あくまでアクマは良魔にこだわる116 サイ郷隆盛
自分はどうもサイ郷隆盛さんが好きだ。
幕臣大クボ一翁さん同様、尊敬している。
自分が死んだときに墓前に花を手向けていただけるなら何でもする。
まあ、新婚旅行の顛末だけ書いたんじゃ、気恥ずかしかったのだ。
わかってください。
このサイ郷という人は、七年間の島流しに遭った人である。
それというのも病のようにキョウの事が気になる人だったためだ。
先年始めてアメリ国ペリーが江戸に来たときには、シマ津斉彬公の内命にてミトに行き、フジ田東湖のところにいた。
その後その殿様が死なれてから、朝廷を憂えた者は殺され、島流しに遭っていた。
そのときサイ郷は、島流しの上にその地で牢に入っていたようだ。
近ごろカゴシマでイング国とイクサがあり国中一同がサイ郷隆盛を恋しがった。
とうとう牢から引き出し、今はまつりごとを預かり、国の進退はこの人がなければ一日も持たないようになった。
人というものは短気をしても、めったに死ぬものではない。
また人を殺すものではないと、人々はいい合っている。
十二月四日、乙女姉さん宛ての手紙の末尾である。
実はいろいろ、ホノカにはいうにいえない問題がある。
不思議なのは、彼女の子供みたいな見た目だけではないのだ。
まず、家事炊事能力が壊滅的だ。
洗濯ものを洗ったり畳んだり、料理を作ったりできない。
そういうことはおっさんの仕事だ、といわれた。
洗濯女を雇い入れる羽目になりそうだ。
食い物はまあ、外で買うなり出前を取ればいいだろう。
前回ちらっと触れているが、彼女は豪弓使いでめちゃ強い。
テラ田屋遭難のときも、ほっといたら皆殺しにしていた。
むしろ必死で止めていたのはナイショである。
手指にケガをしたのもそのせいではないかと思う。
ちなみに彼女は例のアマノサカホコを軽いノリで引き抜いてしまった。
手紙には二人でやったように書いているが、それほどの重量だったためだ。
しかも、ああ、まだこんなトコにあったんだあ、っていった。
おま、え、なに、と自分はうろたえるしかなかった。
そのあと必死でいい含めて、元の位置に二人で戻した。
アマノサカホコというのは誰の神話だったかな。
イヤな予感が止まらないので、忘れようと思う。
世の中にはしらなくていいことが多すぎる。
サツマ藩主催の宴席で、空のトックリを宙に放りピストルで撃つ遊びをやった。
こういうものはやっているうちに、だんだん熱が入ってくるものだ。
ホノカもあっという間に熱くなり、例の豪弓でバンバン撃ち落とし始めた。
三連続できれいにトックリを撃ち落とし、サツマ藩の連中も拍手していた。
おお、ヨメゴ様は見た目に似合わず剛の者ですな。
おお、まったくまったく。
お前様のお子様かと思いましたぞ。
非常に気恥ずかしい思いをした。
そうそう、一番の問題がある。
三度三度の食事時である。
どっか行く。
まあ、どっか行って戻ってこない。
どこへ行っているのか、食事に何を食べているのか、謎だ。
いずれにせよドラゴンの食生活には、あまり介入したくはない。
強いことはわかったので、余計心配なんて無意味であろう。
かわいい顔してニコニコしているのは、夢のままだしな。
それよりも船の話題である。
三月にサツマ藩とカメ頭社中で、イング国商人グラバーから六千三百ドルで帆船「アラナミ号」を購入した。
「ユニオン号」は近ドー長次郎のことでゴタゴタし、運用する権利も失った。
自分たちの船がない状態では、航海専門職としていかにも格好がつかない。
この件でも、サツマ藩には世話になりっぱなしである。
イケ内蔵太のこと、かねてより海軍の志があり、下セキを自分と同伴してキョウへ上った。
わけあって、サツマに下ろうとしている。
今は幸いに直がチョウ州に帰っていると聞いた。
今だったら彼を「ユニオン号」に乗せてもいいのではないか。、
内蔵太のことは、海軍には今は実績がない者だが、度々戦争をやっているものだから、随分後には頼もしき者ともなるだろうと楽観している。
もし「ユニオン号」の都合がよければ、サイ郷さん、小マツさんの方は自分より話し合って都合よくするよ。
三月八日、直宛ての手紙である。
この子はクマのサノだったっけ。
実に長い付き合いになりつつあるし、やっぱり頼りになるヤツだ。
内蔵太の事はきっとわかってくれるだろう。
一、ここにあわれなのは、イケ内蔵太である。
九度の戦場に出ていつも人数を率いて戦っていたのに、一度も弾丸に当たらず幸せであった。
しかし一度自分たちの求めた「アラナミ号」という西洋形の船に乗って難に逢い、五嶋のシオヤ崎にて難破し五月二日暁天に亡くなった。
人間の一生は実になお夢のようだと疑う。
杉ヤマへもこのことお話しなされたく、元よりその亡くなった丘には印がある。
慶応二丙寅年五月二日暁天、溺死各霊之墓
ホソ江徳太郎
タカ泉重兵衛
水主頭虎市
同熊吉
他水主八名
右の内、生き残った者は四人という。
ホソ江徳太郎というのは、イケ内蔵太の事である。
タカ泉というのは、クロ木半兵衛というチバ重太郎さんの門人で、真剣勝負の時と平時の稽古と違わず、人は驚いたものだ。
十二月四日、権平、一同宛ての手紙の末尾である。
五月一日、サツマ藩からの要請に応えてチョウ州から兵糧五百俵を積んだ「ユニオン号」がカゴシマに入港。
しかし折角手にした帆船「アラナミ号」は、処女航海で難破し沈没した。
カメ頭社中としてはもちろん、大変な損害となってしまった。
なによりイケ内蔵太始めとするカメ頭社中メンバーが多く犠牲になった。
何度もいうが、西洋船の航海専門職などというのは人材としても貴重なのだ。
サツマ藩がなんだかんだと自分たちに便宜を図っているのは、そのためでもある。
大げさでなく、我が日本の損失は計り知れないものとなった。




