだ、と思った。ここまでおおっぴらに臨時で休みをもらえるなんか、夢みたいじゃないか。
先生に尋ねてみたところ、インフルエンザによる欠席がクラスに8名以上出た場合、学級閉鎖となる、と。現在、インフルエンザによる欠席は3名と半分以下だ。
道徳に照らし合わせるなら、インフルエンザで体調を崩している人の心配をするべきなのだろう。だがぼくは自分の休み欲しさに、更なるり患の広がりを期待していた。
自分がかかってしまっては、意味がない。不自由なく過ごす時間だからこそ楽しいのであって、体調不良という「枷」をはめられた時間など辛いだけだ。
ぼくはただひたすらに、自分以外のクラスメートが一斉にインフルにかかってくれないかと、毎日願っていた。
日を追うごとに、休んではまた出てくる、生徒の数。それは6人を境になかなか動かず、ぼくはやきもきしていた。
このまま時期がずれ続け、全員がウイルスに耐性を持ってしまったら、ぼくの計画というか希望は台無しになってしまう。家にこもって好き勝手するという時間が。
その日はいよいよ7名まで迫り、あと一人が新たにインフルエンザと分かれば学級閉鎖が申し渡されるというところまできた。
――誰でもいいから、早く休め休め。インフルで休め……。
そう願うあまり、布団へ横になってもなかなか寝付くことができなかった。
こんなときはいつも、台所で水をいっぱい飲むのがぼくの習慣。
自室と台所が同じ階にあることもあり、階段のような音を立てやすい個所を通ることなく、ぼくは忍び足で台所前へ。曇りガラスのはまった仕切り戸をそっと開いたんだ。
そこには、こちらへ背を向けて父親が椅子に座っていた。台所の明かりを一切つけずにだ。
振り返って僕の姿を認めるや、テーブルに置いた何かを腕でかばうような動き。そのまま紙を畳むような音を立てて、寝間着のふところに隠してしまう。
「なに書いていたの?」と尋ねても、こづかれたりしてはぐらかされ、まともな答えは返ってこないだろう。これまでの経験で知っているし、ぼくだって親に隠したいことだってある。
知らんぷり。見ないふりがお互いにとっていいことだ。
2,3適当な言葉を交わして、父親は台所を後に。ぼくは明かりをつけて、コップに水を汲んだが、先ほどまで父親の座っていた椅子のあたりを見て、「おや?」と首を傾げた。
はじめは木くずかと思った。指の先に乗るほどの、小さい半月型で茶色く染まっていたからだ。
だがよくよく目を凝らすと、それが汚れた人の爪だということが分かった。そして爪を汚すそれからは、かすかだが鉄らしい臭いが漂ってくる。
――血……?
ふと沸き上がってくる、一抹の不安。それを頭を振って打ち消すと、僕は隅に立てかけてあるほうきとちりとりをもって、その爪たちをゴミ箱へ放り込んだんだ。
翌日。休みは相変わらず横ばいの7人で、学校の授業が2限目を迎えたときのこと。
不意に、冷気がどっと僕の身体へ押し寄せてきたんだ。教室内から屋外へ、一気に放り出されたかと思うほどだったけど、窓が開けられた様子はない。そして、風邪をひいたことのない僕は、初めての体験にとまどう。
歯の根が合わなくなってきた。ガチガチと落ち着かない動きをする彼らを、どうにか食いしばらせて抑えるも、元気な半袖の格好で来たからには、鳥肌の立ち始める両腕を隠せない。
けれども身体は、温まるために震えだしたりしなかった。
むしろ、ぎゅうっと外側から強く押さえつけられる感触。その圧迫する強さは、自分の顔が熱くなっているのを自覚できるほど。
なのに、一度頭に集まった血は、しだいに左の二の腕へとくとくと下っていくのを感じて……。
プソッ。
その音が一体何か、すぐには分からなかった。
見下ろした二の腕で、ぷっくり膨れる赤い玉。そして視界の隅に、そこから離れるシャーペンの先が。
目線をあげる。隣に座っていた女子が前を向いたまま、シャーペンの先端をこちらへ向けていた。
銀色のガイドパイプの先にとどまるのは、僕の二の腕に浮かぶ血の玉にそっくりだ。そのシャーペンがひゅっとそっぽを向くや、玉はパイプから宙へ飛び立っていく。
僕の想像した彼女の仕打ちが正しければ、あれは液体。はねを飛ばしながら、宙で無残に体を崩すはず。
なのに、ガイドから飛んだ玉は形を変えないまま。他の生徒の影となり、着地したところが見えないまま、教室の床を転がっていく音がしたんだ。
何人かの手が止まり、音の出どころらしいところへ目を向けた。先生もチョークで書く手を止めたが、それも長く続かない。みんな顔をあげて授業続行となる。
僕もこの程度の傷で騒ぐのはみっともないと思い、ポケットティッシュを軽くあてがった。そして当の彼女はというと、授業中もその後も、僕に対してきょとんとした表情と受け答えに終始したんだよ。
この日からインフルエンザによる、新たな休みはぴたりと止んでしまう。
変わりに僕はすこぶる体調の悪い日が続き、インフルエンザの流行が終わるまでは調子が上向くことはなかったよ。
以降、インフルエンザ流行の兆しがあると、ぼくが体調を崩し気味になる一方で、周りの人はそうそうインフルエンザにかからなくなってしまったんだ。
原因は今になっても分かってない。
でもひょっとして、僕が周りの休みを望んだように、周りが僕の休みを望んでいて、それに負けちゃったんじゃないかなあ、と思っているんだ。