あくまでアクマは良魔にこだわる114 近ドー長次郎
自分はどうも近ドー長次郎が好きだ。
一月十四日、長次郎が独断でイング国留学を企てた。
チョウ州の伊トー俊輔や井ウエ聞多とナガサキのグラバー商会での取引で親しくなったためらしい。
彼らはのちの伊トー博文や井ウエ馨のことである。
この二人はすでに藩命でイング国留学をしており、人脈があったのだ。
これが露見し、周囲からも責められて切腹する。
およそ事の大小となく、社中に相議してこれを行うべし。
もし、一己の利のためにこの盟約に背く者あらば、割腹して罪を謝すべし。
カメ頭社中の隊則にこういうものがあり、これに従ったということだ。
イング国蒸気軍艦ユニオン号に関することは元々ややこしい権利関係がある。
サツマは名義を貸している。チョウ州は軍艦を購入できる。カメ頭社中はその軍艦を運用できる。
これがサクラジマ丸条約の骨子だが、チョウ州がもめだしてそのまま紛糾した。
資金を出して購入しただけで実際の運用ができないのはおかしいという言い分だ。
イッチュー丸の件は小さいことではあるが、わかっておられる通りだ。
チョウ州にとっては非常に大変なことで、海軍の興廃に関することだ。
全部事情をご存じなあなたが、当藩の海軍も成り立つようにくれぐれも頼みたい。
サツマの小マツさんがこれを承知してくれず、非常に困っている。
これがまず、一月二十三日のカツラさんからの手紙だ。
自分はこれを長次郎に相談せず、カメ頭社中が譲歩する形で決着をつけた。
運用をチョウ州藩によるとし、カメ頭社中は運用する権利を失った。
長次郎は、サツマ藩のナガサキ担当にかなりやり込められている。
その中で非常に苦心して事に当たってくれている。
イング国留学の志があったのにチョウ州藩のために予定が三か月も遅延している。
藩から必ずお礼をしていただきたい。
金なれば百、二百金ぐらいは、進呈してやるべきである。
このきな臭い手紙は、伊トー俊輔からカツラさん宛ての手紙だ。
細かい経緯は不明ながら、結局購入代金の内二千両が未払い状態だったらしい。
チョウ州藩士の誰かをこのユニオン号で無断でイング国に留学させようとした。
伊トー俊輔や井ウエ聞多がどうもそれに絡んだ。
一方でサツチョウ同盟の締結に向けて内外が盛り上がっている。
この辺りの事情は明確ではないが、長次郎の自死には謎がある。
こうした機運をつぶさない様に、ヤツ一人がすべてをかぶった可能性はある。
長次郎は、実に優秀な自分の右腕だった。
隊員たちの気持ちもわかるが、残念なことになってしまった。
もし自分がその場にいたら、結果は変わっていただろうに。
こんな卑怯で薄情な幕引きでは、なんともやり切れない。
一方このころ、一月八日、小マツ帯刀さんのキョウ屋敷において、カツラさんとサイ郷さんの会談が開かれた。
一月二十日、自分は三十二歳になったが、チョウ州下セキからキョウに到着した。
いまだに難航していた。
そのため、カツラさんに思わずどなってしまった。
カツラさんは、自分たちはサツマには頭が下げられない、といった。
そのまま立ち去りそうになり、サツマ藩がさすがに止めた。
一月二十二日、サツマ側からの六か条の条文が提示された。
その場で検討が行われカツラさんは了承した。
こうしてサツチョウ同盟が締結された。
長かったが、やっとのことでここまでこぎつけた。
この度の使者、ムラ田新八に同行して参上するべきだけども、実は心にまかせない事情がある。
なぜなら去月二十三日夜、フシミに一宿している所に、はからずも幕府より人数さし立て、自分を討ち取るとて、夜八つ時頃に十人ほどが寝所に押し込んだ。
皆手ごとに鎗とり持ち、口々に上意上意と騒いだため、少々論弁もしたけども、早くも殺す勢いが見えた。
是非なくかのタカ杉さんより送っていただいたピストルをもって打ち払い、一人を討ちたおした。
いずれ近い間だったため、むだ射ちはしていないのだが、弾も少なくなった。
そのため、手傷をおいながら引き取った者が四人いた。
この時始めて、三発うった時ピストルの持ち手を切られたが浅手であった。
その暇に隣家の家をたたき破り、うしろの町に出ていって、サツマのフシミ屋敷に引き取ってもらった。
ただ今はその手傷を養生中にて参上ととのわず、何卒ご仁免願いたい。
いずれ近々顔を拝ませていただいて謝りたい。
二月六日、チョウ州のカツラさん宛ての手紙である。
一月二十三日、つまりサツチョウ同盟締結の翌日あったテラ田屋遭難である。
自分は護衛役のチョウ府藩士、三ヨシ慎蔵とテラ田屋で祝杯を挙げた。
そのころ、フシミ奉行が自分の捕縛準備を進めていた。
明け方二時ごろ、一階で入浴していたお良が窓外の異常を察知する。
袷一枚のまま二階に駆け上がり自分と三ヨシさんに知らせた。
しかしすぐに多数の捕り手が屋内に押し入る。
自分はタカ杉さんから贈られたピストル(S&W)を、三ヨシさんは長槍をもって応戦する。
多勢に無勢で自分は両手指を斬られ、両人は屋外に脱出した。
負傷した自分は材木場に潜み、三ヨシさんは旅人を装ってサツマ藩邸に逃げ込み救援を求めた。
自分はサツマ藩に救出された。
かねてよりの妻の龍女は、モチ月亀弥太が戦死の時の難にもあっていた者だ。
またお国より出たものが、この家にて大いに世話になった所、この家も国家を憂えているからこそ家を滅ぼした。
老母一人、龍女、妹両人、男子一人、カツカツにて、どうも気の毒だった。
龍女と十二歳になる妹と九つになる男子を引き取った。
十二歳の妹の名は君江、男子は太一郎。
この両名はセッツのコウベ海軍所のカツ海舟さんに頼んだ。
龍女の事はフシミのテラ田屋の家内お登勢さんに頼んだ。
これは学のある女で優れた人物だ。
今年一月二十三日夜の難に遭った時も、この龍女がいたからこそ、自分の命は助かった。
キョウの屋敷に引き取って後は、小マツさん、サイ郷さんなどにも話し、我が妻と知られている。
この辺りを兄上にもお話しいただきたい。
お申し上げいただけば、住所、キョウ柳馬場三条下ル所。
ナラ崎将作、死後五年となる。ここに住んでいたが、国家の難とともに家は滅んで跡もなくなった。
右の妻は存命だ。
我が妻はすなわち将作の娘だ。今年二十六歳、父母のつけた名はお良、自分がまたお鞆と改める。
十二月四日、乙女姉さん宛の手紙の冒頭である。
前世より約束した許嫁が来た直後に、死んだらバカだろう。




