あくまでアクマは良魔にこだわる122 春猪さん
自分はどうも春猪さんが好きだ。
妹的存在で、旦那にも逃げられた格好で不憫である。
もちろん、乙女姉さんだって大事だぞ。
最近どうも感情の行き違いがあるようだけど。
今日も忙しいためサツマの屋敷へ参りかけ朝六つ時頃よりこの文をしたためた。
当時自分は、キョウ三条通カワラ町一丁下ル車道、ス屋に宿っている。
清次郎にお頼みのご書、彼より受け取り拝見した。
自分は書生五十人ばかりは連れているが、皆ひと稽古もできる者で、共に国家の話ができる。
かねてお聞きしていたように、清次郎はいい人物だろうと喜んでいた。
しかし色々話を聞くところ、なんの思惑のない人で、国家のおん為に命を捨てるには苦労しない程度だ。
今少し人物だったらいい、まあ少し何か芸でもあればいいと思う。
ただ連れて歩く程度のことで、この上酔狂をすればお蔵のニワトリとやらである。
今一、二年も苦労したら少しは役に立つだろうが、まあ今の所ではどうしようもない人である。
昨今他国で骨折った人はなんぼアホな人でもお国の並々の人の及ぶ所ではない。
先日オオサカのお屋敷に行って御用人やら小役人に出会った。
證判役小頭役とやらいう者の面構え、キョウの関白さんの心持ちだった。
気の毒でもありおかしくもあり、元より自分は用もない。
ものもいえなかったけども、あまりにおかしいため、後トー象二郎にもいった。
「私はあのような者を使わねばならない。こうるさいことお察し下され。お前方は実にうらやましい。」
彼もこういって、笑っていた。
清次郎も右のような化け物よりはよほどいい。
ご病気がよくなったら、お前さんも他国に出るおつもりのようだ。
右のことは自分に論がある。
実は自分の名というものは、もはや諸国の人々に知らない者もない。
今その姉が不自由をして出て来たといっては、天下の人に対しても恥ずかしい。
自分もこの三、四年前なら人に知られていないヤツだったのでいいけども、今はどうもそういう訳にはいかない。
もしお前さんが出たら、どうしても見捨ててはおけず世話をしないとならない。
その世話をするぐらいならば、近日に自分が国に帰る時、後トー象二郎にいって、蒸気船でナガサキへお連れする。
かねて象二郎も老母と一子があるとやらで、ナガサキへ連れ出すなど、この辺のことは極内々で色々話し合いする。
自分は妻一人のことで留守の時に実に困っているから、お考えになってください。
乙女姉さんを近日自分が直々に、イヤでも蒸気船よりお供する。
短銃をよこせとのおいいつけだが、これは妻にも一つ渡したものがある。
長さ六寸ばかりで五発込、懐剣よりは小さいけれど、人を撃つのに五十間くらい距離があれば撃ち殺すことができる。
その片われが今手元にあるけれど、差し上げるわけにはいかない。
なぜかといえば今お国のことを思うと、なにぶん何ももの知らぬヤツらが、勤王とやら尊王とやら、やかましく天下のことを濡れ手で粟をつかむようにいい散らし、その者らがいうことを本当だと思うからだ。
イケの母さんやスギ山の後家さんや、またはお前さんが思っている様子だ。
また兄さんはシマ真次郎や佐タケ讃次郎と付き合っている様子だ。
お前さん方は他国へ出れば、世渡りをすることなんて、どうにでもなるように思われるだろうが、中々女一人の世渡りは、どのように暮らしてもひとふりは一年に百二十両もなければ回らない。
自分は妻一人のみならず、お前さんくらいはお養いすることはできる。
女は天下の為に国を出るというわけにはいかないものだ。
ぜひ兄さんのお家からカッとして出奔するのは、自分がお国に帰るまで死んでもお待ちください。
象二郎らとも内々は、話し合っておく。
そして今はイクサの始まる前だから、実に心忙しい中にまた姉さんが出るとなれば大変すぎるので、前後をお察しいただきたい。
清次郎一人でさえ、この頃の出奔はよほど泣きそうだが、男だからまあ、収まりはつく。
小高坂の辺の娘まで、勤王とか国家の為とかをあわてて探す為に、女の道を失い若い男とくらがり話をしたがる。
この頃はオオサカの百文でちょっと寝る、ソウカという女郎のようなもんだ。
このことを小高坂の辺にて心ある人々にはお話し聞かせるべきだ。
自分の妻は、日々いっている。
自分は国家の為骨身を砕いているから自分をいたわってやることが国家の為だ。
決して天下の国家のということはいらないことと思っている。
それで日々縫いものや針ものをやっている。
その暇には自分にかけるエリなどの縫いものなどしている。
その暇には本を読むことにしなさい、といった。
この頃 ピストルは大分よく撃っている。
誠に妙な女ではあるけど、自分のいうことをよく聞き込む。
敵を見て白刃をおそれることをしらない者なのだ。
フシミのことなど思い出してください。
別にリキミはしないけれども、また一向平生と変わらない。
これはおかしなものである。
六月二十四日、乙女姉さん、春猪さん宛ての手紙である。
清次郎といっているのが、春猪さんの旦那だ。
サタ元家と妻と子供がいるのに、脱藩して自分の元に来た。
文中の通り、何も考えていないため扱いに困っている。
お文では難しいこともあり、しかるにご注文の銀の板打ちのカンザシというものに、キョウ打ち、エド打ちというのがある。
板打ちの中にも色々意匠があるため、意匠の図でも送ってくれればわかりやすい。
わかったといっても後の便に、一つ差し上げるつもりだ。お待ちよ。
三月二十四日、春猪さん宛ての手紙である。
まあ甘いよな、自分で自覚はあるんだよ。
妹的存在なんて甘やかして、わがままにしちまうわけさ。
春猪が、カンザシを送ってくれ、といってきた。
旦那の出奔が発生している時にあたって、カンザシとはなにごとだ。
清次郎に小遣いでもやってくれよ、とでもいいそうなもんだ。
ただ、気の毒なのは兄さんだ。
酒が過ぎれば長生きはできまいし、あとは養子もあるまい。
自分が帰るのを待てば清次郎は都合よく出してやるものをつまらぬ出奔をした。
七月頃の畑に生えた、オクレ生えのマクワウリやキュウリのようだ。
あわれむ人は少ない。
六月二十四日、乙女姉さん、春猪さん宛ての手紙である。
もちろん、人のことはいえない。
脱藩という短絡的な行動で周囲にいらざる心配や問題を引き起こした自覚もある。
サタ元家的には兄さん的には、である。
ただ考えもなく出奔したり、それを見て自分も出ようと画策したり。
自分が悪いのかもしれないけど、なんだか納得がいかない。
青雲の志やら天下国家を憂える志を持て、とはいえないけどさ。




