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【完結済み】アラフォーのおっさんによる異世界転移の錬金生活  作者: 薙尋
あくまでアクマは良魔にこだわる1
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あくまでアクマは良魔にこだわる109 カツ海舟

 自分はどうもカツ海舟カイシュウというお人が好きだ。

冒頭の脱藩からやっと、時系列がもとに戻った。

わかりにくくなって恐縮である。

いわゆる追放系を書いてみたのだが。

別段誰に対しても恨みを飲んでいないので、厳密には違うかもだが。


 結果として、二十八歳の自分は強運だということを証明することになった。

冒頭の脱藩顛末の終盤に書かれていたフクイ藩藩父・マツ平春嶽シュンガク公に十二月五日拝謁した。

そこで見事、カツ麟太郎リンタローさんへの紹介状を受けた。

ヨコ井小楠ショーナンやら利リス公正キミマサをはじめフクイ藩のお歴々にもしっかり顔を売れたはずである。


 同月九日には、近ドー長次郎チョージローとともに、カツ麟太郎リンタローさんの屋敷を訪問した。

カツさんの覚えもめでたく、そのまま門人となった。

カツさんは実際に黒船に乗って太平洋を越えたことがあるのである。

自分の思う黒船による日本の海軍建設に対して、同じ思いをお持ちであった。


 さてもさても人間の一生は納得のいかないのは、もともとのこと。

運の悪いものは、風呂より出ようとして、金玉をつめ割って死ぬものもいる。

それと比べて自分などは運が強い。


 なにほど死ぬような場に出ても死ねない。

自分で死のうと思っても、また生きなければならないことになる。

日本第一の人物カツ麟太郎リンタローという人の弟子となる。

毎日、日本の海軍建設に取り組めるようになり、精出して頑張っている。


 それ故に、四十歳になるまではウチには帰らないようにするつもりだ。

たまたまキョウに来た兄の権平にも相談した。

この頃は大いにご機嫌がよろしくなったため、そのお許しが出た。

国のため天下のため力を尽くしている。

どうぞ喜んでください。


 翌年三月二十日の乙女姉さんへの手紙にて、このような内容を書き送った。

バカのように調子に乗りすぎである。

わかっていただきたいが、脱藩よりこっち一年大変だったのだ。

主に資金的な意味で。

はしゃぎもしようというものである。


 調子に乗りついでに五月十七日にも乙女姉さんへ同じ調子の手紙を送っている。

しりたいよね、まあムリするなよ。

イヤがった振りしたって、わかるんだからね。

か、勘違いしないでよね。


 この頃は天下無二の軍学者カツ麟太郎リンタローという大先生の門人となる。

大先生にことの外かわいがられて、さき客分のようなものになった。

近いうちに、オオサカより十里あまりの地でヒョーゴという所に、大いに海軍を教える所を建設する。

また四十間、五十間もある船を建造し、弟子ども四、五百人も、全国より集まる。


 自分はじめナオなども、その海軍所にけいこ学問して時々船乗りのけいこもする。

けいこ船の蒸気船ジョーキセンをもって、近々のうち土佐の方へも参りたい。

そのせつお目にかかりたいと思う。


 自分の存じているのは、このせつ兄上には大いにご同意なされた。

それはおもしろい、やれやれ、と。

そう申された都合でその間、以前も申し上げた通りだ。

イクサでもはじまった時はそれまでの命なので、今年命あればよい。

自分が四十歳になるまでは、昔いったことをご引き合いに出させていただく。


 すこしエヘン顔してひそかにいる。

達人の見るまなこはおそろしきもの、と、徒然草にもある。

なおエヘンエヘン。


 今見返すとなかなか強烈な文面で、意味が通りにくい部分もある。

わかるのは前回同様、バカのように調子に乗りすぎである。

船のサイズとか弟子の数がありえないのは、ご愛敬である。

大げさにいいたくなる年ごろなのだ、許せ。


 大事なことをいっていなかった。

二月二十五日に、カツ海舟カイシューさんはヤマ内容堂ヨードー公に自分のことを取りなした。

そのおかげで自分の脱藩の罪は赦免された。

トサ藩士や脱藩者が、海舟さんのコウベ海軍塾の入門を追認されてもいる。


 文中にあったナオのほか、サタ村惣之丞ソーノジョー、近ドー長次郎チョージロー、モチ月亀弥太カメヤタが海舟さんの門人に加わる。

他にシン宮馬之助ウマノスケ、スガ野覚兵衛カクベー、安オカ金馬キンバらも身分に囚われず登用された。

毛色が違うところではキ州脱藩浪士ダテ小次郎コジローのちのムツ宗光ムネミツもここで加わった。

蒸気船ジョーキセンつまり黒船の専門技術職を育てるので、身分より能力である。


 さらに四月二十三日に将軍トク川家茂イエモチ公が軍艦「ジュン動丸」に乗艦した。

コウベ海軍塾の設立許可が出て、幕府から年三千両の経費が承諾された。

五月にそれでも資金が足りず、自分がフクイ藩に出向き、マツ平春嶽シュンガク公から五千両を借入れた。

二十九歳になった自分は、海舟さんが進めるコウベ海軍塾の設立のため奔走した。


 だから報酬は欲しい。

フクイ藩からの借入れの一%の五十両を報酬として着服した。

ナオ長次郎チョージローの三人で山分けした。

あとで幕府の役人にがたがた文句をいわれ、仕方なく借用書を書かされた。

まあ、全部使った後で鼻血も出やしないがね。


 不穏な話ついでにもう一つ、しっていればなんてことない話がある。

二月四日に浪士隊のちの新撰組が結成されたそうだ。

浪人清カワ八郎ハチローが隊長で、幕府の金で勤王隊を作ろうとの策らしい。

この御仁、実は北辰一刀流の同門で自分の先輩にあたる方だ。

そのつてで、自分もこの浪士隊に誘われていたが断った。


 ただこの策自体は失敗し、のちの新撰組は組織として佐幕隊である。

なによりこの組織、どこから金が出ていると思う。

実は、コウベ海軍塾同様、マツ平春嶽シュンガク公の肝いりでできた組織なんだ。

同根異夢、これが実は我々と新撰組の本当の顔だ。

陰になり日向になり、両組織は助け合っている要素も実はある。


 まあ考えてもみてくれ。

世間に多くの脱藩浪人があふれ、草莽の徒として治安を乱している。

資金的に窮すれば、尊王攘夷の高い志など吹き飛んでしまう。

マツ平春嶽シュンガク公やカツ麟太郎リンタローさんがどう考えたか。

彼らの無軌道なエネルギーをなんとか国のために生かせないか。

彼らを集めて建設的なことに、なんとか心と力を使わせよう。

身もふたもないことをいえば、そういうことだ。

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