あくまでアクマは良魔にこだわる123 名刀
自分はどうも名刀が好きだ。
吉行の刀というのは、当家に伝わる名刀である。
兄の権平に以前よりおねだりし続けていたんだ。
自分のことだが問題なく暮らしているので、ご安心ください。
さて別紙に認めることどもをじかにお聞きいただけるならば、おのずから近年中のご出陣の時も、よほどお心当たりがあるとは思う。
なにとぞ何をナガサキの方にお送りいただくべきなのか、おうかがいしたい。
この頃お願いしたいことは、古人もいう通り、国家の難に臨む際には必ず、家宝の甲冑または宝刀をわかちなどをすることだ。
なにとぞ思し召しにかなう品なんなりとも送っていただけば、死ぬ時もなお自分の側にこれがあると思ってこれを思える。
なにとぞお願い申し上げる。
おつかわしになる時、別紙の通りの当所にお送りいただけるようお願いする。
なお後日の時を期す。
去年十二月四日、権平宛ての手紙である。
最近この名刀が、サイ郷隆盛さん経由でとうとう自分の手元に来た。
権平が四侯会議にてお会いしたサイ郷さんに、この名刀を預けた。
預けられたサイ郷さんは、中オカ慎太郎に渡して自分にことづけた。
四侯会議というのはキョウにて成立した雄藩四藩の藩父による政治合議体である。
サイ郷さんが二月一日にカゴシマ帰国、サツマ藩父シマ津久光公の賛同を得た。
サイ郷さんはウワ島藩父ダテ宗城公、トサ藩父ヤマ内容堂公の誘い出しにいく。
一方キョウでは小マツさんが在キョウ中のフクイ藩父マツ平春嶽公を説得する。
久光公が三月二十五日に七百程度の藩兵を引き連れてカゴシマを出発し、四月十二日にキョウに入る。
続いて四月十五日にダテ宗城公、五月一日にはヤマ内容堂公もキョウに入る。
こうして四侯会議が成立している。
先ごろトサ蒸気船「ユウガオ丸」という船がオオサカより来た。
ご隠居公と後トー象二郎が早々上キョウするとのこと。
自分も上キョウしてくれよ、と象二郎がいってきた。
このキ州船のトラブルが片づいたら、自分も上キョウしないといけない。
この度の上キョウは、誠に楽しみである。
しかし右のようなことだから、下セキへ寄ることができないかもしれない。
キョウには三十日もいたあとはすぐ、ナガサキへ象二郎とともに帰る。
その間に、その時は必ず必ず下セキに、ちょっとだといっても帰るからね。
お待ちくださるように。
五月二十八日、ホノカ宛ての手紙である。
「キ州船のトラブル」というのは、つまり「いろは丸」沈没のことである。
まあなんだ、気恥ずかしいのでこれで終わりだ。
帰るメール、みたいなものだ。うっ、頭が痛い。
自分と後トーは六月九日にトサ藩船「ユウガオ丸」に乗船してナガサキを発つ。
航海中に長オカ謙吉が筆記した「船中八策」を作成する。
十二日にはヒョーゴに到着し、その数日後にはキョウへ入る。
キョウ料亭「ヨシ田屋」にて二十二日、サツト盟約が成立した。
その翌日から大政奉還について「船中八策」建白の修正をし、自分や中オカの意見を聞き密会を重ねる。
自分のことだが変わらず、およばずながら国家のお為に日夜尽力いたしている。
失敬ながらご安心いただくように。
しかるに先ごろサイ郷さんよりお送りいただいた吉行の刀、この頃キョウに出るときも常に帯びている。
キョウの刀剣家にも見せたところ、皆アワタ口忠綱くらいの目利きをした。
この頃モー利荒次郎がキョウに出るのでこの刀を見てしきりにほしがり、自分も兄のタマモノだとして誇らしいことだ。
この頃キョウに出てきた役人にも度々会い、国家を心配される人々は後トー象二郎、福オカ藤次郎、ササ木三四郎、モー利荒次郎だ。
中でも後トーをもって第一の同志といたし、天下の苦楽を共にしているので、ご安心ください。
他のことは拝顔の時に、万々申し上げる。
このたびは取り急ぎのため、何も詳しくはいえない。
キョウの勢いは、大勢の帰国される者にお聞きいただくべきだ。
先ごろ四月二十三日の夜 キョウから出たあとの瀬戸内海で、自分の蒸気船とキ州の蒸気船と突き当り、自分の船が沈没した。
ナガサキへ帰り大議論を発し、ついにキ州と一戦争するしかない、と自分は部下のものへはいい、用意していた。
キ州の方はサツマに頼って、書き物をもって勘定奉行らが謝りに出かけ、日々手を尽くしていた。
そのため、そのまま差し許すことにした。
「この良魔が船の論とは何か、日本の海路定則を定めた。」
皆こういって、海の船乗りらはいろいろ聞きにくるのだが、お笑いください。
六月二十四日、権平宛ての手紙である。
まあ、吉行の刀のことがうれしくてたまらないらしく、はしゃいでいる。
客観的に自分を見ないと実に気恥ずかしいのである。
大事なのは、大政奉還への準備や「いろは丸」沈没の顛末の方だ。
もっというと、これには物騒な裏話がある。
硬軟両面の策という言葉があるが、これはまさにコレなのだ。
自分の絡んでいる大政奉還への準備が、軟の部分である。
一方の硬の部分は、幕府軍との戦争準備である。
こちらはひそかにイタ垣退助が代表で進めている。
前にいった気がするが、コイツはヤンチャで象二郎とつるんでいたヤツだ。
ちなみに新おこぜ組の主要メンバーでもある。
中オカ慎太郎もこっちで活躍している。
しかるに先ごろナガサキより後トー象二郎と同船で上キョウしたところ、この頃イング国船がお国に来たようだ。
またル比猪内さんと同船でスサキ港までいったが、ひそかにことを論じていたので、今までいえなかった。
この度イング国軍艦「イカロス号」がきた理由は、こういうものだ。
ナガサキで、イング国軍艦の水夫二人が酔っていたところを誰かが殺した。
トサ人が殺した、と幕吏が申し立てたようだ。
そのイング国人の殺された時は、七月六日の夜のことだ。
七日朝に自分所有の帆船「ヨコブエ」が出帆して、お国の軍艦が同夜に出帆した。
右の都合をもって幕吏が申し立てたようだ。
「殺した人がまず帆船「ヨコブエ」でその場を引き取って、軍艦に乗り移りトサに帰った。」
それで幕府軍艦がイング国軍艦とともにきたようだ。
まず後トー象二郎、ル比猪内、ササ木三四郎に談判して片づいたようだ。
この頃またお願い申し上げる品がある。
ご所持の無銘の了戒、二尺三寸ばかりのお刀、なにとぞご拝領を願いたい。
その代わりをお求めになりたいのであれば西洋ものがあるのでお申し出ください。
まずは今、持っている時計を一面差し出すので、ご笑納ください。
夕方急に来た文なので、今は了解しかねると思われるけども、後日に期す。
八月八日、権平宛ての手紙である。
この件は海メン隊は無罪であるため、のんきにまた刀を無心している。




