第百二十一話 胃もたれ
エイのレバ刺しが思いのほか美味かったので、調子に乗って食べ過ぎてしまい、寝る前になって胃もたれというか、ムカムカと胸焼けしてきたので慌ててキャベジンコーワ顆粒を飲む。ネットで調べたら、脂肪分が七割もあるというから、六十八歳の山中幸盛の胃腸にとって、消化能力を超える量だったのだろう。
それでも二、三日過ぎて回復すると、のど元過ぎればなんとやらで、冷凍してあったエイの肝臓のみならず、ヒレ部分を三枚(五枚)におろした刺身用肉を解凍し、それぞれゴマ油と塩、刺身醤油とワサビでビールを飲みながら口にしてみたが、両方とも生と比較して遜色ないほどに美味い。
ウマイがしかし、翌朝起きてすぐにトイレの便器に座ったら、大便が小便と見まがうほどの液状になってシャーシャーと排泄されてきたのには驚いた。久しぶりに正露丸も服用することになったが、冷凍室にはまだエイの肝臓が五、六回分小分けしてあるから、便秘気味の際に食すればいかなる便秘薬にも勝ることが容易に推察できる。
それはともかく、エイのレバ刺しは腹を壊してでも食べる価値のあることが判明したが、当面は胃腸に休息を与えることが必要だ。
という次第で、アジングは報われぬ恋なので、名古屋港までハゼ釣りに行くことにした。ハゼは時期・時合いと絶好の釣りポイントに恵まれれば、古来、百匹単位で一束、二束と数えられるほどによく釣れる魚だが、六年前の場合は、のんびりした釣りがしたかったのでリール竿を三本出して投げ釣りしたところ、五時間やってハゼは四匹釣れただけだった。(『北斗・第六一三号』第61話 取材釣行)
しかし今回はやる気満々で場所を選抜し、実績ある伊勢湾岸自動車道の名港西大橋下に繋がる運河の堤防下の、潮が引くと姿を現す敷石の上に立って脈釣りで挑むことにする。
敷石といっても、波消しブロックならぬ波消し花崗岩を適当なサイズに切り出して捨石(水勢を弱めるために水中に投入する石)にしたもので、なるべく水平で平らかな巨石を選び、その上に乗って竿を出すのだが、グラグラ動く石もあるのでそこそこのバランス感覚が必要だ。
しかも、海苔のようなものがビッシリ付着している石もあって、乾く前だと足を滑らせてしまうので、安全な石をしっかり見極める必要がある。すなわち、減量するための恰好の運動になるばかりか、体幹を鍛えることもできてハゼを食べることができるので、一石三鳥の場所なのだ。
脈釣りはリールもウキも使わない釣法で、約四メートルの細い竿の先端に同じ長さの細い糸を結び、小さなオモリと針を使って、ハゼがエサをくわえて走る瞬間を、竿を握った手に直で感じて合わせるので勝率が高い。
九月十七日は大潮で、満潮が午前五時三十五分、干潮が午前十一時五十五分だったので、家を九時ちょうどに出発し、エサ屋で青虫を一パイ買って現地に到着したのは九時四十分頃だった。見ると、敷石は海面から露出しているが、曇天のせいもあって、まだ全然乾いてはいない。
これでは危なくて石の上には乗れないが、堤防と敷石の間に、五十センチほどの幅で平面なコンクリートが続いているので、ゴム長靴を履けばその上を安全に歩行できる。
手荷物は最小限に抑え、竿と、釣ったハゼを生かしておく空気ぶくぶくポンプ付きビニールバケツと、エサ箱とハサミと釣り針等の小物を入れたビニールバケツだけを持って、堤防の上から階段を十六段下まで降りて行く。
この場所はエサを遠くに投げる必要は無く、敷石が切れた先から数メートル以内の範囲でハゼが食いついてくる。だから、堤防下の平面コンクリートの上に左足を残し、右足を前に踏み込んでも大丈夫な石の位置を確保し、大股開きの恰好で竿を振りかざして右腕を伸ばしてエサを投げる(実はこの渓流竿は買った時は四・五メートルあったのだが、針が根掛かりした際に先端がポキリと折れてしまったのだ)。
投げ終えてエサが海底に着いたら右足を戻し、エサを動かしてハゼを誘い、ハゼが食いついて走る瞬間を合わせて釣り上げる。このポイントは穴場で平日は人の姿はどこにもないので、ハゼにエサを取られたら、
「負けた、キミの勝ちだ」
と声に出してそのハゼを称え、反対にこちらがタイミング良く合わせて釣り上げたら、
「オレの勝ちィー」
と鼻を五センチほど高くする。その結果、一束とはいかなかったが、正味四時間半ほどで大中小七十三匹のハゼを釣り上げることができた。エサはまだ少し残っていたのだが、潮がどんどん満ちてきて、堤防下のコンクリート平面から五センチ下まで水面が上昇してきたので納竿した。
七十三匹も釣れると家に帰ってからが大変で、一匹ずつ包丁でウロコをそぎ、ハラワタを出し、頭を切り落とすのに一時間半も要した。それに、この穴場は名古屋港に近く水質が良くないだろうから、大量の食塩でしっかりもみ洗いした後で、おろし生しょうがのチューブ一本をぶっ込んだ日本酒に二十分間ほど漬け込んだ。ハゼのカラアゲは美味いから、また食べ過ぎぬように用心、用心。