あくまでアクマは良魔にこだわる105 黒船
自分はどうも黒船が好きだ。
トサには帰ってきたものの、結局この話で地元ももちきりなのである。
もちろん自分もこの流れの中にいる。
自分の話を聞きに来る人も実に多い。
今回の到来は、日本の最高府エドに直接乗り込んできたようなものだ。
ラン国船がナガサキへ来たり遭難船が各地に来ることはありうる。
イング国と清国によるアヘン戦争という質の悪いイクサの顛末も誰かに聞いた。
今回のアメリ国はそういう意味で実は質が悪い。
尊王だ攘夷だと叫びたい人々の気持ちは痛いほどわかる。
地元もそういう熱狂が田舎ながらに盛り上がっている。
エドの喧騒から解放された自分だが、象山さんのこともあり複雑な気持ちでいる。
あとエドにいても意外と幕府中枢の思惑みたいなものは、はっきりわからない。
遠縁で白札郷士のタケチ半平太という人がいる。
物心ついたころから結構勢いのある、まあエリートである。
この人がわりに威風があるというのか人を引き付けるというのか結構人が集まる。
どうもここを中心にして熱狂が続いている。
白札郷士というのは郷士だけど何らかの業績を得て上士扱いとなった家である。
イヌイ猪之助とも親戚である。
ああ、わかりやすくいうとイタ垣退助のことだ。
後トー象二郎といつもつるんでいるヤツだよ。
ヨシ田東洋さんはトサ藩士で船奉行・郡奉行のち大目付・参政になる偉い人だ。
今は藩政改革に取り組んでいる。
この人が親父を亡くしたあとの象二郎の親代わりなんだ。
商家出の自分とは種類の違う人間だとなんとなく思っていた。
まあ、自分はそもそも寝小便たれの泣き虫だから。
ああいうワイワイやるのは、実はそこまで得意ではない。
むしろはやし立てられる側の人間だよ。
ただ借金があったりして当家に頭が上がらず、表立っていえない家は多い。
ただ、だからこそ陰口は減らないのだ。
ヒネノ道場の師範代になった今でも、いろいろいわれている。
ああ、気にはしていない。
ただあの手の熱狂に対して、なんとなく引いた心境で見てしまうという話である。
だから茫洋とした男の器量などど褒めても、何も出ないのである。
わかったか、乙女姉さん。
嫁いだのに、どうしてうちに来てエドの消息なんかを気にするんだ。
国難に際して何かがしたい、とかいわれても、愚弟はとても困る。
正直、タケチ半平太がいなかったら、乙女姉さんが立っていたんじゃないか。
お仁王様はダテじゃないのだ。
今のところ、エドの情勢を詳しく知ってしまった自分は関わらざるを得ない。
タケチさんにもいろいろ聞かれ、エド行を断るのではなかったと悔やんでいた。
次の剣術修行に行く際は、絶対に同行させてくれといわれている。
ミゾ渕さんに聞いてくれと思っている。
あの人は砲術士として、どうも才があるようなのだ。
こ難しい理屈が得意で、算術ができる。
象山さんからもお褒めにあずかっていたものだ。
まあ逆にいうと、自分にはそうした才はない。
それよりは黒船の商売を考える方がよっぽど性に合っている。
資金はどうしようか、人員や消耗品の類はどう手配するか。
操縦技術はいったい誰から学べばいいのか。
そうそう、ジョン万という人が我がトサにはいるではないか。
彼はれっきとしたアメリ国帰りの船乗りである。
乙女姉さんにカワ田小龍さんへの仲立ちを頼んだ。
彼はジョン万のアメリ国見聞録を『漂巽記略』という形で著わした画家先生だ。
覚えていろ、といい残し、えらい張り切りようで彼女は帰っていった。
背中がなんだかクマのようだ、と自分は思った。
剣術修行を終え師範代となり、さらなる研鑽を積まねばならない。
トサにて弟子を募って剣術を教えていく存在だ。
本来、自分にはそうした道しか残されていない。
しかしなぜなんだろうな、そうしたことは枝葉だと感じる。
エドの刺激的な生活の熱が、いまだに自分を焦がしているようだ。
翌日、継母伊与さんの縁者、長オカ謙吉が呼びに来た。
ちなみに謙吉は、オカ上樹庵さんと同様の医師だ。
以前いったが、オカ上さんは乙女姉さんの旦那だ。
そのお宅へ向かって歩く。
今度は挨拶もそこそこにオカ上さんを伴って、ひたすら歩く。
カワ田小龍さんのお宅にたどり着く。
そこで近ドー長次郎という饅頭屋の息子を紹介された。
カワ田さんは非常に気さくな方で、ジョン万のアメリ国見聞録を語ってくれた。
ちなみに、謙吉や長次郎は弟子だそうだ。
カワ田さんは身分に囚われない精神をジョン万から学んだ、といった。
商人だろうが武士だろうが身分に囚われない登用制度がアメリ国にあるそうだ。
それどころか大将や将軍でさえ、身分を問わないで民の中から選ばれるようだ。
最近は、上士だの郷士だの身分について思うことが増えた。
そんな自分にとっては、実に面白い制度だと思った。
なにより黒船についてジョン万はそうとう詳しいようだ。
この辺りも正直、象山さんよりも勉強にはなった。
あのインパクトはダテではなく、やっぱり現状では太刀打ちできそうにない。
ああ、剣術修行が所詮枝葉でしかないと感じている自分の心がわかった。
アレは全部でひとつの、デカい剣というか兵器なのだ。
人間ひとりの剣術など、アレの前ではとても歯が立たない。
勝とうと思えば、当方も同様のデカい剣というか兵器を運用しなければいかん。
ひどい話だが、これでも勝てるかは五分五分だ。
戦略次第では、これでも兵員含め全滅するかもしれない。
状況は皆が思っている以上に悪いのかもしれない。
ジョン万が語っている内容は、わからないものが多かった。
しかしそれでも、そういう苦い感覚が残るものだった。
やはり早急に当方も黒船を持っておく必要がある。




